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1982年12月21日発売
最高3位
売上 88、5万枚
作詞/荒木とよひさ 作曲/三木たかし

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今年も高校球児が灼熱のグラウンドで甲子園を賭けて闘っている中

プリン体との闘いに負けっぱなしの夏がやってきた。

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連日の30℃越えの猛暑は、営業車(黒)のボンネットで瞬時に肉が焼けるほど熱い!

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誰か僕に1ポンドのステーキと

太陽に1ヶ月ばかり夏季休暇をやってくれ!

さて、先週の欽ちゃんネタから今週はわらべ!

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テレ朝でやっていた『欽ちゃんのどこまでやるの!』で

夫婦役だった欽ちゃんと真屋順子の間に生まれた

三つ子の女の子という設定で、『あれから8年後』というナレーションと共に

1982年の9月にテレビに登場!

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のぞみ(高部知子)

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かなえ(倉沢淳美)

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たまえ(高橋真美)

デビュー曲『めだかの兄妹』はエンディングで寝る時に流れていた曲で

作曲は黛ジュンの兄ちゃんの三木たかしと、編曲はYMOの坂本龍一!

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♪スイ、スイ、スイ、スイ、スイス〜イ、スイスイ♪

パジャマにちゃんちゃんこで踊る姿はアイドル全盛期に出てきたわりに

地味だったが、まるでお遊戯を教える幼稚園の先生のようで

いきなり88万枚の大ヒット!

予想外の売上げに、『童謡(非課税)』か『歌謡曲(課税)』かで問題となり

遂には裁判にまで持ち込まれ、結局『歌謡曲』と判定され課税対象となってしまった曲。

ちなみに歴代1位の『およげ!たいやきくん』は

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453万枚も売っておきながら、『童謡』と判定されていた為に非課税だった。

『めだかの兄妹』のちょうど1年後にリリースされたのがセカンド・シングル

『もしも明日が・・・』

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1983年12月21日発売 最高1位 売上 97万枚

高部に代わって見栄晴役の藤本正則と真屋順子が一緒に歌って

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6週連続第1位の大ヒット!

人気絶頂だった聖子や明菜、チェッカーズや吉川晃司と言った

スーパーアイドルを押しのけて、1984年の年間シングルNo1は立派!

ここがわらべの絶頂期だった。

1985年3月、欽ちゃんが休養を理由に全ての番組を降りた際

わらべも『欽どこ』を降板しそのまま解散。

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3人の中で好きだったのが、おっとり・ぽっちゃりしていた『たまえ』ちゃん。

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☆高橋真美(たかはし まみ)1967年9月20日生まれ
東京都出身 A型

わらべ解散後はタレントとして活躍中。

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『欽どこ』に出演当時は体重が70Kgもあったが、独自の方法でダイエットに成功!

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『みんなに黙ってダイエット−『たまえ式』40日間で13キロ減』を出版!

『鏡に映った自分の太った姿を“これが自分の正しい姿な思ってしまうと

脳もその太った姿を本来の姿だと思って、常に“太った姿”であろうとする。

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逆に鏡に映っている姿は“間違った自分”で

本当の自分は“スリムでキレイ”だと思えば、脳も“スリムでキレイ”な

姿であろうとするんです。』

この意識改革が『たまえ式』なんだそうで

まるで別人のようにスレンダーになった『たまえ』ちゃん。

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E-girlsなら余裕でメンバーになれそうである。

そんな中、TBS『ビッグモーニング』でお天気コーナーを担当していた時に

ディズニーランドからの中継があり、その時広報として対応してくれた

11歳年上の亀井さんと2000年に結婚!

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『3人の中では一番早くに結婚するって言われてたのに

結局私が一番遅かったんです』

続いてわらべのセンター!『かなえ』ちゃんこと

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☆倉沢淳美(くらさわ あつみ)1967年4月20日生まれ
神奈川県相模原市出身 B型

彼女はいちはやくわらべの活動中にソロとしてデビュー!

デビュー曲『プロフィール』は

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1984年3月21日発売 最高4位 売上 22、8万枚

タイトル通り自分のプロフィール(生年月日、身長)を歌詞にしており

♪平凡すぎる女の子・・・あなた嫌いですか・・・あなた退屈ですか♪

と、まさかの語り口調で始まり、サビは自分の名前を

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♪あ〜つ〜み、あ〜つ〜み、呼び捨てにして〜♪

と、ひたすら連呼!

その後、シングルを10枚もリリースしたがパッとせず。

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女優もダメで、あとは脱ぐだけかと思ったら

『外国人と話してみたかった』

と、地元・相模原のスポーツジムでライザップ中のジェームズさんに

倉沢の方からアプローチをかけて5年の交際を経て1995年に結婚!

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現在は3児の母で、お住まいは国民の年収が1400万円で

どの家にもメイドがいるのが当たり前という

お金持ちの国ドバイ!

しかもダンナさんは石油会社勤務!

さぞかし優雅な生活を送っているのかと思いきや

買い物や掃除、食事の用意は全て自分でこなし、自宅は社宅という超庶民派だった。

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2013年に放送された『世界の日本人妻は見た!』で久々にテレビに出演。

夏休みが終わったら茶髪になった女の子みたいに垢抜けていたが

放送後の反響は

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娘の桂奈(ケイナ)ちゃんが可愛いすぎる!

と、倉沢本人よりも娘の方が話題になっていた(笑)。

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わらべ解散後に幸せをつかんだ2人

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それに比べて!

