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女子気合注入歌

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思わず気合が入る曲を中心にレビューしてマス!
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1988年2月26日発売
最高62位
売上 1、6万枚
作詞/富田京子 作曲/奥居香

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見ようによっては全員が可愛いく見えるプリプリ。

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ガールズ・バンドとしては日本で最も成功したバンドであり

初めて東京ドームでライブを行った

最初で最後のガールズ・バンドでもある。

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そんなプリプリも元は『赤坂小町』という名前でアイドル・バンドとしてデビュー。

『TDKレディース・バンド募集!新・ビートルズ神話誕生!』

1983年、このキャッチ・コピーを見てオーディションを受けた5人。

各パートの優勝者(富田は2位だったが1位が辞退したため繰り上がり)

奥居(ベース)、中山(ギター)、渡辺(ギター)、今野(キーボード)富田(ドラム)

で結成されたのが『赤坂小町』

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ボーカルは一番若いから!という理由で奥居に決まり

持ってたベースは渡辺にチェンジして

1984年3月『放課後授業』でデビュー。

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事務所のコンセプトは

楽器を持ったキャンディーズ(笑)!

聖子ちゃんカットにフリフリのミニスカートで

♪コアラぼ〜い、コッキイ!♪

なんて歌ってたワケである。

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しかもデビューコンサートはなんとボーリング場!!

その後もTDKのテープ工場、スーパー、デパートの屋上でコンサートをする日々。

レコードは売れず、オーディションを企画して『赤坂小町』をプロジェクトした責任者が異動。

すっかり事務所のお荷物になった『赤坂小町』は何のバックアップもしてもらえず

結成から1年も経たないうちに自然消滅。

今度は自分達のやりたい音楽をやろう!

と事務所を移籍し、バンド名を『ジュリアン・ママ』に変えて再出発。

合宿生活を通じて5人は誓いのピアスを開け、昼も夜も練習に明け暮れた。

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このジュリアン・ママ名義でのリリースは無かったが

当時、ライブのオープニングとしてかけていたのが

ジョニー・ティロットソンの『プリンセス・プリンセス』という曲だった。

ここから名前を取ってバンド名を『プリンセス・プリンセス』に改名。

丸3年の下積時代を経て

1987年4月22日『恋はバランス』で再デビュー!

しかしながらオリコン・チャート200位にも入らず。

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作詞はギターの中山加奈子だが作曲は鈴木サブロー。

当時、メンバーは部外者が作曲した曲をリリースする事にかなりの抵抗があったらしく

この曲を最後にメンバー自身が作詞作曲した作品をリリースする事にこだわり続けた。

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セカンド・シングル『世界で一番熱い夏』は、元々杉真理のオムニバス・アルバムに

収録されていた曲で、ここからシングル・カットされたがこれまたチャートインせず。

2年後、プリプリがブレイクした後にファンからの強い要望で再リリースされると

86、5万枚の大ヒット!

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これは一番売れた『DAIAMONS』(109、7万枚)に次いで2番目に売れたシングルである。

サード・シングルとなった『MY WILL』はスキー用品でおなじみのヴィクトリアのCMに起用された。

1987年11月21日『MY WILL』発売 
最高75位 売上 1、6万枚

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このCM効果もあってプリプリの知名度は徐々に上がり

1988年2月26日、シングル『19 GROWING UP』と

アルバム『HERE WE ARE』同時リリース!

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アルバムのタイトルの意味は

『アタシたちはここにいるよ!!』

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誰もが認めるプリプリの最高傑作であり、彼女達のスピリッツが散りばめられた

ガールズ・バンドのバイブル!!

そして1曲目に入っている『19 GROWING UP』は

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プリプリの代名詞でもあり

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ライブでは大盛り上がりのコンコンちきナンバーで

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気合注入しすぎてこぼれるくらい元気薬がもらえます。

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2012年、東日本大震災をきっかけに16年ぶりに集結。

1年という期間限定の再結成だったにもかかわらず

ガールズ・バンドとしては初の東京ドーム公演を成功させ

大晦日の紅白を最後に再び散って行った。

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プリプリを超えるバンドは二度と出て来ないでしょうね。

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1989年2月1日発売
最高13位
売上 15、1万枚
作詞/安藤芳彦 作曲/寺田恵子、五十嵐美貴

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バンド名は居酒屋の『庄や』からとったというSHOW‐YA。

てっきりボーカルの寺田恵子がリーダーなのかと思ってたらキーボードだった。

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ハード・ロック・へヴィ・メタルという支持されにくいジャンルで

日本で一番成功したガールズ・バンド。

プリプリやレベッカの後釜は掃いて捨てる程出てきたが

SHOW‐YAに続くバンドは未だに出てきておらず。

メンバー全員50歳という年齢にもかかわらず、デビュー当時のオリジナル・メンバーで

アルバムやシングルをリリースしているのは世界中探してもSHOW-YAだけ!

