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西條52号弥生墳丘墓

 前方後円墳の原型と考えられる兵庫県加古川市の西條52号弥生墳丘墓の写真を

ミクシーにアップしました。前方後円墳の形や埋葬がどのようにして出来上がったのか、

ということを考える上で、非常に重要な遺跡ですが、既に消滅しました。

これほど重要な遺跡にもかかわらず、インターネットで調べても、ほとんどわかりません。

未公開の写真も含めて、貴重な情報をミクシーに書きましたので、ミクシーに参加されている

方は、是非ご覧下さい。  ↓  ↓  ↓

 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=187716075&owner_id=655681

です。

九州最古級の古墳?

 市民の古代研究会・関東の「古代の風」第144号を横山さんから

送っていただきました。早速目を通すと、面白い記事が紹介されてい

ました。大分合同新聞5月20日付けの記事で、

「杵築の小熊山古墳 九州最古級か「3世紀後半」の可能性」という見出し

の記事です。

 同じ記事は下記でもご覧になれます。↓

 http://kiji.i-bunbun.com/read/read.cgi?1148050800=11480852713321=1

大分県内で最大規模、墳長120mの小熊山古墳が出土した土器から、これまで

考えられていた年代よりも古くなりそうだというものです。

 九州で最も古いとされる宇佐市の赤塚古墳や福岡県苅田町の石塚山古墳に迫る時

期が考えられるという内容です。記事には説明がありませんが、赤塚古墳は周濠内

から出土した二重口縁壷の口縁部の小さな破片が古いとされる根拠になっています。

長径10cmぐらいのこの口縁部破片には円形浮文があり、庄内式土器に属すると

考えられ、それが論拠となっています。同じように石塚山古墳も二重口縁壷の破片が

出土しており、それが古い根拠となっています。

 小熊山古墳の場合は、「受け口状円筒埴輪」が数点出ていて、それが古い根拠とな

っているようです。記事の写真を見てもよくわかりませんが、都月型特殊器台のよう

に口縁部が有段になっているようです。記事では、奈良県の東殿塚や西殿塚古墳の例

が出されていて、それが最古の根拠となっていますが、それよりも新しいメスリ山古墳

からも特殊器台の受け部と同じ円筒埴輪が出ていますので、それも併記しておかなければ

ならないと思います。

 それとこれらの埴輪片が出たのがくびれ部という点は、興味深い問題です。

このブログでも紹介したことがある大分の対岸にあたる四国今治の妙見山1号墳も埴輪が

くびれ部から出ていると記憶しています。

 西都原81号墳の時にも述べましたが、土器の併行関係も明確ではない大和に例を取るので

はなく、近くによく似た例があるのですから、まずそれとの関係を明確にすることが大事では

ないでしょうか。

 主体部の調査もされていませんので、今後の調査に注目したいと思います。

狐塚氏急逝す

 用田正晴さんのブログを読んでいて、狐塚省蔵さんが急逝したことを

知りました。まだ56才というのに。

 狐塚さんについては、このブログの「土器様式論」でも取り上げました。

狐塚さんは早稲田の政経を出た後、岡大に再度入学しました。在学時、1・

2度顔を合わせたぐらいで、話をしたことはありません。妙に理屈っぽい

人だと聞いていましたが、私自身が研究室に行くことができず、話す機会は

ありませんでした。

 狐塚さんの卒業論文「吉備型器台論」は、このブログでも取り上げました

ように、当時にあってはそれまでの特殊器台に関する研究を網羅した点で、

またもともとの編年が高橋護先生によって出されたものであることなど、注目

すべき内容をもつ画期的なものでした。ただ狐塚さんがそこで提出した特殊器

台の編年については、私は疑問を持っています。

 岡大卒業後、狐塚さんは高橋先生のもとに通っていました。その後奥田尚先生

や米田敏幸さんとの共同研究などを行っていました。狐塚さんが書いた論文は少

ないですが、そのどれもが斬新な視点から書かれたもので、私と同じように高橋

先生や奥田先生と深い関係があることで、親近感を覚え、私は熱烈な狐塚論文ファン

でした。

 またこのブログでも書いたと思いますが、大学以来の親友のYが立坂遺跡を発掘

調査しているときに、たまたま車に頭を轢かれたマムシを見つけ、下宿に帰って焼酎

に浸けていました。Yの下宿を訪ねると、毎回押入にしまっているその焼酎瓶を見せ

られていました。

 それから十数年経って、Yとお酒を飲みながら話していて、例のマムシ酒のことを

思い出し、訊ねてみました。Yによれば、「あの後、ほどよく浸かったと思ったので、

狐塚に飲ましたところ、一口飲んでこりゃいかんで」と言ったそうです。マムシが腐

っていたようです。それを聞いたときは、Yが狐塚には悪いことをしたと言うので、

