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古墳めぐり「継体天皇の樟葉宮を訪ねて」が終了!
1月21日、「継体天皇の樟葉宮を訪ねて」の古墳めぐりが無事に終わりました。
長期予報では、21日当日は曇り時々雨ということで、空模様が心配でした。というのも、この間の古墳
めぐりは、雨それも大雨のことが多かったからです。あやうく私も雨男にされるとこでしたが、時折青空
が出る曇り空で、散策にはちょうどよい天気でした。京阪の八幡市駅に午前10時に集合、参加者は46
名でした。男山ケーブルに乗り、まずは男山展望台に行きました。
眼下に桂川・宇治川・木津川が合流して、淀川になるのが手に取るように見えます。また展望台の目の前
には天王山が見えます。天正10年(1582年)織田信長が本能寺の変で、明智光秀に暗殺され、備中
高松城を水攻めにしていた豊臣秀吉が急を聞いて、京に帰ろうとして、明智側とのつばぜり合いがあった
場所です。この天王山は、現代でも慣用句として使われるように、天下分け目の要衝の地でした。
三大河川が合流し、山陽道と古山陰道が交わるこの地は、すでに継体の時代にも要衝の地であったことが
わかります。
また継体にとっては、この男山丘陵の西側に広がる河内には、継体から連絡を受けた河内馬飼首荒籠の本
拠地であり、多くの牧があり、運搬用・軍事用に必要な馬を大量に供給できることも大きな強みでした。
さらに近年の調査で、交野から枚方にかけて製鉄遺跡が見つかっていて、武器や武具の入手が容易であっ
たこともわかってきています。
男山展望台に立って、このような地勢を目の当たりにしますと、琵琶湖から瀬田川を下り、巨椋池を通
り、宇治川を一挙に下って、この地に継体軍が侵出してきたことが理解出来ます。
展望台の後は、頂上にある石清水八幡宮にお参りし、男山日だまり道を下り、山麓にある東高野街道を歩
いて、西車塚古墳へと行きました。
昼食後、街道を挟んで東側にある松花堂に入りました。お弁当で有名な松花堂には、その綺麗な庭園に築
山として見立てられた、東車塚古墳があります。写真は松花堂入り口です。
後円部もかなりの改変され、前方部のごくごく一部が残っています。また庭園にはさまざまな竹林があ
り、わび・さびの趣のあるものです(写真)。
東車塚の後は、男山第3中学の横にあった八幡茶臼山古墳に行きました。継体の時代よりは、はるか前の
古墳ですが、この古墳からは熊本県の竜北町の氷川流域の石棺が出ています。このあたりは、すでに古墳
時代前期に、淀川の水運を利用して、遠く九州、それも肥後との交易があったことになります。当然朝鮮
半島や大陸との交易もやっていたことになります。
そこから少し歩いて、交野天神社内にある樟葉宮伝承地まで行き、その日に歩いたまとめをして解散しま
した。
まだ樟葉宮は見つかってはいませんが、現在の伝承地よりも北側で、淀川に近い位置にあると思われま
す。また宮という呼び名と、さらに『日本書紀』では、樟葉宮で継体が即位したことになっていますの
で、どうしても宮殿をイメージしてしまいますが、会報『考古文化』でも具体的な根拠を挙げましたよう
に、樟葉宮は継体側にとっては、侵出の根拠地であり、畿内を掌握するための最前線基地であったと思い
ます。このような視点からもとらえなおす必要があるように思います。
今回の古墳めぐりは、いつものように古墳を見たり、石室を見たりということが少なかったのですが、こ
のような試みもよいのではないか、と思っています。
参加されました皆様、ありがとうございました。いつもさまざまなサポートをして頂いている研究会スタ
ッフの皆様、お疲れ様でした。
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