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デビュー当時こそ、ショートカットにミニスカートというアイドルっぽい恰好で

サウンドもポップなのかロックなのか、イマイチパッとしなかったが

1987年の名盤『トレード・ラスト』を機に、徐々にハードな路線に変更。

寺田姐さんのゴージャスな衣装とパワフルなボーカルに

野郎もビックリの高度な演奏テクニック!

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1989年、アイルトン・セナとプロストが出ていた『昭和シェル石油』のCMに

『限界LOVERS』が起用されるとたちまち話題となり大ヒット!

かのマイケル・シェンカーの『キャプテン・ネモ』を彷彿させる

強烈なリフとド迫力なサウンドはSHOW-YAの代表曲となった。

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ちょうどこの曲が流行っていた頃、偶然にも横浜でSHOW−YAの無料ライブがって

たまたま座った席の横を、ツェッペリンの『移民の歌』のテーマに合わせて

姐さんが歩いてきた。

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手を出せば触れられるぐらいの超至近距離を

軽く微笑みながら獲物を仕留めるようなハンターの眼で優雅に通り過ぎて行った。

胸にはトレード・マークの薔薇のTATTO!

全身から強力なオーラが出まくっていて、誰も声を掛けたり触ったりする人はいなかった。

ライオンのたて髪のようなロック・ヘアーに下着に鋲を打ったコスチューム。

そのナイス・バディに見とれていると、いきなり爆音と共に

『限界LOVERS』のイントロが流れてきた。

1曲目からこれか!!

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生涯タダで見たライブの中で最高のライブでした。

そう言えば昔、姐さんはこんな事を言ってました。

『結婚はいつしてもいいけど、子供を生む時はメンバー全員一斉に!

1年おきに妊娠されたらライブができなくなるから!

なんてったてウチらステージ命のバンドですから!』

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おかげでメンバー5人中、結婚したのはキーボード兼リーダーの中村美貴だけで

あとは未だ独身!

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一時はSHOW-YAを脱退した姐さん。

売れた事によって過酷なスケジュールに追われ

『これでいいのか?』と、自問自答を繰り返す毎日。

テレビから流れてくる音楽さえ聞けないくらい音楽がキライになっていたという。

歌う事を止め、普通の生活をしようと実家に帰り

ケーキ工場で働く為に履歴書迄書いていた。

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そんなある日、友達に誘われてカラオケBOXに行くと

友達がSHOW-YAの曲を入れて歌いだした。

『止めて!!』

拒絶反応を起こす姐さんに友達は

『やっぱ、ダメだ・・声出ない・・・

ここの所の歌い方が解らない・・・

ねぇ、ここ、どうやって歌うの?』

と、マイクを渡した。

教えるつもりで歌ってみると、急に涙があふれて止まらなくなった。

やっぱり自分は歌が好きなんだ・・・。

そこで立て続けに30曲歌った姐さんは

限界(死ぬ)まで歌い続ける!

と、再びミュージック・シーンに舞い戻ってきたのでした。

昨年、再結成後初となるオリジナル・アルバムをリリース。

そして2013年7月には23年ぶりとなるニュー・シングルも発売。

年末には今まで出した全てのシングルをライブで演奏する

『熟女なめんなよ!歳忘れ暴れ倒しGIG!

を敢行!

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見よ!!

熟女(50歳)とは思えないこの

煩悩フル回転のビジュアルを!!

こんなのナマで見たら

♪BACK TO THE FIRE〜!♪


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1986年1月22日発売
最高1位
売上 44、5万枚
作詞/川村真澄 作曲/小室哲哉

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☆渡辺美里(わたなべ みさと) 1966年7月12日生まれ
東京都出身 O型

幼少の頃から歌が大好きで、お玉やしゃもじを

マイク代わりに持って歌っていた小学生の頃

『私、歌うたいになる!』

と、歌手になると決めた美里嬢。

高校でラグビー部のマネージャーをしていた時に

第3回ミス・セブンティーンコンテストに応募。

応募総数が歴代最高の18万人で、後のおニャン子メンバーとなる

国生さゆり、工藤静香、渡辺満里奈

等がおり、『ミスコン』始まって以来のハイレベルな戦いになった。

(ちなみにグランプリは綱浜直子と松本典子。)

