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鉛同位体分析の研究

このように魏鏡説と非魏鏡説が併存するという状況の中で、鏡の鉛同位体の分析とそのデーターが何人か

の研究者によって公表されました。中でも、1980年代以降東京国立文化財研究所の精度の高い質量分

析器を使った馬渕久夫氏と平尾良光氏は膨大な分析値データーを提供するとともに、鉛同位体比を表示し

た基準図を作りました(グラフ参照)。そこには縦軸にPb208/Pb206、横軸にPb207/Pb206をとり、前漢鏡

などの華北の鉛(領域A)、後漢・三国鏡などの華南の鉛(領域B)、日本産の鉛(領域C)、多鈕細文鏡など朝鮮半島の鉛(直線D)と、各地の鉛の分布領域が視覚的にわかるように示されています。

そして馬渕氏らはこの基準図に、問題の三角縁神獣鏡の鉛同位体比の分析値を落としてみました。その結

果、いわゆる舶載の三角縁神獣鏡は領域Bに属することを明らかにしました。

 領域B、つまり後漢・三国鏡など華南の鉛で舶載の三角縁神獣鏡が作られたことが明らかになったとい

うことです。

これによって、舶載の三角縁神獣鏡は魏の鏡であるということに決着がついたかのように見えました。

馬渕氏ら研究に対する批判

ところが馬渕氏らによる鉛同位体の研究結果に対して、三宝伸銅工業の久野雄一郎氏からは次のような批

判が出されました。すなわち、日本の鉛鉱床で最も大きい岐阜県の神岡鉱山のデータが加味されていない

というデーター分析を行う上での前提そのものが危ういという点、さらに4種類ある鉛同位体を分析する

のであれば、本来なら四次元の位相空間の1点として表示すべきだが、それでは視覚的に表現できないと

いう難点があるため、せめて三次元表示をして、できるだけ分析値本来の姿を生かした表示にして、考察

する必要性があるとの分析の前提と分析手法への疑問でした。

また考古学者の故堅田直先生は、久野雄一郎氏と同じ視点に立って、三種の同位体比をもとに多変量解析

法を使って、京都府の椿井大塚山古墳出土の舶載三角縁神獣鏡を馬渕氏らのデーターを使って分析し直し

ました。その結果、少なくとも何面かの三角縁神獣鏡が馬渕氏らの報告とは異なり、神岡の鉛を使ってい

る可能性が高いことが明らかとなり、これまでの報告の再考を促しました。

このように非常に貴重な提言がなされた訳ですが、馬渕氏らが出した研究、特に鉛同位体による基準図は

その後も使われたり、引用されるという状況が続いていました。

新たな研究

2000年になって、新井宏先生によって馬渕氏らの基準図そのものにメスが入ることになりました。

 それはまず馬渕氏らの基準図にある直線Dの領域、つまり馬渕氏らが言う「朝鮮半島産鉛」についての

分析でした。この直線Dは、発表当初は「朝鮮半島系青銅器の鉛」とされていたものですが、いつのまに

か「朝鮮半島産鉛」と変わったものです。

そもそもこの直線Dは、細形銅剣・多鈕細文鏡・菱環鈕式銅鐸が分布することから得られたもので、細形

銅剣と多鈕細文鏡、銅鐸の起源とされる馬鐸が朝鮮半島を中心に分布することから、朝鮮半島産鉛として

しまうのは、これまでの考古学的知見からすれば無理からぬところもあります。

 ところが新井先生によれば、馬渕氏自身が発表した朝鮮半島の鉛鉱山の分布図も佐々木氏が発表した鉛

鉱山分布図のどちらもが直線Dとはまったく異なった分布を示すということです。つまり馬渕氏自身の発

表にもあるように、直線Dは朝鮮半島産の鉛の分布を示すものではないということになります。

ではどこの鉛かと言えば、新井先生によれば中国の商周期の青銅器に直線Dに乗る例が多く、中でも近年

注目を集めている三青堆遺跡に近い雲南省の鉱山の鉛も直線Dによく乗っているとのことです。

このことから弥生時代前期の各種の青銅器は、商周時代の中国の青銅器のリサイクル品が混入した考えら

れるとしています。

次に華北の鉛とされる領域Aでは、馬渕氏の調査でも中国側の調査でも、今のところこの領域に入る中国

