もうすぐ誕生日(8月18日)のKEIKOさんの
早期復活を祈って今日はglobeです!
☆KEIKO(やまだ けいこ)1972年8月18日生まれ
大分県臼杵市出身 A型 B85 W58 H88
幼少時代は演歌が好きだった父親の影響を受け、地元のちびっ子のど自慢では
松村和子の『帰って来いよ』を歌って優勝。
その後、歌手を夢見て数々のオーディションを受けるもことごとく落選。
高校卒業後は実家(山田屋という地元では有名な老舗旅館)を
継ぐ為にホテルで接客業を学ぶも夢は捨てきれず
自分の誕生日の夜にカラオケで歌いまくってると
『やっぱり歌を唄っていきたい』
と、再確認。
『デビュー』というオーディション雑誌に載っていた『AVEX』と『小室哲哉』の名前に
『これだ!』
と、直感した彼女はすぐに応募。
当時住んでいた大阪大会は終わっていたが最後の福岡大会がまだ残っていた。
1994年、小室哲哉主催の『新人女性シンガーオーディション』に出場したKEIKOは
ステージの上から観に来ていた姉に手を振った瞬間
檀上からものの見事に落下!
一瞬会場は凍りついたが、すぐに這い上がって
課題曲だったtrfの『EZ DO DANCE』を歌いきったのである。
その根性が小室哲哉の目に留まってglobeのメインボーカルに大抜擢!
ちなみにこの大会の司会をしていたのがマーク・パンサーで
当初はKEIKOとマークの2人でデビューする予定だったが
『寂しかったから』
との理由で小室哲哉も急きょ参加して
globeを結成。
デビュー曲の『FEEL LIKE DANCE』は
1995年8月9日発売
最高3位、 売上 95、2万枚を売り上げ
『ハチク=破竹の勢い』
という縁起を担いで8月9日にあえてリリースされた。
『僕がずっとやりたかったものを凝縮した曲
僕の持ってるあらゆる要素が入っている』
この曲をフューチャーしたファースト・アルバム
『globe』(1996年3月31日発売)は
発売されたその日に100万枚を突破!
オリコン・チャートでは合計6週に渡って1位となり
1996年度の年間アルバムで文句無しの1位を獲得。
1997年4月26日、累計で遂に400万枚を突破して
当時の日本新記録となった。
恐ろしいのは翌年にセカンド・アルバムが発売された
(これも300万枚突破の大ヒット)
にもかかわらず、まだファーストアルバムが
売れ続けていたって事です。
そんな数々のヒット曲があるglobeの中でも一番衝撃を受けたのが
『TRY THIS SHOOT』
この頃のglobeはトランス路線に移行した頃で
スリリングのてんこ盛りでメチャクチャカッコ良かった。
もっと良かったのが居ても居なくてもいいマークのおしゃべりが少なくて
KEIKOの伸びのあるボーカルが冴えわたる
高速道路ブっ飛びソング!
特に3分32秒からのたたみかけは小室哲哉の真骨頂を見た。
これぞglobeの神曲!
飛ぶ鳥を落とす勢いだったglobeの魅力と言えば
やっぱりKEIKOのボーカルでしょう。
凄い美人ではないが、ガッキーに似ているルックスと
(ソックリ!)
排気量が段違いのモンスター声量と脅威のハイトーンでしょうね。
高いキーが大好きな小室の要求に応え次々とG難度の曲を歌いこなしてきたKEIKO。
『歌に関しては誰にも負けない!』
歌う事が大好きで、決して自信過剰にならず、歌の為の努力は惜しまない。
『歌う事で楽しさは何倍にもなって楽しめた。』
当時はゆずの北川悠仁(後にアヤパンと結婚)と真剣交際をしていたが
教祖様でもある母親の猛反対に合いあえなく破局。
落ち込むKEIKOを支えたのが吉田麻美とできちゃった婚をしたものの
10ヶ月というスピード離婚をしたばっかりの小室哲哉だった。
13歳年上でバツ2の小室哲哉と初婚のKEIKOの結婚を知った時は
もの凄く微妙な気がしたのを覚えている。
本当に『愛』があっての結婚か?
