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2018年元旦


新年あけまして
おめでとうございます!!

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今年は元旦から仕事で何だかお年玉を半分落としたような気分ですが

今日から3日間休みなので、何とか正月気分に追いつけそうです!

実は去年の誕生日

今さらですがスマホデビューを果たしまして・・・・・

その2週間後に高校の同窓会がありその場で『ライン』に加入!

さらに宇都宮からわざわざ出てきた友達が『インスタ』をやっていると聞き

その『インスタ』を見ようとアプリをダウンロードした所

同時に『フェイスブック』にも加入するハメになり

あれよあれよと『ライン』、『インスタ』、『フェイスブック』に加盟するハメになりました

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ひと通りやってみて一番面白かったのが『フェイスブック』!

不特定多数にではなく、知り合いや友達に向けての発信なので

どこの馬のホネともわからない輩の相手をする事も無いので

やっぱり安心です!

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『その日仕事で感じた事をその日中にUPする』

というルールを自らに課し

限られた時間内に文章を考え、撮った写真を構成する作業が

『今、一番楽しくてしょうがない!』

根がひとつのことしか出来ない上に完璧主義な性格なので

12月にやってはみましたが、両立は難しく

どちらかと言えば、立ち上げたばかりの『フェイスブック』の方に集中したいので

今回を持ちまして『音選街』は『閉局』とさせていただきます。

いつか股・・・・

『開脚』

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否!

『開局』する日まで


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『しーゆー!』



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1978年6月25日発売
8週連続1位
売上 110、2万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一

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ミーちゃん、ケイちゃん

阿久先生、都倉先生、土居先生、野口先生、飯田ディレクター

この七人の侍が作った昭和史に残る最強ユニット

ピンク・レディー!

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彗星の如く現れ、最初の仕事が雪山で水着を着てスキー!

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ミニスカートで股をパカパカ踊るダンスに大人達は眉をひそめたが

面白い事に素直に反応する子供達が真っ先に飛びつき

レコードを出せば数ヶ月1位を爆走する大ヒット!

歌番組からCMまでテレビを付けたらピンク・レディーを見ない日はなく

ハッとする歌詞と、テンポの良いメロディー、独創的な衣装と奇抜なダンスで

老若男女はもとより、歌謡曲を聞かない人にも知られていた

恐るべき知名度で一世を風靡!

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1976年のデビューから1981年の解散までの4年7ヶ月のうち

ピークだったのが1977年と78年の2年間で

『S.O.S』から『カメレオン・アーミー』迄9曲連続1位

『渚のシンドバッド』から『モンスター』迄5曲連続ミリオン突破!

今はほとんどの記録が塗り替えられてしまっているが

未だに破られていないのが

『年間首位獲得週数』

1977年には『S.O.S』、『カルメン’77』、『渚のシンドバット』、『ウォンテッド』、『UFO』と

1年間50週のうち28週もの間、ピンク・レディーが1位を占め

さらに翌年の1978年には

『UFO』、『サウスポー』、『モンスター』、『透明人間』、『カメレオン・アーミー』と

年間52週中31週独占という快挙を達成!

これはB´zや浜崎あゆみ、ミスチル、AKBを持ってしても

年間10週以上も1位を達成するのは困難と言われており

オリコン史上未だに破られていないピンク・レディーの

永久不滅の大記録!

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『次は何をやってくれるんだろう』

そんな期待に4年以上も応えてきたピンク・レディー

『サウスポー』の次にリリースされたのが

都倉先生の声を音声加工した

『ワーッハハハハ』

という笑い声と

『キャー!!』

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という叫びから始まる

『モンスター』!

♪モンスタ〜この私のかわいいひと〜♪

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夜ヒットの本番直前にギリギリ間に合ったという

出来たてホヤホヤの衣装を装着したピンク・レディー!

歌ってる途中でよりによってミーちゃんの衣装がずり上がり

翌日のスポーツ新聞の売上げに大いに貢献した

『下乳ポロリ事件』が勃発!

実際は言うほどのものでは無かったが

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輪郭はハッキリクッキリキドカラー!

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狙ったワケではないだろうが、次にリリースされたのが

シースルーの衣装がエロかった

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『透明人間』

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1978年9月9日発売
4週連続1位
売上 88、6万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一

『ザ・ベストテン』では

♪消えますよ〜♪

♪消えます!♪

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♪消えます、消えます♪

♪消えます!♪

と、歌った後に本当にテレビから消えて

再び画面に現れるという離れ業を生放送中にやってのけ

視聴者の度肝を抜いた

個人的には

♪ショック〜!♪

♪ショーーーック!!♪

の部分と

バックシャンが一番の大好物でした!

