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今まで見てきた中で好きなアイドルです。
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松田聖子 『夏の扉』


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1981年4月21日発売
2週連続1位
売上 56、8万枚
作詞/三浦徳子 作曲/財津和夫

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最初に断っておくが・・・・

私は松田聖子のファンではない!

先月、たまたまミュージック・フェアを見ていたら聖子特集をやっていた。

昨年の紅白ではアーティスト別最高視聴率を獲得し

今年でデビュー35周年を迎えた松田聖子。

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同じフジの『水曜歌謡祭』には出ないくせにミュージック・フェアには出るのか・・・

と、思いつつ昔のVTRを見ていて改めて思った。

もはやアイドルを超えた存在になりつつある松田聖子は

世界史の教科書に載ってる歴史上の人物と同じではナイカ!

しかも今でもコンサートをやっているので

その気になれば歴史上の人物に会いに行けるのだ!

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そんな松田聖子の5枚目のシングルがこの『夏の扉』

イントロのキーボードのキラキラ感は

国産車がフェラーリを3速でブチ抜くような爽快感で

僕が松田聖子の中で一番好きな曲!

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この曲で3度目となった資生堂とのタイアップ。

最初は『裸足の季節』の『エクボ』

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♪エクボ〜のぉ〜秘密〜あげた〜い〜わ〜♪

2度目は『風は秋色』の『ミルキー』

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♪オ〜ミルキー〜スマ〜抱き〜し〜めて〜♪

そして『夏の扉』の『フレッシュ』

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♪フレッシュ!フレッシュ!フレーーーーシュ!♪

『エクボ三部作』と言われているこの一連のCMは

当時の資生堂の商品名だった『エクボ・ミルキー・フレッシュ』が

『夏の扉』で完成するという実に手の込んだCMになっていた。

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そんな『夏の扉』がリリースされた当時のヒット・チャートは

寺尾聰の『ルビーの指輪』が10週連続1位を独走していた頃。

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トシちゃんの3曲連続1位やマッチの16曲連続1位の夢をあっさり砕き

3ヶ月以上も1位の座に居座り続けていた不沈艦!

さすがの松田聖子も初登場1位というワケにはいかず

5週連続で2位止まりだった。

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しかしながら7週目にして『ルビーの指輪』をロックオン!

遂に1位の座から引きずり降ろし

見事!2週連続第1位に輝いたのだ!

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今では強豪アーティストと発売日が重ならないようにリリース日をずらしたり

オリコンの集計日にあわせて初登場1位を狙ったりなんて事は

どこの事務所も当たり前にやっている事だが

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松田聖子の場合、いつリリースしても1位を獲れるので

そんな小細工は無用であり、仮に強豪アーティストがいて1位を逃したとしても

翌週には必ず1位になっていたという

アイドル界のディープ・インパクト!

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松田聖子が凄いのは

それを8年間もやっていた事である。

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毎回寝起きなのかと思うほどの一重まぶたに

ペチャπ、胴長、O脚といったアイドルらしからぬスペック!

それは食卓にたこ焼きとごはんが出てきた様に

まったくおかずにならなかったが

歌は抜群に上手かった!

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特にデビュー後1年間の松田聖子は神がかっていて

多分レコードを聞いただけではわからないし

ユーチューブで昔の聖子の映像や音源を見たとしても

おそらく半分もわからないでしょう。

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♪髪を〜切った〜わた〜しに!♪

歌番組が全チャンネルにあり、生放送、生演奏が当たり前だった頃

アイドルに限らず、フォーク、演歌、ニュー・ミュージック、ロック等

歌が上手い歌手が大勢出ていた番組を最初から最後迄見た結果

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♪ちがう人みたいとぉーーーーーーー♪

松田聖子の声は誰よりもデカく、 迷いのない高音は

サトウの切り餅のように果てしなく伸びまくり

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♪あ〜なたは少し照れたよう〜、前を歩いってくぅーーーーーー♪

スカートのヒラヒラも髪が揺れるタイミングも

ちょこんと首をかしげ、マイクを両手で持ったり放したり

猫パンチしたり(笑)

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♪キレイだよとほん〜とは、言ってほしぃかぁったぁーーーーー♪

聖子スマイルの雨あられの中、時折見せるせつない表情からの上目使い!

