Key(きー)さんです

言葉を大切にしない社会は、その基盤が徐々に崩れてゆく

国際問題

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最優先事項なのは私たちの子供たちを大切にすること。それにまさる責務はありません。それがきちんとできずしては、何事もまともにできるはずがないのです。この責務がきちんと果たされているかどうかが、私たちの社会の判定基準なのです。

しかしその基準でいえば、私たちは国民として、その義務を果たしているとしえるのでしょうか?率直にいって、子供たちを危険から守るために十分な行いをしているといえるのでしょうか?子供たちのために存在し、子供たちが愛されていると声を大にしていえるのでしょうか?われわれはこの国のすべての子供たちが、幸せに、そして目的意識をもって生きるに値する上での助力を行っているといえるのでしょうか?

私は事件が起きてからの数日、このことを考え続けました。率直にいえば、その答えは「ノー」です。私たちの行いは不十分です。何かを変えねばなりません。

私が大統領職に就いてから、銃乱射事件によって破壊された地域への集会に訪れたのは4度目です。4度、生存者を抱きしめました。4度、犠牲者の遺族を哀悼しました。その間、この国での銃撃での死亡者は絶えることがなく、毎日のように犠牲者の統計が発表され、しかもその多くは子供たちです。全米いたるところで町の大小を問わず、たいていその犠牲者の唯一の過失といえば、その場所とその時間にそこにいなければよかったというだけなのです。

もうこのようなことを見過ごすわけにはいきません。悲劇は終わらせなければならない。犠牲者のためにも、何か変えなければならないのです。こうした凶行の背景は複雑だという議論が何度もなされてきました。しかしそれは真実ではない。法律の一つや二つができようと悪は世の中からはなくない、この社会から理不尽な暴力をなくすこともできない、などという議論です。

しかしそれが不作為の言い訳になってよいはずがありません。確実に私たちは少しは社会をよくすることはできるのです。たとえ小さな一歩だとしても、子供や大人や地域社会を、トゥーソンやオーローラやオーク・クリークやここニュー・タウンで起きた悲劇から守るために、何かができるはずです。だとすれば、確実に何かをしなければならないのです。

今後数週間のうちに、私は職務上のいかなる権限をも行使して、法律家や精神医療専門家から親たちや教育者にいたるまで国民の皆さんに約束します。それは、今回のような悲劇が二度と起こらないことを目指し尽力することです。他の選択肢があるでしょうか?毎年のように子供にふりかかるこのような暴力が、自由の対価のようなものだなどと、胸を張っていえるでしょうか?

今日、世界中で信仰されている宗教のすべては、単純な問いかけが原点です。なぜわたしたちは存在するか。私たちの人生にはどんな意味があるのか。私たちの行いにはどのような目的があるのか。私たちの一生ははかないものです。そして私たちは一人一人がそれぞれ役割や楽しみや悩みをもっています。金銭や権力、または一時の快楽などの世俗的な目的を求めたとしても、多かれ少なかれ期待通りにはゆかないことが多いのです。どんなにやる気にあふれていても、挫折することもたびたびあります。失敗もするし困難にも突き当たります。正しい行いをしようとするときにでさえ、たいていは暗中模索しながら、神が与うものをみつけることがなかなかできません。

ただひとつ確実なのは、私たちができるのは、子供たちを愛し、家族を愛し、お互いに愛するということです。小さな子供を抱きしめるときのぬくもり。そこにはウソはありません。子供たちの思い出、子供たちから得られる幸せ、子供たちの目に輝く奇跡の光、子供たちに向けられる私たちの無限大の愛情、無私の愛情、そして自分こえた存在への結びつき。こうしたことこそがより重要なのです。正しいことをしていると確信できるのは、子供を育て、きちんと教育をし、慈しみの行いを示しているときこそなのです。それができれば、私たちが過つはずはありません。

それこそが唯一確実なことなのです。それこそが、ここニュー・タウンの皆さんがあらためて教えてくれたことです。みなさんをみて心をうたれました。何が大切なのかを示してくださいました。そしてこのことこそが、何事においても、私たちの日々の行いでの原点なのです。そうであってこそ、神が私たちが地上に存在する意義を見出してくださるでしょう。

イエス・キリストはこういわれました。「幼子たちを私のもとに来させなさい。妨げてはならない。天の王国は彼らのものなのだから」 (マタイによる福音書19:14)

シャーロット、ダニエル、オリーヴィア、ジョセフィーン、アンナ、ディラン、マドレーヌ、キャサリン、チェイス、ジェッシー、ジェイムズ、グレイス、エミリー、ジャック、ノーアー、キャロライン、ジェッシカ、ベンジャミン、アヴィール、アリソン

