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2015.3.2 13:24更新
【統一地方選】
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沖縄県紙の市長選「介入」報道は許されるのか仲新城誠(八重山日報編集長) 尖閣諸島を行政区域に抱える沖縄県石垣市の市長選は3月2日投開票され、保守系の現職、中山義隆氏(46)が再選を飾った。安全保障上も重要な国境の島である石垣市で「保守市政」が継続することの意義は大きかった。
選挙戦終盤、大きな争点として急浮上したのが自衛隊配備問題である。将来、防衛省が石垣島への自衛隊配備を打診した場合、地元自治体として、どう対応するかが問われた。
その背景には、石垣市長選では、沖縄の県紙「琉球新報」の報道をめぐり、地元や政府を揺るがした騒動があった。全国紙などでご存知の読者も多いと思うが、琉球新報が告示日に合わせて「防衛省が自衛隊配備候補地として石垣市の2カ所を検討している」と報じたのだ。沖縄の報道の在り方が問われた大きな出来事だった。
地元紙記者の視点から、この騒動も改めて振り返りたい。
市長選に利用された地元紙の「報道」 中山氏の対抗馬は革新系の前市長、大浜長照氏(66)である。2010年の市長選で中山氏に敗れるまで、4期16年の革新市政を敷いた。「自衛隊は殺人装置」と発言したことがある人物で(のちに撤回したが)、任期中、自衛艦が休養のため石垣島に寄港することを拒否し続けた。このため選挙前から、自衛隊に対する考え方の相違が大きな争点になる、と見られた。
石垣島で自衛隊配備が取り沙汰されるのには背景がある。政府は2014年度から5年間の中期防衛力整備計画で、南西地域の島嶼部に初動を担当する警備部隊を配備する計画を打ち出した。具体的な候補地としては石垣島、宮古島などが取り沙汰されている。
石垣島は尖閣を抱え、陸自沿岸監視部隊の配備が決まった与那国島にも近い。中国が尖閣を軍事力で狙うなら、周辺にある石垣島も同時に押さえておくべき要衝であり、急襲される可能性がある。これを防ぐためにも、石垣島が自衛隊配備の有力な候補地として想定されることは、誰の目にも明らかだ。
中山氏は「自衛隊配備の打診があった場合は交渉のテーブルに着き、オープンに議論する」という立場だった。
これに対し大浜氏は、前回選挙で敗れた反省を踏まえ、保守層の支持も取り込むために、今選挙では自衛隊批判を封印する戦術に出た。防衛省が石垣島への自衛隊配備を打診した場合は「住民投票する」と言い出し、反対の明言を避けたのである。
大浜氏が自衛隊に対して曖昧な態度を取ったために、この問題は大きな争点とは受け止められず、両氏は告示前の前哨戦で、もっぱら経済や福祉政策を訴えていた。
八重山日報の告示前の世論調査では、尖閣や自衛隊問題に関心を持つ有権者はわずか4%程度しかいなかった。こうして中山、大浜氏は告示直前まで接戦を繰り広げていた。
情勢が変わったのは、告示日の2月23日、琉球新報が1面トップで自衛隊配備問題を報道したことがきっかけである。
「陸自 石垣に2候補地」「防衛省が来月決定」
この大見出しで、防衛省が陸自の警備部隊を配備する候補地として、石垣市の「新港地区」と「サッカーパーク」の2カ所を挙げ、最終調整に入っているという内容だ。
新港地区はリゾート地として開発が進んでいる埋め立て地であり、サッカーパークはサッカーファンが利用するグラウンドである。いずれも石垣市民に親しまれている場所だ。
市長選の告示日に合わせて報道した琉球新報の狙いは「石垣市長選では、自衛隊配備の是非を争点にするべきだ」と市民に訴えることにあったのだろう。ただ、この報道は市民の不安感を煽り、自衛隊配備に柔軟姿勢を示す中山氏を不利に追い込む可能性があった。
中山氏自身は、報道を受け「選挙戦をコントロールし、相手候補に有利な流れを作ろうとしているように感じられる記事だ。読者をミスリードしている」と憤りをあらわにした。
その証拠に、記事は早速、大浜氏の選挙運動に「活用」された。告示日当日に支持者を集めた集会で、大浜氏の応援に駆け付けた赤嶺政賢衆院議員は「きょうの琉球新報を読みましたか」と問いかけた。
「防衛省は軍隊を配置しようとしているが、国境に必要なのは軍事力ではない。憲法9条だ。(中山氏は)安倍政権と一体となって、平和の島を軍事の島にしようとしている」
大浜選対本部のある幹部は「告示日の朝、琉球新報の記事を読んで、この選挙は勝ったと思った」と振り返る。
翌日には沖縄タイムスも後追いで同じ内容を報じた。
琉球新報の報道をテコにした中山氏攻撃は、さらに激化する。大浜氏の応援に入った山本太郎参院議員は「右傾化している安倍政権の踏み絵を踏まされているのが沖縄だ」「石垣市に、絶対に基地は造らせない。自衛隊を配備させてはいけない」と絶叫した。照屋寛徳衆院議員は「自民党の石破茂幹事長と中山市長は、既に自衛隊配備の話を通していると思う」とさえ言い切った。
大浜氏自身も、自衛隊配備反対を前面に訴える戦略に転換した。「軍事基地があると、必ずまちづくりは阻害される。歴代市長は誰一人、基地の誘導には乗ってこなかった。テーブルに着くというのは、オッケーということだ」
大浜氏側は、琉球新報、沖縄タイムスの記事をコピーしたチラシを大量に作成し「平和と観光の島に軍事基地はいらない」と書いて石垣市の各家庭にばらまいた。
現職再選は市民の現実的選択の結果 中山氏を支援する政府、自民党は、こうした状況を深刻に受け止めた。小野寺五典防衛相はその日のうちに、視察先の岐阜県で記者団に対し「事実ではない」と否定。告示日に合わせた報道について「何らかの意図が感じられ、社会の公器である新聞としていかがなものか」と疑問を呈した。
石破茂幹事長は、石垣市で行った街頭演説で「まさしく誤った報道だ」と批判。「基地行政は地域の理解なくしてできるものではない。こともあろうにサッカー場、埋め立て地に自衛隊を持っていく発想は、私たちにはかけらもない」と地元二紙の報道を全否定した。
