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http://blog-imgs-68.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20140826084036033.jpg http://blog-imgs-68.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/P8260002.jpg 有志によって作成された『朝日新聞の捏造報道』チラシ ▽PDFファイル▽ http://mikoup.ebb.jp/src/file934.pdf この『朝日新聞の捏造報道』チラシに記述されている内容は、次のとおり。(そのまま書き写し)
▼解説▼ >■1970中国礼讃キャンペーン >■1971南京大虐殺キャンペーン ━━━━━━━━━━ 実は戦後しばらくの間、「南京虐殺」は忘れられた存在だった。「大宅壮一文庫・雑誌記事索引総目録」を検索すると、占領下の昭和21年にティンパーリーの文が1回載っただけで、その後年10年間該当する記事がない。そして昭和31年に吉本隆明らが「多くの文学者が戦時下の言論活動の総括をしていない」と批判、「戦争責任論争」として一時話題になった時期に4件だけ「南京虐殺」が登場する。ちなみにそのうちの1件が先に紹介した「今井記者のニセ手記」である。そしてその後は昭和46年のー月まで14年近くもの間、1件の該当記事もない。 戦後すっかり風潮が変わり、「日本軍国主義」を告発することが正義とされる世の中になったのに、昭和31年の一時期を除けば25年もの間、「南京大虐殺」をほとんど誰も語っていなかったのだ。本当に「大虐殺」があったのなら、このような現象はありえない。 もしこのまま時が流れ、冷静に事実の検証が行なわれていれば、「南京虐殺」は『私は貝になりたい』のように、不正な戦犯裁判による占領下日本の悲劇の一つとして歴史に残っていたかも知れないのだ。ところが現実には未だに南京で大虐殺があったということが常識になっている。しかも東京裁判ですら認定できなかった「犠牲者30万人、計画的・組織的虐殺」が事実として宣伝されている。なぜそんなことが起きたのだろうか。 大宅壮一文庫によると、25年近くほとんど誰も語っていなかった「南京虐殺」の記事が、昭和46(1971)年一年間で突然12件も登場する。70年代からコトは始まったのだ。戦後四半世紀も経ってから、日本人が自ら「東京裁判」をもう一度やるような行為を始め、忘れられていた「南京」に強引に光を当て、さらに膨らませた「大虐殺」として日本国中に自ら流布した、それが今日の問題の根源なのだ。 ではその日本人とは誰か? 「朝日新聞」である。 既に稲垣武氏、片岡正巳氏、井沢元彦氏ら多くの人が指摘し、一部は朝日新聞も認めているように、70年代前半、朝日新聞は報道機関としての立場を外れ、完全に中国に偏向していた。 常軌を逸して中国に肩入れした広岡知男社長から「たとえ事実でも中国に都合の悪いことは書くな」という趣旨の命令が出され、現実に実行されていたのである。これは裏を返せば「たとえウソでも中国に都合のいいことを書け」と言っているようなもので、実際にそのような記事も書かれていた。 70年安保を前に、佐藤.ニクソン会談で沖縄返還・日米安保強化の声明が出された際、中国政府はこれを「日本軍国主義の復活だ、日本は未だ中国の戦争被害者に謝罪していない」と猛烈に非難した。日本の「軍国主義化」など実際にはありえないことは明白で、これはその後も事あるごとに繰り返される中国の反日プロパガンダにすぎなかったのだが、朝日新聞はこれを直輸入して記事にし、大宣伝し始めたのである。 当時の中国は文化大革命の真っただ中、「日本は世界征服の陰謀の第一歩として中国を侵略した」というトンデモない内容の反日偽書『田中上秦文』を『毛沢東語録』とともに大量頒布し、ありとあらゆる「日本軍の蛮行」を捏造しまくり、「その悪鬼・日本から我々を救って下さったのは毛沢東主席だ」という大宣伝を行なって国内をまとめていた。その一環として「南京大虐殺」も使われていたのだが、朝日はそんなプロパガンダを直輸入し、検証もせずに大宣伝したのだ。そして反戦・反権力ブームの当時の世相がそれを後押しし、他のマスコミも追随した。それが、戦後消えていた「南京虐殺」が突然大々的にマスコミに登場した理由なのである。 この常軌を逸した朝日報道の中でも、最大の決定打となったのは昭和46(1971)年8月から連載された『中国の旅』だった。執筆者は本多勝一記者。これは本多記者が中国に出かけ、中国共産党政府が用意した「証人」に聞いた話を「裏付け・検証ナシ」でそのまま掲載したものである。「裏付けナシ」という、新聞記事の常識を無視した企画が新聞本紙、週刊朝日、朝日ジャーナル、アサヒグラフなど、あらゆる媒体を使って大々的に展開、翌年には単行本化され、ベストセラーになった。 文革真っただ中、今で言えば北朝鮮政府が選んだ人に北朝鮮の国情と金正日の人柄を聞いてくるようなもので、現在冷静に読み返してみると、もう笑うしかない代物になってしまっている。なにしろ出る人出る人、口々に「生きたまま顔の皮を剥いだ」だの「肝を取り出して煮て食った」だの、中国・漢民族の伝統文化の発想にしかない残虐行為を「日本兵がやった」とする証言を延々続け、最後に「今は毛沢東主席のおかげでしあわせです」と判で押したように語るのである。