『身から出たサビ』、『自業自得』、『因果応報』

という言葉通りの人生を送ってしまったのが『のぞみ』ちゃんこと

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☆高部知子(たかべ ともこ)1967年8月25日生まれ
東京都文京区出身 B型

わらべで人気絶頂の中、元々女優でデビューしていた高部は

300万部のベストセラーとなった『積み木くずし』に主演!

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『欽どこ』に出ていた『のぞみ』ちゃんからは想像もつかない鬼気迫るヤンキーぶりに

誰もが衝撃を受け、最終回の視聴率はなんと

45、3%!

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これは歴代ドラマ視聴率No1であり、30年以上経った今でも

破られていない不滅の数字なのである!

『積み木くずし』での高部の演技は

『第2の大竹しのぶと絶賛され

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映画版『積み木くずし』も高部の主演で制作発表が行われた。

わらべの中では一番有望視されていた矢先!

1983年6月24日発売の

『フォーカス』にまさかの写真が掲載!

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『ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後の一服』

隠し盗りや合成でも無ければ、ソックリさんでも双子の妹でも無い

正真正銘、高部知子本人が

さも一発ヤリ終えた後にしか見えないベッドの上で一服している写真は

とんでもないスキャンダルとなって連日ワイドショーが報道!

『15歳でタバコ吸って経験豊富』

『ドラマも私生活も不良だった』

ちなみに『ニャンニャン』は『めだかの兄妹』で高部が歌っていたソロパート

♪ニャン、ニャン、ニャン、ニャン、ニャンニャ〜ン、ニャンニャン♪

から取ったもので、『エッチ』=『ニャンニャン』は流行語にもなった。

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当時、高部は15歳。

この一件で出演中だった『欽どこ』は謹慎となり、全編生放送に番組を変更。

エンディングで高部が電話で出演し、泣きながら謝った後

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みんなで『めだかの兄妹』を合唱した視聴率なんと

42%!

これはテレ朝のバラエティ番組史上1位であり

歴代視聴率でも『8時だヨ!全員集合』(47、6%)に次ぐ

歴代2位!

『ニャンニャン』の方はともかく、未成年の喫煙は重罪で

持っていたラジオ番組とCMは全て降板!

既に撮影に入っていた映画『積み木くづし』も渡辺典子に代えられ

テレビシリーズの再放送も中止になった。

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最初は謹慎処分だった『欽どこ』も結局降板させられ

わらべは除名、『欽ちゃんファミリー』からは破門となってしまったのだ。

とどめが堀越高校の無期停学処分!

たった一枚の写真で

全てを失った高部知子。

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『たばこは“積み木くずし”の役作りで持っていただけ』

『喫煙の習慣は無いと言ったけど、誰も信じてくれなかった』

『彼とは2〜3回会っただけ。大勢いるうちの友達の1人』

『エッチはしていない』

と言えば、今度は少年が高部との手紙や会話のテープを暴露!

過熱するマスコミのスクープ合戦は少年をしつように追い回しその一方で

『高部の熱狂的なファンの暴走族や暴力団が狙っている』

という噂も流れ、少年はストレス性胃潰瘍にかかり入院。

その入院先にも押しかけるマスコミに疲れ、写真をリークした3ヶ月後に

茨城の林道で自動車の排気ガスを使って自殺したのである。

他殺説も飛び交ったが実は『遺書』がちゃんと残されていた。

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2人の出会いはドラマ『積み木くずし』に少年がエキストラで出演していた事がキッカケ

『本気』だった少年と『大勢いるうちの友達の1人』だった高部との

恋愛感情の違いが『もて遊ばれた』と思い込み

『ちょっと懲らしめてやろう』的なノリで写真をリークしたものの

思っていた以上に事が大きくなり

騒動が収まらなくなってしまったというのが実際のあらまし。

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ほとんどの人が『金銭目的』だと思っていたが

少年は写真をリークした『フォーカス』に金銭や謝礼を一切請求していない。

というのも、一部上場会社幹部の御曹司だった為、金には困ってなかったのだ。

『ニャンニャン写真』と『少年の死』から1年後

謹慎が解けた高部はドラマ『転向少女Y』で復帰する。

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ツッパっていた主人公がバレーボールを通じて更生していくという

スポ根モノで、高部の所属事務所だった『ボンド企画』が全面協力して

同じ事務所の松崎しげるが友情出演し、松本伊代が主題歌を歌ったが

『何をいまさら』感が視聴者にソッポを向かれ

同年『雨の街』でソロデビューも

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事件の余波が抜けず全く売れず。

結局、高部は幼馴染と結婚して芸能界を引退。

2児の母親となり夫婦でコンビニの経営をしていたが

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夫がアルバイトの女の子との浮気が発覚して離婚。

その後、再婚−離婚を繰り返し

1999年には『地区B』と『四文字』にピアスを付けた

過激ヘア・ヌードで芸能界復帰!

こんな母親の姿を2人の子供が見たら、『積み木くずし』が始まるこの写真は

僕のニョイ棒が無反応でしたのでUPしませんでした。

興味あのある方は『高部知子ヘア・ヌード』でググってみて下さい。

3段目ぐらいに出てきます。

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現在は精神福祉士の国家資格を収得し

認知症や薬物、アルコール、ギャンブル等各種依存症の

ケアやカウンセリングを行っているとの事です。

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講演会の時も『地区B』、『四文字』ピアス付けてるんでしょうか・・・・

そう思うと話を聞くどころじゃありませんね(笑)

♪めだかは、めだ〜か!スイスイ!♪

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欽ちゃん


先日、朝日新聞に欽ちゃんのインタビューが載っていて、テクテク読んでみたら

リアルなぴょん吉のVFXを見た時と同様に

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凄く感動したので今日は欽ちゃんをやってみます。

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☆萩本欽一(はぎもと きんいち)1941年5月7日生まれ
東京都台東区出身 164cm A型

今年の春に駒澤大学仏教学部の社会人入試に見事ストレートで合格した欽ちゃん。

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73歳でですよ!

