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好太王碑が日本にある、と言ってもレプリカですが。
考古学や文献史学では、4世紀の一級資料として有名な高句麗の好太王碑
は中国の集安にあります。4世紀の実態を解明する重要な資料です。
そのレプリカが日本にあることは、ほとんど知られていないのではないでし
ょうか。大阪府八尾市にある大阪経済法科大学のキャンパスにそびえ立って
います。今月の29日に私どもの研究会で、八尾の開山塚古墳を中心とした
古墳めぐりを急遽行うことになりました。この古墳めぐりで、ほとんど知ら
れていない好太王碑のレプリカも入れることになりました。
本物ではありませんが、実物とまったく同じものを見て、碑文の内容を臨場
感をもって一緒に考えようという企画です。この碑文には、よく知られてい
ますように倭や倭人が出てきます。4世紀当時の東アジア情勢と日本を知る
貴重な資料です。
それで今、拓本の原文を見ながら解釈をしているところです。この場に及んで
こんなことを請け負わなければよかったと、後悔しています。通常の漢文と違
って、読みづらいのです。語の使い方は、『三国史記』に非常によく似ています。
この碑文を書いた人は中国のどの史書や書物を参考にしたのか、非常に興味が
あります。今やっている作業も終わってみれば、どの程度かはわかりませんが、
自分の身になり、また新たな課題を見つけられるのだと言い聞かせながらやっ
ています。とはいいながら、やはり半泣き状態です。
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そういえば京大の人文研のHPに拓本が公開されてますね。あれもなかなか面白いですな。
2005/6/4(土) 午前 0:33 [ indigo2sgi ]
あっ、こんにちは。京大人文研のHPを見たのですが、拓本がどこあるか、わかりません。サイトの表紙ページにあるのですか?
2005/6/4(土) 午前 9:51
ここですよ http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_b/menu/21.html http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/t_menu.html
2005/6/4(土) 午後 2:19 [ みず ]
倭・高句麗戦争(わ・こうくりせんそう)は、4世紀終わりから5世紀の始まりに高句麗と倭人との間に起きた戦争。好太王碑に記録されている。
396年、好太王は兵を率いて百済の城を占領した。兵は首都に到着し、百済は降伏、高句麗への服従を誓った。好太王は百済王子といくらかの貴族を連れて首都へと引き返した。
399年、百済は以前の盟約を破り、倭と同盟を結んだ。好太王は平壌へと侵攻。そこで彼は新羅の使者に謁見した。
彼は百済と倭の軍が国境を越え新羅に侵攻していることを述べ、高句麗に援兵を求めた。新羅が高句麗の臣下になることを誓ったとき、王は援兵を出すことを認めた。
400年、高句麗王は新羅を助けるために5万の兵を送った。倭の軍は高句麗軍が新羅の首都に着く前に撤退していた。
404年、倭の軍は突如帯方郡南部国境を超え、京畿道に侵攻した。王は平壌から兵を率いて進み、圧倒した。倭の軍は平壌に近い京畿道の支配を失った。
2012/6/27(水) 午後 9:14 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]