|
アルバム発売1983年4月21日
最高73位
売上 2千枚
浜田麻里と聞いて『リターン・トゥ・マイ・セルフ』しか知らなかった人も
9割9分9厘の確率で未だに浜田朱里や濱田マリと区別がつかない人も
『スター誕生』出身でも『○○コンテスト』の優勝者でもない麻里ちゃんが
いかにデビューしたのかを知ってる人はいないでしょう。
と、いうワケで今週も浜田麻里!
☆浜田麻里(はまだ まり)1962年7月18日生まれ
東京都出身 156cm A型
三波春夫が常連客だったという理髪店『バーバー浜田』の長女として生まれた麻里ちゃん
幼少時代はテレビから流れてくる歌謡曲を妹の絵里ちゃんとハモりながら歌うのが大好きで
3歳の時にお店の常連だったお姉さんに連れられて初めて行ったコンサートが
美空ひばり!!
『白っぽい服を着て歌っていた』
と、3歳の頃の記憶を今でも覚えている麻里ちゃんも凄いが
忘れさせない美空ひばりはもっと凄い!
ちなみに麻里ちゃんが初めてコピーした曲は美空ひばりの『柔』なんですよ! 小学校に上がると合唱部の部長を務め
オリジナルにはないハモりをつけてコンクールで優勝!
卒業文集には『将来はプロの歌手になる』と、宣言!
『プロ』ですよ『プロ!』
小6の女の子であれば、ここは手堅く
『歌手になりたい』とか『アイドルになりたい』と
夢に向かって送りバントを決めて、原監督から笑顔でグータッチをもらう所を
まるで『パイロットになりたい』ではなく『全日空に入社する』と言い放つ
最近の小学生と同じである。
しかしながら!
この時が『はまだまり』から『浜田麻里』に
なった瞬間のような気がします。
中学に入ると、腕試しのつもりで受けたボーカル・スクールのオーディションに
一発合格!
本来なら月謝を払ってレッスンを受けるべき所を
その才能に惹かれたスクール側が『特待生待遇』を適用し
レッスン代がタダ!
そこでCMソングを歌うというプチ・デビューを果たしている。
♪ルナ、ま〜いるど♪
♪金・銀パ〜ル、プレゼント!♪
♪日清〜サラダ〜油セット♪
等、歌った数は200曲以上!
そんな中!
『アイドルとしてデビューしてみないか?』
と、オファーが来るも
『自分は何か違った形でデビューしたい』
と、キッパリお断り。
デビューはできてもアイドルは嫌だというワケである。
まだ中学生ですよ・・・・
後に『イン・ザ・プレシャス・エイジ』の選曲で
ボン・ジョヴィの楽曲提供をあっさり“ボツ”にした決断力は
生まれつきだったんですね・・・
その後、都立武蔵丘高校へ進学。
成績は優秀で『音楽』と『国語』はオール5!
スポーツも剣道、バスケに足が速かった為、陸上部の大会に出たりと
ボーカル・スクールに通ってるという事以外は普通の女の子だった。
そんなある日!
友達が出ているからと文化祭バンドを見に行った時のこと
『演奏が上手いとかヘタとかではなく、髪を振り乱して
ギターをかき鳴らす人達がなんだかとっても楽しそうに見えた。』
『アタシもあそこに立って歌ってみたい!!』
その瞬間!
その『何か』を見つけたような気がしたという。
早速バンドをやっているグループに自ら入っていき、そこで初めて
ハード・ロックと出会う!!
今まで聞いた事もなかった音楽に
『こうゆう世界もあるんだ!』
と、当時流行っていたディープ・パープルやレインボーを聞きまくり
高校3年の時、初のバンド『麻里バンド』を結成!
それまで・・・
学校をサボるなんて考えた事もない
教室の掃除も最後迄1人で残ってやるような
真面目を絵に描いたような女の子が
突然サテンのスパッツにヘソ出しルックでステージに上がり
野郎をバックに『キル・ザ・キング』(レインボー)なんか歌ってたワケです。
先生や友達はさぞかし目が点だった事でしょうね・・・
その後、青山学院大学へ進学した麻里ちゃんはここで
女の子だけのバンド『ミスティ・キャッツ』にボーカルとして参加。
アマチュア・バンドの登竜門と言われたヤマハ主催の
『EAST‐WEST 81』に出場しますが、残念ながら東京大会で予選落ち!
しかしこの時、運良くスカウトされデビューが決まるのです。
ちなみにこの時のグランプリは『爆風銃』(後の爆風スランプ)で
レディース部門の優秀賞は
寺田恵子率いるSHOW−YA(翌年グランプリ)!
しかし、スカウトされたと言ってもすぐにデビューできたワケではなく
病院の受付、ケーキ屋の売り子、ドイツ料理店のウェイトレスと言ったバイトをしながら
『麻里&姫』、『麻里&サード』という名前でライブハウスで歌う
下積生活が約1年半も続きます。
そんな中、ラウドネスの活躍で空前のジャパメタ・ブームが巻き起こり
次々とへヴィ・メタル・バンドがデビュー!
その後女性ボーカリストをバックアップするコラボへと変わっていき
ラウドネスがバック・バンドを務めた本城未沙子が先陣を切ってデビュー!
