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このブログは、ミクシーにも公開されています。そのミクシーの中で、
すぎわらさんの日記に「行雄の言葉」というのがあり、思わず読みました。
そうです、日本考古学の礎を作り、戦前から日本考古学を領導した小林行雄
の「先史考古学に於ける様式問題」1933年の学史的論文の一節です。
1930年頃から弥生土器の編年成し遂げようとしていた小林行雄はこの論文
発表を契機に、土器編年における様式論という理論を掲げて、弥生土器の編年
研究に邁進します。
その後「弥生式土器の様式構造」1935年などの論文を次々に発表し、
1938年には森本六爾との共著『弥生式土器聚成図録 正編』を著しました。
さらにその後、1943年『大和唐古遺跡の研究』(京大報告第16冊)のなかで、
詳細な分析と統計を掲載し、唐古遺跡における弥生土器を5段階に分類した編年を
示しました。
この唐古の5様式編年は、後に佐原真などによって補足され、現在では畿内5様式
編年として、基準になっているものです。
ですから考古学を学ぶ人、特に土器の編年を研究する人にとっては、上記の論文や
図録、報告書は必ず目を通す必読文献になっています。
ところが実際に先の小林論文を読むと、抽象的でかなり難解な内容で、多くの学生が
悩むところとなっています。現代の学生も同じだと思います。
この問題に着目し、その問題点を整理したものに狐塚省蔵『歴史を「書くこと」と「造る
こと」』(『岡本俊郎遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記 日本考古学の変革と実践
的精神』1985年 所収)という論文があります。この論文では、山内清男が1930
年代に行った縄文土器の編年、型式学的操作法が近代考古学の始まりと評価し、ほぼ同じ
頃に「小林行雄による「様式論」〔1933年〜39年〕もその後変化し、この(山内の)
型式学に接近〔1943年・59年〕した。」という重要な指摘をしています。( )は
文意が通ずるように私が補いました。
狐塚がいう様式論(1933年〜39年)というのは、先に紹介した論文をさします。
またそれが後に変化したとしているうちの43年のものは、『唐古遺跡の研究』をさし、
59年というのは、小林が共著で表した『図解 考古学辞典』東京創元社1959年をさし
ています。
興味深いことに、『図解 考古学辞典』を開いてみると、小林があれほど詳細に論じてき
た「様式」についての項はなく、「形式・型式」のなかに簡単に様式についてふれているだ
けです。
現在考古学の教科書的なテキストで、遺物特に土器を編年する上で、説明されるのが「層位
学」と「型式学」です。「型式学」というのは、同じ種類の遺物を並べて、ある基準を見つ
けて先後関係を決め、それを一つの系列として、並べてみることです。これを他のものとの
組合わせや、層位あるいは「一括遺物」で、その先後関係を決めていくというものです。
様式論もこの2つの概念に基づいたものと考えることができます。
ところが縄文土器の編年を行った山内清男は、1937年の「縄文土器の細別と大別」と
言う論文で、「任意の物件を並列し、独断によって古かるべきものを決め、それに照らして
新しきものを推定する様な所謂型式学は取るに足らず、我々もこの方針の失敗を数多傍観した
のである。」と「型式学」を一蹴しています。
またチャイルドも『考古学とは何か』で「型式学は信頼性は低いけれどもそれで説明するの
はひじょうに容易で、」と型式学のもつ問題点を出しています。
興味深いことに、小林行雄も自身が執筆した『辞典』で、「型式学的研究法」という項を設
け、その中で「型式学的研究法というものを型式の先後関係の追求に重点をおいて説明すると、
それは研究法というよりも発表法にちかづいてゆく」とチャイルドの考えとよく似たことを書い
ていることです。
このように様式論がそれまで出してきた理論とは異なり、唐古遺跡の分析では主に層位とそれに
基づく各地点での資料を対照することによって得られたものであるということに気づきます。
山内の「型式」と小林の「様式」についての概念や資料操作法の違いについては、高橋護「上東
式土器の細分編年基準」(『岡山県立博物館 研究報告7』1986年)、同「弥生時代終末期の
土器編年」(『同 研究報告9』1988年)で既に論じられ、提起されていますが、注意を払う
人は少ないようです。
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転機です。型式は遺跡の年代を定める上で非常に重要なものである ことは承知しておりますが、正直なところわかりづらいです。遺物 の中にある基準を見つけて、先後関係を決めていくとのことです が、なぜ、ある型式が他の型式よりも先と言い切れるのか?「任 意の物件を並列し、「独断」によって古かるべきものを決め」て いるだけのようにも思えます。現在の編年体系は、型式のみなら ず、層位や自然科学的年代測定法から得られた結果も組み合わせ て作られたということでしょうか?