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檀上で

『何かセリフを言って下さい』

と、言われた美里は

『なめたらいかんぜよ!』

と吐き捨て、好きなアーティストを聞かれると

『セックス・ピストルズ!』

と答え、意表を突いた。

高校の先輩だったEPOの『土曜の夜はパラダイス』を歌って

本来は無かったが彼女の為にその場で作られた

最優秀歌唱賞を受賞。

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受賞後は同じ事務所の先輩である白井貴子のラジオに

『白井貴子の妹分』として出演するも、デビューはなかなか決まらなかった。

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高校の卒業式が終わった後、青山で信号待ちをしていると目の前に

所属事務所の社長が乗ったタクシーが止まり

『美里!これからレコーディングだ!』

と言われ、そのまま同乗してスタジオへ。

そこでいきなりデビュー・シングルのレコーディング。

まさか高校の卒業式の日がボーカリスト渡辺美里のスタートになろうとは

思ってもみなかったという。

その時レコーディングしたのが

『I'M FREE』
1985年5月2日発売

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ケニーロギンスのカバーでB面はエイジアのカバーという

オリジナルゼロのデビュー曲だった。

オリコン200位にすらランクインせず、売上げ枚数も記録無しである。

3ヶ月後にリリースされたセカンド・シングルこそ

渡辺美里のデビューシングルと言うべきだろう。

元気丸出しの気合注入ソング!これぞ美里の本領発揮であった。

なぜこれをデビュー曲にしなかった!!

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『GROWIN’UP』
1985年8月25日発売
最高 83位
売上 4千枚

そして同年10月に待望のデビューアルバムがリリース。

この大きな瞳の印象的なジャケットに心を奪われ

パワフルでカリスマ性のある彼女の歌いっぷりは

こんな娘が日本にいたか!!

と、驚いたのを昨日のように思い出す。

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『EYES』
1985年10月2日発売
最高 4位
売上 19万枚

楽曲提供はレコード会社が同じだった大江千里と先輩の白井貴子。

それに全くの無名だった小室哲哉と木根尚登。

まだデビューもしてなかった岡村靖幸は歌手というより当時は作曲家として

活動しており、美里のレコーディングスタジオに楽曲提供の為やってきた岡村が

たまたまスタジオに流れていた音楽に身をゆだね、即興でダンスを踊ると

『わぁー!岡村君すご〜い!』

と、美里が絶賛!

岡村靖幸はこれがキッカケで歌手デビューしたのである。

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裸足でダンスをしながら固定マイクをわし掴みにして

レコーディングしたというこのアルバムは

美里の原点であり最高傑作でもある。

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『EYES』のリリースから2ヶ月後、サード・シングルがカット。

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『死んでるみたいに生きたくない』
1985年12月5日発売
最高 77位
売上 5千枚

ピョンピョン飛び跳ねて全身全霊で歌う彼女の姿は

まさに女版『尾崎豊』であった。

『私は白井貴子ではない。レベッカのNOKKOでもない。

みんなそれぞれに努力している。それでいいじゃない。

比較されるのはイヤだ!』

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年が明けて1986年、真子ちゃんの妹の石野陽子の女優デビューとなった

TBSのドラマ『セーラー服通り』の主題歌に『MY  REVOLUTION』が起用され

初のオリコン1位を獲得する大ヒット!!

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美里のシングル史上一番売れた曲で、小室哲哉の名前を一躍有名にした曲でもある。

『こんな曲ができたんだ・・・』

そう言ってわざわざ美里のいるスタジオまでやってきた小室は

その場で自らピアノを弾いて聞かせたという。

曲の途中で3回も転調するこの曲は

『元々別々に作った2つの曲をサビでつなぎ合わせた』

という迷曲。

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初めて聞いた美里は鳥肌がたち

『この曲をずっと私が歌っていきたい・・・』

と感激したという。

『決して頑張れ!という曲では無く、歌う度に胸がキュンとして

ドキドキするし、元気が出る曲!』

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美里がデビュー前から出演していたラジオ『MBSヤングタウン』で、当時はまだヒット曲が無かった為

『レコードを買ってジャケットを番組に送ってくれたら

全てサインをして送り返す』

という企画を実施していたが、この曲の思わぬ大ヒットで

とんでもない数のジャケットが送られてきたとか・・・(笑)。

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作曲家の宮川泰は

『ここ10数年の間で、こんなにエネルギッシュで

パワフルで斬新な曲を聞いた事がない。

なんて素晴しいんだろうと思った。それくらい衝撃的だった・・・』

また米米クラブの石井竜也は

『ロック界の美空ひばり』

と、彼女を賞賛した。

その勢いのまま5枚目のシングル『TEENAGE WALK』をリリース。

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1986年5月2日発売
最高5位
売上 19、8万枚

その夏、待望のセカンド・アルバム『LOVIN’YOU』を発売。

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1986年7月2日発売
最高1位
売上 31、8万枚

これは10代の女性アーティストが

初めて2枚組のアルバムをリリース

したという今でも破られていない記録を作ったアルバムで

『いい曲が集まったから1枚にするのはもったいない』

という単純な理由で2枚組になった。

大ヒットシングル『MY REVOLUTION』はもちろんの事

美里のバラード最高峰の名曲

『LOVIN’YOU』はここに入っている

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1986年7月21日、アルバムからのシングル・カット『LONG NIGHT』発売