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可愛いさのバロメーターがグングン上がり

世の野郎共を完全に虜にした。

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♪あなたはいつもためらいの〜ベぇルぅの、むっこぉをでぇーーーーー♪

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ちなみに振り付けは毎回どこかしら変えて歌っていたというから驚きである。

相当なリズム感がなければ生放送、生演奏の歌番組で変えて歌うなんて

できないでしょう!

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♪フレッシュ!フレッシュ!フレーーーーーーーーシュ!♪

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『ダン池田とニューブリード』が時間調整の為に早演奏になっても

何事もなかったように歌いきる度胸の良さ!

リアルタイムで見た聖子劇場は圧巻だった。

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日本の音楽史上で天下を極め、歌で客を呼べる唯一の

スーパー・アイドル!

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歌番組はもちろん、バラエティではズラをかぶって笑わせ

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CM、ラジオ、ありとあらゆる雑誌やメディアに一度は必ず出ていた松田聖子

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100人分のアイドルの全盛期をまとめても負けない松田聖子は

バイオニック・ジェミーのような女だった!

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ファンではない私が言うのだから間違いない!

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1984年8月1日発売
最高13位
売上 13、7万枚
作詞/大貫妙子 作曲/EPO

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日本の3大『みゆき』と言えば!

中島みゆき

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漫画の『みゆき』に

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香坂みゆきである!

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中には井森美幸と答えた人もいるだろうが

彼女の場合は『みゆき』ではなく、日本3大『イモリ』に入っている。

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1982年に中森明菜がデビューしてきた時

『香坂みゆきにソックリだ!』

と、思ったのは僕だけではないハズ。

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見ようによっては松田聖子にも似ているし

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角度によっては薬師丸ひろ子にも似ている。

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違うと言えば、香坂みゆきを初めて見たのが『明星』だか『平凡』だかに載っていた

『白黒』だか『カラー』だかの写真だったという事。

ほぼ毎月『明星』か『平凡』を買っていたが、必ずと言っていいほど

香坂みゆきは載っていたのだ。

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そのかわり当時、歌番組で歌っている香坂みゆきを見た事がない

それどころかラジオで彼女の曲がかかっているのを聞いた記憶もないのだ。

にもかかわらず、名前と顔を覚えていたという事は香坂みゆきが

とんでもなく可愛いかった以外の何者でもない!

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☆香坂みゆき(ひこさか みゆき)1963年2月7日生まれ
神奈川県大和市出身 157cm AB型

3歳でモデルとしてデビューし、子供の頃、付録欲しさによく買っていた

小学○年生の表紙を飾った事もある香坂みゆき。

彼女が初めてテレビに出たのは1975年にやっていた

『欽ちゃんのドンとやってみよう』

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のマスコット・ガールだった。

我が家では土曜の20時は『全員集合』を見ていたので

やっていたのも知らなかったが

欽ちゃんの横にちょこんと座っていた香坂みゆきは

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『リスのおもちゃ』、『ビーバーちゃん』

等と、何もしゃべらなくてもみんなに可愛いがられていた。

1977年、『愛の芽ばえ』(53位 3、5万枚)で歌手デビュー!

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セカンド・シングルの

『初恋宣言』(80位 1、3万枚)では

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♪ハ〜ロ〜、ハロ〜あいら〜ぶぅ〜♪

のサビが耳に残るトロピカルなオールディーズ・サウンドで

とても中学生が歌ってるとは思えない大人びた歌声に

驚き桃の木アントニオ猪木である!

