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女子気合注入歌

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思わず気合が入る曲を中心にレビューしてマス!
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アルバム発売1983年4月21日
最高73位
売上 2千枚

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浜田麻里と聞いて『リターン・トゥ・マイ・セルフ』しか知らなかった人も

9割9分9厘の確率で未だに浜田朱里や濱田マリと区別がつかない人も

『スター誕生』出身でも『○○コンテスト』の優勝者でもない麻里ちゃんが

いかにデビューしたのかを知ってる人はいないでしょう。

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と、いうワケで今週も浜田麻里!

☆浜田麻里(はまだ まり)1962年7月18日生まれ
東京都出身 156cm A型

三波春夫が常連客だったという理髪店『バーバー浜田』の長女として生まれた麻里ちゃん

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幼少時代はテレビから流れてくる歌謡曲を妹の絵里ちゃんとハモりながら歌うのが大好きで

3歳の時にお店の常連だったお姉さんに連れられて初めて行ったコンサートが

美空ひばり!!

『白っぽい服を着て歌っていた』

と、3歳の頃の記憶を今でも覚えている麻里ちゃんも凄いが

忘れさせない美空ひばりはもっと凄い!

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ちなみに麻里ちゃんが初めてコピーした曲は美空ひばりの『柔』なんですよ!

小学校に上がると合唱部の部長を務め

オリジナルにはないハモりをつけてコンクールで優勝!

卒業文集には『将来はプロの歌手になる』と、宣言!

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『プロ』ですよ『プロ!』

小6の女の子であれば、ここは手堅く

『歌手になりたい』とか『アイドルになりたい』と

夢に向かって送りバントを決めて、原監督から笑顔でグータッチをもらう所を

まるで『パイロットになりたい』ではなく『全日空に入社する』と言い放つ

最近の小学生と同じである。

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しかしながら!

この時が『はまだまり』から『浜田麻里』に

なった瞬間のような気がします。

中学に入ると、腕試しのつもりで受けたボーカル・スクールのオーディションに

一発合格!

本来なら月謝を払ってレッスンを受けるべき所を

その才能に惹かれたスクール側が『特待生待遇』を適用し

レッスン代がタダ!

そこでCMソングを歌うというプチ・デビューを果たしている。

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♪ルナ、ま〜いるど♪

♪金・銀パ〜ル、プレゼント!♪

♪日清〜サラダ〜油セット♪

等、歌った数は200曲以上!

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そんな中!

『アイドルとしてデビューしてみないか?』

と、オファーが来るも

『自分は何か違った形でデビューしたい』

と、キッパリお断り。

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デビューはできてもアイドルは嫌だというワケである。

まだ中学生ですよ・・・・

後に『イン・ザ・プレシャス・エイジ』の選曲で

ボン・ジョヴィの楽曲提供をあっさり“ボツ”にした決断力は

生まれつきだったんですね・・・

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その後、都立武蔵丘高校へ進学。

成績は優秀で『音楽』と『国語』はオール5!

スポーツも剣道、バスケに足が速かった為、陸上部の大会に出たりと

ボーカル・スクールに通ってるという事以外は普通の女の子だった。

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そんなある日!

友達が出ているからと文化祭バンドを見に行った時のこと

『演奏が上手いとかヘタとかではなく、髪を振り乱して

ギターをかき鳴らす人達がなんだかとっても楽しそうに見えた。』

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『アタシもあそこに立って歌ってみたい!!』

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その瞬間!

その『何か』を見つけたような気がしたという。

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早速バンドをやっているグループに自ら入っていき、そこで初めて

ハード・ロックと出会う!!

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今まで聞いた事もなかった音楽に

『こうゆう世界もあるんだ!』

と、当時流行っていたディープ・パープルやレインボーを聞きまくり

高校3年の時、初のバンド『麻里バンド』を結成!

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それまで・・・

学校をサボるなんて考えた事もない

教室の掃除も最後迄1人で残ってやるような

真面目を絵に描いたような女の子が

突然サテンのスパッツにヘソ出しルックでステージに上がり

野郎をバックに『キル・ザ・キング』(レインボー)なんか歌ってたワケです。

先生や友達はさぞかし目が点だった事でしょうね・・・

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その後、青山学院大学へ進学した麻里ちゃんはここで

女の子だけのバンド『ミスティ・キャッツ』にボーカルとして参加。

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アマチュア・バンドの登竜門と言われたヤマハ主催の

『EAST‐WEST 81』に出場しますが、残念ながら東京大会で予選落ち!

しかしこの時、運良くスカウトされデビューが決まるのです。

ちなみにこの時のグランプリは『爆風銃』(後の爆風スランプ)で

レディース部門の優秀賞は

寺田恵子率いるSHOW−YA(翌年グランプリ)!

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しかし、スカウトされたと言ってもすぐにデビューできたワケではなく

病院の受付、ケーキ屋の売り子、ドイツ料理店のウェイトレスと言ったバイトをしながら

『麻里&姫』、『麻里&サード』という名前でライブハウスで歌う

下積生活が約1年半も続きます。

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そんな中、ラウドネスの活躍で空前のジャパメタ・ブームが巻き起こり

次々とへヴィ・メタル・バンドがデビュー!

その後女性ボーカリストをバックアップするコラボへと変わっていき

ラウドネスがバック・バンドを務めた本城未沙子が先陣を切ってデビュー!