当の中国政府が、文革を権力闘争による同胞2000万大虐殺を伴うとてつもない犯罪行為、と認めている現在も、なぜかこの本は出版されている。 この連載の中で「南京」も大々的にとりあげられ、中国の証言そのままに「犠牲者30万人」が改めて大宣伝された。実は東京裁判の時には南京の事件は「南京暴虐事件」などの名称で呼ばれていた。「南京大虐殺」の名が一般的になったのは『中国の旅』から後のことである。言い様によっては「南京大虐殺」は朝日新聞が作った、とも言えるのである。 『中国の旅』キャンペーンには「事実と違う」という声も多く寄せられていた。しかし朝日はその反論をすべて無視し、中国のプロパガンダである反日宣伝の物量作戦を続行した。あくまでもこれに反論しようとする者は、今より遙かに「日本の良心」としての権威があった朝日新聞の正義の前に「日中友好の敵」「軍国主義者」のレッテルを貼られ、沈黙させられた。 「被害者の証言を疑う者は悪魔」。「従軍慰安婦」の時にも繰り返された構図である。 『ゴーマニズム宣言』 ━━━━━━━━━━ ▼1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件▼ 朝日新聞が1970年代に突如開始した『南京大虐殺』の大キャンペーンの中でも、特に悪質だった1984年の捏造報道事件を紹介する。 http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20120309073639c74.jpg 「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」 「鉄嶺」は満州の都市。 張学良の配下の者が匪賊を銃殺し、見せしめとして首を切ったものと考えられ、当時この写真は満州や朝鮮などで販売されていた。 ところが、1984年8月4日、朝日新聞は、どこかでこの写真を入手し、日本軍による「南京大虐殺」の証拠写真として、とある「日記」と共にスクープ記事に掲載した! http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201203090719020bc.jpg http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201203090718086d8.jpg 昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊 「日記と写真もあった南京大虐殺」 「悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」 しかし、やがて、写真は偽物!! 日記も、朝日新聞による加筆あるいは改竄があったことが判明した。 http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201203090832594df.jpg
http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20120309084555c14.jpg 1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が偽物だったと判明 関心を持たれた方は是非、全文読んで頂きたい。 朝日新聞の卑劣さが良く分かる。 朝日新聞との闘い・われらの場合 都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ 吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長) http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html 「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載 この朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件については、『「宇和田日記」(日記帳)の現物があるから信頼できる』ような頓珍漢のことをいう馬鹿もいる。 しかし、この朝日新聞の日記捏造事件の核心は、本当に存在した宇和田日記に、後日誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行ったことにある。 騙されてはいけない。 当該事件の核心(想定)は以下のとおり。 ―――――――――― 1973年(昭和48年)、宇和田弥一、死去 1978年(昭和53年)の戦記編纂の以前に、宇和田氏の日記帳に誰かが加筆し、戦記編纂委員会に提出 戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送される ・その後、さらに、誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行い、日記は朝日新聞に渡る 1984年(昭和59年)年8月、朝日新聞に5段抜きの大見出しが躍る。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された記事は一大センセーションを巻き起こす 1984年末、吉川正司氏は、日記の【現物】を見せてもらったが、3メートルほど離れたところからで、判読は出来ず 1985年(昭和60年)2月、朝日新聞宮崎支局で2回目の会談。連隊会側5名、朝日新聞側は中村支局長。