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そして数あるピンク・レディーの楽曲の中で

最もハードな振り付けと言われているのが

歌ってる途中で衣装の色が変わっていった

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♪カメ〜レオ〜ン、アミー!♪

『カメレオン・アーミー』

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1978年12月5日発売
6週連続1位
売上 70、8万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一

初登場88位から1位という未だに破られていない

驚異のジャンプアップを記録!

これは発売日の12月5日がオリコンの集計日だった為

順位の決めてとなる初動売上が食いこんでしまったせいで

翌週には初動が無くても1位を獲ってしまうという

余裕を見せつけられた曲でもある!

その11日後にはピンク・レディー初の主演映画

『ピンク・レディーの活動大写真』が公開!

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ストーリーは3話のオムニバス形式で

1話目ではミーちゃんとケイちゃんが同じ男を好きになるという

真面目なラブストーリー

スナックの名前が『シンドバット』で飲み物は『ピンク・レディー』だったり

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『スナックに務めてる男なんて・・・きっと狼なんだから!』

と、言わせた後、テレビをつけると

♪男は狼だから〜気をつけなさい♪

と歌ってるピンク・レディーの映像が流れるというドリフな所もあるが

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真剣に演技するミーちゃんとケイちゃんの表情は見ものです!

2話目はサーカスに連れてこられたモンスターを助け

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落ち込むモンスターを慰める為に『モンスター』を歌い

最後はUFOも出てきて子供も喜べるSFファンタジー

3話目はタイトルでほぼ内容の想像がつく西部劇『WANTED』!

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最大の見どころと言えば最後に出てきた

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ケイちゃんの入浴シーンでしょうか・・・

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『カメレオン・アーミー』が1位を独走し

映画も封切られ

大晦日には『U.F.O』でレコード大賞を受賞!

まだまだピンク・レディー旋風が続くものと思っていたが

年が明けると、それまでの人気が

ウソのような急落が始まるのだ!

以下は1979年中にリリースされたピンク・レディーのシングル

『ジパング』(4位 26、9万枚)

『ピンクタイフーン』(6位 29、8万枚)

『波乗りパイレーツ』(4位 24、2万枚)

『キッス・イン・ザ・ダーク』(19位 11、1万枚)

『マンデー・モナリザ・クラブ』(14位 11、4万枚)

『ドゥ・ユア・ベスト』(36位 5、1万枚)

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見ての通り、1位を獲れなくなったどころか

売上も30万枚以下というガタ落ちぶり!

その発端となったのが

『紅白』の出場辞退!

もちろん本人達の意向ではなく、あくまで事務所の方針に従ったまでで

大晦日は『紅白』の裏番組だった

『ピンク・レディー汗と涙の150分!』

という日テレのチャリティー番組に出演!

葛飾区の盲学校の生徒達のためにピンク・レディーがコンサートを

開く模様を生中継するというものだった

『10月にこの盲学校を訪れた時、みんなもの凄く喜んでくれて

『歌って!』

って言われたんだけど、その時は何も準備してなかったから

『今度絶対みんなの前で歌うからね!』

って約束したんです。』

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『チャリティっていうと何かカッコ良いみたいに思えるでしょう?

だから自分達も何か犠牲(紅白)にしなくちゃ』

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『紅白』を辞退して『チャリティー』に出る事は決して悪い事ではない

しかしこの年の8月に『24時間テレビ』の第1回目の放送が行われており

ピンク・レディーはそこでパーソナリティーを務め

テレビで歌うのは最初で最後という『2001年愛の詩』を熱唱したばかり

24時間で11億円もの募金を集め、感動のフィナーレを迎えた日テレが

大晦日になぜまたチャリティーだったのか?

視聴率80%を誇る国民的番組を蹴った罪は重くのしかかり

『ピンク・レディー汗と涙の150分!』の視聴率は8、2%と惨敗!

レコード大賞受賞者が『紅白』に出場しなかったのは後にも先にも

ピンク・レディーだけ!

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マスコミからバッシングを受け、急速に人気も陰り始め

1979年になると

連続1位と連続ミリオンの記録が途切れただけでなく

それまで持っていた多くのレギュラーが終了

そんな中、司会に抜擢されたのが

『ナウ、ゲッタ、チャンス!』

の決めセリフと

伊東四朗が問題が書かれたカードを取り出す時に

『ニン!』

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と言うギャグを飛ばしていたクイズ番組

『ザ・チャンス!』

伊東四朗が司会をやっていたイメージが強いが

初代の司会はピンク・レディー!