政府、自民党を挙げて「火消し」に努めたのは、石垣市長選がまさしく「負けられない選挙」であったためだ。尖閣を抱える重要な市というだけでなく、名護市長選で敗れた直後だけに、連敗すると沖縄で続く重要選挙に対する悪影響が大きい。11月には知事選を控えている。
防衛省は2月24日付で、琉球新報と日本新聞協会に文書で抗議した。琉球新報には訂正も求めた。新聞協会への抗議は異例だという。
琉球新報側は「十分な取材に基づいた報道」と訂正を拒否。「南西諸島への陸自部隊配備は沖縄県にとって重要課題で、読者に伝えるべきニュースとして報道した。市長選に関連付けたものでは全くない。内容も特定候補を利するものではない」と反論した。
琉球新報と並ぶ県紙の沖縄タイムスは防衛省の抗議が明らかになった翌日に「新聞統制を狙った圧力」だと非難する識者のコメントも掲載した。一種の連携プレーだろうか。
石垣市の地元紙、八重山毎日新聞は、防衛省が琉球新報に抗議したことをベタ記事で報じた。防衛省の抗議は市長選にかかわる重大な問題であるにもかかわらず、隣に掲載された「小学校の校庭で児童が昆虫採集」という記事より見出しが小さいという有様だ。紙面を流し読みしただけでは気づかない。県紙への気遣いがにじみ出ているような扱いだった。
八重山日報は、選挙と報道のあり方について読者にも考えてもらう機会だと考え、社会面のトップで報道した。
自衛隊配備の候補地と報道された新港地区は、2012年、北朝鮮の弾道ミサイルが石垣島周辺上空を通過した際に、PAC3(地対空誘導弾パトリオット)が展開した場所である。サッカーパークは市街地から離れているため利用者が思うように伸びず、運営が赤字続きだ。自衛隊の駐屯地として検討されているらしい―という噂は、以前から確かにあった。
つまり地元マスコミとしては、市長選の前でも後でも、この件を報道することは可能で、あえて記事を告示日にぶつける必然性はなかったと考えていい。
さらに言うと、新港地区は今年、石垣市が策定した港湾計画で、リゾート地として整備されることが決まっている。しかも市街地に近過ぎる。PAC3の展開ならともかく、自衛隊の駐屯地を置くのは事実上不可能である。県紙は、こういう事情も把握して記事にしたのだろうか。
1月の名護市長選でも、県紙は普天間飛行場の県外移設を連日主張し続け、市内辺野古への移設計画に反対する現職に寄り添うような報道を見せた。辺野古移設を容認する対立候補の運動員は、私に「マスコミに敗れたようなものだ」とこぼした。
名護市長選の選挙結果がマスコミだけに左右されたとまでは言わないが、県紙の報道が一定の影響を与えた可能性は否定できない。琉球新報の記事は、名護市長選の勢いに乗り、石垣市長選でもこうした「情報操作」の効果を狙ったものなのかも知れない。
しかし冒頭に述べたように、石垣市民は名護市民と正反対の選択をした。尖閣や自衛隊問題に対する関心は確かに低かったが、執拗に「基地反対」を訴える大浜氏に対し、有権者の多くが疑問を抱いた。県紙に大浜氏を援護射撃する意図があったかどうかは分からないが、自衛隊配備報道は結果として大浜氏の選挙戦略を誤らせた。
告示前の世論調査では接戦の予想だったが、実際に投票箱の箱を開けると中山氏の圧勝である。奇しくも名護市長選と同じ約4千票差だった。
沖縄本島と違い、石垣島には米軍基地がなく、反基地感情は本島ほど強くない。加えて尖閣問題では、直接的に中国の脅威にさらされる最前線である。情緒的な基地反対論だけで投票行動が左右されることはない。石垣市民は「防衛省から打診があれば、交渉のテーブルには着く」という中山氏の対応を、現実路線として評価したのである。
つまり沖縄本島とは違う石垣市民のリアリズム(現実主義)が、中山氏の再選という結果につながったのではないか。
私は、石垣島に自衛隊が配備されれば有事の際も安心だから、という理由ではなく(確かにその通りではあるが)、日本は自分の領土を自分で守る意思がある、ということを内外に示すために、自衛隊を石垣島に配備する必要があると思う。つまり、自衛隊配備が持つ象徴的な意味合いのほうが大事だ。侵略に対する抑止力と言ってもいい。
与那国町のように、配備による地域振興を期待する声もあるが、年間100万人近い観光客が訪れる石垣市は国内有数のリゾート地であり、自衛隊抜きで十分に繁栄できるポテンシャルがある。自衛隊配備の是非を判断する際に問われるのは地域の利害関係ではなく国の決意であり、住民の気概だろう。
市長選に圧力をかけ続けた中国公船 中国海警局の船「海警」は、市長選告示6日前の2月17日、2週間ぶりに尖閣諸島の領海外側にある接続水域に姿を現した。
2〜3隻体制で交替しながら「パトロール」と称する航行を続け、市長選投開票2日後の3月4日まで12日間、尖閣海域にとどまった。
海警が2月上旬、2週間も尖閣海域に来なかったため、私は当初「市長選に配慮して航行を控えているのか」と考えた。しかし実際には事情は逆で、海警は市長選の間、市民に存在を誇示し続けたことになる。
中国要人の発言や官製メディアの報道を見ていると、中国当局は尖閣に関することは何でも綿密に情報収集している。市長選について無知だったとは考えにくい。海警が結局、市長選の期間をすっぽり覆うように尖閣海域に張り付いていたことを思うと、石垣市民に対する配慮ではなく、市民への威圧こそ、中国当局の狙いだったように思える。
こうした海警の挑戦的な動きも、市民が市長選で誰に投票するか判断する際の重要な材料になる。そうでなくても八重山日報は連日、海警の動向を報道している。紙面が選挙関係の記事でパンパンになっても、海警の記事を入れることだけは忘れなかった。
しかし他の県紙や地元紙は、市長選の期間中、海警の動向について全く報じず、わずかに琉球新報が、市長選が終わったあとに紙面の片隅で掲載しただけだった。自衛隊配備報道とは対照的な報道姿勢といえる。