神はこの子たちを家に召したのです。残された私たちは、前に進む力を探しましょう。そしてこの社会を、あの子たちの生きた証に恥じないように努めましょう。

主の恵みを。亡き者たちが主の平安の地で常しえに住まわんことを。主の安らぎを願う我らに恵みを。そして主の恵みがこの地域とアメリカ合衆国に注がれんことを。

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12月14日にアメリカ、コネティカット州ニュータウンのサンディ・フック小学校で、無差別殺人事件が起きたことは日本でも報道されましたので、ショックを受けた方も多いでしょう。

殺された人の年齢で悲しみの度合いが深まるというのも本来はどうかと思いますが、それでも今回の事件では、何よりも6歳や7歳の子供たちが20人も殺されてしまうという酷さには、私も言葉を失う思いです。

アメリカの報道機関のサイトでは、亡くなった子供たちの写真が掲載されていますが、この子たちの写真をみていると、ただただいたたまれなくない気分となり、見るのさえ辛くなってきます。

見ず知らずの私でさえそうなのですから、遺族や近隣の人たちの悲しみは想像もつきません。

私は今回の事件だけではなく、前途や希望があった子供たちや若い人々が、事件や事故や災害などで命を奪われることには耐え難い気持ちを抱きます。しかも今回のような無差別襲撃事件の場合はなおさらです。

この事件をきっかけに、ついにアメリカでも銃規制が本格的に叫ばれるようになりました。しかしながら、たしかに銃の使用は、大量の殺人を引き起こすことに結びつきやすいですが、日本でも池田小学校の事件や秋葉原での事件のように、銃以外の手段での無差別殺人が起きています。

人間にはストレスが頂点に達すると、無抵抗の者に暴力でウサを晴らそうとする習性があるのでしょうか。そうだとすれば、どうしたら少しでもそのような習性が抑制される社会にしてゆくか。

私たち大人には、たとえ政治家でなかったとしても、そのことを真剣に考える責務があるのではないか、と思えてなりません。そうでなければ、大人と子供という区分けに従いとすれば、大人が存在する意義などはないと私は考えます。

その意味で、12月16日に現地を訪れ、通夜(Prayer Vigil)の場でスピーチしたアメリカ大統領、バラック・オバマの言葉に、私はいくつかの共感を覚えました。

彼は20分ほどのスピーチの中で、聖書を引用しながら、「子供を守ることこそが大人の最大の責務であり、そのために今こそ何かをしなければならない」と訴えました。

私はアメリカという国も、オバマという大統領も、手放しで賞賛するつもりは毛頭ないし、盲目的な憧れなどもっていません。むしろアメリカを批判的にみている部分も多々あります。

しかし、こうした悲劇のとき、市民や地域社会に寄り添う哀悼の姿勢をみせ、何よりきちんとした言葉で、反省と共に今後の決意を語る姿勢には大きな共感と感銘を覚えます。

そうした要素をほとんど見出せない日本の社会を、国民としてとても残念に思いますが、だからこそこのように感銘を受けた言葉は、以前同様の事件がアリゾナのトゥーソンで起きたときと同じように、言葉で残しておくべきだと考えました。そして、一人でもそうした姿勢に共感を覚える日本の人にも見てもらえればよいと考え、拙い訳文をこのブログに掲載します。


※以下はホワイトハウスからリリースされたスピーチ全文を私が日本語訳したもの
(原文→http://www.huffingtonpost.com/2012/12/16/obama-newtown-speech_n_2313295.html

知事、ありがとうございます。遺族のみなさん、救助にかけつけたみなさん、ニュータウンの住民のみなさん、聖職者のみなさん、そしてここにいらしたみなさん。聖書にはこうあります。「心を失うなかれ。外面的は衰えていこうとも、内側は日々生まれ変わるのだ。いっときの苦難は光を、そしてそれを上回る栄光をもたらす。だからこそ見えるものを見つめるのではなく、見えないものをみようではないか。目に見えるものはいっときにすぎないが、みえざるものは永遠のものだからだ。私たちが住まう地上の天幕が朽ちようとも、私たちには神から賜った家がある。それは天国のとこしえの家であり、人の手によるものではない家なのだ」(コリント人への第二の手紙より)

今日我々が集まったのは、20人のかけがえのない子供たちと、6人の立派な大人たちを偲ぶためです。みな学校で命を落としましたが、それは他の学校で起きてもおかしくはないことでした。善良な人々が暮らす静かな町で起きたことは、アメリカのほかのどこでも起こりうることでした。