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我らが麻里ちゃんの他にもワン・ナイト・エンジェル/橋本ミユキや

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歌謡メタル・エンジェル/早川めぐみ等

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イニシャルが全員H・M(へヴィ・メタル!)

他に早瀬ルミナH・R(ハード・ロック)なんてのもいた(笑)

しかし結局、最後迄残ったのは歌唱力がズバ抜けていた

麻里ちゃんだけ!

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そして1983年、アルバム『ルナティック・ドール』でデビュー!

キャッチ・コピーは

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『麻里ちゃんはへヴィ・メタル』

つけたのは糸井重里。

徳川家の埋蔵金探しや芸能人釣り大会に出てた鼻の穴のデカいオッサンで

奥さんは昔タコとラブシーンを演じ、今は白戸家のお母さん役の

樋口可南子!

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プロデュースは『ロマンティック・ナイト』同様

樋口宗孝!

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当時の音楽シーンと言えば

聖子にトシちゃん、マッチ、これに明菜嬢他、花の82年組も加わった

最強のアイドル黄金期!

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さらに演歌勢も強く、この年の年間レコード売上No1は

タンスを担いだ大川栄作の『さざんかの宿』で

レコード大賞は細川たかしの『矢切の渡し』だった。

そんな歌謡曲と演歌が全盛期だった時代に

へヴィ・メタルでデビューした麻里ちゃんは

秋吉久美子が赤ちゃんを

『卵で産みたい』

と答えた以上に無謀だった。

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しかしボーカリストとして麻里ちゃんの実力は当時の歌手の中ではケタ外れに凄く

一般女性の平均肺活量が2500〜3500mlなのに対して

麻里ちゃんは倍以上の7000ml!

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音域はレッスンを積んだ人でも3オクターブがやっとなのに

軽々と4オクターブが出せるハイ・スペックボーカリスト!

これに日本最強のドラマー樋口がリズムを刻み、高崎晃が出てくるまでNo1だった

北島健二がギターとして参加しているこのアルバムは

過酷な減量中に

『さあ、お飲みなさい』

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と、コップを差し出す葉子に

『そのお気持ちだけ、ありがたく飲ませていただきます』

と、床に白湯を捨てた力石のように

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メチャクチャカッコ良いのだ!

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全10曲中、インストが2曲あるので正味8曲だが

のっけからエンジン全開の『ノア』は麻里ちゃんが25周年記念ライブをやった時に

アンコールで故・樋口宗孝に捧げられた曲!

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そして初期のライブでは欠かせない王と長嶋的存在の

『トキオ・メイキン・ラブ』と『オール・ナイト・パーティー』

可愛い声で凄い事を歌いながらマイクをブン回して

観客にハイキックを御見舞いする麻里ちゃんがカッコ良いメタル・チューン!

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『ブラック・ホール』ではウルトラ・ロングトーンが炸裂!

そしてバラードの名曲

『ラナウェイ・フロム・イエスタディ』はここに入ってます。

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デビューライブは1983年5月11日新宿ロフト

ところが前日、気負い過ぎと練習のし過ぎで急性喉頸炎かかってしまい

泣きながら会場へ向かった麻里ちゃんでしたが

“初ライブ”だったので、調子の悪い麻里ちゃんに客が誰もわからなかった(笑)

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『ライブ・ハウスの時期は短かったけど

一度も最後までまともに構成をこなせた事が無かった』

セールス的にはパッとしませんでしが、ライブは常に超満員で

酸欠寸前のギュウギュウ詰め!

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会場の最前列はすぐに混乱となり、中断しては再会の繰り返しで

京都の学祭では救急車が出動する騒ぎとなりセット・リストの半分もこなせず強制終了!

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一回のステージで体重が2キロも減るという激しいライブの為

『食事は無理やりにでもステーキとかボリュームのあるものを食べる』

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しかも!

50歳を超えた今でも当時の衣装が着られるというから凄い!

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今世紀最高で最強のボーカリスト浜田麻里!

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麻里ちゃんを超えるアーティストは

二度と出て来ないと断言します!

いや、否、否、否、否!

いました、たった1人だけ!

この世に麻里ちゃんのウルトラ・ハイトーン・ボイスに太刀打ちするどころか

上回るもの凄いボーカリストが!

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浜田絵里!

今も麻里ちゃんのバック・コーラスを務める実の妹であります。

元々麻里ちゃんには『舞ちゃん』という女の子がデビューから1年ぐらいの間

バック・コーラスについていたんですが、彼女が卒業するにあたり

『アタシと同じハイトーンを出せるのは妹しかいない!』

と、当時高校生だった絵里ちゃんを名前を隠してバック・コーラスとしてツアーに同行させ

以来ずっと麻里ちゃんのバック・コーラスを務めている絵里ちゃん。

『私の人生に引き込みました』

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と、最初は強引だった感もあるが、あの麻里ちゃんのウルトラ・ハイトーン・ボイスの

上からかぶせてコーラスを歌えるのは

絵里ちゃんだけ!

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麻里ちゃんも凄いが妹はもっと凄い!

排気量は妹の方が上だが、ルックスは麻里ちゃんの方が上か!

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それはスケートでは真央ちゃんに劣るが

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ロケットおっπで勝っている

浅田舞と同じ!

