ちょっと考古学

一介のアマチュアがやっている気軽な考古学です

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高校時代に「フォイエルバッハ論」などの輪読会をやってたり、マルクスや

エンゲルスの文献を読んでいましたが、難解で今ひとつわかりにくいもので

した。また中国語を一人で勉強していた関係もあり、魯迅を読んだり、老舎

を読んだりもしていました。それで毛沢東の「実践論」と「矛盾論」を読んで

非常にわかりやすく、毛沢東の著作を読むようになっていました。その頃中国

では、「文化大革命」が起こり、世間の注目を集めていました。

大学に入ったとき、社会主義中国研究会というものを作っている学生がいました。

農学部のM井とM本という学生です。M井は下関の出身で、その当時中学の卒業生

に毛沢東語録を配って問題となったT先生に教えてもらったか、知り合いだったか

の関係がありました。一人で車に乗って、民青の集会でアジ演説をするなど、直情

径行型の人間で、でも憎めない人間らしさがある面白い男でした。M本は、平凡で

真面目さだけが取り柄の人間でした。

寮祭があったとき、たまたま武道仲間と一緒に見に行っていた私はM井と人民帽を

かぶったM本を初めて見ました。歌唱コンクールを行うところで、颯爽と一番に出

て来たのが、M井でした。それでいきなり「大海航行 靠舵手、万物 生壮靠 

太陽 」という文革期の革命かを歌い出したものですから、失笑をかっていました。

私もこれでは駄目だと思っていました。

71年になって、Hの紹介でその二人に会うことになりました。

その当時、日中友好協会は共産党系の協会から離脱し、日中友好協会(正統)と名乗

っていました。その(正統)も内部の主導権争いをめぐって、社会党の黒田寿男を中

心とするものと宮崎世民を中心とする2派に分裂していました。

黒田寿男は岡山県選出の代議士ですから、お膝元で私が入った協会は少数で力がないもの

でした。県本部の会長は、K田さんという児島の農業をやっている人で、県本部の連絡場

所は、小松重雄さんという方がやっておられる八百屋さんでした。

小松さんは戦争中に中国の女性と結婚し、自ら革命根拠地の延安に行き、日本人で作る反

戦同盟に参加した人で、延安時代の野坂参蔵などを知っている人でした。戦後朝鮮半島経

由で引き上げてきて、共産党員として活動し、何度も逮捕されたという経歴を持っている

人でした。小松さんには、ことある毎に義理の息子さんから大量のマトンを仕入れて、

ジンギスカン鍋のごちそうをしていただきました。研究部の部員も何人かは、そのうちの

1・2回はごちそうになっていいます。

このようなことで、二十歳を過ぎたばかりの若造が30代から60代の大人相手に、協会

の活動と普及、会員拡大の作業をやらなければなくなりました。


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