海警は24時間体制で石垣市の行政区域を脅かし続けている。しかし地元のマスコミは、いつの間にか、これを当然視し、報道すらしなくなった。市民どころかマスコミさえ、海警の存在に「慣らされている」のかと思うと腹立たしい。
中国の王毅外相は3月8日の記者会見で、歴史問題を口実に日本を批判し「第二次世界大戦後の国際秩序を守る」「領土問題では一片の土地であっても必ず守る」と言明した。
尖閣をめぐり、日中の緊張局面が長期化することを改めて感じさせる重大な発言だったが、沖縄や八重山(石垣市、竹富町、与那国町)では全くと言っていいほど深刻に受け止められていない。
中国政府幹部の発言と海警の動きを重ね合わせれば、尖閣強奪を狙う中国の本気度が分かるし、この先10年、20年というスパンで、中国の圧力は強まる一方であることは容易に予想される。日本が世界平和の敵だと主張する宣伝戦も、自らの野心を正当化する口実であることは明らかだ。しかし現在のところ、沖縄や八重山からはマスコミも含め、中国のこうした動きを明確に批判する声も聞こえない。
沖縄タイムスは3月8日の社説で、自民党の石破幹事長が「将来的にはアジア版の北大西洋条約機構(NATO)が必要だ」と語ったことについて「中国を除外し、中国を封じ込めるという考えなのだろうか。危険な発想である」と述べている。八重山の住民にとっては、中国の脅威を直視しないマスコミの論調こそ危うい。
文科省の是正要求に反発した竹富町 石垣市の隣にある島々、竹富町教育委員会が教科書選定のルールに従わず、独自の中学校公民教科書を採択し、使用している問題は、新たな局面を迎えた。文部科学省は3月14日、竹富町教委に対し、教科書採択のやり直しを求める是正要求を出した。是正要求は地方自治体の法令違反を正すための措置で、国が市町村に直接発動するのは全国で初めてになる。
竹富町の慶田盛安三教育長は「(教科書採択に対する)政治介入だ。文科省が態度を改めてほしい」と反発。是正要求に従わない構えを示した。
しかし町は地方自治法上、是正要求に従う義務を負っている。今後、不服申し立てや裁判闘争ということになれば、国と町が全面的な対決に突入することになる。
町が指摘されているのは、採択地区(この場合は石垣市、竹富町、与那国町でつくる八重山地区)では同一の教科書を採択するよう求める教科書無償措置法の違反である。
慶田盛氏は記者会見で「竹富町が教科書無償措置法に違反しているというなら、石垣市、与那国町も違法だ」と批判。さらに石垣市、与那国町が採択している育鵬社版について「現場教員が一番悪い(教科書)と評価した」と改めて教科書の内容に疑問を呈した。
しかし八重山教科書問題の焦点は、個々の教科書の是非ではなく、教科書無償措置法の違法状態解消を一刻も早く解消し、法治国家としての本来のあり方を回復する必要性という点に移っている。「問題は教科書の内容」(慶田盛氏)という発言自体、竹富町が現実を見ていないことを示す。
是正要求が年度末ギリギリの時期になったことについても、慶田盛氏は「大事な時期に現場が混乱する」と不満をあらわにした。だが文科省は義家弘介政務官が昨年3月に直接、町教委を指導して以来、1年間の「猶予期間」を町教委に与えてきた。最終手段である是正要求の発動を3月中旬まで持ち越したのは、逆に、町教委に最大限配慮した結果とも取れる。
違法状態の解消に努力する形跡がなかった沖縄県教委の責任も重大だ。法律論ではなく感情論で町教委の擁護を続け、教科書問題をイデオロギー闘争に矮小化させる原因をつくったといえる。
町に是正要求するよう文科省から指示されていた県教委は1月、逆に文科省に対し、竹富町だけ「八重山採択地区」から分離させることは可能か、と意見照会した。これが許されれば、町は八重山採択地区のルールに拘束されなくなり、堂々と東京書籍版の採択が認められることになる。しかし竹富町は人口4千人規模の小さな自治体であり、石垣市や与那国町から独立して、教科書選定のための調査、研究をする協議会を設置するのは難しい。
石垣市の教育関係者からは「竹富町を八重山採択地区から離脱させて、沖縄本島の採択地区にでも編入するつもりではないか」と呆れる声が出ていた。下村博文文科相は即座に採択地区の分割を否定した。
結局、県教委は責任回避に終始し、文科省の指示を無視して、竹富町に是正要求を出すことはなかった。その理由は、第一に竹富町を擁護し続けた自らの姿勢を正当化するためであり、第二には予想される主要マスコミからの攻撃を恐れたためだ、と思う。子どもに範を示すべき教育委員会が、むしろ違法行為の正当化に汲々としている。情けないというほかない。
仮に文科省が裁判闘争に持ち込んでも、主要マスコミは竹富町をジャンヌ・ダルク扱いするはずで、町は徹底抗戦するだろう。そうなると採択のやり直しを強制する手段はあるのだろうか。現行法上、この問題の決着はかなり難しい気がする。
竹富町のような事例が再発することを防ぐため、政府は3月、教科書無償措置法の改正案を国会に提出した。各自治体には「採択地区協議会の協議の結果に基づき、同一の教科書を採択する」義務が明文化される。つまり、各自治体は採択地区内で協議した結果に従わなくてはならず、竹富町のような自己主張は法律上も認められないということである。
また、採択地区の設定単位を、市町村単位に改めることも認める。法改正は2015年度の教科書採択から施行される見込みだ。
来年には次回の中学校教科書採択が控える。竹富町が続ける不毛な闘争より、重要性はそちらの方が大きくなりつつあるように思う。
中山氏が市長選で再選されたことで、八重山採択地区では今後も育鵬社の公民教科書を採択することがほぼ確実な情勢だ。さらに歴史教科書の変更も視野に入ってくる可能性がある。
国境の島々に問われてくるのは、他国に恥じない領土意識や歴史観を持つ子どもたちを育むということだ。法律と地域のルールに基づいた教科書を守る戦いは、沖縄や八重山を他国の脅威から守るための戦いでもある。