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しかしながら14歳でデビューした為、後の伊藤つかさ同様

『15歳未満の未成年者は夜20時以降の番組に出てはならない』

という法律に該当した為、同期のアイドルだった

榊原郁恵、清水由貴子、高田みずえ、大場久美子よりも

可愛いくて歌が上手かったにもかかわらず

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ほとんどの歌番組に出る事ができなかったのだ!

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それは150kmの剛速球を投げる中学生が高校に入ったら

野球部が無かったのと同じ!

さらにデビューした1977年は

ピンク・レディーが全盛期の頃!

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今なら2、3週連続1位を獲ったら大ヒット扱いだろうが

当時、ピンク・レディーが新曲を出すと軽く

2、3ヶ月は1位を独走するのが当たり前田のクラッカーであり

他のアーティストが1位を獲るなんざ

ボルトの家をピンポンダッシュして逃げ切れるくらい

不可能に近かった!

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ちなみに香坂みゆきのデビュー曲『愛の芽ばえ』の時は

『カルメン77』が5週連続1位で

♪ハ〜ロ〜、ハロ〜あいら〜ぶぅ〜♪の『初恋宣言』の時は

『渚のシンドバッド』が8週連続1位。

サード・シングルの『青春舗道』(92位 0、9万枚)の時は

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『ウォンテッド』が12週も連続1位を続けていたおかげで

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当時のアイドルは全員爆死!

もはや社会現象となったピンク旋風が吹き荒れている間は

歌のリリースは控えられ、代わりに女優として『銭形平次』のレギュラーや

アシスタントで『おはようこどもショー』や『レッツゴーヤング』のサンディーズ等の

レギュラー番組を持ちながら生き延び

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ピンク・レディーが解散したのをキッカケに、それまでの清純派路線から一転!

『気分をかえて』(58位 4、9万枚)

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でタイトル通りロック姉ちゃんにイメチェン!

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♪バイ、バぁーーーーーーイ♪

の雄叫びはカバー元である山崎ハコもビックリのロング・トーンが炸裂する

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バリバリのロック・ナンバー!

『夜のヒットスタジオ』で歌った翌日にはレコードの売上が急増!

こんどこそ売れそうな気がしたのもつかの間

怪物・ピンクレディーがいなくなったと思ったら、今度は史上最強のアイドル

松田聖子がデビューしてきたのである!

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聖子と香坂みゆきは同じ事務所の先輩と後輩。

本当は香坂みゆきが歌うハズだった『裸足の季節』を聖子に持って行かれ

新曲を作ってもらえなかった香坂みゆきはナント1年間も

『気分をかえて』を歌っていたのだ。

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そして翌年には中森明菜を筆頭とする『花の82年組』が一斉にデビュー!

もはや香坂みゆきの存在は

♪バイ、バぁーーーーーーイ♪

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『聖子ちゃんが売れたら『聖子路線で』

明菜ちゃんが売れたら『明菜路線で』と言われ

『冗談じゃない!』って思ってました。』

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唯一のヒット曲が資生堂のキャンペーン・ソングになった

『ニュアンスしましょう』

最高13位とオリコン・チャートTOP10にも入らなかったが

それでも香坂みゆきにとっては最大のヒット曲である。

♪あな〜た、し〜ましょぉ〜、しましょ、ニュアンス、し〜ましょぉ〜♪

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まるでチャイナドレスを着た『喜び組』が女子十二楽坊の演奏にあわせて踊ってくれる

中華料理店に入ったようなメロディーだが

改めて聞いてみると、キーが上がったり下がったりで音程も取りずらく

よくこれを生放送で歌いこなしていたと感心する。

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香坂みゆきが歌番組で歌っているのを見たのは

後にも先にもこの曲が最初で最後。

その後1987年にヘアーメイクアーティストと結婚も、わずか3年で離婚。

離婚の原因はやっぱり『ニュアンス』の違いだったのだろうか・・・

それから数年後、久々にワイドショーで彼女の名前を聞いたのが

お笑いタレントの清水圭と再婚というニュースだった。

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デビュー当時の中森明菜と見間違えるほど可愛いかったあの香坂みゆきが

