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古墳時代になって、古墳の墳丘を囲繞する円筒埴輪や朝顔形埴輪の起源が吉備地方の弥生時代後期後半
に登場する特殊器台形土器と特殊壷形土器にあることは、今では広く知られた事実です。
この説は、1967年近藤義郎・春成秀爾の論文「埴輪の起源」(『考古学研究51号』)によって
広められたことはよく知られています。
ところが狐塚省蔵は、1976年「吉備型器台論」(『異貌』4・5号)を発表し、それまでの特殊
器台・特殊壷(狐塚言う吉備型器台・壷)の研究史を詳細に分析することによって、先の説の問題点を
明確にし、同時にその研究史の中にある問題点を浮き彫りにすることによって、今日的課題を提示しま
した。研究史における狐塚の詳細な紹介は、非常に貴重なものですが、実際的には記載漏れもあり、今
一度特殊器台・特殊壷の学史をきちっとした形で紹介しておくのも必要かと思います。
特殊器台・壷が学界に広く紹介されたのは、1948年児島市(当時)の向木見で当時中学生であった
高橋護によって発見されたものであった。後の1960年になって高橋はこれらの遺物を「児島市向木見
発見の二、三の遺物」(考古学手帖一二号)として、報告し、そのなかで「特殊な器台」と表現し、これ
らが弥生時代後期の上東式土器の範疇に属し、特殊な墳墓に伴う可能性を示唆しました。これが後に特殊
器台と命名されるきっかけになったものです。
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