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ところが1年も経たないうちに

『お休みしま〜す』

と言って番組を降板!

アメリカに渡米し

『キッス・イン・ザ・ダーク』で全米デビュー!

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坂本九の『上を向いて歩こう』(全米1位)に次ぐ

ビルボード37位を記録!

これはYMO、オノ・ヨーコ、松田聖子、宇多田ヒカル、そして去年大騒ぎになった

ピコ太郎の『PPAP』(77位)でさえ超える事が出来なかった

メチャクチャ凄い記録なんです!

さらにアメリカ3大ネットワークのひとつであるNBCでやっていた

『ピンク・レディー&ジェフ』に出演!

短期間で準レギュラーの番組を獲得する等、無名だったわりに活躍していましたが

内容がエロイムエッサイムだった為

『ピンク・レディーのイメージを損ねる』

と、日本では全く報道されず!

どんどんピンク・レディーは忘れら去られて行った

『もうこれ以上やらなくていいんじゃないか』

そう思うケイちゃんと

本格的にエンターテイメントを目指し、アメリカで勝負したかったミーちゃん

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『理想の解散は『結婚します』と言って辞めたかったです

2人で同じ時期に結婚式、同じ所で挙げたかった』

その理想に一番近かったのがケイちゃんで

当時は野口五郎と熱愛中!

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『私にアメリカで仕事させるのは恋人と私を引き裂くためなんだ』

『早く日本へ帰りたい』

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最終的にケイちゃんの思いが強く、アメリカでの活動を断念し

1980年9月1日、ピンク・レディーは解散を発表!

『期待が凄く大きかった。レコードを出せば必ず1位にならなきゃ

いけないみたいな・・・・

全てが異常なのに私たちにとってはそれが

普通に見られてしまうことが重かった』

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そしてみぞれ交じりの冷たい雨が降る悪天候の中

空席が目立つ後楽園球場で

1981年3月31日、ピンク・レディーの解散コンサートが行われた

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『泣いたら平手打ち』

ある日、突然声が出なくなって泣いてしまったケイちゃんに

『約束だからね』

と、平手打ちをしたミーちゃん

叩かれて本当に痛かったケイちゃんは

『二度と泣くまいと誓った』

静岡時代!

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同じミニスカートで歌って踊っていたキャンディーズには絶対なかったのに

ピンク・レディーの時はテレビカメラが平気でスカートの下から映していた

デビュー当時!

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国民的な人気だったにもかかわらず最高月収が350万円と

ピーク時には月収4000万をもらっていたピン芸人のヒロシより少なかった

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全盛期!

21時以降に帰ると規則でご飯は作ってもらえず

深夜に食パンを2人でかじって空腹を満たし

ボイラーの音がうるさいからと、お風呂を沸かす事も出来ず

真冬に冷水で髪の毛を洗っていたミーちゃんとケイちゃん

睡眠不足のせいで記憶が定着せず

休みも無い不規則な生活がたたって

ミーちゃんは常に微熱が続き、真夏でも体が寒く

ケイちゃんは盲腸で退院した後、まだ傷口がふさがってない箇所を

ガーゼで巻いて武道館コンサートをやりきった

黄金期!

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『あの解散は100人以上のスタッフから職を奪ったんです。

家族を入れたら300人以上

自分のしたことの愚かさや過ちに気づいて凄く辛かった』

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『私たちピンク・レディーは今日、今ここで無くなりますけれども

ここにたくさんの風船があります

この中に花の種が入っています

もしどこかでこの風船をみつけたら

皆さん、お庭の片隅にでも埋めて下さい』

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『ケイ、あなたと出会えた事は私の大きな宝物です

あなたの存在に心から感謝します』

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クライマックスになって感極まった2人が抱き合って泣きだすと

ディレクターが

『早く、早くさよならを!』

と、放映時間内に収める為に進行を急がせる場面に批判が集まった

『さよならピンク・レディー、別れの涙もせかされて・・・・最後までテレビしばり』

(1981年4月1日付けの毎日新聞)

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2010年、『解散やめ!』会見を開いてピンク・レディーが完全復活!

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『まさか50歳を過ぎてこんなミニスカートで歌うとは思いませんでした』

このバイタリティ!

現役の頃より凄いかもしれません!

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僕もまさか50歳を過ぎてこんな姿を発見するとは思ってもみませんんでした

ミーちゃんは映画『コールガール』で脱いだのは知ってましたが

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ケイちゃんは知らなかった・・・・・・

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今年はこれでおしマイケル!

