幡野広志のブログ

写真家、猟師。 2018年3月 noteに移行しました、https://note.mu/hatanohiroshi

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最後の狩猟。

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狩猟シーズンが始まった直後にガンが発覚して2ヶ月、いまだにガンという漢字が書けない。
ショックで受け入れられていないとか心境の問題はなく、学力の問題だ。

入院や引越しを余儀なくされ慌ただしくなり、狩猟どころではなくなった。

僕のガンの自覚症状は激痛と体が急激に老いることだ。
激痛で横になることもできなくなり夜も眠れない。
ソファーに腰掛けて毛布にくるまり30分ぐらいの睡眠と痛みで目が覚めるというセットを夜中に繰り返す。

睡眠不足で思考力が低下することや痛みから解放をされたいという願いから自殺を考えた。
なんてことはない、山に行って散弾銃で心臓を撃つだけだ。
上手く誤射を装えば猟友会が加入するハンター保険で死亡保険金が3000万円おりる。

苦しさから解放されて家族にお金も残せる、悪くない。
他の狩猟者に迷惑がかかるとか家族が悲しむとかどうでもよくて、まともな心理状態ではいられなかった、それがガンだ。

ガン患者は健康な人に比べて自殺率が20倍も高い。
数値で見ても驚くが、自殺したい人の気持ちを死ぬほど理解できた。

「頑張れよ!」なんて言葉を耳でタコが死ぬぐらい聞いたけど「お前の20倍は頑張ってるわ!!」って思う。
それでも自殺しなかったのは、緩和ケアの医療従事者と強力な鎮痛剤を開発した研究者、それから家族の存在のおかげだ。

もう狩猟は辞める、鉄砲も所持する理由はない。
辞めるから言ってしまうけど僕は狩猟者が嫌いだ。

正確には鉄砲を所持することや狩猟が人生の全てのようにアイデンティティーにしている人が苦手だ。

死んだ動物の生殖器を切り取ってあそぶ狩猟者、若手や新参者や女性にハラスメントをする狩猟者、
マスメディアやSNSで他の狩猟者のミスを見つけては喜び、炎上させて陥れようとする狩猟者。
それらには必ず下品な笑顔がセットだ。

個性的というまろやかな言葉でも表現できるけど、自我が強く他者を認められない人が多い。
共通して言えるのは出る杭を一生懸命叩くことだ、狩猟以外に何も持っていないから自信がないのだ。

猟師の敵は警察でも動物愛護団体でも銃声に驚いて通報しちゃう住民でもない。

猟師の敵は猟師だ。

幸せなことに心から尊敬できる狩猟者とも出会えた、素晴らしい人格者もいる。
どんな世界でも尊敬できる人もいればカスもいる。
人格者は何やっても人格者だけど、カスは何やってもカスだよね。

命を扱うので良くも悪くも人格が現れるのが狩猟だと思う。
狩猟をやっているのではなくて狩猟に試されていると言った方が正しいと思う。

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退院して足の筋力も戻ってきたので最後の狩猟に出かけた。
気温は低いけどよく晴れて、木に積もった雪が溶けて落ちる音が綺麗だ。
車の窓を開けて獲物を探すと冷んやりとした風が頬にあたり気持ちいい、病室にはない風だ。

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同行した女性に双眼鏡を渡しカラスだらけの畑でキジを探してもらう。
彼女は畠山千春さんのニワトリ解体ワークショップに参加し、狩猟にも興味があるそうで将来は古民家で暮らしたいそうだ。
取材のような形で同行してくれた、こちらも万が一を考えると誰かがいてくれるだけで心強かった。
温かいお茶を淹れてくれた、美味しい。

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僕は5年間の狩猟生活でイノシシを獲ったことがない。
猟犬がいない単独猟が基本だから当然と言えば当然だ。
一度だけ見かけたことがあるが、慌てて発砲したので当たらなかった。

最後の日に運よく小さいイノシシと遭遇した、親とはぐれた子どもらしく警戒心があまりなく逃げない。

少し慌てて銃を取り出して弾を込める、外すかもしれないので3発装填する。
呼吸を整えてゆっくり構える、親とはぐれた子どものイノシシが自分の息子と重なる。
僕が死んだら息子のことは誰が守ってくれるのだろうか?

苦しめたくないので頭を狙い撃つ。銃声とともに殴られたような衝撃が肩と頬に届く。

自分がガンになり数年で死ぬことが確定してから、初めて動物を殺した。
嬉しさと切なさが混じる、初めての感情だ。

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最初で最後のイノシシが獲れてしかも女連れ、かっこいいところを見せられたと思う。

彼女の目がある分、冷静を保とうと頑張れる。

僕が死んでも妻は息子の目があるから気丈に振る舞うだろう。
そんなことを考えながら肉に変える作業を進める。

真っ白な雪が血で蹂躙される。
見慣れたのか、写真家としての感性なのか僕は美しく感じる。

内臓からは湯気が出るほど温かい。
彼女にも解体を手伝ってもらい内蔵に触れさせる、きっと一生忘れられない経験だと思う。

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次の日、鉄砲を処分した。

未練は全くない、むしろやりきった思いなので清々しい気持ちだ。

鉄砲はただの道具だ、大切なのはその道具でどんな経験するかだ。

カメラと写真の関係性にも似ている。
カメラはただの道具で、大切なのはどんな写真を撮るかだ。

だからこそ、素晴らしい体験をさせてくれた鉄砲に感謝している。


最近多くの人に狩猟を始めたきっかけを聞かれる。
2007年に公開された「into the wild」という実話を元にした映画がきっかけだ。

アメリカの大学を首席で卒業した青年が、人生の価値観はお金や社会的地位ではないと感じて旅に出る。
本当の幸せとは何か?いわゆる自分探しの旅だ。
普通に仕事をしていれば、彼はお金も社会的地位も得られた。

様々な人と出会いアラスカを目指し、そこで狩猟をして生活する。
彼は毒草を間違えて食べてしまい、ゆっくりと死んでしまうのだけど最後に幸せの答えを出す。

「本当の幸せは、それを誰かと分かち合えたときだ。」

彼が出した答えをゆっくりと死に向かう僕も同じことを考える。
ゆっくりと死に向かうというのは、死と対面して思考する時間ができる愛すべき時間だ。

短い人生になってしまったけど、狩猟を体験できたことは幸せなことだった。
狩猟は素晴らしい、価値観を広げ人生を豊かにしてくれた。

狩猟に試された僕は人格者だっただろうか、カスだっただろうか?
殺された動物からしたら自分を殺したただの狩猟者だ。
こんな発想自体おこがましいかもしれない、それでも考えることをやめたらただの思考停止だ。

狩猟に興味があると思っている人は是非やったほうがいい、多くの人に体験して欲しい。
やりたいことは“いつか”ではなくて、すぐにやった方がいい

人生は思いのほか短いかもしれないから。

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