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次週も元気に麻里ちゃん!



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アルバム発売1983年12月16日
最高 ―
売上 ―

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AKB48に秋元康がいたように

この人無くしては今の麻里ちゃんはなかったかもしれない・・・

レイジーのデイビー・・・否!

日本が世界に誇れるバンド、ラウドネスのドラマー兼リーダー

『ひぐっつあん』こと

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樋口宗孝!

☆樋口宗孝(ひぐち むねたか)1958年12月24日生まれ
奈良県奈良市出身 A型

和製コージー・パウエルと呼ばれ、華麗なドラミングはメトロノームのように正確で

ワンバスでフロアタムとキックを組み合わせてツーバスの音を出すという

『ラウド・ドラミング』でバカデカい音を叩きだし

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速射砲のような高速連打は圧巻で

ドンパッチを一袋全部口の中に入れたような弾けっぷり!

80年代、ラウドネスはジャパ・メタブームを巻き起こし

1985年には海外進出!

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あのレッド・ツェッペリンを輩出したアトランティック・レーベルから

7年契約というあり得ないオファーを受けた日本人初のバンドであり

海外では今でも日本の好きなバンドの第1位が

ラウドネスなのだ!!

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アルバム『ライトニング・ストライクス』は

ビルボード・アルバム・チャートで最高64位を記録!

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たかが64位とバカにするなかれ!

日本人がビルボードのアルバム・チャートに入ったのは

『上を向いて歩こう』を収録した坂本九のベスト盤が14位というのが最高で

次いでジョンレノンの血まみれの眼鏡をジャケットに使って銃規制を訴えた

オノ・ヨーコの『SEASON OF GLASS』が49位。

あとはシンセサイザーの冨田勲(49位と57位)とキーボード奏者のツトム・ヤマシタが60位で

ラウドネスはそれに次ぐ5人目!

ちなみにYMOが81位、あの宇多田ヒカルをもってしても69位だった。

世界最高峰のアリーナと呼ばれているマジソン・スクエア・ガーデンのステージに

日本人として初めて立ち

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観客が本命のモトリー・クルーよりも前座だったラウドネスを評価するという

あってはならない事態が起こり

モトリー・クルーのサウンド・エンジニアがクビになったという伝説を持つバンドでもあるのだ!

『ラウドネスの音はデカなあかん!
ラウドネスやから!』

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これが樋口のモットーであり哲学でもある。

デビューライブとなった浅草国際劇場ではバスドラを踏んだ途端

あまりの音のデカさに天井からホコリや物が落ちてきて

日比谷野音のライブではリハーサルのサウンドチェックの段階で早くも

近隣から苦情が殺到!

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代々木オリンピック・プールでライブをやった時には

『駅のアナウンスが聞こえない!!』

と、原宿駅からクレームをもらい

赤坂プリンスで初のディナーショーを開いた時には

宿泊客から苦情の嵐で、ホテルのフロントの電話が鳴りやまず

富士急ハイランドでのライブでは『爆音』が風にのって

隣の長野県からクレームが来た
ラウドネス!

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そんなバカデカい音にこだわる樋口がサウンド・プロデュースを買って出て

全曲作詞作曲を手がけただけでなく、自らもドラムとして参加したのは

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当時、麻里ちゃんと恋仲だったから!

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というわけで今週も浜田麻里!

デビュー・アルバムからたった半年でリリースされたセカンド・アルバムは

へヴィ・メタルの女王とは思えないアイドル丸出しのジャケットに誰もが驚いた!

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これは事務所の方針で

『こんな可愛い娘がへヴィ・メタルやってます!』

という売り方を日本で初めてやったアーティストが麻里ちゃんなんだそうだ。

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これを見てアイドルだと勘違いしてレコードを買った人は

針を落とした瞬間、鼻血ブーだったでしょうね!

なんせこのアルバムには

麻里ちゃんの楽曲史上最強で最高の

『ドント・チェンジ・ユア・マインド』

が入ってますから!

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のっけから泣く子も黙る

樋口のスパー・ドラミング!

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♪タン!タン!タン!タン!ダッタタタタタタタタ・・・・・・♪

『リンかけ』で放ったスペシャル・ローリングサンダーを

音にしたようなドラム・ロールの後

自分の中で爆発する瞬間にかけたいイントロNo1に輝く

通称『ドンチェ』!

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麻里ちゃんの持ってるスペックを最大限引き出す為に作られたような曲で

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浜田麻里の『神曲』!

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歌い出して20秒ほどで早くも訪れる

息継ぎ無しのウルトラスーパー・ロングトーン!

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最初に聞いた時は和田アキ子が

『シートベルトを外し忘れて車を降りたら車ごと背負っていた』

という伝説以上の衝撃で

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これを聞かずして浜田麻里は語れない!

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さらにこれがライブになると

♪泣かないで〜、今はただ〜、おんなさが〜♪

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という通常のキーで歌う部分を妹の絵里ちゃんが歌い

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バックコーラスの

♪ドン、チェンジユアま〜♪

♪はぁあああああああああああああ♪

というハイトーンの部分を麻里ちゃんが歌うという

姉妹逆転現象!

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この強烈なリフレインはハンパじゃない!

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まさにハイトーンの波状攻撃!

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それは

『楽屋でいびきをかいて寝ていたらTBSの震度計の針が3を指した』

という和田アキ子より凄いのだ!

