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田能遺跡の発掘に参加して、活字の上ではなく、実際に遺跡を踏破したり、
黒川古文化研究所の講座に参加したり、芦屋市の教育委員会の岩本昭三先生
に教えを請いに行ったりと、さまざまな活動をしました。
黒川古文化研究所で、梅原末治先生の講演を2回拝聴したのはよい思い出です。
かなり後になって、近藤先生にその話をすると、私の世代で梅原先生の話を聞
いたことがあるということにたいそう驚かれていました。
部員もさらに増え、活動実績も蓄積されましたので、生徒会でクラブ昇格が承認
されました。このような活動の中で、神戸の保久良神社に足繁くかよい、これまでに
採集された土器の実測図を作ることにしました。その作業をやっているときに、
大月さんが人物の顔を描いた土版を見つけました。なんだろうかとみんなで話合いま
したが、まったくわからず、神戸新聞の学芸部で考古学の記事を書いている檀上重光
先生に相談することにしました。何の予約もなく、突然訪れたにもかかわらず、檀上先
生はいろいろと手配をしてくれたり、遺跡のことなどを詳しく教えて頂きました。その後
何回か檀上先生ところにお邪魔して、考古学に進むようにとおすすめがありました。
クラブに正式になってから、楠元君も顔を出すようになり、あれだけ嫌っていた考古学
に積極的に参加するようになりました。芦屋の八十塚古墳群や岩が平などを踏破し、実測
したり、写真を撮ったりしました。
またクラブではマルクス主義について関心が高まり、『フォイエルバッハ論』などの輪読
会を行ったりしていました。
高校2年も終わり頃になって、最終的に進むコースを提出しなければなりませんでした。
私はもともと理科系コースにいましたが、どうしても考古学に進みたくて、親とも何度も
話合いましたが、結局3年は理系に進み、考古学の道を断念せざるを得ませんでした。
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