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捏造南京事件
「捏造南京事件」書庫の記事一覧
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1937年12月7日
•夜明け前、総統蒋介石夫妻はアメリカ人パイロットの操縦する大型単葉機で南京を脱出した。
ファルケンハウゼンらドイツ軍事顧問団や、南京市長ら政府高官も脱出した。
中国軍は防衛司令長官唐生智を残して中国政府高官が南京を脱出した為、無政府状態となり市民は混乱状態に陥り、安全区に避難した。
中国軍は撤退する際に、日本軍に利用されないために多くの建物を焼き払う清野作戦を実施した。
中国軍の南京周辺の焼き払いによって焼け出された市民が難民となって城内に流入し、食料難と暴動が市内で発生し、中国軍は治安維持と称して漢奸として少しでも怪しいものは手当たり次第に100名が銃殺された。
なお11月までの漢奸狩りで嫌疑をかけられた市民2000名、12月初旬には連日殺害された。[ 歴史&環境&公徳心ツアー ]
2017/12/16(土) 午後 1:27
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支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に約300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝しましたが、1回も南京で虐殺があったとは言いませんでした。
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国共合作下の支那国民党は南京戦直前の1937年11月、中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。
国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において約300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は毎回平均35名と記録されています。
しかし、この約300回の記者会見において、ただの一度として「南京で日本軍が市民虐殺を行なった」とか「捕虜の不法殺害があった」などという発表はされたことがありませんし、外国人記者から「南京大虐殺」に関する質問があったという記録も全くありません。[ 領海・領空防衛 ]
2018/1/16(火) 午後 9:15
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ドイツ軍事顧問団、ゲオルク・ベッツエル中将は共産党との戦いである第5次掃共戦でトーチカ建設による包囲作戦を蒋介石に進言し、昭和9年(1934年)10月には共産党を壊滅寸前に陥れます。
このころドイツのフォン・ゼークト大将が支那を訪れており、蒋介石に対して意見書を提出しています。そしてこのとき以下も薦めています。
「日本一国だけを敵として、ほかの国とは親善政策をとること」
ゼークト大将はドイツ軍事顧問団に就任後、国軍再編成を行い、軍の各教育機関も数多く設立させます。ゼークトの後任はアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン中将となり、昭和10年(1935年)1月に「支那国防基本方針」を蒋介石に提出します。
共産党は既に壊滅状態、次の攻撃目標は日本です。対日戦の準備が進められ、高射砲と防空組織の基礎造成、上海、南京間の陣地構築、南京城の要塞化に力が入れられます。[ 平和防災愛国 ]
2018/4/4(水) 午前 7:19