我らが麻里ちゃんの他にもワン・ナイト・エンジェル/橋本ミユキや
歌謡メタル・エンジェル/早川めぐみ等
イニシャルが全員H・M(へヴィ・メタル!)
他に早瀬ルミナH・R(ハード・ロック)なんてのもいた(笑)
しかし結局、最後迄残ったのは歌唱力がズバ抜けていた
麻里ちゃんだけ!
そして1983年、アルバム『ルナティック・ドール』でデビュー!
キャッチ・コピーは
『麻里ちゃんはへヴィ・メタル』
つけたのは糸井重里。
徳川家の埋蔵金探しや芸能人釣り大会に出てた鼻の穴のデカいオッサンで
奥さんは昔タコとラブシーンを演じ、今は白戸家のお母さん役の
樋口可南子!
プロデュースは『ロマンティック・ナイト』同様
樋口宗孝!
当時の音楽シーンと言えば
聖子にトシちゃん、マッチ、これに明菜嬢他、花の82年組も加わった
最強のアイドル黄金期!
さらに演歌勢も強く、この年の年間レコード売上No1は
タンスを担いだ大川栄作の『さざんかの宿』で
レコード大賞は細川たかしの『矢切の渡し』だった。
そんな歌謡曲と演歌が全盛期だった時代に
へヴィ・メタルでデビューした麻里ちゃんは
秋吉久美子が赤ちゃんを
『卵で産みたい』
と答えた以上に無謀だった。
しかしボーカリストとして麻里ちゃんの実力は当時の歌手の中ではケタ外れに凄く
一般女性の平均肺活量が2500〜3500mlなのに対して
麻里ちゃんは倍以上の7000ml!
音域はレッスンを積んだ人でも3オクターブがやっとなのに
軽々と4オクターブが出せるハイ・スペックボーカリスト!
これに日本最強のドラマー樋口がリズムを刻み、高崎晃が出てくるまでNo1だった
北島健二がギターとして参加しているこのアルバムは
過酷な減量中に
『さあ、お飲みなさい』
と、コップを差し出す葉子に
『そのお気持ちだけ、ありがたく飲ませていただきます』
と、床に白湯を捨てた力石のように
メチャクチャカッコ良いのだ!
全10曲中、インストが2曲あるので正味8曲だが
のっけからエンジン全開の『ノア』は麻里ちゃんが25周年記念ライブをやった時に
アンコールで故・樋口宗孝に捧げられた曲!
そして初期のライブでは欠かせない王と長嶋的存在の
『トキオ・メイキン・ラブ』と『オール・ナイト・パーティー』
可愛い声で凄い事を歌いながらマイクをブン回して
観客にハイキックを御見舞いする麻里ちゃんがカッコ良いメタル・チューン!
『ブラック・ホール』ではウルトラ・ロングトーンが炸裂!
そしてバラードの名曲
『ラナウェイ・フロム・イエスタディ』はここに入ってます。
デビューライブは1983年5月11日新宿ロフト
ところが前日、気負い過ぎと練習のし過ぎで急性喉頸炎かかってしまい
泣きながら会場へ向かった麻里ちゃんでしたが
“初ライブ”だったので、調子の悪い麻里ちゃんに客が誰もわからなかった(笑)
『ライブ・ハウスの時期は短かったけど
一度も最後までまともに構成をこなせた事が無かった』
セールス的にはパッとしませんでしが、ライブは常に超満員で
酸欠寸前のギュウギュウ詰め!
会場の最前列はすぐに混乱となり、中断しては再会の繰り返しで
京都の学祭では救急車が出動する騒ぎとなりセット・リストの半分もこなせず強制終了!
一回のステージで体重が2キロも減るという激しいライブの為
『食事は無理やりにでもステーキとかボリュームのあるものを食べる』
しかも!
50歳を超えた今でも当時の衣装が着られるというから凄い!
今世紀最高で最強のボーカリスト浜田麻里!
麻里ちゃんを超えるアーティストは
二度と出て来ないと断言します!
いや、否、否、否、否!
いました、たった1人だけ!
この世に麻里ちゃんのウルトラ・ハイトーン・ボイスに太刀打ちするどころか
上回るもの凄いボーカリストが!
浜田絵里!
今も麻里ちゃんのバック・コーラスを務める実の妹であります。
元々麻里ちゃんには『舞ちゃん』という女の子がデビューから1年ぐらいの間
バック・コーラスについていたんですが、彼女が卒業するにあたり
『アタシと同じハイトーンを出せるのは妹しかいない!』
と、当時高校生だった絵里ちゃんを名前を隠してバック・コーラスとしてツアーに同行させ
以来ずっと麻里ちゃんのバック・コーラスを務めている絵里ちゃん。
『私の人生に引き込みました』
と、最初は強引だった感もあるが、あの麻里ちゃんのウルトラ・ハイトーン・ボイスの
上からかぶせてコーラスを歌えるのは
絵里ちゃんだけ!
麻里ちゃんも凄いが妹はもっと凄い!
排気量は妹の方が上だが、ルックスは麻里ちゃんの方が上か!
それはスケートでは真央ちゃんに劣るが
ロケットおっπで勝っている
浅田舞と同じ!
次週も元気に麻里ちゃん!
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- ミュージシャン




