|
アルバム発売 1984年11月12日
全米・全英第1位
売上 全世界2100万枚
先月、また一つ歳を取りまして・・・・・
四捨五入すると50代の仲間入りです(笑)
そこで今回はPC復活&バースディ記念と言う事で
普段はやらない洋楽アーティストを特集してみました。
来年2月に10年ぶりの来日公演を控えた
クイーン・オブ・ポップこと
マダーナ!!
☆マドンナ(マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ)1958年8月16日生まれ
アメリカ・ミシガン州ベイシティ出身 164cm
最初に洋楽の女性アーティストを好きになったのは
オリビア・ニュートン・ジョン!
映画『グリース』で純情な高校生だったオリビアが
最後は極妻もビックリの
ヤンキー姉ちゃんに変貌するストーリーで
そのあまりのギャップに一目惚れ!
ブルーの瞳に輝くようなブロンドヘアーにメロりんキューでした!
その後『フィジカル』が大ヒットしてPVの中で
レオタード姿で踊るオリビアのバミューダトライアングルに
思わず股間がニュートン・ジョン!
そんな中、洋楽のバイブルとも言える番組
『ベストヒットUSA』に突如として現れたのがマドンナ!
♪ライクぁ、バージン〜♪
♪ふぅ!!♪
その姿を見た時の衝撃は今でも忘れない!
あの眼光!!
誰にもNOと言わせない鬼の眼力は
一瞬で一生忘れないセクシー美ームであり
その辺の男なら2秒で軽々と手玉に取りそうなオーラと
小悪魔のように憎めない可愛いさは
まさにリアル版峰不二子!!
キャッチーなメロディーとシンセがてんこ盛りの
♪ライクぁ、バージン〜♪
♪ふぅ!!♪
は売上400万枚!
6週連続1位という大ヒットとなり
世界で一番有名なマドンナの曲!!
『ハイヒールを一足ちょうだい。それさえあれば世界を征服できるわ!』
マドンナは1958年(昭和33年)生まれ。日本で同い年の芸能人と言えば!
ドリフが全盛期だった頃、営業1回2時間のギャラが1800万円だったのに対し
ピンク・レディーが全盛期だった頃の月収
たったの350万円だった
ミーちゃん!
2013年に銀座博品館劇場で行われた復活ライブのチケットが
1枚20万円という高値がついた
桜田淳子!
ワンオクロックのボーカル、タカ
の母ちゃんでもありサルの化身でもある
森昌子!
今年の春に絢香と同じハゼドウ病にかかっている事を告白した
岩崎宏美!
そしてジーパンを脱いで有名になった
宮崎美子に
全部脱いで公然わいせつ罪で捕まっちゃった
愛染恭子が同い年
海外では何と言っても
マイケル・ジャクソンン!
マドンナはマイケルが生まれた2週間後に隣の州で生まれているのだ。
『羊として100年生きるよりも虎として1年生きてる方がいい』
8人兄妹の3番目として生まれ、名前はお母さんの
マドンナ・フォーティーンからとってマドンナと命名。
幼少の頃は食事の時に突然テーブルの上に乗って踊り出すような
目立ちたがり屋で明るい女の子だったが
5歳の時に母親を乳がんで亡くし、父親が家政婦と再婚するとグレ始めます。
新しい母親を『ママ』と呼ぶ事は生涯無く、家の中では完全無視!
常に反抗的な態度を取り続け
自分で破った服を着て学校に行ったり
男子にわざと下着を見せたり
学芸会ではロックのリズムに合せて蛍光色の下着姿で踊りまくって
父兄を失望させる『困ったちゃん』でしたが
中学時代の成績はオールA!
高校に入ると部活の花形、チアリーディングに所属。
人間ピラミッドは一番上であり
『自分の体に自然に生えてきたものを取り去りたくない』
と、チアリーディングではノースリーブのユニフォームを着るのに
わき毛は剃らずに伸ばし放題!!
おまけに肌色のストッキングをわざと穿いてきて
あたかもノーパンに見えるような格好での宙返りや開脚をバンバン決め
男子生徒の目をクギ付けにしたマドンナ。
ボーイフレンドはとっかえひっかえで、夜はクラブやゲイバー通い!
かと思えば、デーヴィッド・ハーバート・ローレンス(チャタレイ夫人の恋人)や
スタインベック、ヴァージニア・ウルフ等の本を読みあさる
読書家でもあった。
そんなマドンナは高校を1学期早い繰り上げ卒業という離れ技で
ミシガン大学のダンス科に入学!
誰よりも早く授業前にやって来てアップをこなし
どんなに夜遊びをしても、次の日のレッスンに遅刻した事は一度も無かったという。
また、表現力を身に付ける為に演劇部に出入りして
毎日2時間のレッスンをするほど、ダンスにめり込んでいた。
『楽なものは求めていない。楽なものは自分を成長させない。
楽なものは自分を考えさせてくれない』
そんなマドンナの運命を変えたのが毎年恒例で行われていた
『アメリカン・ダンス・フィスティバル』
ここで憧れの振付師パール・ラング(モダンダンス界の重鎮)に出会い
ダンサーとして雇ってくれないかと自分で売り込み
手応えを感じたマドンナは大学を1年で中退して
ニューヨークに行く事を決断!
父親からは猛反対されるが
『わたしの人生に口出しするのはやめて!』
と、壁に向かってパスタ皿をぶん投げ
全財産35ドルとボストンバック1個を持ってニューヨークへ上京!
この時マドンナ19歳!
ちなみに1977年当時の1ドル=200円でしたから
マドンナが持って行ったお金はたったの7000円ポッキリ!
『いままでわたしがした事の中で、もっとも勇敢な行動だった』
ニューヨークへ着くとタクシーの運転手に
この街の真ん中に行くよう告げて、タイムズ・スクエアで降りたマドンナは
『私はこの街で神よりも有名になる!』
と、叫んだというのはあまりにも有名な話。
早速パール・ラングのダンスカンパニーにアポ無しでのり込んでダンスを披露。
高度な技術と表現力を求められた課題をクリアして
ダンサーとしてカンパニーに入団が認められ
夢の第一歩を踏み出したワケですが、同時に
極貧生活がスタート!
マンハッタンで借りたアパートは外には浮浪者がうろつき
部屋の中はゴキブリだらけというボロアパートに暮らし
安いダンサーの給料だけでは食べていけず
時給1ドル50セント(日本円で300円)のドーナツ屋でアルバイト
朝はバナナ、昼はリンゴ、夜はヨーグルトという食生活で
空いた時間はひたすらレッスンに励む日々。
時給30ドルに魅かれて始めたヌードモデルのバイトは
後にプレイボーイ誌が当時の写真を暴露して話題に!
食べる物も買うお金も無くどうしてもお腹が減った時はニューヨークをうろつき
マクドナルドの袋を拾って残ったポテトを食べていたんだそうだ。
『わたしは絶対につぶされずに生き残る人間。
わたしはゴキブリみないな人間よ
退治するなんてできっこないわ!』
あまりに痩せ細ったマドンナを心配したパール・ラングは
高級レストランのクロークの仕事を紹介し
まかないの食事をしっかり取らせたといいます。
おっとここでUP数の限界!
続きはカミング・すーん!!
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- ミュージシャン




