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物集女車塚古墳 石室の公開
京都府向日市物集女にあります物集女車塚古墳は、毎年5月末になると定期的に1週間ほど公開され、横
穴式石室の中を見学することができます。これまでなかなか時間が合わず、見学できませんでした。
今年の5月末にも定例の公開が行われ、ようやく念願の見学をすることができました。
物集女車塚古墳は、ほとんど指摘されていませんが、継体朝を考える上でも乙訓宮を考える上でも、極め
て重要な考古資料です。このようなことから、どうしても自分の目で見ておきたいという思いがありまし
た。
さらに奥田尚先生から物集女車塚の石棺は、2種類の石材からできていると教えていただいていましたの
で、その点も確認しておきたいと思っていました。
事前に申込みをして、5月30日研究仲間のHさんと一緒に見学に参りました。
玄室の中に入ることはできませんが、羨道部の中に入って、玄門部から玄室を見学することができます。
物集女車塚古墳の石棺
図面で見るのとは、やはり違う印象を受けるものです。
早速、問題の石棺を見てみました。(写真)
ルーペや顕微鏡での観察はできませんが、奥田先生の指摘通り遠目から見ても、間違いなく2種類の石材
で作られていることがわかります。
石棺蓋は、平坦面がかなり広い屋根形をしていて、3枚の石材から作られています。そして左右の蓋石に
2つ、真ん中の蓋石に1つの縄掛け突起があります。どの縄掛け突起も方形ではなく、隅が丸い楕円形を
しています。
正面に見える長側板にも写真ではわかりにくいですが、縄掛け突起があります。そして左右の短側板(小
口板)がそれぞれ2枚あります。この小口板にも縄掛け突起があります。底板は3枚で4つの縄掛け突起
がありますが、すべて四角い形をした突起です。
それで蓋石で左右の2枚は播磨の石材で、真ん中の1枚は二上山の石材です。また正面に見える長側板も
播磨の石材です。左右の小口板2枚と底板は、二上山の石材です。
左右2枚の蓋石と正面に見える石材は、考古学では通称「竜山石」として一括りされていますが、厳密に
は兵庫県加西市の高室(たかむろ)の石材と考えられます。高室の石材の特徴は、灰色・淡桃色・褐色・
黒色などの流紋岩の細粒が集まった砂岩のように見えることです。このことから砂岩として間違えられる
こともありますが、流紋岩質火山礫凝灰岩質溶結凝灰岩もしくは流紋岩質凝灰角礫岩質溶結凝灰岩となり
ます。細かいことになりますが、この石を実体顕微鏡で見ますと、輝石が含まれていることがわかります
ので、流紋岩質ではなく、石英安山岩質火山礫凝灰岩質溶結凝灰岩もしくは石英安山岩質凝灰角礫岩質溶
結凝灰岩になります。
近年の調査によれば、同じような石材が高室以外にも近辺で見つかったようですので、そこも採石地の候
補地として考えておく必要があるようです。
蓋石2枚と正面の長側板以外の7枚の石は、すべて二上山中部ドンズルボー層中の流紋岩質凝灰角礫岩
で、牡丹洞付近の石材です。
奥田先生が指摘するように、この石棺はもともとは播磨の高室の石で作る予定でしたが、何らかの理由で
石材が揃わず、仕方なく不足分を二上山の石材を使ったということです。高室の石を使った石棺として
は、八尾市の愛宕塚・芝塚、平群の烏土塚古墳の前棺などがあります。
物集女車塚の石棺は特異なものですが、それは石棺だけにとどまらず、石室構造、排水施設、天井石、副
葬品にも現れています。私自身は、この物集女車塚古墳は継体と深く関係した人物のお墓と考えていま
す。今城塚古墳、継体の勢力を考える上で、とても大事な古墳と考えています。いずれ稿を改めて、その
ことを述べたいと考えています。
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この遺体の頭の方角はどちらに向いているのでしょう。私も継体の宮と関連遺構と文書解読を調査研究しておりますが、この古墳の位置は、乙訓宮期の貴人の可能性が非常に高いと思います。石室構造、排水施設、天井石など、難波宮の水道遺跡と似た建築構造であり、興味深い。
2008/6/29(日) 午後 9:20 [ - ]
石室は南東に開口して、石室主軸は南東ー北西方向です。石棺は石室主軸に直交していますので、石棺の主軸はほぼ東西です。
2008/6/30(月) 午後 2:40
石室主軸はやや高句麗方角ですか。石棺主軸は越前方角、小字地名は南条、越前町にも南条が存在し因縁を考えさせます。副葬品から拝見しても、おおむね継体の皇子皇女級で、母親の出身が越前国なのかもしれません。乙訓宮を退いたあとも、その方は留まっておられたのかもしれませんね。
2008/7/2(水) 午前 11:05 [ - ]