の鉱山は見つかっていないということです。ただし中国においては、北部と南部では鉛同位体比に著しい

差があり、その点から言えば領域Aを北部の鉛としても問題がないということです。

舶載三角縁神獣鏡が入るとされる問題の領域Bですが、湖南省などの鉛はこの領域下半部に分布します

が、上半部にはまったく事例がありません。そしてこの領域は、舶載の三角縁神獣鏡だけでなく、仿製の

三角縁神獣鏡、古墳時代の仿製鏡が集中しているところです。

この上半部には、分析精度は低いですが遼寧省や河北省の鉱山で当てはまるものはあるようですが、それ

では華南の鉛とはなりません。

何よりも精度の高いデーターとして、朝鮮半島の全州鉱山や月岳鉱山、日本の神岡鉱山がこの分布に一致

していることです。

つまり舶載と仿製の三角縁神獣鏡のどちらもが中国のごくごく一部を除く、朝鮮半島もしくは日本の鉛を

使用して作られたことになります。魏鏡ではないということになります。

次に小林行雄が三角縁神獣鏡を魏鏡とした主要な根拠である紀年鏡についての分析です。まず

馬渕氏らが発表した鉛同位体比のデーターから鉛204,鉛206,鉛207,鉛208のパーセントと

して計算し直し、各成分の差を相対値として、その絶対値を平均したものとして類似指数として定義しま

す。それで2面の鏡の分析値を先の式に当てはめ、2面の鏡の類似指数を見るというものです。この類似

指数が0に近ければ、同一原料を使用したということになります。

それで紀年鏡を見てみますと、

Aグループ
正始元年森尾鏡
景初四年辰馬鏡
青龍三年大田鏡
青龍三年個人蔵鏡

Bグループ
正始元年柴崎鏡
景初四年広峯鏡

となることがわかりました。Aグループは、正始・景初・青龍という異なった年号の鏡が同一材料で、同

じ時に同じ場所で作られたことになります。またBグループでも正始・景初が同じ材料、同じ時に作られ

たことになります。AとBは別々に作られたことになります。

異なった年号鏡が中国の王朝下で一括して作られることは考えられず、中国以外の地で作られたことにな

ります。また異なる年号鏡が一度に作られるということは、刻まれた年号以降に作られたことを示してお

り、そこには複製鏡、わかりやすく言えばコピー鏡の製作が行われていたことを示しています。さらには

復古鏡、リバイバル鏡が作られていた可能性も示しています。

この紀年鏡の分析からも、三角縁神獣鏡が魏鏡ではないことがより鮮明になります。

これらの解析結果から、三角縁神獣鏡は魏の鏡ではなく、列島内で作られた鏡であるということになりま

す。

また古墳時代に出土する後漢式鏡類(漢鏡6期)の大部分がその時代のものではなく、新たに作られた複

製(コピー)鏡や復古(リバイバル)鏡であることが明らかになりました。

思えば、この点にいち早く気付き、小林の伝世鏡論を理論的に批判した内藤晃の指摘が数十年を経て、自

然科学によって再度証明されたことになります。

三角縁神獣鏡が魏の鏡ではないということは、邪馬台国論争において大和説はその主柱を失ったことにな

ります。

実は問題はこれだけにとどまりません。このブログでも何度か書きましたように、戦後に出来上がった、

古墳時代の年代観や枠組みは、三角縁神獣鏡が魏から下賜された鏡というのが大前提になっているからで

す。その前提自身が間違っているとすれば、その上に建てられた枠組みはどうなるのでしょうか?

ことの重大さにどれだけの考古学研究者が気付いているのでしょうか?

今後の三角縁神獣鏡に関する研究では、魏鏡説を唱えるなら、新井論文を踏まえて、少なくとも鉛同位体

比についての独自の解析結果を提示する必要があります。

今回の新井先生の著書が出たことによって、三角縁神獣鏡を中心とする鏡の問題がまったく新しい段階に

入ったことを実感します。まさに「戦後レジュームからの脱却」です。

より多くの方にこの著作を読んでいただきたいと思います。

そして尊敬する新井宏先生に御礼申し上げたいと思います。

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