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来年は元旦から仕事。。。。

みなさん良いお年を!!!




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1978年3月25日発売
9週連続1位
売上 146万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一

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『レコードにするからには、レコード屋まで走らせるだけの

ものがなければならない

1篇の小説、1本の映画、1回の演説、1周の遊園地

これと同じボリュウムを4分間に盛ることも可能ではなかろうか』

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実は最初に作られていた『サウスポー』は歌詞もメロディーも全くの別人で

♪サウスポー!私、左利き♪

♪サウスポー!恋はおあずけよ!♪

という赤ちゃんが聞いても売れそうもない曲であった

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ディレクターの飯田は

『詞も曲も今ひとつピンとこない!このままでは出したくない』

と、レコーディングの前日になってまさかの

ボツ!

急遽ストックの中にあったアップテンポの曲と入れ替え

阿久先生には全面的に書き直しを依頼

♪背番号1の凄いやつが相手♪

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♪フラミンゴみたいにひょいと一本足で〜♪

たった一晩で書き上げた詞は

1977年に行われたオールスター第2戦で

巨人の王選手を大きなカーブで空振り三振に仕留めた

クラウンライター・ライオンズの永射保(ながい たもつ)選手の投球を見て

感銘を受けた阿久先生がその時の対決の様子をモチーフにしたものだった

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♪シンと静まったスタジアム♪

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♪世紀の一瞬よ〜♪

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♪わ〜たしピンクのサウスポー♪

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♪きりきり舞いよ、きりきり舞いよ♪

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♪魔球は、魔球は、ハ〜リ〜ケーン♪

『もしあのまま『サウスポー』を発売していたら

ピンクのブームは急速に終焉していたのではないか』

この歌のモデルとなった永射保選手は『左殺し』の異名を取った

左のアンダースローの名手で

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浮き上がってくるストレートと、打者の背中越しから

視界の外へ消えて行くカーブを武器に

左のワンポイント・エースとして活躍!

パ・リーグの強打者達を次々と抑え込んだだけでなく戦意さえ奪い取った

史上最強のワンポイントエース!

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『サモアの怪人』と呼ばれた日本ハムのトニー・ソレイタは

4年間対戦してヒットゼロ!

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『不惑の大砲』と呼ばれた南海ホークスの門田博光は

好機で打順が回ってきた時に自ら上田監督に

『交代させてほしい』

と申し出たほど

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本塁打王と打点王の二冠に輝いたロッテの主砲レオン・リーは

『顔を見るのも嫌』

『永射がいるから来期の契約更新はしない。日本を去る』

と、言わしめたほど完璧に封じ込まれており

三振と凡打の山!

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あまりの苦手意識から満塁の場面で右打席に入ったという逸話を残している

プロ野球史上唯一の敬遠球をホームランされた不名誉な記録を持ち

声が大きくベンチでは『ヤジ将軍』と呼ばれるメードメイカーで

体毛が濃かったことからあだ名が『毛ガニ』だった永射選手

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『水島先生が数日密着した事があってね、最終的に

『男じゃつまらん』

という事で女性投手になったみたいですけど』

この取材の後に誕生したのが『野球狂の詩』の主人公・水原勇気!

後に実写化され、昔はアイドルだった木之内みどりが主演!

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歌と漫画のモデルになった永射選手

現役引退後は地元福岡でスナック『サウスポー』を経営

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芸能界のみならず野球界をも巻き込んだピンク・レディーブーム!

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その余波はとどまる所を知らず

『みせかけの純情、偽りの可憐さ、涙は出ない図太い涙

ホンマ、目ぇ突いたろかー思うねん!』

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と、聖子イジリが鉄板ネタだった松竹芸能初の女性漫才師

春やすこ・けいこは漫才界のピンク・レディーと呼ばれ

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やすこの娘(中島舞子)はお母さんにそっくりだし

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そっくりを通り越して『らくだ』そのものの

お姉ゲイ人クリス松村は

大好きだったピンク・レディーンク・レディーの振り付けを踊って

85キロあった体重が3ヶ月で30キロのダイエットに成功

ピンク・レディー・エクササイズという教室を開き

生徒数3000人以上という荒稼ぎぶり!

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他人のふんどしで相撲を取るとはまさにこの事であるが

その極め付けが

ピンク・レディーの曲を公式に歌い継ぐユニットとして2014年にデビューした

ピンク・ベイビーズ!

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現代風にアレンジしたピンク・レディーのカバーを歌うグループで

作曲家の都倉先生の全面プロデュース!