2006/4/29(土) 午前 6:37 [ mus*u*12*01 ]
(前のコメントの続きです)例えば、夏島貝塚の尖底深鉢の年代が、 炭素14年代測定法によって縄文時代早期という結果が導き出されたた め、尖底深鉢は縄文時代早期に位置づけられたということでしょうか? ボランティア・ガイドの際にも「炭素14年代測定法をはじめとする自 然科学的測定法の方が型式から年代を定めるよりも正確であるはずだ が、なぜ、自然科学的測定法はそれほど行われていないのか」と質問さ れたことがあります。
2006/4/29(土) 午前 6:39 [ mus*u*12*01 ]
(前のコメントの続きです)また、mixi内のコミュニティで編年につ いて論じられた書籍は一般の書店では手に入れるのは困難、と伺ったこ とがあるのですが、やはりそうなのでしょうか?もし、編年体系につい て勉強するのであれば、ブログの中で紹介された書籍に当たるしかない のでしょうか?
2006/4/29(土) 午前 6:41 [ mus*u*12*01 ]
転機様 コメントをありがとうございます。山内清男がほぼ独力で全国の縄文土器を編年したときの資料操作法は、公開されておりません。紹介しましたように山内自身が述べているように、山内の操作法は今日広く流布されているいわゆる「型式学」でないことは明らかです。小林行雄が1930年代に「層位学」と「型式学」に基づいて、「様式論」を提唱したときは、どちらかというと資料の制約性もあり、「型式学」に重点が置かれていました。
2006/4/30(日) 午前 10:29
ところが小林が唐古遺跡での土器編年を行った時は、層位に基づくものであり、主に「一括資料」に基づくものでした。この資料操作法は、山内が行ったものに極めてよく似ており、その後小林行雄は「様式論」については書いておりません。このことから山内清男の「型式学的操作法」が「様式論」で説明されたり、逆に理論と実際の資料処理法が異なる「様式論」を山内の「型式学的資料操作法」と推定されるもので、説明されたりと混乱が起こっています。
2006/4/30(日) 午前 10:37
AMS法など誤差は少ないと言えどもありますが、編年の各段階のC14分析は、出来る限りやるべきだと思います。予算や資料上の問題がクリヤーできればという条件付きですが。文献につきましては、高橋護先生の上記2論文をご覧になりますと、これまでの問題点が鮮明になると思います。
2006/4/30(日) 午前 10:49
この文献は、今、アリスが研究しているのに、適している書物ですね☆行き詰っているんですが(苦笑)してないだけかもしれませんが・・・壱岐・対馬の資料を手に入れるのが、かなり、難しいのです(^^;図書館行っても、なかなかないんですよね。現地に行けば、早い話ですが・・・そこの遺跡に朝鮮式土器とか山陰式とかあるんで、扱った土器じゃないので、ちょっと、分からなかったのですよ。参考にさせていただきます。
2007/6/21(木) 午後 7:40
何かの参考になれば、嬉しく思います。考古学の報告書など、本当に手に入れるのには苦労しますね。
2007/6/22(金) 午後 4:48
確かに、正職員にでもなって、現場に出たりしないと、入手できませんよね(苦笑)発掘報告書とか・・・専門書とか、高いですし、一般の本屋さんでは、売ってないことの方が、多いので、手に入らないですね・・・
2007/6/24(日) 午後 11:41
きちっと調べようと思うと、どうしても報告書を読む必要があります。ですが、一般の者にとっては入手するのが難しいですね。最悪の環境です。この点が解決されないと、考古学が身近なものにはなりにくいと思います。
2007/6/25(月) 午後 6:09