『大将!これからは学割ですね!』

『シルバー割のが安いんじゃねぇか?』

スタッフとそんな冗談を飛ばす欽ちゃん。キャンパスライフの感想は

『明日会う人がいる。しゃべる誰かがいるっていうことが一番幸せ。

年を取ると周りと付き合いづらくなってね。

僕もいつの間にか『大将』と祭り上げられていた。

大学では20歳前後の子がみんな『欽ちゃん』と呼んでくれる。』

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民放キー局(テレ朝、フジ、TBS、日テレ)の全てで冠番組を持ち

その視聴率の合計が毎週100%を超えていた事から

『視聴率100%男』

と呼ばれていた日本を代表する最強のコメディアン!

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『高校を出て浅草の劇場で修業をしてたんだけどアガリ症でね

セリフも忘れ、本当に才能が無かった。

3ヶ月で演出の先生に呼ばれて

『辞めるなら早い方がいい』

と言われて

『やめます』

って答えちゃった。

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すると事情を聞いた先輩が飛んで行って先生に掛け合ってくれた。

それで残れたの。

後で先生から言われたよ。

『お前みたいなヘタクソを止めにきた奴がいる。

こうゆうのが芸の世界では大事なんだ。

応援したいって周りに思ってもらうのが俺達の仕事だから。

欽坊、やめるなよ!

って、もう涙が出たよ』

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よく聞かれるのが運と才能。どちらが大事かと言われれば、8割が運だと言う。

『そいつは正面からは来ない。思ってもみない所からやってくるから

なかなか捕まえられないのよ。

後ろから肩をトントンとやる奴がいて、うるせーなこの野郎!って

振り向いたら、何だここにいたのかっていうのが運なんだよ。

坂上二郎さんとの出会いがそうだった。

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浅草ではツッコミのライバルでね、しつこくて苦手だった。

好きな人100人に電話しろと言われたら

101番目に電話する人。』

1966年に坂上二郎さんと『コント55号』を結成。

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『同じコントはテレビで二度とやらない』

と、新ネタを次々披露。

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『ど〜してそ〜なるの!』

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『飛びます!飛びます!』

あまりの激しい動きにテレビカメラが追い切れなかったそうだ。

『テレビは何が面白いとか、何がいいとかじゃなく

次に何が起こるかわからないときに

最も人を引き付けるんだ。』

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『昭和の笑いは下の者が上の者をちゃかす快感があった。

社長をごまかし、インチキするサラリーマンの姿が笑いをとっていた。

すき焼きの場面でネギで肉を隠しながら

食べる姿が面白かったんだ。

笑いは貧しい大衆、ダメ扱いされてる人間たちの

反撃でもあったの。

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今は日本が豊かになってすき焼き自体が珍しくなくなり

社長さんにも文句を言うようになって

反撃の笑いが成り立たなくなった』

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『僕達大人は若い者とちゃんと会話をしてないんじゃないか。

親は子に重すぎる夢を負わせていないか。

だから若者は働くイメージも持てず、窮屈で生きにくい世の中に

なっているんじゃないかって』

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『偉人の伝記を読めばわかるでしょ。最初は失敗だらけなんだから。

僕はいつも言うの。

まず一歩下がって世界を広く見ろ

もっと遠回りしろ、人と違う冒険を始めろ

いつかぶつかるよ、本物の出会いに』

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僕の中で欽ちゃんと言えば、日曜の夜に見ていたフジの

『オールスター家族対抗歌合戦』(最高視聴率28、5%)!

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プライバシーや個人情報がどうのと問題になる今では絶対にあり得ない番組で

歌合戦というよりは、町内会の“のど自慢大会”に近かったが

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毎週芸能人の親・兄弟・親戚縁者が5組も出てくる番組が14年も続いていたのだ。

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そのフジテレビの『月9』と言えば、今はドラマが定番だが

昔は月曜の21時と言えば!

『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(38、8%)だった。

『コレだ!』とひらめいて企画書を書き上げて各局に持ち込むもことごとく却下!

『月曜夜9時は開局以来20年間不振の枠なので

数字の事は気にしないでください』

と、最終的にフジテレビがGOサインを出して1981年にスタート!

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全盛期は毎週30%越えが当たり前のお化け番組で、ここで結成された

イモ欽トリオ(長江健次、山口良一、西山浩司)のデビューシングル

『ハイスクール・ララバイ』(1981年8月5日発売)

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オリコン7週連続第1位を獲得!

売上160万枚というとんでもない大ヒットとなり

『ザ・ベストテン』が番組史上最高視聴率41、9%をマークしたその日の1位は

イモ欽トリオの『ハイスクール・ララバイ』だった。

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テレビ朝日では真屋順子と夫婦役を演じたお茶の間ホームコメディ

『欽ちゃんのどこまでやるの』(42%)がやっていて

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わらべの『めだかの姉妹』(1982年12月21日発売)

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が、売上88、5万枚の大ヒット!