日記の【現物】は、5メートルほど離れてから広げられたので、日記帳だと判断することさえ出来ず 1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明 1986年(昭和61年)1月、朝日新聞宮崎支局会議室において、連隊会と朝日西部本社の会談。出席者は連隊会5人に対して、朝日側3名。「日記も嘘である。・・・日記を白日のもとにさらせば解決する」と迫れば、「そうなったら日記提供者の氏名が判明して、本人に迷惑が掛かる」と取材源の秘匿を楯に応じず 1986年8月、日記の保全が第1だと考えた吉川氏は、弁護士を通じて小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立て 1986年12月、裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日に日記を見せるよう判決。朝日側が、守秘義務の配慮が万全でないとして、福岡地裁小倉支部に抗告 本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断。「うちの連隊は南京事件に無関係である」という記事を朝日の全国版に載せてもらうことで、保全申し立てを取り下げることを朝日に通告 1987年(昭和62年)1月、連隊会にも報告 連隊会は不本意なまま、朝日新聞との闘いを終えた。 ―――――――――― >■1985反靖国キャンペーン 昭和53年(1978年)に、所謂A級戦犯が靖国神社に合祀された後も、総理大臣は靖国神社を参拝し続けた。 昭和60年(1985年)頃まで、日本の首相は年に3〜4回ずつ靖国神社を参拝していたが、支那も韓国も全く問題視しなかった。 支那や韓国に「日本の首相が靖国神社を参拝したら、反発しなさい!怒りなさい!神経を逆なでされたと感じなさい!」と持ちかけたのは、朝日新聞だった。 いわゆる「A級戦犯」とされてしまった方々が合祀されたのは1978年だが、マスコミはその翌年に合祀のことを報道していた。 その合祀以降も、大平正芳首相や鈴木善幸首相などが靖国神社を参拝したが、支那も韓国も文句など言わなかった。 それどころか、彼らが支那を訪問すると、支那は熱烈歓迎していたほどだ! ━━━━━━━━━━ 1959年 靖国神社が「公務死」と認定された「戦犯」を初めて合祀 1978年10月 天皇陛下にA級戦犯合祀が上奏され、秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀 1979年 大平正芳首相が春と秋の例大祭に靖国を参拝し、国内メディアは合祀と首相の靖国参拝について執拗に報道。 大平正芳首相 1979(昭和54)年から1980(昭和55)年にかけて靖国神社を3回参拝。 (1979年4月21日・同年10月18日・1980年4月21日) 1979年12月 大平正芳首相は夫人を伴って支那を訪問、支那は大平正芳首相を熱烈大歓迎。「中日友好医院」建設、対支円借款などを約束 鈴木善幸首相 1980(昭和55)年から1982(昭和57)年にかけて9回参拝。 (1980年8月15日・同年10月18日・同年11月21日・1981年4月21日・同年8月15日・同年10月17日・1982年4月21日・同年8月15日・同年10月18日) 1982年9月 鈴木善幸首相が支那を訪問、(北京政協礼堂で)日支国交正常化10周年記念講演 中曽根康弘 1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけて10回参拝。 (1983年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1984年1月5日・同年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1985年1月21日・同年4月22日・同年8月15日) 1984年3月 中曽根康弘首相が支那を訪問、「日中友好21世紀委員会」発足、4700億円の円借款供与で合意 ━━━━━━━━━━ 上記のように1978年に、いわゆる「A級戦犯」合祀後も、日本の首相はマスコミが報道する中で靖国神社を参拝していたが、支那も韓国も嫌がっていなかったから何の異議申し立ても行なわなかった。 支那や韓国が日本の首相の靖国参拝に文句をつけ始めたのは、朝日新聞が支那をそそのかした後の1985年以降だ。 http://blog-imgs-34.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/sakura-yasukuni1.jpg