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『渚のシンドバッド』、『UFO』と2曲をリリースした所で全く売れず

2017年5月に解散

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ゾロっと14人もいたメンバーの中で、ひと際輝いていたのが

櫻井優衣ちゃん!

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2000年のミレニアムに生まれた17歳で

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健康的で愛くるしい笑顔と

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アイドルの必需品であるロングヘアーをなびかせ

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一生懸命踊る姿に

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久々に天使の輪が見えました!

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このまま消えてしまうのはもったいない子です

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♪わ〜たしピンクのサウスポー♪

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♪泉ピン子はサウスポー♪

NO〜!!!

ピン子の写真が貼れない!

ここでまさかの枚数制限!

さすがにこれでは終われないので

次回もピンク・レディー!

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1977年12月5日発売
10週連続1位
売上 155、4万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一

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♪ピロロロロロ・・・・・・♪

♪チャ〜ラララ、チャラララ、チャララ、チャララララララララ♪

♪ピローン、ポローン♪

♪ピローン、ポローン♪

♪ピローン♪

♪ユッフォ!♪

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もしドレミファ・ドンでこのイントロが流れれば

ボタンは高速連打され、中央に設置されたマイクは争奪戦になるだろうし

この振りマネが出来ないと入れない会員制クラブがあっても

50代、60代の人なら全員入店可能であろう!

2014年にはドコモのCMで使われ

デジタルアレンジされたリズムに乗って石田純一の娘のすみれと高橋コウが

現代版ピンク・レディーとなって

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♪ユッフォ!♪

を見せてくれた

さらに今年で35歳になったとは思えない

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顔よし

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スタイル良し

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πデカしの

深田恭子を起用したUQモバイルのCMシリーズにも使われていたのが

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今から40年前にリリースされたピンク・レディーの

『UFO』!

そしてついつい思い出してしまうのが

『日清焼きそばUFO』

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発売はピンク・レディーがデビューする3ヶ月前の1976年5月なので

名前は『UFO』の大ヒットにあやかって付けたものではなく

『うまい(U)、太い(F)、大きい(O)』

の頭文字を取ったもの・・・・

というのは後付けで

本当はネーミング会議の時に社長が容器のフタを飛ばしてみた所

『UFOに似ている!』

とヒラめいたからだった!

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個人的には

『ぺヤングのソースやきそば』

の方が好きで、カップ麺の焼きそばはこれしか食べないが

子供の頃からずっと社名だと思っていた『ぺヤング』というネーミングは

初代から17年間もCMキャラクターを務めた桂文楽さんが

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『ペアでヤングなソースやきそば』

というセリフがCM内の15秒におさまりきらず

『ペアなヤング』を

『ぺヤング』

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と、はしょって言った事からそのまま付いたんだとか

言うなれば

『東(10)急(9)と営業時間の10時から時迄という意味で

109(イチマルキュー)』

と命名したのを、若者が

『マルキュー』

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と呼ぶのと同様に

『女性がでんグリ返しの途中で止まった姿勢』を

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『まんぐり返し』

と呼ぶのと同じである!

(イヤ、違うな・・・・)

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さて!

数あるピンク・レディーの楽曲の中で一番有名であり、一番売れた曲がこの

『UFO』

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『芸能界のお仕事なんか初めてだったし

まして、ミニの洋服なんか作った事が無かった』

1着30万円もするピンク・レディーの衣装を担当し

『明日の番組で使うから色違いを今日中に作ってくれ!』

という無茶ぶりに応えていたのが

野口庸子先生(右上の方です)

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惜しげもなくさらされた太ももとチラリズムのコンビネーションプレイで

世の男性諸君のマラドーナをデルモンテにしてくれたミーちゃんとケイちゃん

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ある時は他の人より一段高いステージの上で

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またある時はミラーが貼られた床の上で

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とどめはスケルトンのボードで組まれたステージの下に

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カメラが入っていたセットで歌わされた事もあった

(これにはさすがに怒ったミーちゃん、ディレクターに直接文句を言い

そのディレクターは翌日飛ばされたとか)

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毎回煩悩に刺激を与えてくれたミニの衣装から一転して

宇宙人をイメージしたシルバーのキンキラ衣装に身を包み

♪地球の♪

♪男に♪

♪あきたところよ!♪

♪アーン♪

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リリースされた時は『ウォンテッド』がまだ1位だったが

2週目で早くも1位になるとそのまま独走態勢に入り

10週連続1位を獲得!

同日発売されたアルバム

『ベスト・ヒット・アルバム』

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も10週連続1位の大ヒット!