ここニュータウンに私が来たのは、国を代表して愛惜と祈りをささげるためです。言葉だけでは、みなさんの悲しみを癒すには足りないことは十分に心得ています。みなさんの心の傷を癒すことにもならないでしょう。ただ願わくば、みなさんが独り悲しむのではないということを知っていてほしい。我々が住む社会そのものが破壊されてしまったのです。この国すべての人たちがみなさんとともに涙にくれています。みなが子供たちをしっかりと抱きしめました。そして知っていてほしい。どんなことでも慰めとなるようなことを伝えるつもりです。このたいへんな重荷を少しでも軽くできるよう、少しでも悲しみに共感したいと願っています。ニュートンのみなさんは決して孤立してはいないのです。

ここ数日のきびしい日々がすぎ、人々はみなさんの強さや勇気や自己犠牲についてを知りました。サンディ・フック小学校の講堂に危機が迫ったとき、学校関係者は決して怯むことなく、躊躇もしませんでした。ドーン・ホックスプラング、メアリー・シャーラック、ヴィッキー・ソートー、ローレン・ルーソー、レイチェル・ダヴィーノ、そしてアン・マリー・マーフィー。この人々は、他の誰であれ、あの恐ろしい状況下でそう対応すべきと願うであろう行動をとったのです。勇気と愛情をともない、子供たちを守るために命を捧げたのです。

教師の方々の中には、教室の中で人間の盾となり、毅然たる態度をとり続けたそうです。そして生徒たちにこういいました。「いい人たちが来るのを待とう。きっと来るから。そのときは笑顔で迎えよう」

そして「いい人たち」はやってきました。現場に急行した救助隊は、安全な場所へと彼らを誘導し、子供たちを落ち着かせました。責任感から、そして彼らを必要とするほかの子供たちのため、自分のショックやトラウマ状態は二の次と考えたのです。

子供たち同士もお互い助け合ったそうです。お互い抱き合い、子供たちがそうであるように指示にしっかり従いました。ある子供は大人を勇気付けようとしてこういったそうです。「僕はカラテが得意なんだ。だから大丈夫。みんなを助けるよ」

ニュートンのみなさんは、一つのコミュニティとして私たちに感銘を与えました。いいようのない凶暴さに直面し、どうしようもない悪を前にして、お互いを気遣い思いやり、そして愛情を与え合いました。このことでニュートンは人々の記憶に残るでしょう。時間をかけ、神の恵みと共に、このような愛情は人々の心に広まってゆくでしょう。

しかし国民としては、私たちには厳しい問いがなげかけられています。ある人が、親であることの喜びと心配を表現してこういっていました。まるで常に自分の体から心が離れて歩き回っているようなものだ、と。生まれてはじめての泣き声という、もっとも大切な生命の瞬間とともに、私たちの子供は外界にさらされますが、そこには災難や悪意がつきものです。だからこそ親であれば、どんなことよりも優先して子供たちを災厄から守ろうとしないはずがないのです。

しかし同時に、子供がこの世での最初の一歩を踏み出し、その後成長を続けてゆくと共に、私たちのもとからは離れてゆきます。そして常に子供のためにいてやれなくなるのです。子供たちは病気にもなるし、挫折もし、失恋も経験し、失望もするでしょう。そこで我々が学ぶのは、もっとも大切な親の責務は、子供たちが自立し、能力をもち、立ち直る機会を与えるということです。すなわち外の世界に恐れることなく立ち向かう準備を授けることなのです。

このことは誰かの助けなしにはできません。そのことを痛感すればショックを受けるかもしれませんが、どれほど自分の子供たちを愛していても、自分だけではできないことなのです。子供たちを安全に育て、きちんと教育するという私たちの責務は、人々と共になしうることです。友人や近所の人々や地域や国家の助力が必要なのです。その意味では、我々はすべての子供に責任を負っています。お互いがそれぞれ助け合う上では依存しているからであり、その意味では我々はみな親だからです。そしてすべての子供たちは私たちの子供たちだといえるからです。


(つづく)

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先日中国で起きた鉄道の大事故は、各報道機関がとりあげています。
しかし私にはどうもその報道の表現に対して違和感を持って仕方がない。

たとえば私が購読する東京新聞なのですが、一面の「筆洗」という論説委員が
担当していると思われるコラムには、「天災を強調するだけでは守りたい国の威信など
軽く吹っ飛んでしまう」(7月27日)などのように、原因究明に対する
中国当局の姿勢に疑問視を投げかける文章が掲載されています。

ほかの新聞やネット記事などでも、そのような論調、つまり、中国当局の
安全対策や、事故後の対応に批判的で、疑問視するようなものが目立つのです。

私はいいたい。

我が国日本には、他人の不幸をダシにして、さらには偉そうな言い方をする
資格があるのだろうか?