ゾウリムシが下痢をしたような清水圭と

♪あな〜た、し〜ましょぉ〜、しましょ、毎晩、し〜ましょぉ〜♪

その納得のいかない報道は

石野真子(昔の長淵剛)、三原順子(コアラ)同様

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であった。

本来なら可愛いルックスと抜群の歌唱力という

スーパー・アイドルになるべき素材を持っていたのに

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出てきた時代が悪かったゆえに

売れなくなったアイドルがたどる女優、ヌード、結婚、離婚、再婚という

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フルコースを歩んでしまった香坂みゆき。

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最近はテレ東でヤックンと一緒に『なないろ日和』で司会を務め

毎日のようにテレビに出ているが

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『はなまる』の時の岡江さんより6歳も年下なのに

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ババアに見えてしまうのは気のせいだろうか。

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毎年家族ぐるみでハワイで1ヵ月も滞在する豪遊費を少し削って

香坂みゆきが見たくて『なないろ日和』を見てる!

と、言わせるような美しさを保ってほしい。

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ちなみに『なないろ日和』の視聴率は0%台です。

♪バイ、バぁーーーーーーイ♪

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1992年6月25日発売
最高15位
売上 22、8万枚
作詞/森高千里 作曲/斉藤英夫

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歌番組が減った昨今、期待を裏切られながらも見ている番組がある。

女の子が泣いて演説しただけで18、8%も獲ってしまう時代に

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初回は2時間SPだったにもかかわらず7、3%!

第6回は打ち切りラインの4%を切って

3、8%というとんでもない視聴率をゴールデンで叩きだした

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『水曜歌謡祭』!!

司会は佐々木希と噂の渡部健と、ダンナが作品を選ぶあまり稼ぎに出るハメになった

森高千里!

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物体的に何の興味も無いが、あの鼻にかかった声は好きである。

あの声でパンフレットを見せられたら壺の一つでも買ってしまいそうだし

毎晩耳元で円周率を延々とつぶやいてくれたら

30秒で昇天しそうである!

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☆森高千里(もりたか ちさと)1969年4月11日生まれ
大阪府茨木市出身 161cm O型

幼少の頃からオルガンやピアノを習い、お父さんはロカビリー・バンドの歌手で

お母さんは女優という家庭で育ち

初めて買ったシングルがピンク・レディーの『UFO』で

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初めて行ったコンサートがピンク・レディーの解散コンサートだった。

『歌う事が好きになったキッカケ』

はもちろんピンク・レディーであり(特にケイちゃんが好きだった)

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ピンク・レディーそのものになりたかった森高千里。

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九州女学院では『ル・パラディ』というバンドを結成し

ボーカルではなくドラムを叩いていた。

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高校2年の夏休みに友達と一緒に

『第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト』に応募。

九州大会をあっさりと勝ち抜き、最終審査で中森明菜の『十戒』を歌って

応募総数11928人の中から見事グランプリを獲得して芸能界入り!

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1987年、風見慎吾が主演した映画『あいつに恋して』のヒロイン役で女優デビュー!

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同時にこの映画の主題歌

『NEW SEASON』(1987年5月25日発売 23位、4、4万枚)

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を歌って歌手デビューも果たしている。

ポニーテールにジーンズの上下という色気も素っ気もない衣装で

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ドラムとキーボードを演奏しながら歌うという斬新なスタイルだったがパッとせず。

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その後、過密スケジュールがたたって『急性腸炎』で入院。原因はストレスだった。

この時の体験を元に曲を書いたのが

『ザ・ストレス』(1989年2月25日発売 19位、4万枚)

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まるで別人のようにミニスカでお尻を突き出すウェイトレスのコスプレで登場!