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しかも最後の最後にエンジン全開フルスロットルの

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ウルトラスーパー・ミラクルロングビブラートを

とどめとばかりに観客にブチ込み

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全員を放心状態にさせた後

ドラをブっ叩いて終わるのだ!

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ただでさえ重労働ソングなのに、2時間近くライブを演った後に

毎回この『ドンチェ』で締めくくっていたという驚異のセット・リスト!

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身長156cmの小さな身体の一体どこにこんなパワーがあるのかと

これを聞く度に驚愕させられる。

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こんなアーティスト他にいない!

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この『ドンチェ』以外にも

可愛い女の子のバックの中身が試供品だらけだったような

『キサナドゥ』

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『薔薇』をサラリと漢字で書ける奴に出会ったような

『ソー・ロング』

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クワガタのハサミがツノじゃなくてアゴだと知った時のような

『ジャンピング・ハイ』等

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知恵熱が出そうな良い曲が満載なのである!

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しかも樋口の超絶ドラムも一緒に聞けちゃうというお徳さ!

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手元に置いておく価値のあるアルバムです!

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『人の才能に限界は無い。限界があるとすれば

それは自分があきらめた時

出来ると信じ、出来たイメージを練習すれば

出来ないことなんか無い』

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オリジナル・メンバーでのラウドネスが復活し、精力的にライブやツアーを行っていた矢先

2008年11月30日に肝細胞がんで死去

49歳という若さでした。

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『初期のプロデューサー、ドラマーとしてのみならず

お互いに若い頃から長い年月に渡って

彼は私を変わらぬ深い愛情で見守り

パートナーとして支えてくれました。

その事をそして彼を誇りたいと思っています』

樋口が他界してしばらくの間

麻里ちゃんは25thDVDの編集をしながら、ほぼ毎日のように泣いていたそうです。

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麻里ちゃんとひぐっつあんが付き合っていたというのは

一度写真誌に撮られた事があったので本当です。

同棲もしてたのになぜ別れてしまったのか・・・・

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噂は色々あっても本当の事はわかりません。

でもこれだけはハッキリしてます。

樋口は生前、多くのアーティストのレコーディングやセッションに参加してきましたが

他人をプロデュースをしたのは

後にも先にも麻里ちゃんただ一人!

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生涯独身でした。

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そして麻里ちゃんもロック・スターにありがちなスキャンダルも無く

未だ独身!

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アルバムタイトルにもなっている『ロマンティック・ナイト』は

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2人の恋物語を歌った曲ではないでしょうか・・・・

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次週は麻里ちゃん衝撃のデビュー篇!


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アルバム発売1984年6月21日
最高19位
売上 3、8万枚

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『見た目麗しく 威風堂々 ミスティレディ浜田麻里』

これは再発盤のCDの帯に打たれたキャッチ・コピー!

僕の中では

『うまい、やすい、はやい』

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の吉野家と

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『わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい』

の丸大ハムに匹敵する一生忘れられない名コピーである。

このコピーを考えたビクターの宣伝部の人には

食べると張り込みの刑事の気持ちになれるアンパンを1年分差し入れしたい!

『麗しい』

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【精神的に豊かで気高く、人に感銘を与え

形・色・容姿などが目に快く映るさま。】

【機嫌・顔つきが晴れ晴れして、乱れたところがなく、整っているさま。】

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『威風堂々』

【態度や雰囲気に威厳が満ち溢れて立派なさま。】

【周囲を圧するような威厳があっておかしがたく

気勢が非常に盛んで力強いさま。】

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見よ!

この凛とした意志の強い眼差し!!

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こんな視線で追及されたらウソや隠し事はもちろんの事、聞かれてもいない

初体験や初めて毛が生えた時の事までしゃべってしまいそうだ。

麻里ちゃんのアルバムの中でも

最高峰のジャケット!

このまま瓶に詰めてずっと眺めていたい・・・・

ちなみに裏ジャケでは麻里ちゃんのちっちゃい生足がみれます。

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というわけで今回も懲りもせず浜田麻里!

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サード・アルバム『ミスティ・レディ』はデビューからわずか1年で

早くも自らプロデュースに乗り出し、全曲の作詞と

作曲も2曲(フライ・オン・ウィングス、ミスティ・レディ)にチャレンジ!

初期の浜田麻里の名盤中の名盤!

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売上たった3、8万枚と言うなかれ!

これは当時のへヴィ・メタル/ハード・ロックのジャンルの中で

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最高セールスを記録したアルバムなのだ!

この1984年と言えば、世間ではわらべの『もしも明日が・・・』が大ヒットし

年間シングルTOP10のうち

チェッカーズと中森明菜が6曲を独占!

