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考古文化 第46号

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会報46号が出ました

私どもの会報「考古文化」第46号が出ました。

吉野修「庭鳥塚古墳の現地説明会の感想」

中岡敬善「野神古墳を考える−阿蘇ピンク石製石棺と馬具による築造時期の検討−」

拙稿「継体紀と考古学 1」

という内容です。

吉野論文は、昨年大阪府羽曳野市で発掘された庭鳥塚古墳の現地説明会をもとに、

三角縁神獣鏡などの副葬品、特に筒形銅器の分布と時期などの詳細な検討から、

同古墳の築造時期と被葬者像を絞っていくとい労作です。筒形銅器の時期やそれを

副葬する古墳の集成がなされているのは、今後も使える貴重な資料です。

中岡論文は、阿蘇ピンク石石棺と縄掛突起をもつ天井石がある奈良市京終の野神古墳

に関する考察です。阿蘇ピンク石石棺の変遷を基礎に、また縄掛突起の天井石をもつ

古墳の集成を行っています。さらに同古墳出土とされる馬具についても、詳細な検討を

行い、同古墳の築造時期をかなり絞り込んでいます。これまでの定説を踏まえ、さらに

踏み込んだ考察で、力作です。

拙稿は、昨年9月大阪・本年4月東京で行いました講演会の内容を成文化した連載ものです。

継体紀の分析と考古資料を対比して、当時の状況を克明に復元しようというもので、これま

での文献史学や考古学の定説とは、かなり違うものです。どちらの説が妥当かは、読んで頂い

た人に判断してほいしいと思います。

いずれの論文も非常に示唆的で、ご興味のある方には読んで頂きたいと思います。

私ども考古文化研究会のHPにございます「考古文化の会」会員になって頂きますと、会報購読

ができますので、よろしくお願い致します。

巣山古墳の木製品

巣山古墳から出た木製品

 このブログでも取り上げました奈良県・巣山古墳出土の木製品についての

記事がHPにアップされています。広陵町で公開展示に参加した私どものス

タッフの吉野さんの写真付の報告です。綺麗な写真ですので、木製品の細かい

ところまでよくわかります。

 吉野さんの記事でも取り上げられていますように、出土発表当初は長持形木棺

の蓋とされていた木製品について、橿原考古学研究所の岡林孝作氏によって、棺

蓋ではなく、準構造船の波切り板ではないか、という異論が出ているようです。

近く、その報告も出るようです。

 棺蓋、波切り板のいずれにしても、初めての例ですから、貴重な資料と言えます。

写真を見ますと、問題の木製品の表面には円文や直弧文が描かれています。そして

側面に1対の縄掛突起のようなものが見えます。そして断面はかなりのカーブを描く

丸いものです。これらの点、特に縄掛突起が長持形木棺の蓋と判断する根拠になった

ようです。

 一方、岡林説にあるように、波切り板という考えも否定しにくい面もあります。

もし長持形の蓋であれば、裏側に側板を差し込む溝が彫込まれているはずです。

小口部分も残ってれば、そこには小口板をはめ込む溝が同じように彫られています。

このような点からの再検討が必要になると思います。

詳しくは、HPをご覧下さい↓

http://www7.ocn.ne.jp/~kobunken/

昨日、東京に行ってきました。

市民の古代研究会・関東のお招きで、お話しをさせて頂きました。

関東では6年ぶりの講演会で、少し緊張していましたが、追加の机を出すほどの

大勢の方にご参加頂き、うれしく思いました。

柳川さん、横山さんをはじめとする関東の方々に御礼申し上げます。

またミクシーつながりのcisatoさん、なびさんにもご参加頂き、有り難く思っています。

講演会後の懇親会も本当にたくさんの方と楽しい時間を過ごすことができました。

あまりにも楽しくて、時間が遅くなり、関東の面々にはご迷惑をおかけしました。

楽しい時間を過ごさせて頂いたお陰で、大阪までの帰途はあっというまで、退屈では

ありませんでした。ビールがはいっていたせいもありますが。

まずはお世話になった皆様に感謝申し上げます。

当日の模様は↓をご覧下さい。

http://www.e-towncom.jp/iasga/sv/eBBS_Main?uid=477&aid=0&s=1003,548&11447238

またまたまた雨!

