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金印の謎

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有名な金印

福岡県の志賀島から江戸時代に出た金印といえば、どなたもご存知のことだと思います。「漢委奴国王」

と刻まれた例の金印のことです。中学の教科書でも、後漢の光武帝からもらったものと説明されていま

す。

中国の史書である『後漢書』の東夷伝・倭の条には、

建武中元二年(57年)、倭奴国奉貢し、朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南

界なり。光武、賜うに印綬を以てす。


とあります。西暦57年に倭奴国が後漢に朝貢し、時の光武帝から金印をもらったというものです。

その金印が天明4年(1784年)2月23日、志賀島の農民である甚兵衛という人によって、掘り出さ

れたというのが一般的に流布されていることです。

このことについて、少なからず私が疑問を抱いたのは、純粋に考古学的な知見からでした。

それは出土当時のことを記した「口上書」を含め、出土地について明確に書いたものがなく、およそこの

辺りだろうとのことで、まずはそれ自体が疑問の第一点でした。

さらにその後、金印出土地とされる付近の発掘調査が行われた結果、そのような遺構もしくは痕跡すらな

く、極端な意見では、金印出土地はすでに海中に没しているのではないかというものでした。

金印出土よりは百年ほど後になりますが、同じ福岡県の糸島にある三雲南小路遺跡からは金印と同じよう

に偶然に農民の手によっておびただしい鏡と剣などが出て、記録され、後に王墓と考えられているものが

あります。

1970年代以降、この三雲の地で発掘調査がなされ、伝承通り、南小路と思われる遺跡から、江戸時代

に取り上げられなかった遺物の残りが検出され、江戸時代に掘られた穴まで検出されました。さらにこの

遺跡に伴う新しい甕棺まで見つかりました。

現代の発掘技術からすれば、このようなことはごく当たり前になっています。

ということは、本当に金印は志賀島から出たのか、という素朴な疑問が湧いてきます。

他方で、中国古代史の碩学である宮崎市定先生がかつて簡単ではありますが、金印に関しての疑義を出し

ていました。

このようなことから私自身、金印について大いなる疑問を持っていました。

ところが先日、本屋に立ち寄って、偶然三浦佑之『金印偽造事件−「漢委奴国王」のまぼろし』幻冬舎新

書2006年11月という本を見ました。

金印出土に関連する当時の状況、これまでの研究を丹念に調べたものです。

少し読みづらいところもありますが、非常によく調べた本です。

著者の三浦佑之氏は、結論として金印は江戸時代に偽作されたものだとしています。

私もこれまでの考古学的な知見から、およそ同じような結論になっていましたので、納得した次第です。

非常に面白い本ですので、ご興味がある方はお読み下さい。

『後漢書』の記事の問題に関しましては、別途に書きたいと思っています。

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