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いつ聴いてもいいですね
昨日23日(木)、仕事から久々に早く帰り、餃子を焼いて、ビールを
飲みながら、何気なくテレビを見ていました。番組が面白くないので、いつ
ものようにNHKにチャンネルを変えました。そこには加藤和彦さんと坂崎
幸之助さんが出ていました。「音楽・夢くらぶ」という番組ということが、
後でわかりました。
私は淡い期待を持ちながら、もしや・・と思いつつ見ていましたら、流れて
きました。
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥群がり 自由に飛び交うよ ♪
大好きなイムジン河の曲です。
1968年高校3年生の時、同級のN君から「ラジオ関西のリクエスト番組で、『
帰ってきたヨッパライ』という曲が流行っている」と聞かされて、初めて耳にしたフォ
ーク・クルセイダーズの曲でした。あまりに面白い曲で、他のフォークルの曲を聴いて
みたいと思い、その後出たアルバムを借りて、聴いたことを懐かしく思い出します。
「花の香りに」という曲も大好きですが、何よりも「イムジン河」がよいと思います。
ギターが奏でる単調なメロディーが、逆に心に響くのです。
他には、カーン・リーの「美しい昔」も大好きな曲でした。
縁とは不思議なもので、それから20数年後、フォーク・クルセイダーズのマネイジメント
をしていた音楽事務所社長のHさんと「市民の古代研究会」で出会うことになろうとは
思いませんでした。Hさんは、高石友也や岡林信康を世に出した人で、中島みゆきの契約書
作成に尽力して、登場させた人です。
世の中、不思議な縁で結ばれていると思います。
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はじめまして。私もたまたまチャンネル変えてたらこの番組に出くわして、ポロポロ泣いてしまいました。
2006/3/24(金) 午後 5:03 [ タゴマゴ ]
いいですね、イムジン川。 いいものは、時代を超えても 人の心に訴えるものがあります。 このイムジン川は発禁になったと記憶 しています。 その当時私は小学生でその理由がよく分かりませんでした。 今も分かっていません。
2006/3/25(土) 午前 8:35
tagomago1960さんもご覧になったのですね。何かわからないのですが、涙が出てきます。いい年になったというのではなく、心が揺さぶられるからでしょうね。
2006/3/25(土) 午前 10:57
yairoさん、テレビでもリクエストが多く、レコード発売を兼ねてついにテレビ出演となった時に、発禁となりました。いろいろと言われているようですが、一つは著作権の問題、もう一つは国名をどう表記するかなどと言われていますが、わかりません。レコードを企画した社長のHさんに、そのことを聞いていなかったことが悔やまれます。
2006/3/25(土) 午前 11:02
こんにちは。先月くらいに報道ステーションでフォークル特集をやっていました。”イムジン川”が発売禁止になって困っていたとき、メンバーの北川修さんが”イムジン川”の楽譜を逆にたどって出来たのが”悲しくてやりきれない”だったという話にびっくりでした。
2006/3/25(土) 午後 6:28 [ めぐ ]
《悲しくてやりきれない》の唄にそんな逸話があったとは、いままでしりませんでした。サトウ ハチローのこの歌詞は子供であった私の心に、なんともいえない気持ちにさせました。。うまく表現できませんが。
2006/3/25(土) 午後 8:23
めぐさん、こんにちは!お久しぶりです。お元気ですか。そんな番組があったのですか、知りませんでした。北山修さんはもっぱら作詞担当ですから、作曲ですから加藤和彦さんだと思いますが。この場合は、サトウハチロー作詞です。北山さんの詞も大好きです。杉田二郎の「朝日の前に」の詞なんか、最高です。
2006/3/25(土) 午後 9:27
