ちょっと考古学

一介のアマチュアがやっている気軽な考古学です

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昨日(8月13日)、テレビのニュ−ス番組などでは、奈良県の飛鳥にある都塚古墳の墳丘調査で、これまでに類例の無い、特異なピラミッド状の積み石による段築を持った構造が明らかになり、当古墳がある地域が古代の豪族である蘇我氏の地域であることなどから、蘇我の稲目の墓ではないか、と大きく報道されていました。その有力な根拠として、当古墳の特異な段築が高句麗の有力者の古墳に似ており、当時高句麗と交流が強かった蘇我氏が候補に挙がり、今回の結論に到った、と言うのが論拠のようです。このことについて、少し考えてみたいと思います。  まず、有力な論拠として挙げられている高句麗の古墳について少し調べてみました。例えば、『高句麗の歴史と遺跡』森浩一監修・東潮・田中俊明編著1995年中央公論社)のP170にある高句麗積石塚の所類型とする図に依れば著名な高句麗の将軍塚古墳の平面図断面図が掲載されており、その図をよく見ると、確かに石垣状の列石で作られていて7段あります。しかし、何よりも高句麗の将軍塚は石室が最上段部にあり、他方都塚は最下段部にある、と言う明らかな違いがあります。他方、積石状石垣で段築を持ち、高句麗の将軍塚古墳のように最上段部石室を持つ古墳として思い出されるのは、岡山県北房町(現在の真庭市)にある大谷(おおや)1号墳です。この大谷1号墳では、天井部も含めると5段となります。現在は、発掘調査後保存の為、コンクリ−トで固められていますが、こちらの方がより高句麗との類似正が高いのではないでしょうか。ちなみに、この古墳よりは後の時代に成立した元禄検地帳には、この辺りは、太宰(たいさい)という地名であったことが書かれており、大谷1号墳は吉備太宰の石川王の墓である可能性が高い、と思われます。詳しくは、『終末期古墳と大谷1号墳』(1996年 平井勝・近藤義郎・猪熊兼勝・門脇禎二 司会 葛原克人 大谷1号墳シンポジウム 大谷1号墳シンポジウム実行委員会 参照)この古墳の現在の状況は、http://cms.top-page.jp/p/maniwa/3/4/26/をご覧下さい。都塚古墳より高句麗の古墳に近い、最上段に石室のある古墳が岡山県にあると言うことからまた考えを深めたいと思います。 

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