なかあらしろ・まこと 昭和48(1973)年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、平成11(1999)年に石垣島を拠点とする地方紙「八重山日報」に入社、22年から同紙編集長。イデオロギー色の強い報道が支配的な沖縄のメディアにあって、現場主義と中立を貫く同紙の取材・報道姿勢は際立っている。著書に『国境の島の「反日」教科書キャンペーン』(産経新聞出版)。
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膨張する「中華の夢」にどう立ち向かうか 中華民族の偉大な復興が中国の夢―。そんな政治理念を掲げる習近平国家主席の下、中国は政治、経済、軍事で不気味に膨張を続ける。周辺諸国との軋轢を生んででも、かの中華思想をむき出しにして突き進む中国。膨らみ続ける「中華の夢」に日本はどう立ち向かえばいいのか。
中国にひるむ必要なし櫻井よしこ(ジャーナリスト)http://ironna.jp/file/w240/h240/f41a5b32b38104f771e12fd3c2d3ab15.jpg昭和20年、ベトナム生まれ。ハワイ大卒。ジャーナリスト。平成19年に国家基本問題研究所を設立、理事長を務める。憲法改正に取り組む「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調)代表。著書に「ニッポンの懸案」「迷わない」など。第26回正論大賞受賞。 自明のことだが強調しておきたい。緊密な日米関係と日米安保条約の維持が日本の国益だという点だ。日本にとって選択肢は他にないと言ってよい。そのうえで、しかし、日本は日米関係も含めて、国の基本政策をじっくりと見直さなければならない。
大東亜戦争終結から70年、国際社会は様変わりした。日本を取り巻く状況はかつてなく厳しい。変化の要因の第1は膨張する中国、第2は依然として世界最強国の実力を持ちながら、指導者における世界観と大戦略の欠如ゆえに、中国の歴史的挑戦に受け身の対処しかできないアメリカである。
中国の勢力拡大が世界の至るところで進行中だ。昨年暮れ、中国は中米ニカラグアで太平洋とカリブ海、さらには大西洋をつなぐ総延長280キロの大運河建設工事に着手した。その経済的、軍事的インパクトの強さを考えると、まさにここで起きているのは国際政治の地殻変動の具体的事例と言ってよいのではないか。
ニカラグア運河の南にあるパナマ運河は1914年にアメリカが完成させ、アメリカ海軍の大西洋から一気に太平洋への展開が可能になった。パナマ運河開通はアメリカに計りしれない地政学的優位性を与え、同国が大英帝国に代わる超大国へと駆け上がっていく第一歩となった。
その近くでいま、中国がニカラグア運河建設にとりかかったのだ。アメリカへの大胆かつ公然たる挑戦と見るのも可能である。しかし、他方でこの大計画が果たしてアメリカと何の協力もなしにできるのかと考えざるを得ない。
http://ironna.jp/file/w480/h480/482afc61ec4cd7d971fb283ce074bfee.jpgアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を前に
中国の習近平国家主席(左)と握手後、会議に向かう 安倍晋三首相 中国が将来、マレー半島のミャンマー領クラ地峡で運河建設に着手する可能性も頭に入れておくべきである。
すさまじく膨張する中国とアメリカの関係は決して切り離せない関係である。
先入観を排して事態の進展を見なければならないのは当然だが、同時に最悪のケースを想定してみよう。中国がニカラグア運河を完成させ、大西洋と太平洋を往来し、南シナ海を中国の内海とし、南シナ海とインド洋をも一体化させ、世界の大海に展開する大戦略が現実になることである。中国の、大陸国家から海洋国家への野心的飛翔と21世紀の中華帝国の出現を前提に、力強い対応策が求められる局面だ。
しかし、肝心のオバマ政権にはなすすべがないかのようだ。中国はこれまで繰り返し新型大国関係をアメリカに提唱してきた。オバマ大統領自身は注意深くこの言葉の使用を避けてきたが、大統領周辺は新型大国関係が尖閣問題では日米同盟と矛盾するにもかかわらず、事実上、受け入れている。日米同盟の一方で、それに反する暗黙の握手を中国と交わすのが自国の国益だとアメリカは考えているのだろうか。
昨年暮れ、国家基本問題研究所主催のシンポジウム「戦後70年-国際政治の地殻変動にどう対処するか」で、米ペンシルベニア大学教授のアーサー・ウォルドロン氏が、1972年2月21日のニクソン・毛沢東会談の興味深いくだりを指摘した。ニクソンは毛沢東にこう問うている。
「われわれは日本の将来図について考えなければなりません。(中略)日本を完全に防備力のないままに中立国とするのがよいのか、それとも当面アメリカと多少の関係を維持させるのがよいのか」
右のニクソン・毛会談こそ現在の新型大国関係の基本であろう。ニクソン発言の7カ月前、キッシンジャー大統領補佐官は周恩来首相に在日米軍は中国向けではなく日本の暴走を抑制し再武装を先送りにするためだと語っている。10月22日の第4回会談では「今日われわれが、日本をいかにして経済的に築き上げたかを後悔している」とも述懐した。
一連の発言が示しているのは、(1)国際政治においては国益が全てである、(2)米中関係はしんねりとしていて奥深く、この両大国に挟まれている日本はよほど注意しなければならない-ということだ。
これを前向きに考えてみよう。まず、国益が全てだからこそ、不変の国益の前で関係は変化する。かつて日本を警戒し、軍事力は持たせられないと考えたキッシンジャー氏が、いま、日本は普通の国になれると言い始めた。