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『涙のリクエスト』(4位)、『哀しくてジェラシー』(5位)、『星屑のステージ』(8位)

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『十戒』(6位)、『北ウイング』(9位)、『サザン・ウィンドウ』(10位)

すっかり安定期に入った女帝・松田聖子に代わって中森明菜をロック・オンしたのが

聖子と同じ久留米市出身のチェッカーズだった。

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この戦いは翌・85年に激化し86年に終息するが

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そんなアイドル全盛期に

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♪下界に生きてる奴らを あざ笑う事もできるのさ〜♪

とシャウトしまくっていた麻里ちゃん。

当時のガールズ・バンドはこぞって麻里ちゃんをコピーしまくっていた。

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まずは1曲目の『パラダイス』を聞く前に

MAXキャッホーのテンション以上にボリュームを上げてほしい。

ノイジーな金属音から地を這うような重低音がリフレインされるこの曲は

数ある麻里ちゃんの

♪ズン、ズン、ズン、ズン・・♪

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の中でも最強にして最高の

♪ズン、ズン、ズン、ズン・・♪

であり、『全日本ズン、ズン、ズン大賞』があれば

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ダントツの1位間違いなし!

さらに朝の目覚ましやウォーキングはもちろん

怒られるとわかっていて会社に戻る時の車や電車の中で聞くと

勇気がとてつもなく湧き上がる

パワーみなぎりソングなのだ!

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続く『スイート・ライ』はVOW WOWのギタリスト山本恭司が作曲した曲だが

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実際に弾いてるのは北島健二!

後にフェンス・オブ・ディフェンスを結成し、現在は水樹奈々のライブバンド

チェリーボーイのギタリストとして2003年以降ほとんどのライブに参加。

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東京都立大付属高校時代、同級生だった織田哲郎が北島のギターを聞いて

ギタリストになる事をあきらめたという凄腕ギタリストなのだ!

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♪べいび、べいび、べいび、べいび、べいび・・・♪

このサビとギター・ソロを聞けば、織田さんの気持ちがわかる気がする・・・・。

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3曲目の『ハート・ライン』は『北の国から』の脚本でお馴染みの倉本聰センセイが

1986年に唯一監督した映画『時計』の中で使われた曲。

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血尿が出たほど大変だった倉本センセイは

『監督業はもう二度とやるまい!』

と嘆き、主演の中嶋朋子を5年間も実際にスケートさせて撮ったものの

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興行収入は大ゴケ!

母親役はいしだあゆみでチョイ役ながら田中邦衛まで出ていては

『北の国から』の番外編とからかわれても仕方ない。

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以前、『夜ヒット』に麻里ちゃんが出た時、お得意のサプライズで

『お電話がつながってマス!』

と、突然受話器を渡され、話した相手が倉本センセイだった!

本当は映画に出て直接歌ってほしかったが、スケジュールの都合で

叶わなかった事を倉本センセイは実に残念そうに話していた。

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好きなのはコーヒーとタバコだけかと思っていたら

麻里ちゃんも大好きだったとは驚きである!

一体どの場面で麻里ちゃんの曲が使われているのかと、ビデオで観ると

ライブ・ハウスのような場所でチョロっとかかっていただけだった。

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しかしながら、サントラに収録されている顔ぶれは

五輪真弓、中島みゆき、高橋真梨子、森昌子等、大御所ばかりで

その中にポツンと浜田麻里という名前があるのは

セーラームーンの中に一人だけ月光仮面が混じっているようなもの。

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6曲目はアルバム・タイトルにもなってる『ミスティ・レディ』

これは歌詞の内容から察するに・・・・

昔、付き合っていた恋人との楽しかった思い出を歌った曲ではなかろうか。

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♪抱きしめて・・・口づけて・・・ささやいて・・・・ほしいけど・・・♪

この『ミスティ・レディ』のエンディングから組曲のように始まるのは

『モア・ファイン・フィーリング』

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今度は別れてしまった恋人を思い出したようなバラードで

盛り上がり所は麻里ちゃんならではのハイトーン・ボイスが炸裂!

そしてラストの『ターニング・ポイント』!!!

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♪今 消え去った こころの迷い♪

と、心機一転!決意のような意気込みが感じられる曲!

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それにしても・・・・。

当時のロック・アルバムと言えば、最後はバラードで終わるというのが

定番中の定番だったのに

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『玄関開けたら2分でご飯!』

よりも速い、ハイテンション・ナンバーが

ブっ飛んでくる選曲は凄いです!

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しかもこの曲、コンサートではやらないし、ベスト盤にも入っていないので

ここでしか聞けない隠れた名曲!

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ドラが鳴り響くラストは圧巻です!

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圧巻と言えば!

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蛍役を21年間もやった中嶋朋子が良い事を言ってました

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『好奇心を止めなければ

この世の中は捨てたもんじゃない』

『ミスティ・レディ』が名盤ならこれは

名言です!

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次回も元気に浜田麻里!



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アルバム発売1985年1月21日
最高7位
売上 6、1万枚(LP、カセット)

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『遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・・』

今年の12月に『エピソード7』が公開される『スター・ウォーズ』

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ドラマティックな音楽が鳴り響き、画面一杯に出る『STAR WARS』のロゴに

革命的なデザインのR2-D2!

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そしてダース・ベイダーの息使いと

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人類史上最高の武器と言われているライト・セイバー!

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誰もが認めるSF映画の金字塔であるが、僕はあの

毛ムクじゃらのサルと

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ダッチ・ワイフみたいな顔をした金色のハゲが

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子供ながらに怖かった為、『スター・ウォーズ』に全くハマらなかった。

さらには遮光器土偶みたいなヨーダまで出てきて

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恐怖は倍増し、大人になって見てもダメなものはダメだった。

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そんな『スター・ウォーズ帝国の逆襲』のイラストを描いた人が

日本人だというのをご存知だろうか?

