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『石棺と陶棺』

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吉備考古ライブラリー・12として、倉林眞砂斗先生の『石棺と陶棺』が吉備人出版から

出ました。割竹形石棺から舟形石棺そして家形石棺、それぞれの特徴と時代的ながれを説明

し、吉備地方の石棺を集めて、石材からその石棺を製作する背景としてのネットワークを考察

しています。

また吉備に多い陶棺も併せて集成しています。

このように地域内の石棺や陶棺がまとまった形で出してもらえると、非常に便利で、勉強する

側にとってもありがたいものです。

 こんなことを言っては生意気ですが、考古学の勉強をしていますと、報告書や本を読んでいて、

再度自分自身で調べるのは当然のことですが、この研究者なら信用できるとか、この人なら全部

洗い直すつもりで調べないと危ないなぁというように、自然と自分の中にフィルターが出来上がって

います。

 倉林先生とは、近藤先生が調査団長を務めた日上天王山古墳の調査をはじめ、3つほどの調査に

ご一緒させていただきました。この短い間に見た、先生の着実な資料収集と冷静な分析力には、常

日頃から敬意を表している新進気鋭の研究者です。

定価1,680円とお値段も手頃で好著ですので、是非読んで頂きたいと思う1冊です。

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国際シンポジウム

11月12・13日、『日本列島における祭祀の淵源を求めて』(副題 考古学から見た

中国大陸・韓半島との比較研究)という国際シンポジウムが國學院大學で行われました。

中国や朝鮮半島の研究者と日本の研究者が集い、それぞれの分野の研究を発表するという

非常に興味深いものです。

日本の考古学を勉強するのに精一杯の私にとっては、このような機会でないと大陸や半島の

考古学研究の状況を知ることができないので、参加したいものでしたが、遠方のため諦めま

した。

 やながわさんがこのシンポジウムに参加し、運営しているSUKEさんにお願いして、写真

の予稿集をいただき、送ってくれました。

非常に立派な予稿集で、内容も多岐にわたりに興味深いものばかりです。少しずつ読んで、

少しは理解したいと思います。

考古学における祭祀

遺跡の発掘調査をして、何らかの土器の設置が見つかり、なぜそんな所にあるのか分らないとき

考古学では、往々にして「祭祀痕か?」というようにくくってしまいます。逆に遺跡から何も見つ

からなくなくとも、そこで痕跡を残さない舞が行われたり、音楽を奏でていたかもしれません。

このように祭祀というものは、人間の生活では重要な部分ですが、それを考古学的に解明していく

というのは至難のことです。

そのためには、このような内外の調査例を集めて、これらの関係を整理していくことが重要となり

ます。

 やながわさん、SUKEさんに御礼を申し上げます。

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大王の棺と言われる長持形石棺は、古墳時代前期中頃

から同後半にかけて出現しました。主に巨大古墳の埋葬棺として使われることか

ら先の名前があります。

この石棺は、兵庫県高砂市から加古川市そして加西市にかけて産出する姫路酸性

岩で作られており、考古学ではこれまで竜山石と呼ばれています。

上記の石切場では、現在でも大半が稼働しており、竜山がある高砂市のものは現地

では”石の宝殿”にちなんで宝殿石と呼ばれています。

古墳時代に長持形石棺や家形石棺として作られた石材は、竜山の石というよりも

峰が違う伊保山の石の可能性が高く、また加古川の池尻、加西市の長と高室とそれ

ぞれに含まれる礫と鉱物が微妙に違い、大きく区別できるために敢えて私は、総称

的用法として「竜山石」と呼んでいますが、区分可能なものはできる限り産出地が

判明するものは、産出地名で呼んでいます。

そして岩石名も、記載岩石学の方法に準じて表現するようにしています。

この度『竜山石切場』という報告書が高砂市教育委員会から出され、岩石学的分析

と古代のみならず、中世・近世の石切丁場のまとまった報告書が出されました。