三つ子の名前だった『のぞみ、かなえ、たまえ』は

『望み叶えたまえ』から取ったもの。

さらにラビット関根と小堺一機のクロコとグレコ

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コント55号の付き人だった斉藤清六等

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一瞬も見逃せない面白さ特盛りテンコ盛りの番組だった。

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ちなみにキャンディーズ解散後、引退状態だったスーちゃん。

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後に女優として成功するスーちゃんの復帰作がドラマや映画じゃなくて

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『欽どこ』だったのは芸能界復帰に向けて欽ちゃんが協力したからなんですよ。

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その欽ちゃんが初のドラマに挑戦した『Oh!階段家族』(23%)は

長い階段と3棟の家のオープンセットを女優さん達が行ったり来たりするだけで面白かった。

またTBSの『週刊欽曜日』(31、7%)では欽ちゃんバンドが名物で

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佐藤B作(トロンボーン)、小西博之(ドラム)、清水由貴子(キーボード)

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清水善三(ギター)、風見慎吾(ベース)で

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欽ちゃんは鉄琴だった。

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ここから風見慎吾が『僕笑っちゃいます』(作曲はなんと吉田拓郎)でデビュー!

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オーディションで初めて欽ちゃんに会った時、バカでかい声で挨拶したのがキッカケで

『合格!』

した風見慎吾。

テレビで初めて歌いながらブレイクダンスを披露した歌手であり

スマップやエグザイル等、今は当たり前になっている歌いながら激しいダンスをする

パフォーマンスの元祖なのだ!

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ちなみに長江健次は不合格から、見栄晴はジャンケンで合格した。

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『ダメな奴ほどダメじゃない』

ラジオでリスナーのハガキを読み上げるというやり取りや

ピンマイクの導入、女性アシスタントの起用等

最初にやったのは全部欽ちゃんだった。

『人は本当はこんな事やりたくないのになぁ・・・と思ってる時ほど

凄い事を成し遂げる

逆に赤じゅうたんをひかれて、全ての条件がそろっていて

『さぁ成功して下さい』となると必ずコケる』

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『24時間テレビ』の司会を依頼された時欽ちゃんは

日テレが提示したギャラになかなか首をタテにふらず交渉が難航。

どんなに金額をUPしても『もっと、もっと』と言う欽ちゃんに

スタッフもうんざりしたという。

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これでダメなら欽ちゃんをあきらめるしかないと

最後のギャラ交渉をした時、あっさりOKが出てホッとしたスタッフに

欽ちゃんはこう言った。

『そのギャラ、全額寄付ね!』

もう鳥肌たって言葉が出ません・・・

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最後に・・・・

当時最大のライバルと言われていたのがドリフターズ

そのドリフの志村けんと仲本工事が競馬のノミ行為で書類送検され

テレビに出られなくなった時期があった。

もはやドリフの存続自体が危うくなった時

『こんなことでドリフが解散したり番組をやめないでほしい。

もし万が一そういう事になるのなら

最後の『8時だヨ!全員集合』にはぜひ呼んでくれ!

ドリフと一緒に思いっきり舞台を作って

私もそれを最後に引退する!



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欽ちゃんこそ

日本一の『大将』です!!



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1983年5月21日発売
最高 131位
売上 ―
作詞/森雪之丞 作曲/後藤利次

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子供の頃、梅雨空をボタン一つで吹き飛ばしてくれる画期的なオモチャがあった。

『笑い袋』である。

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何のネタ振りもなくただひたすら『笑い声』が入っている『笑い袋』は

老若男女問わず、最初の一回は誰もが100発100中で大爆笑であった。

この『笑い袋』並みに『笑い声』を聞いただけで笑える芸能人と言えば

『全員集合』で突然奇声を発しながら飛び込んで来た

すわしんじと

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タガが外れたようなバカ笑いを深夜にぶちかましてくれた

中島みゆき!

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そしてアイドルながら歌っている姿は一度も見た事はないが

月曜から金曜までは『ビバリー』で、土曜は『DAISUKI!』

日曜は『電波少年』と1週間ずっとバカ笑いを届けてくれた

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松本明子!

抱腹絶倒のあの『笑い声』はLED電球が束になっても敵わない明るさだった!

☆松本明子(ひらい あきこ)1966年4月8日生まれ
香川県高松市出身 152cm A型

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幼少の頃はフィンガー5と百恵ちゃんに憧れ、中学生の時に

伝説のオーディション番組『スター!誕生』に出場し

徳永英明、本田美奈子を蹴落として決戦大会で優勝!

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スカウトマンが上げたプラカードは渡辺プロの1社だけという

『スタ誕』の番組史上最低の指名数だった。

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(ちなみに最高は桜田淳子の25社)

そんな松本明子についたキャッチ・コピーが

『アッコとんがってるね』

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当時『ラ・セゾン』で大ヒットを飛ばしていた事務所の先輩である

アン・ルイスを手本にしたジャケット、衣装を身にまとい

『聖子スタイルに惑わされないアイドル』

というコンセプトで『♂(オス)×♀(メス)×kiss』でデビューもさっぱり売れず。

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レコードが売れないと言う事はヒット曲が無いワケで

ヒット曲が無いと言う事はベストテン等の歌番組やコンサートも無く

授業の途中で早退していく売れっこアイドルを横目で見ながら

せっせと堀越学園に通い、3年間無欠席という皆勤賞で卒業!

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これは『冷やし中華始めました』とのれんを掛けたものの

3年間一度も注文が入らなかったのと同じ!