5億円とも言われた披露宴は(実際は1億5千万円)
新高輪プリンスの『飛天の間』で行われ
TBSがテレビ中継した。(視聴率15、5%)
結婚式の2次会で行われたビンゴゲームでは勝った人に
フェラーリをあげてしまう太っ腹の小室。
『貯金通帳は10ケタまでしか表示されないから
自分がどれだけ貯金があるのか途中からわからなくなりました』
と、我々が一生見る事のない100億円という貯金を持っていた男・・・・。
絶頂期の年収は2年続けて20億円以上。
さらに著作権料と印税が毎年黙ってても2億以上入ってきていた。
家賃300万円の都内の超高級マンションに住み
カルフォルニアに6億、オアフ島に1億、バリ島に2億の家を持ち
その他にLA、ハワイ、バリ、マリブ等のリゾート地には
レコーディングスタジオを併用した別荘に豪華クルーザーを停泊させ
最高級のベンツやフェラーリ(F355スパイダー)等、高級外車を何台も並べていた。
渡航する時はファーストクラスを全席、ホテルのスイートルームはフロアごと貸切り
ブランドショップへ行けば店の商品を丸ごと買い占める王様ぶりで
さらに世界にたった25台しかないベンツCLK-GTRを2億5千万で購入し
一度も公道を走らせないまま倉庫に保管しているだけという贅沢っぷり。
また、母校の早稲田実業には10億円をポーンと寄付!
現在でも敷地内には『小室哲哉記念ホール』なるものがあり
小室氏の金の手形と直筆のサイン、それにステージ上には『YAMAHA』の最高級ピアノ
1000万円様がドーンと鎮座している。
また、trfにはクリスマスプレゼントとしてメンバー全員に1000万を。
globeのメンバーにはグローブの語呂に合せて
962万円がプレゼントされた。
そんなバブリーな生活も2008年11月に5億円詐欺事件で逮捕されてからは一転!
100億もの貯金をたった10年で使い果たしたどころか
逆に億単位の借金を抱えてしまった小室哲哉。
『KEIKOに苦しい、つらい、厳しいという思いをさせたくなかった。
破たんの直前まで思い切り楽しませてやりたかった』
しかしそのKEIKOも2011年10月24日に自宅で倒れ都内の病院に緊急搬送。
病名はクモ膜下出血だった。
最初の出血で1/3が死亡。さらに血管攣縮や再出血の影響で4週間以内で半数が
10年以内で60%〜80%が死亡すると言われている。
仮に救命出来ても、後遺症が残る例が多く、完全に治癒する確率は
クモ膜下出血を起こした人の中で
たったの2割と言われている危険な病気なんだそうだ。
幸い発見が早かった為に大事には至らず、会話もできるし、文字も書けるとの事で
高次脳機能障害の後遺症が残ることはないそうだ。
現在は自宅療養中とのこと。
気になる病状だが、『女性セブン』によると
KEIKOは自分が歌手だったことも覚えておらず
音楽をかけると『気が散って疲れる』と、音を嫌がるようになってしまったんだとか。
名前を紙に書いても直後には書いた事を忘れてしまう状態で
その後のリハビリで記憶障害は多少改善されてきたというが
昔の事は覚えていても最近の事はすぐに忘れてしまうらしく
これでは新曲どころか往年のヒット曲すら歌う事も出来ないという。
最近は美容室へ行ったりネイルサロンで爪の手入れをしたり食事に出たりと
以前のような生活を取り戻そうとしているが
仮に順調に回復したとしても歌えるようになるまでには
まだ数年はかかると言われている。
誕生日にカラオケ歌えば思い出すかもしれない・・・。
かつてはベンツやフェラーリを乗り回していた小室哲哉も今はママチャリと原付きで移動。
『ノドが渇いた』と自販機でジュースを買おうとすると
『小室さんダメですよ!』
と、監視役が飛んできて持参したお茶を持ってくるという。
小室さんていつの間にそんな人生になっちゃたの?
私はF40こそ買えないが・・・
ジュースなら買える!
さらに給料日が来れば
こんな豪遊だってできるのだ!
こんなのUPしてたら本当にノドが渇いてきた。
それはそうと、お盆のせいなのか
ネットが全然繋がらないんですけど!!