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名前は『ナマセ』とは読まずに生頼(おうらい)範義という人で

今や世界的に有名なイラスト・レーターなのだが

そんな生瀬さんがアルバム・ジャケットを手がけたのがこの

『レインボー・ドリーム』!

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というワケで今回も麻里ちゃん。

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このアルバムから

『ギターを持つと落ち着く』

松本君がギタリストとして参加!

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なぜ松本君が麻里ちゃんのバック・ミュージシャンに選ばれたのか

定かではありませんが、昔聞いた話ではお兄さんが麻里ちゃんのマネージャーで

ビーイングの事務所で働いていた事から

当時まだ無名のローディだった弟の松本君を紹介したんだとか。

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松本君の加入は初めてパンにシュークリームを入れた中村屋のクリームパンのように

へヴィなサウンドがなめらかな食感になったロックなアルバム。

後にB´zで大成功をした松本君も、アイディアに詰まった時には

このアルバムを引っ張り出して聞くんだそうだ。

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ここで注目してほしいのが3曲目のクレジットの

作詞作曲/GARY MOORE!

世にイングヴェイ・マルムスティーンが出てくるまで

速弾きと言えばゲイリー・ムーアが最速だった。

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あまりに速くて火が出そうだと言われた脅威のマシンガンピッキングと

一生忘れられないギター・ソロがやたらとある

僕が一番好きなギタリスト!

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☆ゲイリー・ムーア 1954年4月4日生まれ 北アイルランド出身

子供の頃はピアノを習っていたが先生とウマがあわず挫折。

10歳の時、父親に買ってもらったアコースティック・ギターを独学でマスター!

ある日、ギターの弦が切れたのを見た友達が、ジョークのつもりで

フォークギターに使う弦をゲイリーにプレゼント!

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フォークとエレキでは弦の太さは倍以上違う為、気が付きそうなものだが

ゲイリーはその弦を装着して練習。

当然ながら指で押さえられず全く弾けやしないのだが、完璧主義者のゲイリーは

猛練習をしてその極太の弦でスラスラ弾けるまでに上達!

そんな中、他のバンドに飛び入り参加したゲイリーは

他人のギターを借りて弾き始めるが、1曲と持たないうちに弦が切れてしまった。

普通の人が使っていたギターの弦ではあまりにも細すぎたのだ。

この一件で自分がからかわれた事を知ったゲイリーだったが

だました友達を怒る事はしなかった。

なぜなら

普通に弾いているのに指が勝手に早く動いたから!

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それは大リーグ養成ギブスを外した星飛雄馬が

剛速球をバンバン伴宙太に投げ込んだのと同じで

ゲイリーの驚異的な速弾きは地元であっという間に有名になり

15歳にしてアパート付、週15ステージという条件でスキッド・ロウに入るも
(セバスチャン・バックのスキッド・ロウではありません)

アパートに次々と女を連れ込むメンバーのノリについて行けず脱退。

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ちょうどその頃、ライブの途中でギターを放り出してそのまま脱退したギタリストの代役を頼まれ

急遽シン・リジィに参加!

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たった6時間のリハーサルで全曲をマスターし、残りのツアーを無事終了。

1978年にはソロ・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』をリリース。

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羽生君がソチ五輪のSPで最高得点を叩きだした時に流れていた

『パリの散歩道』のオリジナルバージョン(歌入り)がここに収録されています。

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この『パリの散歩道』は全英4位の大ヒットを記録!

アルバムではたった5秒のチョーキングも、ライブでは30秒以上も伸ばし続ける

ゲイリー・ムーアの代名詞ソング!

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観客は全員総立ちとなり、一緒にステージに上がっているメンバーでさえ

敬意と賞賛の拍手を贈るほど。

たった1音でこんなに大勢の心を震わすギタリストは

ゲイリー・ムーアだけ!

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世界でもギターを泣かせることにおいては最高峰の1人と言われ

ギブソン社からレス・ポール本人以外にレスポールのシグネチャーモデルを

世界で初めて製作されたのがゲイリー・ムーア!

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てっとり早く言うと、ザクはザクでも一人だけ違うのに乗っていた

シャアみたいなもの!

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その後シン・リジィを脱退したゲイリーは新天地を目指してアメリカへ渡米。

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『パリの散歩道』を高く評価してくれたJETレコードと契約して

G‐フォースを結成!

アメリカン・マーケットを意識してハードなサウンドは控え

キャッチーなラブソングを多く入れたアルバム

『G‐FORCE』をリリース!

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ホワイト・スネイクの前座として全英ツアーを敢行するが

ここでとんでもない事が起きる!

ゲイリー以外のメンバーがあまりにもライブパフォーマンスが低かった為に

観客からG−フォースのレコード・ジャケットを

破ってステージに放りだされるという

これ以上無い屈辱を味わってしまうのだ。

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これですっかり情熱を失くしたゲイリーはバンドを勝手に解散。

怒ったJETレコードはゲイリーがロンドンのマーキーで行ったライブを収録した

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『LIVE!』(ここに羽生君が使った『パリの散歩道』が入ってます)と

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スタジオ盤の『ダーティー・フィンガーズ』の2枚をリリースせずに

勝手にお蔵入りさせてしまうという暴挙に出たのだ!

裁判にまで発展したこの騒動は結局ゲイリーが多額の違約金を払う事で

JETレコードと決別!