通常歌がダメだと女優へシフトしていくのだが、松本明子はそれも無く

ラジオやレポーターの仕事だけでは食っていけず

アイドルなのにスーパーでバイトをするという崖っぷちぶりだった。

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前年の『花の82年組』に比べ、突き抜けたアイドルが出なかった

『不作の83年組』!

同期のアイドルもひん死の状態で

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荻野目慶子(29位)

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武田久美子(14位)

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伊藤麻衣子(14位)

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岩井小百合(16位)

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大沢逸美(62位)

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桑田靖子(50位)

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森尾由美(43位)

これに『鶴光のオールナイト・ニッポン』で『トリオ・ザ・ゴミ』を組んでいた

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小森みちこと柳沢純子が加わるしょっぱい顔ぶれだった。

そんな松本明子の名前を一瞬で世に知らしめたのが

『四文字事件』である!

ここから先は『妄想漫才』のお二人にお願して

私はウォーキングに行ってきます。

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『どーも、妄想漫才、略して『モウまん』です!』

『久々の登板ですね先輩!』

『作者、ウォーキングなんかやってんの?』

『高血圧って言われて医者に行く金がもったいないから
自力で治すって言ってました』

『夜中にラーメン食いに行く金はあるのに?』

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『手を振って歩いていたら両腕が筋肉痛になったって』

『虚弱体質か!』

『この間なんか途中でベルトのバックルが壊れて

血圧下げないでジーパン下げて半ケツで帰って来たらしいです』

『しぇしぇしぇの奴と同じで危ないな!』

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『で、今日は誰やるの?』

『松本明子さんだそうです』

『あれ、オレも見てたけど、マジでヤバかった!』

『なんなんですか、『四文字事件』て』

『おま○こ』ってテレビで言っちゃった』

『エーーーーーッ!』
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『しかもその日は『オールナイト・フジ』と『鶴光のオールナイト・ニッポン』が

同時2元生放送やってたから全国のテレビとラジオから

『おま○こ』が流れちゃった』

『何でそんな事言ったんですか?』

『鶴太郎が彼氏の名前をバラそうとしたんだ』

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『松本さんてつき合ってる人いたんですね』

『いや、ご飯一緒に食べる程度の仲だったんだけど

その彼氏ってのが新宿二丁目の『ゲイ人』だったんだ』

『アイドルとゲイはマズいですよね・・・』

『自分の事より、彼がアイドルグループの一員で売り出してたから

迷惑をかけたくない一心で『何でもする』って言ったんだよ』

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『で、鶴太郎さんは何て言ったんですか?』

『じゃぁヤラせろ!』

『ツッコみが昭和ですね(笑)』

『鶴太郎の仕切りだったらこれで終わってたんだよ

でもこの時はエロ大明神の鶴光師匠がいた。』

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『ホントに何でもする?ほんなんらね

ちょっとカメラに向かって四文字言え!』

『それで言っちゃったんですか!』

『カメラ目線で思いっきり!』

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『メチャクチャヤバイじゃないですか!』

『スタジオ中パニック!』

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『松本明子はスタジオからつまみ出されてタクシーで強制送還!

CM明けたら画面から消えてたもんな』

『残されたマネージャーさん大変だったでしょうね』

『頭をさげて回る毎日』

『翌日の新聞に『アイドルが発言!』てデカデカと出ちゃって』

『スポーツ紙じゃなくて一般紙に?』

『しかも芸能面じゃなくて社会面!』

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『それで松本さんどうなったんですか?』

『フジは出入り禁止で他局の仕事も無くなって2年間干されてた!』

『2年も!!ボクだったら辞めてさっさと実家に帰りますね』

『帰ろうとしたんだよ実家に。電話したら親に

『さっさと荷物まとめて帰っておいで!』

って言われると思ったら

『お前もこれでやっと有名になれたな!頑張れよ!』

だって。帰るに帰れなくなっちゃった』

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『それにしても仕事ゼロって事は収入も無かったわけですよね・・・』

『ナベプロの寮だったし、飯はロケ弁の余りを持って帰ってきてもらったり

食べ残しをあさったり、服は全部もらい物で下着は30年間掃き続けてた』

『あ、それって最近話題になった松本さんのドケチ術ですよね』

『本人はドケチじゃなくて『節約』と呼んでいるけどな!』

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『はき古したジーパンでバッグを作ってリボンをつけたり
使い終わったティーパックで掃除したり・・・』

『他にもやってるぞ!』

『レシートで爪磨き、コンタクトは片目しか付けない

風呂の水位は15cm迄・・・』

『15cmじゃ湯船にも入れないじゃないですか!』

『下着は義理母のを拝借!』

『エーーーーッ!!』

『さすがにそれだけはやめてくれって懇願されたらしい』

『全部謹慎中につちかった生きる術だったんですね』

『当時の放送禁止用語集には松本明子と載ってるぐらいだったからな』

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『どうやってまたテレビに出られたんですか?』

『秀ちゃんが声を掛けた』

『姉さん、よかったら俺もいるし、バラエティー班に来ませんか?』

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『ナベプロの会議室で発声から話し方やコントまで一から稽古したんだって!

でもホンジャマカが教えたせいかトークのキレはイマイチだった(笑)

その後、今も続いているニッポン放送の長寿番組

『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』のレギュラーに抜擢!

