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四国からの便り
郵便ポストを見ると、見覚えのある字の封筒が入っていました。
裏の送り主を見ると、四国考古学研究所と書かれています。
清水真一さんからの手紙で、四国考古学研究所 所報『西四国 4』が
同封されていました。
ご存知の方も多いとは思いますが、清水さんは昨年まで奈良県の桜井市の教育委員会
で調査をされていた方です。纏向遺跡やコロコロ山古墳など、多くの貴重な遺跡の調査に
携わってこられましたが、桜井市をお辞めになって、郷里の愛媛県の八幡浜に帰られまし
た。そしてかってあった『西四国』を復刊され、現在西四国研究所で活躍されています。
清水さんとは、今は亡き高校時代の同級生の楠元哲夫さん(橿原考古学研究所)の紹介で、
二十年近く前にお目にかかり、それ以来のおつきあいです。私ども研究会の講演会でお話し
をして頂いたり、また桜井市の古墳めぐりで、ご案内して頂いたりと本当にお世話になりま
した。
今は四国の地で、根を張って地道な研究をされて、活躍されています。
清水さんがおられる八幡浜の地は、私にとっても懐かしく、故郷のようなものです。考古学
ではなく、別の世界で。
考古学をやっていて、いつも不思議な縁のようなものを感じます。清水さんの場合もそう
です。
大学の後、私は4年弱和歌山に住んでいました。そして空いた時間は、練習のために和歌山
大学の武道愛好会の部屋を貸してもらっていました。その時にたくさんの学生と知合ったので
すが、その中の一人にK君という経済学部の学生がいました。
K君は大阪の茨木高校の出身で、高校時代は考古学研究部にいたとのことで、余計に仲良くなり
よく話をしたものです。岡大の専攻生の後輩にも茨木高校出身のSというのがいたことも、打ち
解けやすくなったこともあります。
それから二十数年が過ぎ、今回と同じように私が東京の講演会に行ったときに、東京に出向し
ていたK君も来てくれ、久しぶりに話をして、私どもの考古文化の会の会員になってくれました。
それから程なくして、K君から電話がありました。会報の「考古文化研究」を読んでいると、よ
く清水真一さんのことが出ているが、清水さんとは知合いか、というものでした。
それで簡単に清水さんとの出会いとその後お世話になっていることを話すと、K君は「実は僕も
清水さんのことをよく知っているんです」とのこと。
まったく予想もしていなかったことで、理由を聞くと、清水さんの奥さんとは高校の同じクラブ
の同級生で、その関係でK君が和歌山大学時代に、当時橿原考古学研究所にいた清水さんの下で発
掘調査に参加したとのことです。
人間の縁とは不思議なもので、どこでどう繋がっているか、わからないものです。私には、この
ような経験があまりにも多いようです。
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