これまで考古学界では、漠然と竜山石と称していたものを岩石学的裏付けと播磨各地

石切場の克明な踏査と報告によって、細かく分析しそして集成した貴重な報告書です。

この報告書によって、考古学における石棺石材と各種石材の研究は飛躍的に発展する

と思う労作で、研究史の一里塚としての位置とそしてターニングポイントとなるものと

思います。

同書でも、先に述べた私自身がやってきたことと同じ立場を提唱していることは、非常に

嬉しいものです。

播磨系石材を論ずるには、この報告書が今後基準となることは間違いありません。

同文献を送って頂いた高砂市教育委員会の関係諸氏に心からお礼申し上げるものです。

この書によって、私自身の勉強もさらに深めていきたいと思っています。

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『轟貝塚・馬門石石切場跡ー宇土市内遺跡範囲確認調査概報ー』

宇土市埋蔵文化財調査報告書 第27集 2005年3月が昨日

届きました。送っていただいたのは、阿蘇ピンク石の石棺を切り

出した熊本県網津町馬門に土地を持つ西 孝弘さんです。昨年の

調査に引き続き、今回は西さんの持っている土地が調査されること

になり、その報告書を送っていただいたという次第です。

そもそも西 孝弘さんとは、姓が同じで名前がよく似ているという

か、読みが私とは逆なだけで親戚だと思われる方もいると思います

が、そのような関係はありません。

孝弘さんは、熊本で手広く事業をされており、青年会議所の要職も

されている実業家です。それで馬門地区の土地を手に入れ、その土地

から阿蘇ピンク石が産出されることを知り、歴史や考古学の勉強をされ

ました。その結果、古代に阿蘇ピンク石が石棺として作られていたこと

を知り、現在はこの阿蘇ピンク石の骨壺の会社も経営されています。

http://www.makadoishi.com/index.php です。

このように阿蘇ピンク石に関係する仕事も兼任されている関係から、

ある日馬門(まかど)石、阿蘇ピンク石とインターネットで検索を

されたとのことです。そうしますと、私どものHPにたどり着き、

阿蘇ピンク石のことを書いている私の名前を見て驚き、早速メールを

いただきました。

一方孝弘さんから来たメールを見て、私の方は送り主の名前を見て、

これはてっきりウイルスだと思い、開くのを躊躇しましたが、とりあ

えず開いてみました。そこには詳しくメールを出した経緯と連絡先が

書いてありましたので、お返事を書きました。何度かメールのやりとり

があり、孝弘さんが仕事で大阪に来られたときにお目にかかり、楽しい

時間を過ごすことができました。それ以来のおつきあいです。

私の先祖も西南戦争で鹿児島から熊本まで行き、そこで負傷したこと、

私の父は青春時代を学生として熊本で過ごしたこともあり、私は運命論

者ではありませんが、熊本や阿蘇ピンク石と縁があるのだと強く思った

ものです。

それからもう一つ、一昨日私どものスタッフで研究仲間の西森忠幸さんか

ら『高安古墳群 測量・実測調査報告書ー法蔵寺境内 市史跡開山塚古墳』

2005年3月八尾市教育委員会を送っていただきました。先頃私たち研究

会で古墳めぐりを行った開山塚の報告書です。この調査に西森さんも参加さ

れていたので、詳しい話しを聴いていましたが、このようにきちっと活字化

されたものが手元にあると、何かを調べたり、書いたりするときに便利で、

有り難いものです。

一般の人々がなかなか考古学に取っつきにくいのも、実はこのような報告書

が入手しにくいことと、独特の言い回しで書かれた考古学の報告書がわかり

にくい点にあると思います。

私たちが研究会を作っている理由は、どこにどのような報告書があるのか、

書籍があるのか、などの情報交換ができることやお互いに貸し借りできる点

があります。個人では、このような作業はかなり難しいと思います。

そしてスタッフの目標は、一人一人がこのような報告書を読んで、内容を

理解し、批判的に自分なりの見解がもてるようになることです。

その意味からも、このような報告書の提供は有り難いものです。

この場を借りて、西 孝弘さんと西森忠幸さんに御礼申し上げます。

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