当時のわれわれなら欠食学生だったので、なんでも口に入れたなぁと大笑いしました。

 大学後も岡山に居て、研究活動をしていました。ある時高橋先生のところを訊ねた時

に何気なく狐塚さんの話題になり、家業のホテルを継ぐために郷里富山に帰ったとのこ

とでした。

 ホテルの仕事に専念して、頑張っているとの噂を幾人もの人から聞きました。私として

はもっと考古学の研究をしてほしいと思っていました。

 それにしても日本考古学は惜しい人材を失ったものです。同じ高橋門下の一人としては、

さらにその思いが強いです。

 心よりご冥福をお祈り致します。
 

水引と特殊器台

イメージ 1

特殊器台の文様

 埴輪の起源である吉備地方の特殊器台の表面には、綾杉文やS字文と呼ばれる

数条の条線を持った帯や縁取りがある帯のようなものが描かれています。

楯築弥生墳丘墓の弧帯文石では、石全体にそのような帯がぐるぐると巻かれ、ところ

どころには2個一対の円が描かれています。そして石の正面には、人の顔が描かれて

います。よくよく見ると、その顔には目と口が細い線で描かれています。写真などで

見ると眉や目、鼻と思えるものがありますが、あれは後世の傷で、実際はかなり細い

線で目や口が描かれています。弧帯文石は、顔だけ出して、あとは帯でぐるぐる巻に

したことを示しているようです。楯築の弧帯文石は、埋葬したときには文様だけでは

なく、実際の帯が巻かれていたと私は考えています。

 さて、特殊器台に描かれている組帯文はどのような意味があるのか、という問題が

あります。それを推測する手だてとしては、楯築の弧帯文石と黒宮大塚の特殊器台(

写真)があります。写真をよく見て頂くとわかりますように、特殊器台の真ん中のもの

は、どこかで見たことがないでしょうか?
 
 そうです、私たちが現在も慶弔の時に使っている水引そのものです。水引も数本のこ

よりで、2個一対の円を描き、楯築の弧帯文石の一部であることがわかります。

 弥生時代後期後半から現代まで残っていることがわかります。大切なものを封印する、

〆をするという意味があるようです。このように縛りをするのは、縄文時代後期に既に

あったのですが、水引と直接の関係を示すものは吉備地方の特殊器台だけです。

 それから吉備地方だけではないですが、特に吉備地方では顕著ですが、お墓に祭った

土器は割られたり、孔をあけたりしています。これはもう使わない、使えないということ

を意味しているのですが、現代でも葬儀の時に、門口で茶碗を割る習慣があります。この

習慣もどうも関係があるようです。そして岡山などでは、出棺の時にワラを燃やして、一筋

の煙を立てるという習慣もあるようです。

 興味深いことに、楯築墳丘墓から出たもう一つの小型の弧帯文石は表面が薄く剥がれて、

文様がありませんでした。現在では、その剥がれた部分を元の石に貼り付ける復元作業が

行われているので、元の文様を見ることが出来ます。色々なところに散らばっている小さな

破片を見つけ、それを貼り付けるというのは、とても大変な作業だったと思います。

 この小型の弧帯文石は、打ち欠いて文様がなくなったのではなく、石の変色の様子や剥がれ

方から、火にくべられて、表面がはじけたようです。ここでも火が使われています。

 時代はほんの少し後の話しになりますが、古墳の墳丘をそこまで断ち割って調査をすると、

一番そこに黒い帯状の地層がよく見つかります。ブラック・バンドと呼ばれているものです。

これは古墳を造るときに、地表にある草木を燃やしたものと考えられています。作業をするた

めだけではなく、火を使った儀式があったと考えられます。

 このように考えますと、現代ではほとんど意味がわからずに使ったり、行ったりしているこ

とも、考古学からみればわかることもあると言うことになります。

キトラ古墳のカビ

毎日新聞の記事によれば、キトラ古墳でまたカビが見つかったとのことです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000012-maip-soci

キトラ古墳ではこれで二度目で、高松塚古墳での壁画の剥落と傷をつけたなど、

古墳を保存していく上での問題点が次から次へと出て来ています。

無責任な批判はしたくありませんので、この件についてはブログでも意識的に

取り上げてきませんでした。

今回の文化庁の発表は別として、これまでは問題点の公表があまりにも遅く、

率直に言って、お役所体質のようなものを感じていました。

現代に生きる私たちの役割は、現存する文化財を見ることができるという特権を

享受するだけでなく、これを今の姿でいかに後世まで残し、末永く伝えていくか、

ということだと思います。

特別史跡だからといって、すべてを丸投げで関係役所にお任せでは、駄目なようで

市民一人一人の注視が必要ではないかと思います。


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