■□■□ Rinmaru ・ 手作りぬいぐるみ

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東日本大震災

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あれから5年

3.11
あの日から、ちょうど5年がたちました。5年前と同じ金曜日、5年前と同じように雪が降っています。

数日前から 震災関連のテレビ番組も増えています。

「これから津波の映像が流れます」
と、注意書きがされています。やはり、今でも長くは見ていられません。震災当時の事を 思うことは少なくなりました。
映像を見ると 当時の事は思い出さないようにしている、という事に気が付いてしまいます。ふだん、毎日の生活に追われ忙しくしています。ふと 震災当時を思い出そうとしてもすぐには思い出せません。
あれ?食べ物に困ったっけ? なんていったら、お姉ちゃんに 食べるものも食べないで水くみに並んでたよね、少しのお菓子をポケットに入れてさ。でも、そのお菓子も 小さい子とかにあげてたよね。 と言われました。

…そうだ、そうだよ。
おなか減らしてたのに、お菓子配ってた。いい事しよう、とかじゃなくて 普通に。

1度目の、大きな大きな地震の時 私は自宅から歩いてすぐの主人の実家にいました。ある程度揺れが収まった時、すぐに子供たちを想いました。小学校もすぐ近く。5年生だった妹ちゃんをまず迎えに行こうとしました。実家から小学校に行く途中に自宅があります。自宅の前に来た時、家の前で 真っ白な顔をした妹ちゃんを見つけました。
あの日は、雪でした。寒さと、表現出来ない恐怖で 本当に真っ白な顔をして 裸足で立っていました。私の姿を見つけて、がっちりしがみついて、大きな声で泣き始めました。

その事を思い出すと、今でもすぐに涙が出て来ます。妹ちゃんをおばあちゃんに預け、中学校にお姉ちゃんを迎えに行きました。校庭に体を寄せ合って、家族の迎えを待っていました。私のようにすぐに迎えに行けた親ばかりではありませんでした。家族が迎えに来れなかった子供たちは、卒業式の準備が出来た 真っ暗な体育館で3日以上過ごしたようです。

あの頃、お姉ちゃんは 卒業式もできないまま、避難所になった中学校でボランティアをしていました。
妹ちゃんは、なんで自分は働けないのかとイラ立っていました。妹ちゃんの笑顔にはみんな 本当に救われていました。

今、お姉ちゃんは大学2年。おかげ様で成人をむかえました。国民年金にも加入しました 。
妹ちゃんも高校1年生。5年って、大きいです。
南三陸町で働き始めて9年のパパ。春からも続けてお世話になる事が決まったそうです。


家族、親戚が みんな無事だった奇跡に また 改めて感謝しています。

両陛下、来石巻。

数十分前、天皇 皇后 両陛下のお顔を初めて見ました。

被災地、石巻にお泊りになるそうです。

沿道には多くの人が小旗を持ってお出迎えしていました。警察官も報道の人もたくさんいました。



今日は3月14日。

正直、やっと3月11日が過ぎてくれた、という気持ちがあります。



震災で犠牲になった方は16000人ほど。

行方不明のかたも まだ数千人います。最近、がれきの中から骨が見つかり、やっと家族の元に帰れた というニュースもありました。
友達の家族も まだ見つかっていません。


今年も11日に雪が降りました。

4年前も雪でした。


4年前の雪は、全く水道が使えなかったため とかして生活用水に使いました。
電気が止まり、冷蔵庫が使えなかったため しばらく雪で食品も保存しました。

普段、忘れていたことを思い出します。


11日、地震発生時刻 2時46分に サイレンが鳴り黙とうをしました。
仕事中でしたが、全員 手を止めて。

サイレンも、不安な気持ちを呼び起こします。



石巻では、復興住宅もだいぶ増えてきました。
でも、仮設住宅に住んでいる人も まだまだたくさんいます。
買い物で不自由する事は全くなくなりました。

沿岸部は がれきはさすがに無くなりましたが、手つかずの所も多いです。
今の季節は 生い茂った草も枯れて荒れたままです。

数か月前には、震災で被害に遭い 住めなくなってそのままの家に放火する事件も起きました。
一晩で5件の家に放火されました。犯人は捕まりましたが、怖い思いをしました。


先月は地震も多く、その度に 不安になりました。


3月11日前後は、震災関連のテレビ番組がたくさん放送されていました。

画面にうつる人の涙を見ると すぐにもらい泣きしてしまいます。
あまり、見たくないな・・・と思ってしまいます。


コメンテーターは 必ず、風化させてはいけない と言います。


その言葉を聞くたびに、複雑な気持ちになります。


「がれき」 「被災地」

自分でも使ってしまいますが、

この言葉を聞かなくなるまで、どのくらいの時間がかかるのでしょうか。





震災から1年半、

9月11日。・・・去年の3月11日から1年半が経ちました。

午後2時46分には、震災で被害に遭った方々のご冥福を祈り 1分間黙とうをします。


最近、また小さな地震が多いです。その度、胸がぐっとなり鼓動が激しくなります。

普段 忘れかけているような気がしますが、やっぱり すり込まれています。


最近の石巻は、落ち着いてきています。特に町の中は。

建物の解体も減って来ました。

でも、海の近くは手つかず。・・・広い 広い 原っぱになっています。

原っぱの、所々に骨組みだけの家。枯れた花束。


大火事のあった門脇小学校付近は すっかり観光地になって、毎日のように大型観光バスが来ているようです。

最初、仮設住宅に住めるのは2年とされていましたが3年に延びました。

でも、3年で全ての人が新しい自宅を見つけられるとは思えません。アパートもまだまだ不足しています。

市では 古くなった商店街の再開発と復興住宅の建設を一緒に考えているようです。どんな街が出来るのかな?

震災後、被災した方は医療費が無料でしたが 段階的に有料になっています。


今日は、タッキー&翼さんの無料ライブがあるらしいです。

北九州市にがれきの搬出が始まっています。



私の身近な石巻は、今 こんな感じです。

北九州の皆さん ケータイ投稿記事

石巻からの「ガレキ」が届いたようですね。


今は ただの ガレキです。
ゴミかもしれません。

でも、それは 家だったり家具だったり、
生活そのもの だった物です。

放射能の汚染を気にしていらっしゃるんですよね?
ごもっともです。
もし 私が 逆の立場なら、同じように考えると思います。

ただ、
石巻からのトラックの前に立ちはだかる姿をニュースで見たら とても悲しくなりました。

私たちは、その ガレキの中で生活しています。
石巻では 100年分のゴミとも言われています。
なかなか処理は進みません。

簡単に、受け入れに反対しないで! とは 言えません。
トラックの前に立ったり、下にもぐったりして おケガなさいませんように…。

静かに・・・

 
無事に、何事もなく 3月12日の朝。
 
良かった。
 
電気も水もガスも使える。
 
 
 
だけど、何も 元には戻っていない。
 
すっきりと、晴れやかな気分には なれない。
 
 

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