次に、日本は結局、日本の力を存分に発揮するしか生きる道はないのだ。だからまず中国と日本は全く違うと、はっきりさせることが大事だ。国際法、国際社会の価値観への中国の挑戦は受け入れられない。香港の学生への弾圧、異民族の虐殺、対日歴史の捏造(ねつぞう)、各国の領土に関する事実の捏造、尖閣諸島(沖縄県石垣市)をはじめ戦略的境界の概念に基づいて領土・領海の支配を確立する動きは紛争につながるとりわけ危険な挑発だと、もっと力強く発信するのだ。
金融、経済における勢力拡大も含めて中国の全面的膨張は異質である。その中国はわが国をとりわけ敵視して韓国とともに今年を「抗日戦争勝利と朝鮮半島の独立回復を祝う年」とし、ロシアとともに「ドイツのファシズムと日本の軍国主義に対する戦勝記念」の年として、対日歴史戦争を激化させる。
だが、安倍晋三首相も日本もひるむべき理由はない。国際社会に礼節をもって日本の思いと信条を発信すればよいのだ。平和を求めるために国家としての強い意思を持ち、軍事力を整備すればよい。集団的自衛権を法制化して日米安保体制を強化し、首相の悲願である憲法改正に向けて議論を始めることだ。 |
中国との均衡こそ取るべき道だ村井友秀(防衛大学校教授)http://ironna.jp/file/w240/h240/5e39f6b44920b8b09efc485f9f0a8d37.jpg 東京大学大学院博士課程修了。専門は中国などアジアの安全保障。共著に『失敗の本質』『戦略の本質』などがある。
脅威になる国とは、面積・人口・経済力が大きく、地理的に近く、攻撃能力があり、攻撃意図もある国である(脅威均衡論)。攻撃意図とは、軍事力を使って現状を変更しようとする意志である。日本の周辺国がこのような条件を持っているか検討する。
最大の脅威はどこの国か 周辺国の攻撃能力をみると、米国、ロシア、中国、北朝鮮は日本を射程に収める弾道ミサイルと核兵器を保有している。韓国も数年以内に西日本に到達する射程800キロの弾道ミサイルを開発する。
次に攻撃意図をみると、米国は日本の同盟国であり日本に対する攻撃意図を持っているとは考えられない。ロシアは北方領土を占領して日本の主権を侵害しているが、現状を変更しようとする攻撃意図はない。中国は尖閣諸島周辺の日本の領海に侵入を繰り返し、現状を変更しようとする攻撃意図がある。北朝鮮は日本人を拉致し日本の主権を侵害しているが、北朝鮮の最優先国家目標は金正恩体制の維持という現状維持である。韓国は竹島を占領し日本の主権を侵害しているが、現状を変更する攻撃意図はない。
地理的近接性をみると、米国本土は日本から約1万キロ離れている。しかし、ロシア、中国、北朝鮮、韓国は数十キロから数百キロ離れているだけである。面積を比較すると、北朝鮮や韓国は日本より小さいが、米国、ロシア、中国は日本の20倍以上の国土を持つ。人口をみると、北朝鮮や韓国は日本より少ないが、米国は日本の約3倍、ロシアも日本より人口が多く、中国は約10倍の人口を持っている。経済力では、ロシア、北朝鮮、韓国の国内総生産(GDP)は日本より小さく、中国と米国のGDPは日本より大きい。
周辺諸国を比較検討すると、面積・人口・経済力が日本よりも大きく、地理的に近く、攻撃能力があり、攻撃意図があるのは中国だけである。従って日本にとり最大の脅威は中国ということになる。
日本が突きつけられる選択肢 強大な隣国の圧力にさらされた国家が進む方向は2つある。ひとつは追従(bandwagon)であり、もうひとつの方向は均衡(balance)である。もし日本が中国に対して追従の方向に進めば、中国は好意的に対応し、日本の対中貿易は増大して日本の経済的利益は拡大するであろう。
しかし、ロシア、モンゴル、北朝鮮、韓国、台湾、フィリピン、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、インド、オーストラリア、そして米国において、中国に対抗できる日本というイメージ(ソフトパワー)が損なわれることになる。ソフトパワーとはその国に対する信頼感や好感度であり、強制ではなく同意によって人々の行動を変える力である。
もし、日本が中国に対して均衡の方向に進めば、中国は日本との貿易を拒否し、対中貿易による日本の経済的利益は縮小することになる。しかし、中国の圧力と威嚇に苦しむアジア諸国の信頼と尊敬を獲得することができるであろう。他方、日本が中国に追従すれば、中国への対抗軸としての役割を期待するアジア諸国の失望と軽蔑を招くであろう。
どちらに進むかは日本人の国家観の問題であり、軽蔑されても優しいエコノミックアニマルとして生きるのか、犠牲を覚悟して「弱きを助け強きを挫(くじ)く」国家として生きるのかという問題である。
戦争は軍拡よりも高コスト 均衡する、すなわち軍事バランスを維持するという意味は、必ずしも相手と同等の軍事力を持つという意味ではない。相手と同等の軍事力を持っていれば相手の軍事的威嚇は通用せず、相手の要求を拒否できる。しかし、自分に軍事力がなければ相手の軍事的威嚇に対抗することができず、相手の要求に従わざるを得ない。
もし、相手の2分の1の軍事力を持っていれば相手の要求の2分の1に従うだけでよい。要するに、相手の軍事力に近づけば近づくほど相手の要求を拒否することができるのである。
東アジアには世界一強力な米軍と日米同盟が存在する。しかし、中国は同盟を信用せず、米国から遠く離れた小さな島をめぐる争いに米軍は介入しないと考えている(『人民日報』2012年11月5日)。この中国の誤解を解くことは難しいが、中国が無謀な行動に出ることを抑止するためには、米軍が出てこない状況においても中国軍を抑止できる態勢を築く必要がある。すなわち、日中間で軍事力を均衡させることが望ましい。
軍事力を均衡させるために日本が軍事力を増強すれば、日中間で軍拡競争が発生する可能性がある。それは日中双方にとって大きな経済的負担になる。しかし、戦争のコストは軍拡競争のコストよりも大きい。軍拡競争によって平和が維持されるのであれば、日本はより小さなコストを選ぶべきである。軍事バランスを維持することによって平和が保たれ、ソフトパワーの競争になれば豊かな民主主義国家である日本が独裁国家に負けることはない。