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レコード店に置かれた販促用の立て看板は速攻で盗まれ

10万円の値がつくお宝となった。

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その3ヶ月後にリリースされた

『17才』(1989年5月25日発売 8位、19、5万枚)

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は南沙織のカバーで、当時流行の最先端だったユーロビートにのせて

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見せパンをチラチラさせながら踊って大ブレイク!

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バブリーな時代の象徴でもあったワンレンのロングヘアーにミニスカ・ハイヒールで

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人気となるが、同時にパンチラを盗撮するパパラッチ軍団が急増!

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『のぞかないでよ』という曲では

♪変態!♪

♪のぞかないでよドスケベ!♪

♪それじゃチカンと同じよ♪

♪いつか仕返ししてやるから見ていろ♪

と、やり込めた。

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『私は自分がファッションとして好きだからミニスカートをはいているわけで

別にのぞかれる為にはいているわけじゃないから』

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90年代に入ると、昔、松田聖子が『赤いスイートピー』でイメチェンしたように

森高も腰まであった髪の毛をバッサリ切り

トレードマークだったミニスカートを封印!

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人気は下がるどころかヒット曲を量産しまくら千代子!

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『渡良瀬橋』(31万枚)、『私の夏』(38、2万枚)、『風に吹かれて』(38、1万枚)

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『気分爽快』(43、8万枚)、『夏の日』(40、9万枚)、『二人は恋人』(44、4万枚)・・・・

かの吉田拓郎が

『我々ミュージシャンが今まで何十年もの期間をかけて

作り上げた詞の世界観を森高が一瞬で破壊してしまった』

と、大絶賛!

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究極の『絵日記』ソング!

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♪私がオバさんになったら あなたはオジさんよ♪

元々は『古今東西』というアルバム用に作られていたがボツになり

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その後、『ロック・アライブ』というアルバムで煮詰まってしまい

ボツ作品の中からピックアップして出来たのがこの曲!

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『オバさんになっても変わらず愛してほしい』

そんな女心を歌ったこの曲は、簡単に歌える事からカラオケの定番となり

OLの共感を得て森高千里の代表曲となった。

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この曲で第43回紅白歌合戦に初出場!

モックンが白い液体を入れた無数のコンドームをクビからぶら下げ

ケツを出しながら『東へ西へ』を歌った時の紅白である。

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あれから21年・・・

『この人の子供が産みたいと直感で思った』

と、俳優の江口洋介と1996年に結婚。

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実際にオバさんと言われる年齢になっても老いを知らず

とても2児の母親とは思えない若々しさ!

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あの鼻にかかった声も昔のままで、人形臭しか感じられなかった若い頃より

格段にキレイになっている!

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『音楽シーンを体験している人で、生放送の為、肌がキレイな人』

という理由で『水曜歌謡祭』のMCに抜擢された森高千里。

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その記念すべき第1回目のオープニング曲が『私がオバさんになっても』だった。

ここは是が非でも森高千里に歌わせるべきだったのに

和田アキ子とAKB軍団でお茶を濁し

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新番組に期待した視聴者を、わずか数分でものの見事に裏切ってくれた。

その裏切りは即視聴率に反映され、昨日放送された第8回では

『本人熱唱スペシャル』と銘うっていたにもかかわらず

太田裕美の『木綿のハンカチーフ』は前田敦子とのコラボ。

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初めて聞いた前田敦子の生歌は

聞くに堪えない立派な放送事故であり

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途中まで木綿だったハンカチーフが

雑巾に変わったような絶望感だった!

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これならキンタローに歌わせた方がまだいい。

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歴代の音痴アイドル、浅田美代子や大場久美子の方が

笑えるだけまだマシである。

1本100万円のギャラをもらうなら毎回歌ってほしいぞ

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森高千里!