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またまたまた雨!

 4月2日、「古市古墳群めぐりパート1」の古墳めぐりを行いました。

天気予報では、雨とのこと。車窓からどんよりと曇った空を見つめながら、嫌な予感を抱きつつ、

集合場所の古市の駅に向かいました。駅に着くと、携帯に欠席の連絡が続々と入ります。

待っていると、静岡や埼玉など関東の方々来られました。初対面の方も多く、盛上がらない気持ち

も少し晴れて、頑張るぞ!という気持ちになりました。

 参加者36名で、最初の軽里大塚古墳に向かいました。そのとき雨がポツリ、ポツリと降り出し

ました。やはり雨か、オーイどんなってんだ! これまで50回以上古墳めぐりの案内をして、一度

も雨はなかったのに、この3回はずっと雨ばかり。

 どうもN森シンドロームにかかっているようです。それでも雨の中を、参加者の皆さんは楽しそうに

歩いています。早めの昼ご飯を羽曳野市役所の屋根のあるところで済ませ、次の誉田八幡宮まで行き、

そして大鳥塚古墳まで行きました。小雨のお陰で、土が洗い流され、結構たくさんの埴輪片が顔をのぞ

かせています。私の説明などそっちのけで、下ばっかりを見て、埴輪探しに夢中です。

 まあ、こういうこともいいだろうと、自分に言い聞かせながら、参加されている方々の嬉々とした様

子を見ていました。

 お昼を過ぎて、古室山古墳に行くころには、すっかり雨も上がり、明るくなっていました。

最終の長持山古墳の石棺を見るときまで、雨はなく、説明を終えて、解散となったとき、雷鳴と共に大

粒の雨が洪水のように降り出しました。土師ノ里の駅に行くまで、近所のマンションの入り口で、しばし

雨宿りです。古墳見学中、この大雨に会わなくてよかったと思うだけです。

 写真は、助太山古墳の横口式石槨を見学中のものと長持山古墳の石棺を見学中のものです。

写真は西尾純博さんに提供してもらいました。

参加された皆様、本当にお疲れ様でした。これに懲りず、古墳めぐりに参加して下さいね。

4月9日の講演会

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4月に東京

 市民の古代研究会・関東からお招きいただいて、東京でお話しさせていただきます。

だいぶ前には、何度か寄せていただいて、お話しをしましたが、今回は久しぶりで、

少し緊張気味です。今回は継体天皇について、今城塚古墳の調査から明らかになってき

たことや、特に『日本書紀』の継体紀と今城塚以外の古墳などの考古資料を紹介しなが

ら、従来説の問題点などを出してみたいと考えています。

 なぜ今城塚から阿蘇ピンク石石棺が出ているのか、などの基本的な問題点も考えてみた

いとも思っています。関東では目にすることが少ない阿蘇ピンク石といわゆる「竜山石」

という播磨系石材も持参しますので、出席される方々に見ていただきたいと思っています。

かく言いながら、私は話をするのが下手ですので、はなはだ心許ないです。かといって、文

章を書くのも下手で、苦手です。

それで目下、勉強中です。このブログで取り上げた森博達先生の分析によれば、継体紀は正式

な唐代北方音で書かれているとのことですので、継体紀に表れる用語の例を中国史書で調べて

います。

 森先生の指摘のように、継体紀には確かに限られた時期の北方系の用語が多いようです。

例えば、継体が生まれたとされる彦主人王の「別業」という用語も、『北史』などの時期のも

のにしかないようです。

写真は『北史』とその用例です。

 講演会の詳細は、市民の古代研究会・関東のHPの下記のお知らせをご覧下さい。

http://www.ne.jp/asahi/kodai/kaze/shinchaku.htm

 です。

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