この曲で初めて『夜ヒット』に出た美里は番組の企画で

松原高校でマネージャーをしていた時の顧問とごっつい部員達とご対面。

感激の涙を流すどころか

メチャクチャ不機嫌になって怒ってる美里が可愛いかった・・・・。

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最高11位 売上 6、3万枚

そしてこの1986年から始まった『西武球場ライブ』はラグビー用語の

『キックオフ』で始まり2005年の『ノーサイド』迄毎年欠かさず行われ

女性ソロ・アーティストとしては

史上初の20年連続という前人未到の記録を持っている。

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もともとはラジオ番組の打ち合わせでリスナーから来ていたハガキを読んでる時に

スタッフから『夏に西武球場でコンサートやれるんだけど、やってみる?』と聞かれ

『やってみたい』と、軽い気持ちで受け答えしたのがそもそもの始まり。

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そんな『西武球場LIVE』の中で、伝説と言われ多くのファンの間で語り継がれてているのが

『1989年の西武球場ライブ』

この日は開始からすぐに豪雨と雷でどしゃぶりとなった。

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それでもライブは続けられていたが前半終了時に消防署と警察が来て

『雷が落ちたら危険なので即刻中止してください』

と、言われ止む無く中止に・・・・

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美里は泣きながら叫んだ。

『青春のバカヤロー!』

『雨のバカー!』

1986年10月22日『BELIEVE』発売

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最高2位 売上 20、6万枚

『セーラー服通り』に続く『〜通り』シリーズの第2弾、『痛快OL通り』の主題歌で

主演は沢口靖子。相手役は小堺一機でラストはこの不釣り合いな2人の

キス・シーンが話題となった。

1987年5月2日『IT'S TOUGH』発売

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最高2位 売上 14、9万枚

この曲で後にSPEEDを手掛ける伊秩弘将が作曲家デビュー。

起用のキッカケは渋谷エッグマンのデモ審査に落選したにもかかわらず

『俺が落ちるワケがない!』とライブを敢行。

その時の音源が美里のスタッフの耳に入って彼の才能は認められたのだ。

伊秩弘将は1987年7月15日発売のサード・アルバム『BREATH』にも楽曲を提供。

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最高1位 売上 11、6万枚

今回から松原高校の先輩だったギタリストの佐橋桂幸(嫁は松たか子)と

キーボードの清水信之(嫁は元・平松愛理)、更にはアレンジャーに

後の宇多田ヒカルをプロデュースする西平彰が参加。

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1987年12月9日『悲しいね』発売

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最高2位 売上 17、5万枚

年が明けた1988年4月21日に発売された10枚目のシングル

『恋したっていいじゃない』にはビックリした。

曲ではない。

この美少女すぎるジャケットにだ!!

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最高2位 売上 24、6万枚

そして渡辺美里の世の中で言う最高傑作がコレ!

『戦後最大のポップス・アルバム!』

と言われた『RIBBON』

このキャッチコピーに偽りナシ!

1988年5月28日発売
最高1位 売上 74、8万枚

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通算4枚目となったこのアルバムで美里は絶頂期を迎えた。

とんでもなく豪華なライター陣!

作曲にTMネットワークが大ブレイクした小室哲哉と

松田聖子、河合奈保子、八神純子、山口百恵、中山美穂・・・等

数々のアーティストのアレンジをしてきた大村雅郎との黄金コンビに加え

新鋭の伊秩弘将と西平彰、前作同様、ギターは佐橋桂幸(嫁は松たか子)と

キーボードに清水信之(嫁は元・平松愛理)、さらには美里が片想いだった大江千里に

美里のおかげでデビューできた岡村靖幸も参加。

まさに美里ブレイン総登場!

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しかしながら美里をしっかり聞いていたのもここまで。

このアルバムの完成度があまりにも高すぎて

頂点を極めた後の美里は現状維持だった。

でも彼女の歌に何度も助けられ、勇気をもらったのは事実。

その歌声は今も衰える事なく最強であり

ヘタな風邪薬よりよっぽど効く!

美里の後に美里ナシ!!

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