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そして今や懐かしいカセットはなんと

13週連続1位!

3ヶ月以上に渡ってシングル、アルバム、カセットの主要3部門を

ピンク・レディーが独占制覇!

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その原動力となったのは

『地球の美女が宇宙人に恋をする』

というスペース・ラブな歌詞を書いた阿久先生や

『ユー・エフ・オーではなく、ユーフォーと発音しなさい』

と指示した都倉先生の才能もさる事ながら

頭を山に見たてて、UFOが現れるシーンを表現したあの有名な

♪ユッフォ!♪

のポーズを生み出し

日本中の子供達の心をジャストミートした

土井先生に感謝状を贈りたい!

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『テレビ局の上にあるリハーサル室に土居先生が待っていて

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そこで2時間程振り付けをしてもらって

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その場で覚えてスタジオに降りて本番でした』

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たった2時間で覚えた振り付け!

その後、即本番という相変わらずなハードスケジュール(笑)

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2016年、『Mステ』で特集された

『プロが選んだ振り付けが凄いJ‐POP』

において

AKB、パヒューム、モー娘、エグザイルといったダンス集団を抜いて

1位に選ばれたのがピンク・レディーの『UFO』だった

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『曲が無くても振り付けだけでわかるインパクトの凄さ!』

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『ブっ飛んだ曲に対して振り付けが負けていない』

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『世代を越えて受け継がれる唯一無二の素晴しい振り付け』

と、絶賛の嵐!!

そして1978年の年末には

待望の『日本レコード大賞』を受賞!

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『スタ誕』出身者から初の『大賞』受賞者であり

まだ権威のあった『レコ大』でアイドルが『大賞』を受賞するのは

阪神のユニフォームを『縦ジマ』から『横ジマ』に変えるのに匹敵する

異例中の異例の出来事だった!

『私たちの頑張りを理解してくださって

受賞よりもこの言葉のほうが嬉しかった』

ベストテンで久米さんと黒柳さんに会った事は忘れても

総合司会の高橋圭三さんが言った言葉を

2人は今でも覚えているという

『美鶴代ちゃん、恵子ちゃん、おめでとう!

今、あなた方が夢にまで見たレコード大賞を手にした

どうですか?感激でしょう

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この二人はご存知のようにデビュー以来

圧倒的な人気を誇り続けてまいりました

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しかしその陰には、眠る時間も削って

そして病をおして歌い続けたという事を私たちは知っております

しかもいつでも笑みをたたえ

そして全力投球で歌いましたこの二人

その慎ましさ、優しさというものは

まさに現代の天使だろうと思うのでございます

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今、全国のお茶の間からちびっ子たちが先頭に立って

ワーッと拍手しているの聞こえませんか?

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どうですか?

聞こえるようでしょう?

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どうぞ、今までどおりあなた方はちびっ子たちにも

そして私たちの幸せを思って

今までどおり歌って

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天使としての任務を尽くしてください

おめでとうございました!』

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次回で最終回の予定ですが

初の年越しシリーズになるやもしれませぬ・・・・

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1977年9月5日発売
12週連続1位
売上 120、1万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一

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第一号の国民栄誉賞が王さんだった1977年9月5日

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ピンク・レディー5枚目のシングルとなる

『ウォンテッド』がリリース!

静と動に笑を装備したこの曲は

日本人の音楽感を変えたと言っても過言ではない!

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僕の中でも一番の大好物であり

ピンク・レディーの全シングルの中で最長となる

12週連続1位のウルトラ大ヒットを記録!

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♪私の胸〜の鍵を〜こわしてに〜げて行った〜♪

黒と白のスダレ衣装を着たミーちゃんとケイちゃんが

いつもの激しい踊りもイントロの伴奏も封印して、交互にマイクを差し出しす姿は

モモレンジャーのように勇ましく

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♪あいつはど〜こへいるのか〜♪

他のアイドル同様、めずらしく立ったままで歌っていたかと思ったら

♪盗んだ心、かえせっーーーーーー!♪

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突如羽化した超獣のように暴れ出し

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♪う〜ウォンテッ!♪

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♪ウォンテッ!♪

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『ガチョ〜ん!』に似たガオーなポーズは

『指名手配を捕まえるぞ!』

という土居先生のワイルドな振り付けで

瞬く間に大流行!

♪ウォンテッ!♪

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そこへもってきて歌い出しが

♪あんちくしょう♪

ときた!

『あんちくしょう』なんて言葉を聞いたのは

『あしたのジョー』の

♪憎い〜あんちくしょ〜うの〜顔〜めがけ〜♪

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以来!!