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「日教組の隠れ蓑」教育委員会“解体”こそ真の改革だ小林正(教育評論家・元神奈川県教組委員長) 第2次安倍内閣は、「日本を取り戻す」重要施策として教育再生を掲げ、首相直属の「教育再生実行会議」(実行会議)を発足させ、戦後体制を色濃く残している教育諸制度について「百年に一度」の意気込みで改革提言を行っている。いじめ・体罰問題とともに道徳教育の充実を掲げ、いじめ防止対策推進法を施行し、「心のノート」を全面改訂し「私たちの道徳」として教育現場で使用されるようにした。これは大きな成果と言えよう。
しかし、重大な問題もある。それは、「政治的中立性」の名の下に設置された教育委員会制度と日本教職員組合(日教組)について、不十分な認識のまま改革が進められようとしていることである。
実行会議にも、文部科学省の中央教育審議会(中教審)にも、教育委員会の「政治的中立性」が、いかに日教組に利用され、歪められてきたか、その経緯について議論を深めた形跡が、私の知る限り全く無いのである。
各自治体の首長から独立した合議制の執行機関として設置される教育委員会は、聖域化・治外法権化した結果、教育行政に無責任になる一方で、職員団体、外部圧力団体に弱い体質を内包し続けてきた。大阪市の多数の市立中学校で、校長が権限を持つべき校内人事が教員選挙で決められていた問題は、教育委員会が現場への指導力を発揮できていなかったことの証拠といえるだろう。
教育委員会は、外形的には対立関係にあるかに見える日教組と各都道府県教組にとっては格好の隠れ蓑、組織培養の温床となってきたのである。
平成23年、大津市立中学校で起きたいじめ自殺事件では、市教委が学校と一緒になって、原因をいじめ自殺とは認めず、生徒の家庭環境の所為にしたり、教育的配慮の名のもとに調査を怠るなど事件の隠蔽に走ったり、無責任体質を露呈し社会的関心を集めた。このため市長は自浄能力を発揮できない市教委に見切りをつけ、第三者機関を設置して検証を進め、一方、警察も「事件」の解明のため市教委と学校を強制捜査するという事態に発展した。
この間、いじめ、教師の体罰等の問題が全国的に多発し、その都度、学校・教育委員会に対する隠蔽体質「教育ムラ」批判が広がった。
その教育委員会とさまざまな「協定」を結ぶなどして、実質的に学校の「不当な支配」を行ってきたのが、日教組を構成する各地の教組である。「政治的中立性」の名の下に聖域化・治外法権化する教育委員会の傘の下で、日教組が放縦を極める。その最も分かり易い例が、教員の組織率九割超の大分県で起こった教員採用をめぐる汚職事件だった。
平成20年に発覚したこの事件では、県教委ナンバー2の教育審議監だった幹部らが、教員の不正採用をめぐって賄賂を受けた容疑などで逮捕されたが、彼らは県教組幹部の経験者であった。大分県では、県教組が県教委とさまざまな「協定」を結んで協力態勢を築いていたのである。教育委員会が決めるべき教職員人事、各種通知の内容、研究指定校の選定、果ては卒業式の日程までも、組合側との「事前協議」を経て決定するようになっていたのだ。
こうしたシステムを改めようにも現行法では、自治体の首長も文部科学省も教育委員会に対して権限がない。つまり、その下に隠れた教組に対しても手の出しようがないのである。今後の改革は、この現状を改めることに主眼を置かなければならないのだが、そのことについて政府として議論が深まっているとはいえない。私が指摘する大きな問題とは、このことなのである。
「政治的中立性」のウソ 平成25年4月に実行会議が公表した第二次提言「教育委員会制度等の在り方について」は次のように述べていた。
「教育委員会制度は、戦後一貫して、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保する機能を果たしてきました。新たな地方教育行政の体制においても、教育内容や教職員人事における政治的中立性等の確保は引き続き重要です」(傍線部分は筆者)
教育委員会制度が教育の政治的中立性を守ってきたというのである。これは戦後教育史、中でも占領期間におけるGHQ/CIE及び米国教育使節団による我が国の教学体制の破壊について無知であるか、意図的に見過ごそうとしているとしか思えない認識である。
教育委員会制度の起源は戦後のGHQの占領政策にさかのぼる。昭和23年、米国教育使節団が「我々は、各市町村に人民の投票により選出された『専門家に非ざる教育機関』(レイマンコントロール)を設置することを勧告する」という報告書を出したのを受け、国は教育委員会法を制定したのである。
委員を選挙で選ぶ教育委員会が設置されることになったとき、その選挙に全国的に取り組んだのが、その前年に結成されたばかりの日教組だった。その結果、日教組の支援する委員は各教育委員会の多数を占めるに至り、日教組の教育委員会支配の基礎が出来上がった。
学校の利害関係者による特定の教職員団体が教育委員会を支配するという構造は、児童生徒よりも組合員としての教職員の利益を優先するという傾向を生むことになり、教育現場は混乱。昭和27年4月、我が国は独立を回復したが、この年の10月には、再び全国の教育委員会委員の選挙が実施された。独立回復してもなお、占領政策に追従したのである。
この時期、財政力が疲弊した全国町村会は教育委員会制度廃止を求めて激しい運動を展開していた。昭和31年に「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が成立し、現行の任命制に改められ、日教組等の反対闘争で大混乱の中、公選制はなくなった。このとき、一般行政との調和を図るため教育委員会による予算案・条例案の議会提案権も廃止された。