その森高と同じ事務所で『ピストン矢口』こと矢口真理が

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モー娘に復帰を果たす『テレ東音楽祭』(6/24)を見るのが

今一番の楽しみ!

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(去年はゴマキの復帰でした)

クソ!その日仕事だ・・・・


岩崎良美 『赤と黒』


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1980年2月21日発売
最高19位
売上11、6万枚
作詞/なかにし礼 作曲/芳野藤丸

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ハイジがしぼったヤギの乳ぐらい濃厚だった岩崎宏美の思い出に比べると

サガミオリジナル並みに薄い印象の岩崎良美。

初めてテレビで見た時

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『おぉ!姉ちゃんより妹の方が可愛いではナイカ!』

と、若干ボルテージが上がったものの

それはクレオパトラの化身みたいな岩崎宏美と比べて可愛いと思っただけであって

物体的にはほとんど興味はなかった。

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☆岩崎良美(いわさき よしみ)1961年6月15日生まれ
東京都江東区深川出身 O型

1980年のアイドルデビュー組の中では真っ先に世に出てきたものの

その2か月後には“後に”キレイになる松田聖子がデビューし

秀樹同様巨峰πに『カンゲキ!』した河合奈保子やバイブ芳恵・・・・

『顔はヤバイよ、ボディやんなボディを!』の三原順子と

そうそうたるメンバーがデビューし、後のアイドル黄金時代の幕開けの年でもあった。

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姉ちゃんよりは美人だが同期の中では地味だった岩崎良美。

しかし歌の実力だけはダントツで、デビュー曲の『赤と黒』は岩崎良美の中で一番好きな曲だ。

♪あ〜赤と黒みたいな〜♪

のっけからパワースポットで森林浴をしてるみたいな心地の良い声で

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小さいながらもあちこちでかけてくるビブラートは

姉ちゃんよりもテクニシャンだった。

さすが中森明菜を何度も落とした松田敏江のもとでレッスンを積んだだけあって

歌は上手い!

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この『赤と黒』は1曲の中に3曲分のサビが入ってるような複雑な構成と和音進行で

最初から最後迄キーが上がったり下がったりで

テンポもアップになったりスローになったりと

そこいらのアイドルだったら、たとえアルバム用であっても

レコーディングを拒否しそうな難解な曲を

あっさりと歌いこなす岩崎良美はさすがだった!

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特にサビの『赤と黒みたいな』の『な〜』がグンと下がる所が大好物で

ラッパが鳴るメロウな部分は何杯でもおかわりできる。

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作曲は芳野藤丸。編曲の大谷和夫と共にSHOGUNのメンバーで

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沖雅也が出ていた『俺たちは天使だ!』

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の主題歌だった『男達のメロディー』のヒットで有名な一発屋で

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他にも松田優作の『探偵物語』のOPとEDのテーマも担当。

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ロケ地だった渋谷パルコ前に行って同じポーズを取った思い出の曲(笑)。

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ちなみにボーカル&ギターだった芳野藤丸の元・奥さんは石田えろ・・・じゃなかった

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石田えり!

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3枚目のシングル『あなた色のマノン』でレコード大賞・新人賞を受賞。

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その直後の『紅白歌合戦』に史上初の姉妹同時ソロ出場を果たし

泳いでいないと死んでしまうマグロのように

生きる為にしゃべり続ける黒柳徹子にマイクを向けられると

お互いを『ヒロリン』、『ヨシリン』と呼び合っていた。

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これが岩崎良美にとって最初で最後の紅白となり

その後も難解な曲ばかりを歌い続け、セールスはガタ落ちだった。

小さい頃はスチュワーデスになるのが夢で

趣味はブリキのおもちゃのコレクションだった岩崎良美。

テレビで姉の活躍する姿を見ているうちに

『自分も歌手になりたい!』

と、心変わりしないで夢を叶えていたらきっと

美人スチュワーデスとしてJALのカレンダーの表紙を飾っていただろうし

著名人やスポーツ選手をフライング・ゲットして

モンキーバナナにライド・オンできたかもしれない。

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あるいは北原照久と一緒にブリキのおもちゃ博物館で

ブリキに囲まれて平穏に暮らしていたのかも知れないのだ。

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アイドル黄金期にいながら、歌が上手いと言われながら

ヒット曲に恵まれず、売上も1万枚を切るまで低迷していた理由の一つに

水着がある!