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新たにバージンレコードと契約して心機一転リリースしたのが

『大いなる野望』である。

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これが本国イギリスよりも日本で大ブレイク!

ロックの名盤なるたぐいの書籍の99、9%がこのアルバムを

『ゲイリー・ムーアの名盤』
と絶賛!

脅威の速弾きと泣きのフレーズに魅了され、多くのギター・キッズがゲイリー・ムーアに憧れた。

『リフより先にまずメロディーを書く。強調すべきなのはまずメロディーで

それに合せてリフやコード、バッキングループをつけていく。

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ギター・ソロは最後の最後に考えるんだ。

速く弾く事、派手に弾く事だけが重要だと思ってるようだが

それは無に等しい。

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1日中練習すれば誰だって一番速いギタリストになれる。

でも個性的で感情豊かなギタリストにはなれない。

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自分自身のスタイルを持つこと

誰が弾いてるのか認識できるような音を出すこと

大切なのはフィーリングだ。』

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1983年には待望の初来日を果たし

新宿厚生年金会館で行われたコンサートの模様は

『ロッキン・エブリナイト・ライブ・イン・ジャパン』に収録。

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日本のみの限定発売で、僕が初めて聞いたゲイリーのアルバムであり

一番好きなアルバムでもある。

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当初は2枚組の予定が、収録時間とミックス・ダウンの関係で1枚だけの発売となったが

その裏で、このライブのブート盤がとんでもない売上げを記録!

日本公演のチケットは即日完売でダフ屋で売られていた最前列のチケット

定価3800円のものがナント!

12万円!!

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もはや異常とも言える人気に目をつけたのがJETレコード!

例のお蔵入りさせた2枚のアルバムの販売権を多額な金額で日本に売り

それをソニーが『幻の音源』と銘打って次々リリース!

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次回作が出る迄少なくとも2年のブランクが当たり前だったハード・ロック界で

ゲイリーのアルバムは毎年のようにリリースされ

そのどれもが期待を裏切らない名盤ばかりだった。

顔はブルドックみたいだったけど(笑)

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1990年からはハード・ロックを封印し、ブルースに転向。

2011年2月6日に休暇中のスペインで

心臓発作で死去。

58歳でした・・・・

そんなゲイリーの最高傑作は誰が何と言おうと

『さすらいの日々』

さっきの『ロッキン・エブリナイト・ライブ・イン・ジャパン』に収録されていて

11分55秒と見た目長いが、聞くと長さは全く感じさせない

ゲイリー・ムーア最高のロッカ・バラード!

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♪雨の中、涙のしずくを数えてきたんだ・・・♪

という歌詞に胸がしめつけられ

2度にわたる魂のギターソロはあまりの速弾きに脳がついていけず

これをライト・ハンド無しのオール・ピッキングで弾いているのかと思うと

鳥肌が立ちっぱなしである。

そんなゲイリーが雑誌のインタビューで麻里ちゃんと対談。

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バージン・レコードの日本での配給先がビクターだった事もあって

ゲイリーから楽曲提供されたのが3曲目の『LOVE LOVE LOVE』

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曲じたいは『大いなる野望』の頃に作っていて

自分でも歌っているので麻里ちゃんの為に書下ろした新曲ではありませんが

♪ズン、ズン、ズン、ズン・・・・♪

という大好物のリフが空腹の胃袋を刺激!

てっきりゲイリー・ムーアが自分でギターを弾いてると

長きに渡って信じ込んでいたが、実際弾いているのが

松本君だったと知った時の衝撃は

『外科医の写真』と言われたネッシーの写真が

おもちゃの潜水艦にのっけたヘビの模型だったと

知った以上にショックだった。

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ショックと言えばこのアルバム、ジャケットはイマイチだし

楽曲も『LOVE LOVE LOVE』と、心が泣ける美しいバラード

『ハーティ・マイ・ソング』の2曲しか食べる所が無い。

それは大きなお皿にゾウのホクロみたいな肉しかのってない

フランス料理みたいなもので、全く食べた気がしなかった。

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ちなみに・・・・

今、テレビで見ない日はないぐらい出まくっている坂上忍君は

麻里ちゃんより1年も前にゲイリーの『LOVE LOVE LOVE』をカバーして

『愛を見失う前に』というタイトルで歌ってました。

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興味ないので聞いてませんけど(笑)

次回も浜田麻里!



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アルバム発売1985年12月21日
最高16位
売上 6、5万枚(LP、カセット、CD)

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日本のロック名盤なるたぐいの書籍の99、9%が

『浜田麻里の名盤』

として取り上げているのがこのアルバム。

その事について異議申し立てをするつもりは毛頭無いが、その確率たるや

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ラーメン屋で『餃子』を頼む確立と同じではナイカ!

と、いうワケで今週も浜田麻里!

アルバムタイトルにもなってる

『ブルー・レボリューション』(最高42位 売上1万枚)

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は、ファンの間では通称『ブルレボ』と呼ばれ、30年以上もの長きに渡って

親しまれてきた麻里ちゃんの代名詞であり代表曲であり

定番中の定番!