しかし、教育委員会という制度自体は残り、その下に一度根を張った日教組の力も消えることなく、その後も教育行政に大きな影響を与え続けた。日教組は公選制の復活を掲げつつ、政府が行う教育行政について教基法第10条の「不当な支配」を楯に、国の政策に対して反対運動を展開した。学習指導要領の法的拘束性否定、全国学力調査反対、勤務評定反対、第三の教育改革といわれた中教審四六答申反対、主任制度導入反対、臨時教育審議会設置法案反対…。挙げればきりがない。
地教行法制定以降58年にして今、ようやく教育委員会制度が改められる機会が来たというのに、教育再生実行会議の第二次提言がこともなげに「戦後一貫して、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保する機能を果たしてきた」という認識に立ったことに、私は大いなる驚きと同時に憤りを覚える。
教育委員会改革を巡って 中教審が平成25年12月に出した制度改革についての答申は、明らかに、実行会議の第二次提言が、教育委員会の「政治的中立性」という機能を認めたことに影響を受けていた。
内容は、教育行政の最終責任者(執行機関)を首長とし、事務執行の責任者を首長が議会の同意を得て任免する教育長にする案と教育委員会に残す案の両論併記だった。つまり教育委員会制度改革を軸にしながら、教育委員会そのものは残す余地も認めるという答申だったのである。この答申を受けて行われた与党協議の結果、地教行法の改正案も教育委員会自体を存続させる方向で骨格がまとまった。
重要なことは、平成18年に公布・施行された教育基本法の理念に沿って、教育行政について国と地方の役割を明確にし、責任と権限の見直しを進めることである。これは、先に述べた大津の事件をきっかけに、かねてから指摘されてきたことでもある。
教育行政の執行機関であり、責任を負うべき教育委員会は、実質的には、実権を握る教育長と事務局の承認機関となってきた。地元名士がなることが多い教育委員は、委員長も含めて非常勤で「顔の無い名誉職」と揶揄され、教育委員会という組織の形骸化は度重なる改革を経ても改めることはできなかった。
実行会議の第二次提言も「現行の教育委員会制度には、合議制の執行機関である教育委員会、その代表者である委員長、事務の統括者である教育長の間での責任の所在の不明確さ、教育委員会の審議等の形骸化、危機管理能力の不足といった課題が依然としてあります」と厳しく指摘している。政府与党もその重要性は十分に分かっているはずである。
与党協議で合意した地教行法の改正案の骨格は四つの柱からなっている。
一、教育行政の責任の明確化―これまで教育委員会内の責任の所在が不明確とされてきた「教育長」(常勤)と「教育委員長」(非常勤)を「教育長」に一本化し、教育長は議会の同意を得て首長が任免する。任期は三年とし、教育委員会(執行機関)の会務を総理し、教育委員会を代表する。
二、総合教育会議の設置、教育施策の大綱を決定する―会議は首長が招集し、首長と教育委員会が教育に関する基本的な施策の大綱を定める協議機関として設置される。これによって「教育振興基本計画」の策定、地域の教育について協議する場が法的に整備されることになる。
三、国の地方公共団体への関与の見直し。
四、その他、議事録の作成、現職教育長の在職期間に関する経過措置など。
これに対して、民主党と日本維新の会は教育委員会を廃止して、首長権限に一本化する改正案を共同提出することで大筋合意している。ただ、廃止の文言で一致したとはいうものの、両党の考え方は根本的に異なり、実際には共同提出はあり得ないのではないかと想う。
民主党案は政権掌握時提起した教育のガバナンスの問題として、首長の教育行政執行について、規模の大きな「教育監査委員会」の設置とセットであるうえに、学校については「学校理事会」が教育内容、人事など学校を管理する体制となっており、教育の「人民管理方式」との印象を受ける。
他方、維新の会の方針は大阪都構想に基づく首長への権限の一元化である。教育行政の透明化、教委に代わって民意を反映し得る諮問機関の創設など、「教育委員会」という占領政策の名残りを留めない点で、私は評価したいと思う。
猛反発する日教組 実行会議の第二次提言及び中教審答申に対しては、様々な分野から意見表明や解説がなされている。私から見れば不十分な認識で進められる改革ですら、日教組は強く反発している。このことからも、日教組がどんなに現行の教育委員会制度を必要としているかが分かる。
日教組は今年1月24日から3日間、大津市を主会場に全国教育研究集会を3000名の参加を得て開催した。冒頭の委員長挨拶で日本の教育の現状について「一定の価値観や大人の論理を教え込む、そんな考え方が広まってはいないか。子どもの権利としての教育ではなく、国家の意思としての教育が前面に出ようとしているのではないか」と強い危機感を表明した。
いまもなお25パーセントの組織率を維持する日教組は、第二次安倍内閣が進める教育再生の取り組みを「教育の国家統制」と見ているのである。
基調報告を行った書記長は道徳教育の教科化や教育委員会制度の改革などに対して「教育への政治介入が強まっている」と懸念を表明した。自民党の教育再生実行本部による「教育再生推進法」制定の動きなどについても「学校現場の現状や子どもたちの実態に寄り添ったものなのか。教育における現場の主体性・創造性が奪われないか注視していく必要がある」と警戒感を露わにした。
これより先、日教組は中教審答申についても談話を出している。
この談話は、日教組にとって、形骸化し破綻寸前の教育委員会の現状を維持することが組織としてのメリットだということを端的に示しているといえる。その証拠に、日教組以外の教職員団体は反応が異なる。