当時のアイドルは水着が必須条件だったにもかかわらず

岩崎良美は唯一『水着にならなかったアイドル』であり

それは事務所との契約事項に『水着NG』が記載されていたというから驚きである。

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あのO脚ペチャπの松田聖子や豆タンクと呼ばれていた姉ちゃんでさえ水着になっていたのに

雑誌のグラビアはもちろんの事、芸能人水泳大会ではなんとTシャツを着て出場!

これにはさすがに良美のファンもガッカリした事だろう。

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そのガッカリ度はコンビニで立ち読みした『FLASH』のグラビアが

まさかの『袋とじ』で見られなかった時のショックと同等である!

ショックと言えば、一見おとなしそうなイメージの岩崎良美だが

コロッケが姉ちゃんのものまねで有名になった時

『姉はあんな顔してません!』

と、真顔でコロッケに怒鳴ったたという。

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また、クイズ番組に出た時は

『デビューした時の服の色は何色?』

という問題に

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『水色!』

と、答えて不正解になると(正解は紺のベルベットのツーピース)

『一番最初に作ったのは水色で、紺の衣装はその後です!』

と、テレ朝側のリサーチ不足を指摘!

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解答者席に座っていた和田アキ男・・いやアキ子もあっけにとられ

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結局、不正解は正解に変更されて高価なバッグをもらった岩崎良美だったが

空気を読まないツッコミにはビックリした。

その和田アキ子とドラマで共演したのがドラマ『スクール・ウォーズ』

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元々芸能界へのデビューが『スタ誕』ではなく

三船敏郎主演の時代劇『江戸の鷹』でのゲスト出演だったので

歌が売れなくなったから女優を始めたワケでは無く

岩崎良美の場合

女優の方が先だったという意外なデビューであった。

例のバッグを撮影に持って来てたかどうかは定かではないが

途中で交通事故で死んでしまうというマネージャー役がやけにハマっていた。

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その翌年の1985年にアニメの主題歌『タッチ』を歌い、これが岩崎良美の代表曲となる。

過去のVTRや時々出る歌番組では必ず『タッチ』を歌わされるので

あたかも大ヒットしたかのように扱われているが

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実際はオリコンTOP10にも入っておらず

最高12位の売上は24、7万枚だった。

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ちなみに僕の中で『タッチ』と言えば

『幽体離脱〜』、『アジの開き〜』

をやる双子のデブしか浮かばないのだ。

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2011年、3歳年上の医師の方とめでたく結婚し

50歳になってようやくお嫁に行けた岩崎良美。

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売れたのも遅かったが結婚はもっと遅かった。

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ちなみに水着はダメでもこういうのは良かったらしい。

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岩崎宏美 『万華鏡』


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1979年9月5日発売
最高 10位
売上 27、8万枚
作詞/三浦徳子 作曲/馬飼野康二

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ブルースの女王・淡谷のり子大先生が生前

可愛いだけで歌唱が伴わない流行歌手たちを

『歌手じゃなくてカス!』

と、ギレン総帥も顔負けの発言をしていたが

『彼女は歌が上手かったけどね』

と、唯一歌唱力を認めていたのが岩崎宏美だった。

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♪夢だと言って〜ウソだと言って〜幻だよと〜あ〜な〜た〜♪

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さだまさしが『関白宣言』で10週連続1位を続けていた頃

『二十才前』以来久々にオリコンTOP10に入った曲であり

ストレートヘアーの岩崎宏美がエラク綺麗に見えてきたのも

この『万華鏡』からだった。

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♪ショーウインドゥ〜万華鏡のよう〜♪

ジャカジャン!ジャカジャン!