そもそも『あんちくしょう』とは『あの畜生』であり

『家畜と同等の馬鹿』

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という意味!

今風に言い換えるなら

『おしゃべりクソ野郎』

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『金髪豚野郎』

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『このハゲーーーーー!』

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と言った所でしょうか・・・・

『たくさんのメロディーがゴチャまぜになっていて全部面白くて

全部覚えたいけれども長くて覚えきれないのがいい』

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阿久先生の脳内チャプターがフル回転した♪う〜ウォンテッ!♪は

奇策と奇襲の雨あられ!

昔は多羅尾伴内

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僕の時は如月ハニーが言っていた

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『ある時は○○、またある時は××・・・・』

という名セリフを

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ラップ調にしてコミカルに歌わせるアイディアの凄さ!!

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そうかと思ったら、これを聞いたら鳥肌が着席しなくなる

♪好きよ〜好きよ〜こんなに〜好きよ〜♪

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♪もう、あなたなしでい〜ら〜れない〜ほどよ〜♪

ピンク・レディー極上のハーモニー!

まるで赤ちゃんを寝かしつけるお母さんの優しい声で

♪空っぽよ〜(空っぽよ〜)心は〜♪

♪うつろよ〜(うつろよ〜)何もないわ〜♪

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♪あの日あなたが〜♪

♪盗んだのよ〜♪

うっとりと聞き惚れてしまうハモリの美しさは

『萩の月』からこぼれ出るカスタードクリームの海を

泳いでいるような幸福感に浸らせてくれる

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珍しくピンク・レディーにしてはへヴィなメロディーラインで

本線で延々と繰り返される

♪ズラッ、チャ、チャ、チャ、ズラン♪

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というリフのカッコ良さもさる事ながら

♪アイウォンチューベイビー!♪

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♪アイウォンチュ、ベイ〜ビ〜♪

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♪ア〜、ア〜、アー、アーーッ!♪

♪う〜ウォンテッ!♪

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この流れは最強で

ラストでは頭のお飾りがブっ飛ぶぐらいの

ヘドバン攻撃の嵐!!

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クビがもげるのではナイカ?

と思うほど

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頭をグリングリン回してからの

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♪う〜ウォンテッ!♪

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は圧巻!!

これをテレビで見る事ができた時代に生まれて本当に良かった!

後に都倉先生が

『必死について行った時期があった』

とコメント!

あのピンク・レディーブームは仕掛けた側が作り出したのではなく

ファンが作ったブームにピンク・レディーが乗っかったもの

純粋で素直な子供達が大人よりも早く飛びつき

中高生や若い男性諸君はもちろんの事

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テレビなんか見そうもない社会の重鎮や

便座に座ってどっちを出すのか忘れたジイちゃん・バアちゃんまで

日本中を巻き込み、社会現象にもなったピンクの台風!

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幼稚園児や小学生、特に女の子にとってピンク・レディーは『神』であり

子供の為に親はレコードを買い、孫の喜ぶ顔が見たいと

ジイちゃんとバアちゃんはピンク・レディーのおもちゃを

買う!

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買う!

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買う!

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レコードは売れ、ピンク・レディーが出る番組は高視聴率を上げ

とある音楽番組で

『痩せる為にウーロン茶を飲んでいる』

と言った途端

ウーロン茶が大ブーム!

世界初の缶入りウーロン茶が日本で発売されたのは

この発言がキッカケだった!

CMに出れば商品は飛ぶように売れ

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その経済効果、350億円!

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現在の貨幣価値に換算すると実に

800億円!

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ちなみにピンク・レディーが所属していた事務所(T&Cミュージック)の売上げは

デビューした1977年の決算が4600万円だったのに対して

翌年には10倍以上の6億4000万!

1979年には18億9000万という莫大な売上を記録!

あるラジオ番組で

『相当儲かったでしょう?』

と聞かれたケイちゃんは

『全然入ってきてないです。お給料制だったからね』

当時、大卒の初任給が9万円だった時代にデビューしたピンク・レディーのギャラは

最初の1年目で

月5万円

『カルメン77』から『U.F.O』迄の絶頂期で

15万円

『サウスポー』から『カメレオン・アーミー』の時でも

30万円で

『ジパング』から『マンデーモナリザクラブ』の頃にようやく大台突破の

150万円!

解散迄の5年目は

350万円と

2人が当時稼いだギャラは総額で

約4850万円!

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歌唱印税しか入ってこないとは言え

シングル1105、6万枚、アルバム213、6万枚

トータル・セールスで1319、2万枚を売上げた実績から見ると

メチャクチャ少ない!