http://blog-imgs-34.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20060809225212.jpg 支那工作員 朝日新聞→報道ステーション 加藤千洋 ■YouTube 動画 『靖国問題に火を付けたのは報ステの加藤千洋だった!』 http://www.youtube.com/watch?v=KT-Dj8agc4Y >■1992従軍慰安婦キャンペーン ▼従軍慰安婦強制連行のウソ▼ (最近の当ブログ関連記事) 朝日新聞が吉田清治の証言について裏付け得られず虚偽と判断・石破茂が朝日関係者の国会招致に言及 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5533.html 朝日記者の国会招致で意見割れる・次世代の党は要求・東京新聞と毎日新聞は「報道の自由」で反対 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5534.html 朝日虚偽報道、英文サイトに検証記事なし!質問に対し「お答えは、さし控えます」・海外は捏造放置 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5537.html 金慶珠の嘘「新報道2001」済州島で吉田清治の嘘を確認・金学順に係る嘘連発!橋下が小池晃に渇 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5538.html 英文記事も謝罪も拒否!朝日新聞を許さない購読排除、広告排除・本社抗議街宣・木村伊量社長の不祥事 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5540.html 朝日「慰安婦問題の本質は人権の問題。日本軍の慰安所で、性の相手を強いられ尊厳が傷つけられた」 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5544.html 朝日「購読者の解約が後を絶たない。企業も広告出稿を控える事態に」・「吉田証言」と「吉田調書」 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5549.html 英訳したが英文サイトには掲載せず!日本人を愚弄し続ける朝日新聞・慰安婦虚偽報道、海外は放置 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5551.html http://blog-imgs-46.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20131214034331283.jpg http://blog-imgs-68.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201408260838261d5.jpg ■動画 朝日が作った歴史 http://www.youtube.com/watch?v=EoAmItpLGuE http://blog-imgs-68.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/2014082407040518b.jpg 皆で情報を共有しよう! 【反日・捏造】朝日新聞を許さない奥様★2 http://hello.2ch.net/test/read.cgi/ms/1408415337/ http://blog-imgs-68.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20140826084036033.jpg 朝日新聞糾弾チラシ PDFファイルはここをクリック この記事は、FC2ブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」のコピーです。
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もう少し付け足し
■■■ テロ垢皮疹墳捏造報道オンパレード ■■■
1971(昭和46)年 南京大虐殺捏造歪曲大キャンペーン開始
1975(昭和50)年 残虐なポルポトを 「アジア的優しさ」 と捏造歪曲
1982(昭和57)年 教科書誤報(侵略・進出書き換え)
1984(昭和59)年 南京虐殺元上等兵の日記捏造歪曲
(1986(昭和61)年 その訂正お詫び記事掲載)
1984(昭和59)年 毒ガス戦をを捏造歪曲
1989(平成1)年 サンゴ記事捏造歪曲
1991(平成3)年 捏造グリム同和 「従軍慰安婦」 スタート
(2014(平成26)年8月一部記事取り消し)
1995(平成7)年 石原信雄氏への祝儀袋捏造歪曲
2001(平成13)年 KSD架空會員名 「家康も五衛門も」 と捏造歪曲
2002(平成14)年 中田選手引退捏造歪曲
2004(平成16)年 サマワの陸上自衛隊宿営地内に迫撃砲弾捏造歪曲
[ 土屋敏男を抹殺しよう ! ]
2014/9/17(水) 午前 6:48
2004(平成16)年 女子十二楽坊シンガポール作家の曲無断使用と捏造歪曲
2005(平成17)年 犬HK番組改変問題を捏造歪曲
2005(平成17)年 長野党首會談捏造歪曲
2006(平成18)年 ジャガイモは姦國起源と捏造歪曲
2009(平成21)年 台湾を支那領土のように記載
2010(平成22)年 沖縄県名護市での害國人参政権調査を全國調査賛成6割と捏造歪曲報道
2012(平成24)年 任天堂インタビュー記事捏造歪曲
2014(平成26)年 お詫び記事掲載
2013(平成25)年 麻生元首相ナチス発言歪曲報道
2013(平成25)年 百田尚樹氏が安倍首相に靖國参拝を進言したと捏造歪曲記事報道
2014(平成26)年 福島第一原発の吉田昌朗所長の吉田調書を捏造歪曲
(2014(平成26)年9月社長記者會見でようやく 捏造グリム同和 「従軍慰安婦」 と共に取り消し謝罪)
これが反日反天皇在日糞チョン恨島クオリテイペーパーテロ垢皮疹墳の実態
[ 土屋敏男を抹殺しよう ! ]
2014/9/17(水) 午前 6:51