♪私を見〜る、私がいるのよ〜♪

この『万華鏡のよう〜』の“よう”と、『私がいるのよ〜』の“よう”の部分が

僕の大好物で、この『よう』を聞く度に

『やっぱり岩崎宏美は歌が上手いな・・・・』

と、その実力を思い知らされるのである。

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しかしながら個人的にはタイトルを聞いただけで憂鬱になる曲でもあるのだ。

リアルタイム世代なら絶対聞いたであろう

『お化けの声が入ってる』

という噂・・・・。

中学の時、『鶴光のオールナイト・ニッポン』で取り上げられたのを

ご丁寧に録音してラジカセごとクラスに持ってきた奴がいけない。

エンディングで美しいコーラスを乱すかのように突然聞こえてくる

あぁああ

という低い“うめき声”!

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チープなラジカセのスピーカーから雑音混じりに聞こえた“うめき声”に

クラスの大半が驚嘆の悲鳴を上げ、くるぶししか見せてくれない不良少女達ですら

耳をふさいで硬直していたほど大騒ぎになった。

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当時ネットも無かった時代に聞こえてきた噂が

レコーディング当日にコーラスの1人が不慮の事故で亡くなり

どうしても歌いたかったという無念の思いが怨念となって入ってしまい

マスターテープには入っていなかったのに、レコードを発売したら入っていた為

毎日黒ずくめのスーツを着た男の人が

一軒一軒『万華鏡』のレコードを回収しに

今でも回っているという噂・・・・

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僕の中では『万華鏡』は『口裂け女』に匹敵する恐怖であり

“うめき声”は最強の『心霊体験』だった。

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ところが!

『奇跡体験アンビリーバボー』で警察庁科学警察研究所OBの

日本音響研究所所長鈴木松美氏が例の声の解析をした所

あのうめき声は黒人男性のコーラスと判明!

最初は入れる予定だったコーラスが、あまりにも声が目立ってしまった為に削除したが

男性パートの部分だけ消し忘れてしまった為に心霊ボイスのように

残ってしまったんだとか。

しかも当時現場にいたスタッフはこのコーラスの存在をわかっていながら

『話題作りにいい!』

と、そのままにしておいたんだと。

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そうは言われても、一端『うめき声』と認可してしまった以上

何度聞いてもあれは『うめき声』であり

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黒ずくめのスーツを着た男の人が今日もどこかの家に

回収に回っているのだ!

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さて、『万華鏡』にはもう一つ憂鬱にさせる原因がある。

とかく、幼稚園から小学校1、2年にかけて男の子はみんな

『チンチン』とか『ウンコ』

という言葉が大好きであった。

これはドリフで加藤茶が

『ウンコ、チンチン!』

というギャグを流行らせたせいだろうが、僕はどこから仕入れてきたのか

『ウンコ』、『チンチン』、『オッパイ』に加え

『マンゲ』という言葉を覚えて

小学校の時、僕の前に座っていた

そのまま育てば吹石一恵並みの美人になっていたであろう

今井さんという女の子に

『イマンゲ』

というあだ名をつけ、からかい倒した挙句に泣かせてしまい

先生にこっぴどく怒られ、家まで謝りに行った苦い思い出がある。

その後、僕は横浜に転校してしまったので

吹石一恵になったかどうかの確認は取れていないが

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まさか『万華鏡』という曲が後にリリースされるとは思ってもみなかったので

あの“うめき声”と共に

『まんげきょう』

『まんげ』

『イマンゲ』

と、タイトルを聞いただけで連鎖してしまい、曲を聞く前から

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憂鬱になる曲部門

第1位なのだ!



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