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放送開始当時は『文夫と明子のラジオビバリー昼ズ』(1989年〜)

っていうタイトルで、松本は月曜から金曜まで

毎日アシスタントを担当(現在は月曜のみ)

高田文夫の軽快なトークとバカ笑いとヨイショは絶妙だったな!』

『合いの手って言って下さい!』

『1992年には恩人・秀ちゃんとまだ売れてなかった飯島直子と出てた

『DAISUKI!』がスタート』

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『あれ毎週見てましたよ!深夜0時以降の放送だったにもかかわらず

最高視聴率14、7%を上げ、今で言う

『モヤさま』や『ブラタモリ』で漂わせる

ゆる〜い雰囲気を最初に作ったロケ番組の元祖って

言われている番組ですよね!』

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『あのCM行く前にアイドルの卵みたいな女の子が出てきて

『DAISUKI!』って言うのが良かったな!』

『あれってブレイク前の篠原涼子さんや仲間由紀恵さん

辺見えみりさんが出てたんですよね』

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『飯島直子さんがメチャクチャ好きでした!』

『元ヤンキーはみんな可愛いんだよ』

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『松本さんもこれでブレイクしたんですね!』

『そう、翌92年から始まった『進め!電波少年』では途中降板した

松村とちがって松本明子は最後迄MCを務め

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今じゃできないアポなしシリーズやヒッチハイク物が当たって

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日曜の夜にもかかわらず最高視聴率30、4%!』

『しかも2度も達成してるのは『電波少年』だけなんですよね!』

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『どんなに売れてもタクシーチケットを局からもらうと

方向が同じタレントのタクシーに相乗りして自分のタクシーチケットは

私用で使うドケチぶりは相変わらずだけどな!』

『やめて下さい!そうゆう事バラすの!』

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『とにかくもう仕事が大好きなんです。だから死ぬまで仕事がしたい。

ジャンルにこだわらず、声をかけてもらったものには

これからも果敢に挑んでいきたいです。』

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『というワケで松本明子さんの良い話しも出たので

今回はこの辺でチャン!チャン!』

『コラ、コラ、勝手に終わるな!』

『まだ何かあるんですか?』

『どうしても負に落ちないのが、あの時松本明子が『四文字』を言ったのは

実は計算だったんじゃないかって・・・』

『無い、無い、無い、無い、それは100%無いですよ!

場の雰囲気から言わざる終えなかったんでしょ』

『でも鶴光師匠は四文字を言って見ろと言っただけで

『おま○こ』と言えとは一言も言ってないんだ。

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別に『おちんこ』でも『ホウケイ』でも良かったのに松本明子は自分から

『おま○こ』って言ったんだよ!』

『言葉の持つ意味がわかってなかったんでしょ』

『だったらなおさら出身地である高松で『おま○こ』に当たる

『オチャンコ』とか『オチャコ』って言うのが筋だろう』

『それはまぁ・・・』

『ちなみに松本明子は『四文字事件』で謹慎を受けた後

実はニッポン放送の公開録音番組で復帰していて

その時、観客と一緒になって『お○んこ!』って叫んでたんだ』

『エーッ!せっかく復帰したのにまたそんな事言ってたんですか?』

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『たまたまそれが公開録音の番組だったから

オンエアの時には後から『ピー音』を入れたから良かったようなものの

生放送だったら一生謹慎中!』

『懲りない女だって言いたいんですね!』

『いや、ただ単に『おま○こ』が好きなのかもしれない』

『コラーッ!』

『コンドームも洗ってまた使ってるって噂・・・』

『やってません!そんな事』

『生理用品買えないからノーパンで歩いてたっていう・・・』

『いい加減にしなさい!』

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チャン!チャン!

松田聖子 『夏の扉』


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1981年4月21日発売
2週連続1位
売上 56、8万枚
作詞/三浦徳子 作曲/財津和夫

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最初に断っておくが・・・・

私は松田聖子のファンではない!

先月、たまたまミュージック・フェアを見ていたら聖子特集をやっていた。

昨年の紅白ではアーティスト別最高視聴率を獲得し

今年でデビュー35周年を迎えた松田聖子。

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同じフジの『水曜歌謡祭』には出ないくせにミュージック・フェアには出るのか・・・

と、思いつつ昔のVTRを見ていて改めて思った。

もはやアイドルを超えた存在になりつつある松田聖子は

世界史の教科書に載ってる歴史上の人物と同じではナイカ!

しかも今でもコンサートをやっているので

その気になれば歴史上の人物に会いに行けるのだ!

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そんな松田聖子の5枚目のシングルがこの『夏の扉』

イントロのキーボードのキラキラ感は

国産車がフェラーリを3速でブチ抜くような爽快感で

僕が松田聖子の中で一番好きな曲!

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この曲で3度目となった資生堂とのタイアップ。

最初は『裸足の季節』の『エクボ』

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♪エクボ〜のぉ〜秘密〜あげた〜い〜わ〜♪

2度目は『風は秋色』の『ミルキー』

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♪オ〜ミルキー〜スマ〜抱き〜し〜めて〜♪

そして『夏の扉』の『フレッシュ』

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♪フレッシュ!フレッシュ!フレーーーーシュ!♪

『エクボ三部作』と言われているこの一連のCMは

当時の資生堂の商品名だった『エクボ・ミルキー・フレッシュ』が

『夏の扉』で完成するという実に手の込んだCMになっていた。

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そんな『夏の扉』がリリースされた当時のヒット・チャートは

寺尾聰の『ルビーの指輪』が10週連続1位を独走していた頃。

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トシちゃんの3曲連続1位やマッチの16曲連続1位の夢をあっさり砕き

3ヶ月以上も1位の座に居座り続けていた不沈艦!