組織綱領で「日本の歴史と伝統、文化を尊重し、我が国と郷土を愛する心を養う教育を実践する」と掲げる福岡教育連盟の研修大会では、委員長が「昨今の教育再生への動きを見ると、戦後教育においてイデオロギーが支配していた時代に賛否が分かれた問題にも次々と道筋がつけられているが、個々の施策のみにとらわれず、根っこにあるものを読み取り、社会全体でベクトルを揃えるべきだと考える。これこそが教育正常化である」と述べている。
教職員団体においても組織結成の原点が違うと現状認識と問題意識がこれほど違うのかということを痛感させられる。
教育委員会制度改革についても「現場に響く制度構築を」として「そもそも首長は教育に関しても政策を掲げて選挙により選ばれるわけだから、教育施策の方針について首長の意見が反映されるのは当然であり、特に児童生徒の生命に関わる問題や、学力保障の問題や、地域の喫緊の課題解決に首長と教育長、教育委員会が一体となって取り組む姿勢が必要ではないか。そういう意味では新設される『総合教育会議』の意義は大きい」と積極的に受け止めている。こうした動きは隣の大分県にも波及し、教育正常化を目指す教職員団体は全日本教職員連盟(全日教連)を筆頭に増加しているといえる。
足並みそろえるNHK 多くのマスコミは、こうした問題を正面から報じないどころか、日教組と同じような主張すら繰り返している。例えば、公共放送NHK「時論公論」の「どうなる教育委員会」の解説を要約すると、以下のような内容だった。
一、教育委員会制度改革を求める背景に、占領期にアメリカから押し付けられた制度だから、という強い声がある。
二、この制度は戦前の国家主義教育の反省に立ち制定された。
三、中教審分科会で多くの委員は現行制度で問題なしとしたが、義家弘介前文部科学大臣政務官の「教育委員会は欠陥のある無責任な制度」との意向を受けて、自治体の長に権限を移す方向性が示された。
四、大津のような希なケースを制度全体のせいにしてしまってよいのか。当初構想された理念が実現されていないことこそ問題。
五、強引な制度改革は、教育現場に常に学び続ける子どもたちがいる中で、禍根を残すことになりかねない。
この番組は、教育委員会の問題点について、「当初構想された理念が実現されていない」ことだという。地教行法制定までの間は、我が国の風土になじまないために、教育行政は混乱の極みであった。教職員組合による委員会乗っ取り、財政力の弱い市町村の疲弊、予算編成権、条例提案権を有していたための議会の混乱等。綺麗ごとの解説で理念が実現されないことを嘆いて見せ、そのうえで、大津の事件は希なケースとしているのである。
しかし、果たしてそうだろうか。いじめ問題で文科省が通達を出すとその後の調査で「いじめ認知」件数が跳ね上がる。それも各県アンバランスがある。これはまさに取り組む地教委・学校の姿勢の問題なのである。希なケースだから制度全体の問題ではないというより、制度上の問題だが大津のように顕在化することは希だというべきである。
そもそも、教育委員会制度は戦前の国家主義教育の反省に立ち制定されたのだろうか。戦前の教学体制を国家主義教育で括って良いのか。米国がわが国の戦前の教育について軍国主義・超国家主義のレッテルを貼って教職員を追放したが、これは懲罰的な占領行政そのものだった。
番組では、中教審分科会で義家前政務官が「教育委員会は欠陥のある無責任な制度」と発言し議論に方向性を与えたとしていたが、義家氏は横浜市の教育委員、第一次安倍内閣で教育再生事務局長も務め、地方の教委・学校も精力的に訪問している。現場を熟知する立場からの発言であり、中教審委員の認識こそが、浅かったのではないだろうか。
番組は、強引な制度改革は禍根を残すともいっているが、これは、まさに日教組の書記長談話そのものである。NHKの「時論公論」氏は結局制度改革より運営の改善で活性化を図れ、と主張しているに過ぎない。私は、これが「教育再生」に対するNHKの基本姿勢と見る。
戦後イデオロギーから脱却を 地教行法改正案が今国会の会期内に成立すれば、平成27年4月1日から施行されることになる。国会審議に望むことは戦後イデオロギーに基づく不毛な論議は無用に願いたいということである。「特定秘密保護法案」審議の際に、マスメディアでは暗黒時代が再来するかのような報道が行われたが、国民を愚弄するキャンペーン報道は逆に批判される時代である。「戦前暗黒史観」は最早通用しない。平成18年末に公布・施行された教育基本法こそが、教育における新たな共有すべき価値観である。
明年は戦後70年の節目の年である。未来志向でこの国の進路を切り拓いていかなければならない。この度の地教行法改正は「戦後教育」に区切りをつけるものなのである。
教育再生実行会議は第三次提言として「これからの大学教育の在り方について」を提起し、この中でグローバル化に対応した教育環境づくりを進め、世界大学トップ100に10校以上のランクインを目指すとしている。第四次提言では、「高等学校教育と大学教育との接続、大学入試選抜のあり方について」の検討の中で、大学入試センター試験の廃止と達成度テストの導入についての検討が進められている。第五次提言では「学制改革―六・三制の改革」も検討段階を迎えている。
これらはいずれも「戦後教育」体制に起因する諸課題である。学制発布から140年余、我が国は敗戦の試練に耐えて、貫く棒の如く歴史、伝統、文化を守り抜いてきた。これを次代に受け継ぐのが我々の使命である。
こばやし・ただし 昭和8年、旧東京府生まれ。横浜国立大学学芸学部哲学科を卒業し、川崎市立中学校教諭に。日教組の神奈川県教組委員長などを経て、平成元年、社会党から参議院議員に立候補して当選。1期務める(社会党は5年に離党届を提出し、後に除名)。政界引退後は、教育評論家に。著書に『「日教組」という名の十字架』(善本社)、『教育制度の再生』(学事出版)など。
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