上州無宿我紋次郎

新しいテレビ時代劇の幕開けでした、傑作です

紋次郎ファン日記(不定期)

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6月14日

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市川監督「私は二歳」(1962年制作)
 
ケーブルテレビの日本映画専門チャンネルで、往年の名画をやっています。こないだ、市川監督の「私は二歳」をやっていました。見ている間に涙が出てきました。
中村敦夫さんもチェルノブイリ原発の事故現場に行かれたそうですが、日本は2011年を境に変わってしまいました。
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ここに出てくる二歳の「太郎」と私はほぼ同年代です。(私は1956年生まれ。) 映画が作られたのは太平洋戦争が終わって17年目でした。
市川監督は、戦後、200万人の日本兵の死を見届けた映像作家として、「どうしても作らねば、作りたい」と思い、使命感を感じていたと思われる「ビルマの竪琴」や「野火」を1950年代に製作し、いわば肩の荷を下ろしていたと思われる時期です。
監督はこの時期、子宝に恵まれ、子供を通じて感じた「時代の希望」をこの映画に込めています。2歳の太郎の未来にも希望の灯がともり、このころの世の親たちは、子供たちに星空のような明るい未来を見て、子供を希望そのものと思い、大事に育てていました。
まさか、それから50年経って、原発が4基も深刻な事故を起こし、子供たちの未来に大きな暗雲をもたらすとは。福島その他の被曝地にいる子供たちが疎開できない現状では、今後、何世代にもわたって、遺伝子に異常を持つ子供たちが生れてくることは避けられません。
原発が爆発し、広島原発168個分のセシウムが原発から拡散し、日本を覆っています。この放射能が日本の子供たちにもたらしている不幸の大きさを思うと、涙なしには見られない映画です。
・・・この映画が作られたころ、子供たちの将来は希望で輝いていました。
 
原発事故のあと、自分が人間のはしくれであることが恥ずかしくなりました。
人間というものは馬鹿だ、こんなバカなことをするのは人間しかいないと、つくづく思います。
多数の原発を作るのにどれだけの税金・資金を使ったか、どれだけ多くの環境を破壊し森林を破壊し、そこに生きている動物たちの生活の場を奪ったか。
ほかの動物たちを犠牲にして54基もの原発を作ったのに、その4つまでもが事故を起こし、気の遠くなるような量の放射能が拡散し、今度は環境や森林を破壊して作った原発を、ひとつ残らず廃炉にしようとしている。なんという無駄。何という阿呆らしさ。廃炉にすれば、今までかけた莫大な金はすべて捨て金です。
私たちや子供たちのために使うべきだった資金、人間や動物たちのためにあった環境、森林は、戻って来ません。
 
この阿呆な人間の一人であるかと思うと、つくづく人間でいることが恥ずかしくなります。
人はきっと、滅びたほうが世のため人(いや動物)のため、あるいは人間という奇形な生物のおかげでほかの生物も一蓮托生で滅びるのかもしれない、そういう思えてきます。
ほかの動物にも人間界の選挙権を与え、(他の動物にも生きる権利があるのだから当然)、ほかの動物が反対することは止める、その方が今よりずっと、賢い選択が出来る気がします。他の動物の方がよほど、人間より生きる知恵がしっかりしている。
 
人間は「金」というものを発明し、自分が発明したものに支配されています。人間のほかに、金に支配されている動物はいません。
ほかの動物は、金を知らず、それ以外の知恵で生活しています。たとえば犬は、自分の主人がたとえ物乞いでも、主人を裏切りません。物乞いのご主人が自分を愛し、大事にしてくれるなら、たとえ金持ちに貰われれば一生、快適な暮らしでも、物乞いの主人と一緒に粗末なものを食べ、道端で寝起きするほうがいいのです。逆に物乞いの主人がお金持ちに自分を売れば、犬の心には大きな傷が残ります。犬はお金を知らず、「群れで生活することによって自分を守る」という本脳に支配されているからです。
 
原発にまつわるさまざまなことを見て行くと、すべて金です。
人間が、金というものの価値を発見し、その金に、自分が滅ぼされようとしています。
過酷事故を起こして日本人の上に放射能をまき散らした東電は逮捕されず、反原発デモに参加した人が逮捕される、これは警察や検察のトップが東電にたくさん天下ったため、つまり金で買収されているからです。過去の原発差し止め裁判で原告は連戦連敗でした。これも裁判が金でゆがめられてきたからです。
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福岡に来る時、ずっと飛行機の窓から地上を見ていました。すると豊かな森のあちこちに、爪で森を長々とひっかいたような、醜悪な痕が何本も見えてきます。すべて人間が作ったゴルフ場です。
このゴルフ場を造るために、どれほどの動物が、それまで住んでいた森を奪われたのでしょう。もともと住んでいた森に、動物を住めなくして置いて、食べ物がなくなり人里に出てきた動物を、人間は「害獣」と呼びます。
どこが「害獣」なのか。
「害獣」は、人間でしょう。今度の原発事故とその被害を知れば、もの言えぬ動物たちは、「私たちの森を奪い、今度は原発で事故を起こし、人間こそ有害獣だ」と叫びたいでしょう。
私は原発事故の後、蟻一匹殺せなくなりました。どの動物に会っても、土下座したくなります。散歩に行って公園の階段に座っていると、勤勉な蟻が、私の足を這い上ってきます。
「危ないよ。そっちじゃないよ。地面に戻らないと危ないよ」と話しかると、どの蟻もこっちの言うことが分かり、方向を変えて地面に戻っていきます。
「馬鹿な人間でごめんね。がんばって働いてね」
人間のはしくれであることで、ほかの動物に申し訳ないと思っても、蟻を殺さないことくらいしか、できることはないのです。
いつから人間はこんなに馬鹿になったのか。
今、ほかの動物も人間と一蓮托生で、滅んでいく分岐点に立っているのかもしれないのです。どのみち人類があと100万年も存続できないのは、地球の歴史を見ても明らかです。人間がこれほど馬鹿なので、人類が滅ぶのは意外に近い未来かもしれず、その時はほかの哺乳類も道連れかもしれません。
私たちの世代は、今後、人類がだんだん衰退していく、その折り返し点を見ながら死んでいく運命なのかもしれません。
それにしても、誰が私たちを代表して、ほかの動物たちに謝るのでしょうか。そういう謙虚な気持ちを失ったことが、私たちが破滅する要因の一つだと思います。
「私は二歳」
この映画が作られたころ、子供たちの未来は輝いていたのに、2011年を境に世の中は変わりました。これから何世代もかけ、気が遠くなるくらいの時間をかけて、ゆっくりと放射能を減らしていく未来しか、私たちは子供たちに用意できなくなりました。もう、時間はまき戻せません。
 

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