さすがの松田聖子も初登場1位というワケにはいかず

5週連続で2位止まりだった。

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しかしながら7週目にして『ルビーの指輪』をロックオン!

遂に1位の座から引きずり降ろし

見事!2週連続第1位に輝いたのだ!

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今では強豪アーティストと発売日が重ならないようにリリース日をずらしたり

オリコンの集計日にあわせて初登場1位を狙ったりなんて事は

どこの事務所も当たり前にやっている事だが

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松田聖子の場合、いつリリースしても1位を獲れるので

そんな小細工は無用であり、仮に強豪アーティストがいて1位を逃したとしても

翌週には必ず1位になっていたという

アイドル界のディープ・インパクト!

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松田聖子が凄いのは

それを8年間もやっていた事である。

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毎回寝起きなのかと思うほどの一重まぶたに

ペチャπ、胴長、O脚といったアイドルらしからぬスペック!

それは食卓にたこ焼きとごはんが出てきた様に

まったくおかずにならなかったが

歌は抜群に上手かった!

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特にデビュー後1年間の松田聖子は神がかっていて

多分レコードを聞いただけではわからないし

ユーチューブで昔の聖子の映像や音源を見たとしても

おそらく半分もわからないでしょう。

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♪髪を〜切った〜わた〜しに!♪

歌番組が全チャンネルにあり、生放送、生演奏が当たり前だった頃

アイドルに限らず、フォーク、演歌、ニュー・ミュージック、ロック等

歌が上手い歌手が大勢出ていた番組を最初から最後迄見た結果

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♪ちがう人みたいとぉーーーーーーー♪

松田聖子の声は誰よりもデカく、 迷いのない高音は

サトウの切り餅のように果てしなく伸びまくり

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♪あ〜なたは少し照れたよう〜、前を歩いってくぅーーーーーー♪

スカートのヒラヒラも髪が揺れるタイミングも

ちょこんと首をかしげ、マイクを両手で持ったり放したり

猫パンチしたり(笑)

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♪キレイだよとほん〜とは、言ってほしぃかぁったぁーーーーー♪

聖子スマイルの雨あられの中、時折見せるせつない表情からの上目使い!

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可愛いさのバロメーターがグングン上がり

世の野郎共を完全に虜にした。

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♪あなたはいつもためらいの〜ベぇルぅの、むっこぉをでぇーーーーー♪

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ちなみに振り付けは毎回どこかしら変えて歌っていたというから驚きである。

相当なリズム感がなければ生放送、生演奏の歌番組で変えて歌うなんて

できないでしょう!

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♪フレッシュ!フレッシュ!フレーーーーーーーーシュ!♪

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『ダン池田とニューブリード』が時間調整の為に早演奏になっても

何事もなかったように歌いきる度胸の良さ!

リアルタイムで見た聖子劇場は圧巻だった。

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日本の音楽史上で天下を極め、歌で客を呼べる唯一の

スーパー・アイドル!

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歌番組はもちろん、バラエティではズラをかぶって笑わせ

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CM、ラジオ、ありとあらゆる雑誌やメディアに一度は必ず出ていた松田聖子

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100人分のアイドルの全盛期をまとめても負けない松田聖子は

バイオニック・ジェミーのような女だった!

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ファンではない私が言うのだから間違いない!

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1984年8月1日発売
最高13位
売上 13、7万枚
作詞/大貫妙子 作曲/EPO

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日本の3大『みゆき』と言えば!

中島みゆき

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漫画の『みゆき』に

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香坂みゆきである!

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中には井森美幸と答えた人もいるだろうが

彼女の場合は『みゆき』ではなく、日本3大『イモリ』に入っている。

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1982年に中森明菜がデビューしてきた時

『香坂みゆきにソックリだ!』

と、思ったのは僕だけではないハズ。

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見ようによっては松田聖子にも似ているし

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角度によっては薬師丸ひろ子にも似ている。

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違うと言えば、香坂みゆきを初めて見たのが『明星』だか『平凡』だかに載っていた

『白黒』だか『カラー』だかの写真だったという事。

ほぼ毎月『明星』か『平凡』を買っていたが、必ずと言っていいほど

香坂みゆきは載っていたのだ。

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そのかわり当時、歌番組で歌っている香坂みゆきを見た事がない

それどころかラジオで彼女の曲がかかっているのを聞いた記憶もないのだ。

にもかかわらず、名前と顔を覚えていたという事は香坂みゆきが

とんでもなく可愛いかった以外の何者でもない!

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☆香坂みゆき(ひこさか みゆき)1963年2月7日生まれ
神奈川県大和市出身 157cm AB型

3歳でモデルとしてデビューし、子供の頃、付録欲しさによく買っていた

小学○年生の表紙を飾った事もある香坂みゆき。

彼女が初めてテレビに出たのは1975年にやっていた

『欽ちゃんのドンとやってみよう』

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のマスコット・ガールだった。

我が家では土曜の20時は『全員集合』を見ていたので

やっていたのも知らなかったが

欽ちゃんの横にちょこんと座っていた香坂みゆきは

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『リスのおもちゃ』、『ビーバーちゃん』

等と、何もしゃべらなくてもみんなに可愛いがられていた。

1977年、『愛の芽ばえ』(53位 3、5万枚)で歌手デビュー!

