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1977年6月21日発売
最高5位
売上 29、8万枚
作詞/喜多條 忠 作曲/佐瀬寿一
連日の猛暑とメダルラッシュのリオ・オリンピック!
先日、出勤前にリアルタイムで見た体操男子団体の金メダルの瞬間は
日本人の誇りと感動と受信料の元を取った喜びで一杯だった!
特に初めて見た白井選手の床の演技は圧巻で
空中でドリルのようにスピンする高速ツイストは『ひねり王子』の異名にふさわしく
まさに・・・・
♪グルグル危い土曜日!♪
ちなみにキャンディーズが活動していた間に行われたのが
1976年のモントリオール・オリンピック!
白い妖精ことナディア・コマネチが
五輪史上初の10点満点を7回も連発して金3、銀1、銅1と
一大会で全てのメダルをコンプリート!
優美な平均台と『10点!10点!』と
アナウンサーが絶叫していたのは今でも覚えている。
白井選手の床も一生忘れられない演技になったが
キャンディーズ・ファンにとって永久に忘れられないのが
1977年の7月17日!
14枚目のシングルとなった『暑中お見舞い申し上げます』は
作詞家の喜多條センセイによる『キャンディーズ大人化計画』の第二弾で
子供ながらに『暑中見舞いハガキ』という物がこの世に存在していた事を知ったのも
この曲のおかげであった。
『夏の歌って難しいんですよね・・・・夏ってイメージが
いっぱいあるようでいてどれもみんな使われていて
新しい情景とかフィーリングを書きこむのは大変』
と、歌詞に行き詰まっていた時にたまたま来ていた『暑中見舞いハガキ』を見て
『これだ!』
と、ひらめいて一気に書き上げたんだそうだ
『暑中見舞いを曲にすれば夏が来るたび
キャンディーズの事を思い出すだろう』
作曲は今でも破られていない歴代シングル売上No1の
『およげ!たいやきくん』を手掛けた佐瀬寿一!
はじけるようなイントロから帰省した孫がジイちゃんバアちゃんを
死なない程度に後ろから驚かせる時に言う
♪ぅー、わぁ!♪
♪暑中〜ぅう、お御見舞い、申し上げますぅ〜♪
キャンディーズの夏歌ナンバー1であり、2分58秒という短い曲の間で
白井選手の後方宙返り4回ひねり同様、4度もくり出されるランちゃんの
『ううッうーん』
初めてセンターとなった『年下の男の子』辺りから『可愛い』を
『かんわいいっ!』
と、語尾をひっくり返すという異次元の大技
『語尾ひねりキューティー・ボイス』を会得!
ミキちゃんやスーちゃんにはマネの出来ない独特の歌い回しは
この曲で大輪の花を咲かせる
それが
♪なぜか、パラソルにつかまりあなたの街まで飛べそうです♪
の『飛べそうです』を
『とべそぉでぇええすぅ!』
ここのランちゃんは可愛いすぎる!
そんなランちゃんの口からまさかの言葉が出たのが
1977年7月17日に行われた日比谷野音のコンサート!
残すはアンコール1曲となったところで
『みなさん・・・』
『どうしたー!』
『何で泣いてるんだー!』
『私たち・・・みなんさに謝らなければならないことがあります』
『私たち・・・・今度の9月で・・・・』
『解散します!!』
『冗談言うな!』
『何言ってるんだ!』
『私たち、これからみなさんの目には触れないところで・・・・
孤独と闘いながら生きていきたいんです。』 『解散なんかするな!』 『キャンディーズ辞めるな!』
『普通の女の子に戻りたい!』
『ごめんなさい!』
『許して下さい!』
『ダメ、ダメ!』
『辞めないで!』
プロデューサーもマネージャーもバンドのメンバーも知らされていなかった
まさかの解散宣言!
しかもコンサートの途中での発表は
前代未聞!
3人はその場に崩れ落ち
あわてて飛び出してきたスタッフに抱えられたまま
ステージから姿を消した
その場に取り残されたファンからは怒号が飛び交い
日比谷公園には家に帰る気力を無くしたファンが大勢泣いていたそうだ。
『キャンディーズ!』
『キャンディーズ!』
『キャンディーズ!』
翌日、緊急記者会見が行われ
その2週間後に9月末の解散が撤回され翌年3月迄延期となった。
『事務所に不満があったのか?』
『3人のウマが合わなかったのっか?』
『今、辞める必要がどこにあるのか?』
『この世界でもらった名前を自ら捨てるという事は
今後芸能界で生きていく事ができないという事が
わかっているのか!』
当時のマスコミの追及は相当厳しく
そんなキャンディーズを守るべく
『解散支持』
という方針を掲げたのが、渡辺プロ直系のファンクラブはもちろんの事
全国の大学におけるキャンディーズ同好会が
『全員でキャンディーズを盛り上げよう!』
と、タテ、ヨコ、派閥、学閥を超えて発足した日本初の組織型ファンクラブ
『全国キャンディーズ連盟』
略して
『全キャン連』!
その最高幹部の一人だったのが
石破幹事長!
1977年の6月19日に『暑中お見舞い申し上げます』のシングル発売を記念して行われた
朝霧高原バスツアー!
集まったファンの数2000人!
新宿に集結した大型バス25台という最大規模のファンの集い!
その1台1台に挨拶に回ったキャンディーズ!
ファンによる巨大な手作り暑中見舞いがズラリと並べられ
最後はキャンディーズと一緒に記念撮影!
まさに夢のような朝霧高原バスツアーからわずか1ヶ月後に
悪夢のような解散宣言が飛び出したのである!
『普通の女の子に戻りたい・・・・名言だよねえ。
1977年の7月かな。解散を聞いた時、私は慶応大学3年だった。
三田のサークルのたまり場にいたのかなあ。
『急にそう言われても、ファンはどうなるんだ?』
と、理解できなかった。
ただ、秋の解散と言ったのが、翌春まで延びた。あれが分岐点。
呆然自失状態から脱して、解散の日まで全力で支えよう!
自分たちの思いをすべて凝縮しようぜ!となった。
あの言葉は、そうゆう意味で年を重ねるほど心に染みるんだ・・・・』
『全キャン連』の最高幹部の1人だった石破幹事長・・・・
後に『奇跡の9か月』と呼ばれる活動を行った1人でもある。
作詞家の喜多條センセイはキャンディーズが解散する事を薄々感じており
キャンディーズが解散した後、この曲を聞いた時に
『時間を巻き戻してキャンディーズに会いたい』
と思うファンに向けたメッセージを密かに詞にしていたのである。
それがこの部分
♪はやくあなたに会いたくて 時計をさかさにまわしてます♪
普通は好きな人に早く会いたいと思えば時計は逆さではなく前に進めるのに
あえて『さかさ』という言葉を使ったんだそうだ。
喜多條センセイの優しさと
石破幹事長が『全キャン連』の最高幹部だった事を今回初めて知りました!
石破さんが幹事長になったのはミキちゃんファンだけに
幹(みき)という字が入っていたからなんですかね・・・
『ちがうよ!』 次回もコリもせずにキャンディーズ! |

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