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『初めはアルバム・アーティストとしてのイメージを定着させる為に

シングルはリリースしていなかった。

そんな中で初めて出したシングルがこの曲。

その分気負いもあったが

今ではコンサートには欠かせないナンバーになっている』


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デビューから2年以上も経ってようやくリリースされた初のシングルで

後にソウル五輪のテーマとなった『ハート・アンド・ソウル』や

初のオリコン・チャート1位に輝いた『リターン・トゥ・マイセルフ』

マツコ・デラックスが大好きな『ノスタルジア』といった最強のレパートリーを持ちながら

ライブのセットリストから戦力外通告を受ける事も無く

今でも歌われる麻里ちゃん看板メニュー!

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のっけから繰り返されるへヴィなリフから一気に爆発するイントロと

♪ぶぅ〜れーぼ、りゅっしょん〜♪

をリフレインする麻里ちゃんのハイトーン・ボイスは

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餃子をひと口で行ってヤケドをし、あわててルービーを流し込んで涙目になったような

感動が味わえる名曲!

ちなみにB面の『ハートレス・ウーマン』は未だCD化されてませんが

特におススメはしません。

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そのかわり『ブルレボ』のPVは小走りする麻里ちゃんが可愛いので

見る価値有りです!

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価値があると言えば『ストーミー・ラブ』!

これは麻里ちゃんと松本君が唯一共作した曲で

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3枚のアルバムに参加して全ての楽曲でギターを弾いてるにもかかわらず

松本君と一緒に曲を作ったのはこの曲だけ!

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クオリティに関しては絶対に妥協しない麻里ちゃん。

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気に入らなければ、例えボン・ジョヴィの曲だって平気でボツにするお方ですから

作曲/浜田麻里・松本孝弘

というクレジットが存在するだけでも貴重な曲です。

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クレジットと言えば、2曲目の『へルター・スケルター』の作詞作曲は

レノン/マッカートニー!

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ビートルズの楽曲の中で最も激しい曲と言われ

へヴィ・メタルの元祖とまで言われている曲!

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タイトルの『へルター・スケルター』は訳すと

『しっちゃかめっちゃか』

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今となっては

『アルマーニじゃあるまいに』

『トイレ、行っトイレ!』

『よっこい庄一』

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と言ったオヤジギャグを愛する団塊の世代でも

日常でほとんど使われない日本語でしょう。

しかしながら実際に聞いてみると、子憎たらしいダミ声ビブラート&シャウトを

繰り返す麻里ちゃんの歌いっぷりはまさに

『しっちゃかめっちゃか』!

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実はこの曲、麻里ちゃんがデビュー前から既にライブで歌っていた曲で

麻里ちゃんの世に出た楽曲の中で、最も古いナンバーなのだ!

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ちなみに麻里ちゃんがカバーしたのはビートルズのカバーではなく

ビートルズの曲をカバーしたパット・ベネターのカバー!

ややこしいが・・・・・。

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今回ゲストとして参加しているのがラウドネスと双璧の人気だった

VOW WOW(バウワウ)のキーボード、厚見玲衣!

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『ラブ・トライアル』の間奏で繰り広げられる厚見VS松本君の掛け合いは

才能と最脳のぶつかり合いで

最終コーナーでミスター・シービー並みに突っ込んでくる

麻里ちゃんのウルトラ・ハイトーン・ボイスはブっチギリの強さです!

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他にも、距離が足らなかった『横浜マラソン』と違って

最後迄ガッカリさせない『アナザー・ウェイ』や

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♪ズン、ズン、ズン、ズン、ズン♪

の大好物リフがハバネロ並みに効いてる『エンプティ・ハート』も

『まいうー』なのだ!

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そしてアルバムの最後を飾るのはまさかの2曲目のカバー!

『ホワット・アバウト・ラブ』

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オリジナルは麻里ちゃんが敬愛するハートの大ヒット曲で

ボーカルは『女ロバート・プラント』と言われたアン・ウィルソン(姉・右)と

ギタリストのナンシー・ウィルソン(妹・左)

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それまでパッとしなかったハートがこの曲を収録したアルバム『HEART』で

全米1位、売上げ500万枚という大ヒットを記録!

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ちなみにプロデューサーは『イン・ザ・プレシャス・エイジ』で

麻里ちゃんのオファーを断わったロン・ネヴィソンだったりする。

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このハートが売れるキッカケにもなった『ホワット・アバウト・ラブ』が

ヒットしたのが『ブルレボ』がリリースされる半年前・・・・

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まさかのリアルタイムのヒット曲のカバーに

『アタシだって負けてないわ!』

と、言わんばかりに

これといったアレンジもせず、原曲そのままで戦いを挑んだ

麻里ちゃんのチャレンジ・スピリットは

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阪神ファンが集まる居酒屋に巨人のユニフォームを着ていくようなものであり

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宇都宮で買った餃子を浜松で食べるようなものである

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身も声量もヘビー級なアン姉ちゃんの地響きボーカルと

軽量級ながら国内最強のハイトーン・ボイスを持つ麻里ちゃんの

どっちが美味しいか聞き比べる楽しみも兼ね備えたこのアルバムは

2人前は軽く行ける

羽付き餃子の最高峰です!

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最後に『空耳アワー』から一句・・・・

♪ぶぅ〜れーぼ、りゅっしょん〜 しのびよる〜

父のいたずらに〜

密かに心はサティスファクション〜♪

正しくは『未知のいたずら』です(笑)

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次回はちょっとだけ麻里ちゃん!


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