yairoさん、フォークルが大ブレイクして、テレビでレギュラー番組をもちました。その番組の企画で生まれたのが、「悲しくて・・」です。当時超売れっ子だったフォークルは、ホテルに缶詰になって、苦しんだあげくできた曲だと聞いています。どのようにできたにせよ、フォークルの曲はどれも斬新で、先駆者だったと思います。
2006/3/25(土) 午後 9:31
はじめまして。イムジン河は映画『パッチギ!』で知りました。すごくいい映画だったのでこの曲も印象に残っています。
2006/3/26(日) 午前 0:28 [ r03*50*6 ]
何だか、とても懐かしかったです。 忘れていた曲もたくさんありました。 いい曲が多かったですね。 深夜放送もよく聞きました。 ヤンリク、ヤンタンも聞きましたが、よく聞いたのは、オールナイトニッポンでした。ふるくさ〜い!ですね。 北山 修さんの「あの愛をもういちど」「花嫁」等も好きです。
2006/3/26(日) 午前 11:04 [ oke*_*han*13 ]
っさん、はじめまして。映画でこの曲をご存知の世代ですね。私の方は、文字通り映画の設定年代に高校生でした。そしてイムジン河を聴きながら過ごしていました。今と比べると、みんな貧乏で物質的には恵まれていませんでしたが、気持ちや心はもっともっと豊かだっと思います。
2006/3/26(日) 午後 1:03
keikoさんとは少し年が違いますが、同じような経験を持っていたと思います。北山修さんの詩はどれもよいですね。keikoさんの時には残っていたかどうか、知りませんが、研究部に手作りの歌集がありました。フィールド調査の休憩とか合宿の時にみんなで歌うためのものです。その中にはフォークルの曲をたくさん入れました。あの歌集は私が作りました。
2006/3/26(日) 午後 1:08
歌集、ありましたし、私たちも作りました。 フィールド調査の合間などにも、よく歌いました。 Sさんも、あまり上手では、ありませんでしたが、いい声で歌っていました。「インターナショナル」の歌も2種類、ありましたね。 あの歌集、西さんが作られたものとは知りませんでした。 西さんが書いておられるように、貧しくても心が豊かな時代でした。 経済的にも、みんな、もっと豊かにならないかな、という思いが学生運動にもつながっていったのだと思います。 時代が変わっても、そういう思いは大切にしたいですね。
2006/3/26(日) 午後 4:19 [ oke*_*han*13 ]
コメント、二回、入ってしまって、ごめんなさい。 削除のしかたが分かりません。
2006/3/26(日) 午後 4:22 [ oke*_*han*13 ]
keikoさん、大丈夫です。削除しました。歌集ありましたか、今はもう手元にないので、嬉しいです。「インターナショナル」は当時、共産党も新左翼も「ああ、インターナショナル、われらがもの・・」となっていましたが、あれは間違いで例え各国の言語で歌っても、最後は「インターナショナル、われらがもの」とそこだけは揃うように作られています。それで正式のものと日本で流布されているものとを併記し、できるだけ正式のものを歌うようにしました。
2006/3/26(日) 午後 8:59
それから「ワルシャワ労働歌」もメロディーが間違って歌われていて、原曲を歌えるように入れました。フォークルでは、「何のために」を入れていたと思います。私の好きな「モスクワ郊外の夕暮れ」や「バルカンの星の下に」を入れた記憶があります。S君は持ち前の真面目さで、いつも一生懸命覚えようとしていたのを記憶しています。
2006/3/26(日) 午後 9:04
サトウ ハチローの歌詞(悲しくてやりきれない)をフォーク・クルセイダーズがどのような経緯で歌うようになったのか、以前から心に引っ掛かっていました。もし、よければ何方かお教え願えたらとおもいます。
2006/3/26(日) 午後 11:47
「インターナショナル」は西さんのいう通りだと思います。 「モスクワ郊外の夕暮れ」はよく歌いました。いい歌です。 Sさんも好きだったみたいです。真面目な横顔を思い出します。 すべて遠い記憶です。
2006/3/27(月) 午前 0:42 [ oke*_*han*13 ]