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セカンド・シングルの

『初恋宣言』(80位 1、3万枚)では

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♪ハ〜ロ〜、ハロ〜あいら〜ぶぅ〜♪

のサビが耳に残るトロピカルなオールディーズ・サウンドで

とても中学生が歌ってるとは思えない大人びた歌声に

驚き桃の木アントニオ猪木である!

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しかしながら14歳でデビューした為、後の伊藤つかさ同様

『15歳未満の未成年者は夜20時以降の番組に出てはならない』

という法律に該当した為、同期のアイドルだった

榊原郁恵、清水由貴子、高田みずえ、大場久美子よりも

可愛いくて歌が上手かったにもかかわらず

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ほとんどの歌番組に出る事ができなかったのだ!

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それは150kmの剛速球を投げる中学生が高校に入ったら

野球部が無かったのと同じ!

さらにデビューした1977年は

ピンク・レディーが全盛期の頃!

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今なら2、3週連続1位を獲ったら大ヒット扱いだろうが

当時、ピンク・レディーが新曲を出すと軽く

2、3ヶ月は1位を独走するのが当たり前田のクラッカーであり

他のアーティストが1位を獲るなんざ

ボルトの家をピンポンダッシュして逃げ切れるくらい

不可能に近かった!

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ちなみに香坂みゆきのデビュー曲『愛の芽ばえ』の時は

『カルメン77』が5週連続1位で

♪ハ〜ロ〜、ハロ〜あいら〜ぶぅ〜♪の『初恋宣言』の時は

『渚のシンドバッド』が8週連続1位。

サード・シングルの『青春舗道』(92位 0、9万枚)の時は

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『ウォンテッド』が12週も連続1位を続けていたおかげで

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当時のアイドルは全員爆死!

もはや社会現象となったピンク旋風が吹き荒れている間は

歌のリリースは控えられ、代わりに女優として『銭形平次』のレギュラーや

アシスタントで『おはようこどもショー』や『レッツゴーヤング』のサンディーズ等の

レギュラー番組を持ちながら生き延び

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ピンク・レディーが解散したのをキッカケに、それまでの清純派路線から一転!

『気分をかえて』(58位 4、9万枚)

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でタイトル通りロック姉ちゃんにイメチェン!

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♪バイ、バぁーーーーーーイ♪

の雄叫びはカバー元である山崎ハコもビックリのロング・トーンが炸裂する

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バリバリのロック・ナンバー!

『夜のヒットスタジオ』で歌った翌日にはレコードの売上が急増!

こんどこそ売れそうな気がしたのもつかの間

怪物・ピンクレディーがいなくなったと思ったら、今度は史上最強のアイドル

松田聖子がデビューしてきたのである!

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聖子と香坂みゆきは同じ事務所の先輩と後輩。

本当は香坂みゆきが歌うハズだった『裸足の季節』を聖子に持って行かれ

新曲を作ってもらえなかった香坂みゆきはナント1年間も

『気分をかえて』を歌っていたのだ。

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そして翌年には中森明菜を筆頭とする『花の82年組』が一斉にデビュー!

もはや香坂みゆきの存在は

♪バイ、バぁーーーーーーイ♪

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『聖子ちゃんが売れたら『聖子路線で』

明菜ちゃんが売れたら『明菜路線で』と言われ

『冗談じゃない!』って思ってました。』

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唯一のヒット曲が資生堂のキャンペーン・ソングになった

『ニュアンスしましょう』

最高13位とオリコン・チャートTOP10にも入らなかったが

それでも香坂みゆきにとっては最大のヒット曲である。

♪あな〜た、し〜ましょぉ〜、しましょ、ニュアンス、し〜ましょぉ〜♪

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まるでチャイナドレスを着た『喜び組』が女子十二楽坊の演奏にあわせて踊ってくれる

中華料理店に入ったようなメロディーだが

改めて聞いてみると、キーが上がったり下がったりで音程も取りずらく

よくこれを生放送で歌いこなしていたと感心する。

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香坂みゆきが歌番組で歌っているのを見たのは

後にも先にもこの曲が最初で最後。

その後1987年にヘアーメイクアーティストと結婚も、わずか3年で離婚。

離婚の原因はやっぱり『ニュアンス』の違いだったのだろうか・・・

それから数年後、久々にワイドショーで彼女の名前を聞いたのが

お笑いタレントの清水圭と再婚というニュースだった。

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デビュー当時の中森明菜と見間違えるほど可愛いかったあの香坂みゆきが

ゾウリムシが下痢をしたような清水圭と

♪あな〜た、し〜ましょぉ〜、しましょ、毎晩、し〜ましょぉ〜♪

その納得のいかない報道は

石野真子(昔の長淵剛)、三原順子(コアラ)同様

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であった。

本来なら可愛いルックスと抜群の歌唱力という

スーパー・アイドルになるべき素材を持っていたのに

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出てきた時代が悪かったゆえに

売れなくなったアイドルがたどる女優、ヌード、結婚、離婚、再婚という

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フルコースを歩んでしまった香坂みゆき。

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最近はテレ東でヤックンと一緒に『なないろ日和』で司会を務め

毎日のようにテレビに出ているが

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『はなまる』の時の岡江さんより6歳も年下なのに

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ババアに見えてしまうのは気のせいだろうか。

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毎年家族ぐるみでハワイで1ヵ月も滞在する豪遊費を少し削って

香坂みゆきが見たくて『なないろ日和』を見てる!

と、言わせるような美しさを保ってほしい。

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ちなみに『なないろ日和』の視聴率は0%台です。

♪バイ、バぁーーーーーーイ♪

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