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邪馬台国問題は、まず文献上の問題
邪馬台国問題がまず文献上の問題であると言うことは、前回で述べました。
それは何よりも邪馬台国なり、卑弥呼が中国史書に書かれているという資料上の問題である
ことから明かですし、まだまだ実年代が不明な考古学では明確に対応する時期がほとんどわか
らないことから、積極的に考古学を援用することが難しい点も述べました。
魏志倭人伝を中心とする文献資料の徹底した資料批判が第一義の課題であることは、述べました。
この作業を可能な限り完全にやった後に、ほぼ該当すると想定される考古学の遺跡や遺構、遺物を
参考にすれば、文献解釈と考古学の両面からの成果はかなりなものが期待できます。
ところが文献解釈において、極めて不十分にしかなされていないと思います。このような状況で、
さらに一知半解の考古学の成果を援用しているところに、問題を解明するのではなしにますます
混乱におとしめているとしか思われません。
中国文献を解釈する上ではその先行文献を見極め、その用法に従って解釈するのが漢文の特質に
基づいているものであり、特に後代のわれわれ外国人には唯一の方法だと言うことです。
魏志倭人伝の史料批判がいまだに十分になされていない例を出してみましょう。
安易な原文改訂をしない!
これは「邪馬壱国」論をひっさげて、’70年代颯爽と登場した古田武彦氏の提唱した前提です。
安易に原文を改訂しないで、あくまでも原文に書かれていることから分析をしていくというのは、
非常に大事な姿勢です。解釈する人の考えや思いから、都合が悪いからここは原文が間違っている
のだろうというのでは、恣意的な解釈を許すことになり、このようなことが許されるなら無数の解
釈が生まれ、意義のある論争など行えるわけがありません。その点では、古田氏の提起は当たり前
といえば当たり前のことですが、その後の邪馬台国論争をそれまでのものとは段階を画したものと
した点では、非常に意義あるものでした。
他方、この格率にこだわりすぎて現存する魏志倭人伝にまったく誤りがないとの思考呪縛に陥ってい
ることも事実です。
例えば、魏志倭人伝には「所 有 無 與 儋 耳﹑ 朱 崖 同」という倭国の風俗を書いたところがあり
ます。この文をこれまでの日本の学者は全員、古田氏も含めて、有無する所 儋 耳﹑ 朱 崖と同じ」
と読み、日本の気候や風俗は 儋 耳﹑ 朱 崖つまり海南島と同じだと解釈しています。前後の文面か
ら言えば、確かに倭の地は温暖であり、南の方のものとよく似ているということになります。
ところが張明澄氏が指摘するように、中国語で読むならばそのような切れ方はしないということです。
張氏は中国語と言っていますが、客家語ではないかと私は思っています。張氏によれば、次のような
切れ方をします。
所 有 無 與 儋 耳﹑ 朱 崖 同
所有=すべては 、儋 耳﹑ 朱 崖と同じもの無し と言うことになります。
これでは意味がまったく反対になります。
張氏も言っていますが、所有は現代中国語でも頻繁に使われ、すべてという言う意味です。そして
無 與という語もセットとしてよく使います。
これは現代中国語だけでなく、3世紀代とそれ以前の史書で私自身も、「所有」と「無 與」を調べ
ましたが、頻繁に使われています。逆に「所有無」を調べましたが、一例もありませんでした。
これらの結果から、ここの文は明らかに間違いで、「無」の文字が紛れ込んだと考えるのがよいこと
になり、原文では「所 有 與 儋 耳﹑ 朱 崖 同」であったと考えられます。
「一字一句も原文を改訂しない」という方法論は、史料批判を行う上での大前提ではありますが、厳
密な分析をした上で、問題点が出てくれば、それを明確にすることが例え「原文改訂」であろうとも、
文字通りの史料批判ではないでしょうか。
このようなこと重要な問題でも、文献史学では取り上げられていません。
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