つい数か月前に我が国では、東日本大震災の際に、福島の原子力発電所が
大事故を起こし、さらには現在でも収拾がついていない。

しかも今回の事故だけでなく、原発の事故は、「安全神話」なる根拠のない
まやかし言葉によって、闇雲に安全性がカモフラージュされ、しかも数々の
事故も隠蔽しようとしたり、責任回避しようとしたり、そして積極的な
反省もしようとしてこなかった。

また、福島の原発事故では、汚染された水を海に投棄し、海洋汚染の
可能性まで生じて、他国への懸念を引き起こした。

私は、原子力発電所について、このような無責任な対応をし続けてきた
関係者を有する我が国が、中国という近隣の他国で起きた鉄道事故にいて、
当局の対応を批判する資格などは、これっぽっちもないと考えます。

日本のほうがすぐれている、などと、比較優位性に飛びつくような態度は、
子供じみていて、とても成熟した姿勢ではないと私は考えます。

日本人が批判したくなる気持ちは想像がつく。

一つには、大震災以来、状況が閉塞的な日本の中から、いわば憂さ晴らのような
対象を見つけたかったからではないか。

自分がヘマをやらかして自信喪失しているかもしれぬところに、他人の失敗を
見つけたので、その批判をすることで、自らの失敗の埋め合わせをしたい、
という心理状況からなのではないか。

そのようなことは、人間の器が小さく、心が狭い者がすることです。
あまりカッコよいこととは、私は思いません。

もう一つの想像は、日本が近隣のアジア諸国に対して持つ劣等感情および
敵対感情です。

人間は自分に自信がないと、誰かを比較対象として、自分たちのほうが
優れているなどと比較をしたうえで、優位になれる気分を作り出そうとする
ことがあります。

それははっきりいえば自分に自信がないからです。自信がある人ならば
自分と他人を比較する必要もなく、相手を攻撃する必要もない。

このような姿勢も、人間としてのゆとりのなさを露呈しているようで
とてもカッコ悪いと思うのです。

他国に悲劇が起きた。
そのようなときにこそ、日本がすべきなのは、偉そうで、大上段に構えた批判ではなく、
悲劇への共感を示し、そしてできうる援助を、控えめに申し出ることでは
ないでしょうか。

東日本大震災のときには、日本と敵対しているとされている北朝鮮ですら
義捐金を提供してきたのですから。

鉄道技術に関して言えば、日本は中国よりも経験があり、それに伴う
ノウハウも豊富だといいます。

だとすれば、今回の事故においても、

「心からお悔やみを申し上げます。
差し出がましいと思われなければ、ぜひ我が国の経験を、今後の貴国の人々の
安全に寄与できるよう、少しでもお役立てだていただきたいと考えております。
私ども日本は、国家、企業を問わず、利害関係抜きで、貴国のお役に
立ちたいのです。それが両国の人々の今後の安全や、よりよい鉄道技術の
発展に役立つと考えるからです」

というような態度をとるべきではないのだろうか。

事故が起きた国に対して批判的な発言を投げつけるのは、怪我をして
弱っている者に対して、石を投げつけるようなものです。

私はそのような態度は、度量の小さい、卑怯な人間がすることだと考えます。
中国が好きか嫌いかという次元のものではありません。

私は日本人として、私が住む国が、他国に対して、ぜひ度量の大きな
態度で接してほしい。そのように願うのです。

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板垣英憲の「マスコミには出ない政治経済の裏話」というブログを
最近読み始めています。無料で記事が読めますが、料金を支払うと
追加情報を得られるというもの。
内容が興味深いので、会員になることを検討中です。
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken

それはさておき、3月9日の記事にも興味深い内容が出ていました。
前原失脚に対して、リチャード・アーミテージが怒っているというのです。

「前原誠司を潰しやがって、甘く見るなよ」と狂ったように雄たけびをしている
(記事引用)

とのことなのですが、ネット上で検索してもこの話は他で出てこないので
板垣さんの独自情報源によるものなのでしょうけれども、もし真実なら
ちゃんちゃらおかしいぜ、と私は思いました。

このブログの記事にあるように、前原の辞任理由は暴力団関係企業との癒着疑惑と
外国人からの献金受付という、いずれも自分のまいたタネが見つかっちゃったものであり、
さらにはその疑惑を追及されて「はいそうです」とあっさり自白したことが
きっかけです。