ちなみに先頃、引退を表明した安室ちゃん

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彼女も歌唱印税だけでピンク・レディーと同じ月給制でしたが

月600万円!

ピンク・レディーの頃は2人とも、あまりに多忙すぎて使うヒマが無く

貯金していたお金は解散と共に両親にプレゼントしたんだとか

『お金について事務所に注文した事はないです。

だってようやく見つけた生きる道だよ』

ミーちゃんのその言葉にピンク・レディーの神髄を見た気がしました

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数々のヒット曲を世に送り出したピンク・レディー

黄金期でも給料が月2、30万だったと聞くと、何となく親近感がわきますが

仕事内容はブラック中のブラック!

例えば、イベント会場の出演が12時に終わったとして

次のテレビ番組の収録が12時からという悪魔のようなスケジュール!

子役時代の杉田かおるがピンク・レディーが来ない為に撮影が進まない事に腹を立て

『ピンク・レディーを降板させろ!』

とプロデューサーに文句を言った所

『お前が降板しろ!』

と、逆ギレされたのも

『夜ヒット』の時はリハーサルに間に合わず、百恵ちゃんと淳子ちゃんが

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ピンク・レディーの代わりに歌ってくれたのも

スケジュールに移動時間というものが入っていなかった為!

渋滞にハマれば衣装の上に私服を着て電車に飛び乗り

ファンが殺到しすぎてパトカーが先導してくれたり

ヘリコプターをチャーターして現場に駆けつけた事もあった

『どこにいるのか、何の仕事なのか、全然把握してなかった』

食事は移動の車の中でパンと牛乳や果物、ビスケット!

毎日のようにある歌番組の収録にCM撮り

週末には地方コンサートをこなし、3ヶ月おきにリリースされる

新曲の振り付けのレッスンとレコーディングを朝迄こなし

デビューしてから『UFO』でレコード大賞を取るまで

1日も休み無し!

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『いつも明け方に帰ってきて、居間にあったコタツに入って

ガウンだけ羽織って仮眠を取る毎日でしたね』

『先に寝るかシャワーを浴びるかで迷う』

当時のトップアイドルの平均睡眠時間が3時間と言われていた中

ピンク・レディーは睡眠ではなく

『仮眠を45分』

だったそうだ

ちなみに絶頂期のピンク・レディーの仕事

1日15本!

それが毎日4年間続いていたのだ

『とにかくマネージャーのかかとを見つめて着いて行くだけっていう感じ』

『自分達が実際にどれくらい人気なのか全く分からなかった』

雑誌の写真やマルベル堂で売られていたブロマイドの撮影は

通常2時間はかかる所、カメラマンに与えられた時間は

たったの5分!

あまりの忙しさにスタジオに入っている時間が無く

テレビ局の廊下や階段、移動の合間にその辺で撮影したものが使われ

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インタビューはテレビ収録のホールの入り口から楽屋に入るまでの間に

歩きながらこなすという神業!

『インタビューでケイが話している時、私はだんだん意識がなくなっちゃって・・・』

『頑張ってないと意識がなくなっちゃうんですよ』

『もうひたすら頑張るのみでした』

そんな殺人的スケジュールの中

『私がピンク・レディーでいる価値があるのかどうか確かめたくて』

と、思い立ったケイちゃんは移動中の車から飛び降りて脱走!

誰か追いかけて来てくれると内心期待したものの

マネージャーもスタッフも追いかけて来ず

ガッカリしたケイちゃんは

これが最後の仕事だと、歩いて現場に向かうと

入り口で大勢のスタッフが花道を作って拍手で出迎えてくれたんだとか

『お帰り〜!ケイの事だから絶対帰ってくると思ったよ』

みんなケイちゃんが来るのを信じてずっと待っていたなんて

感動のるつぼ!!

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『1日の区切りがわからないからずっとつながってる感じ』

ほとんど寝ていないせいで記憶が定着せず、当時の事は2人揃って

『ほとんど覚えていない』

毎週のように出ていた『ザ・ベストテン』で

ある時ケイちゃんが大ファンだった俳優の田村正和が

1位になったお祝いに花束を持って駆けつけてくれた事があったが

それもケイちゃんは

『全く覚えていない』

んだとか・・・・

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それどころか

『ベストテンに来た事は覚えているけど

黒柳さんと久米さんに会った記憶がない』

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♪ダバダ〜ダ〜バ、ダバダ〜♪

みなさん働きすぎには注意しましょう・・・・

次回は『ユッフォ!』


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