ちょっと考古学

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昨日18日付けの朝日新聞朝刊30面に「最古級?の前方後円墳ー

宮崎西都原 古墳文化成立史に一石」と題する記事が掲載されまし

た。記事では「出土した土器から、築造は3世紀中頃と考えられ、

南九州では最古。大和政権があった畿内でも、このころ古墳が造ら

れ始めており、本土の南端でも同じ動きがあったことになる。」

「確認されたのは西都原81号墳。長さ52mで、卵形の後円部と

短いバチ状の前方部を持つ「纏向型前方後円墳」と呼ばれるタイプ

だ。」としています。

詳細な内容はわかりませんが、常識的な疑問点を出しておきたいと

思います。まず出土した土器から3世紀中頃という点についてです。

憶測するに、出土した土器の型式から畿内の土器編年の一つである

寺沢編年の布留0=3世紀後半から考えて、それより少し前というこ

とから今回の年代になったのではないかと思います。

このような論理展開をするには、いくつかの手続きが必要となります。

まず宮崎の土器編年と畿内特にこの場合は大和盆地の編年のきちっと

した対応関係が大前提になります。私の勉強不足かもしれませんが、

そのようなきちっとした対応関係を知りません。

このブログでも書きましたように、この時期大和盆地・河内から大量

の吉備系土器が出、資料状況は膨大であるにもかかわらず、いまだに

吉備と河内・大和の対応関係については、きちっとした共通認識はあ

りません。ましてや宮崎ともなると、ないと考えるのが普通です。

次に3世紀中頃というのは、上に述べたように一仮説であり、定点と

なるべきものではありません。

それから卵形後円部の「纏向型前方後円墳」という表現があります。

70年代の調査で、纏向石塚古墳の後円部が卵形、楕円形であるとの

実測図が公表されました。ところが97年の最終調査で、後円部長径

64m・短径62mとほぼ整円であることが確認されています。

卵形後円部を持つ古墳は、実のところ纏向古墳群にはありません。

纏向型前方後円墳というのは、後円部直径:前方部長の比が2:1

の前方後円墳を言います。

そして大事な問題は、纏向古墳群が箸墓古墳などの最古型式の古墳

より古いというのは、これもまた一仮説にしか過ぎません。

私は、纏向古墳群が箸墓古墳と同時期または後出であることを根拠を

あげて、いくつかの本と論文に書きました。近藤義郎先生も近著では

ほぼ同じ説を提唱しています。ほぼ全体の調査がなされたホケノ山古

墳の出土土器や副葬された銅の鏃などから、この説の正しさが裏打ち

されています。特に未だ実測図が公表されていない小型丸底壷が公表

されれば、決定的となるでしょう。

81号墳の詳細が発表されましたら、再度考えてみたいと思います。

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土器や金属器や石器の素材そのものからは年代の測定はできないと思いますが、土器の材質からどこの粘土を原料にしているというのも分からないものでしょうか? それが分かれば、黒曜石石器の分布と同じ運輸ネットワークと伝播の経路も少しは分かるのかな? と夢想するのですが?

2005/5/22(日) 午後 4:36 [ KABU ]

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三辻利一先生が行っていますエネルギー分散型の蛍光X線分析では、土器胎土に含まれる元素比率の相関関係から、須恵器において陶邑(すえむら)製品かどうかは、判別できるようになっています。他の地域については、確立したデーターは提出されていないようです。他にもフィッショントラック法、熱ルミネッセンス法などでの追跡も行われていますが、十分に成功はしていません。データーを蓄積して、これからの課題だと思います。

2005/5/23(月) 午前 10:57 にし

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