アーミテージという人物は、ずんぐりむっくりでスキンヘッドの迫力ある姿で、
CIAのアジアの麻薬を牛耳っているとか、映画で麻薬王の前に登場する際に、
敵の生首を「土産だ!」といって渡す人物のモデルになっただとか、さらには
日本をコントロールしようとする代表として外交関係者から怖れられているそうですが、
外交官どもよ、そんなことでビビるな!といいたい。

アメリカにそんなことをいうようなヤツがいれば、

「お前らJFKやら911やらで真相解明をちんとできないような国のブンザイで、
他国に対してえらそうなことを抜かすんじゃねえよ!」


と一喝してやればよい。

もっともアメリカにいるのも恫喝タイプのチンピラ政治家だけではないでしょうから、
そのような人にまで、こうした一喝をしなくともよいでしょうけれども。

まあ、私はアーミテージがこのような発言をしたことが事実かどうか確認していませんので、
あくまでも伝聞と仮定に基づいていっているだけですが。

そういえば、アーミテージが国務副長官として来日時に、ほとんど私用のために
アポイントメントをキャンセルして逆鱗にふれた、声が大きく新潟が基盤の当時の
外務大臣のおばちゃんがいたっけなあ。あの事件、そのおばちゃんを非難する材料に
使われましたが、実は意図的なアーミテージへの嫌がらせだったりして。

もしその意図が戦略的なものなら、私はちょっとはこのおばちゃんを尊敬するのですが。

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NHKの衛星で放送された2月21日の「今日の世界」がロシアの裁判を
取り上げていました。ユコス元社長のミハエル・ホドルコフスキーの裁判で
裁判官が八百長、つまりあらかじめ判決の筋書きを立て、政府の以降どおりに
判決を下していたことをナタリア・ワシリエワという補佐官が暴露したという
ニュースです。

ホドルコフスキーは、エリツィン時代に頭角を現したオルガルヒと呼ばれる
新興財閥の代表格で、彼らは利権を道具に政治にも積極的に関与しました。

プーチンが登場すると、エリツィン時代に頭角を現したオルガリヒたちの
利権を軒並み引き剥がしにかかり、政治的影響力を排除します。

彼に恭順の意を表した人々は生き残ることができましたが、危険を感じた
ボリス・ベレゾフスキーはイギリスに、ウラジミール・グシンスキーは
スペインに逃亡しました。

ホドルコフスキーはロシア国内にとどまり、果敢にもプーチンを
積極的に批判していましが、2003年に脱税のカドで逮捕されて9年の
実刑判決、さらに仮釈放申請が却下されたばかりか、別の罪状により
2017年まで刑期延長されたというのがこれまでの経緯です。

ニュースでは、ロシアの司法の後進性を強調していましたが、私はこのニュースをみて
日本の司法も同じようなものじゃないか、とテレビに向かって叫びました。

政治の司法介入など、検察の裏金問題を告発して逮捕された三井環さんによれば、
10年前に検察が自身の裏金疑惑を何とかする代わりに、政治家たちの犬となった
という話が暴露されていますし、私はこれをきわめて信憑性が高いと考えています。
国家権力は、疑わしい話は積極的に疑問を晴らすのではなく、マスコミと一緒になって
無視を決め込む性質があると考えられるからです。

そして裁判所も、同じ「司法村」である検察が起訴をすると、よほどのことが
ない限りは有罪判決をくだす。大阪郵便事件などは例外中の例外で、検察があまりに
杜撰なレベルに劣化してしまい、裁判所でさえもかばいきれなかったというのが
実情なのだろうと私は見ています。

独立した存在であるはずの司法も、しょせんは国家権力の威光を悪用して
自己保存を図ることにまい進する官僚の一部分にすぎず、同じ官僚である
検察官(=行政)と共通の利益意識をもっているわけですから、
だからこそ、検察が作成した供述調書を信用し(もしくは信用するフリをする)、
法廷で証言される「真実」が否定されるわけです。

司法がそのような有様である日本が、人さま、つまりロシアのことを批判する
資格があるはずはない。「目クソ、耳クソを嗤う」だとしかいいようがありません。

この番組、「きょうの世界」のキャスターである市瀬さんを、ものごとを
客観的にみるジャーナリスト精神に富んだ人だと私は見ていましたが、
ロシアの司法報じる姿勢が他人事としてならば、この考えをあらためねば
なりません。

もっとも、百歩譲って、「人のフリみてわがフリなおせ」という意図が
こめられていたのだとすれば、まだ理解ができるのですが。

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