李登輝元総統、あす渡日 東日本大震災の被災地など訪問/台湾【政治】 2015/07/20 17:54
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李登輝元総統(左2)と夫人が訪日=2014年9月(台北 20日 中央社)李登輝元総統が21日から6日間の日程で10カ月ぶりに渡日する。李氏の事務所は20日、訪日日程の詳細を明らかにした。東京では国会議員会館で講演を行うほか、宮城県では東日本大震災の記念施設を訪れる。
李氏の事務所によると、曽文恵夫人や娘2人も同行する。国会議員会館での講演は22日に実施。23日には日本外国特派員協会を訪問するほか、国会議員との宴席に出席するとしている。 24日は福島県内の病院で最新のがん治療に関する理解を深め、25日には宮城県の瑞巌寺で植樹などを行う。また、26日には同県内の震災記念施設「千年希望の丘」を訪れ、その後仙台空港から帰国するという。 (呂欣ケイ/編集:齊藤啓介) |
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【台湾CH Vol.85】全国高校生が捏造教科書に抗議・台湾にもある「乃木坂」・蔡英文が訪米から帰国 [桜H27/6/12]
2015/06/12 に公開
【日台交流頻道】第85集、全國高中生抗議中國化課綱・被日本人誤解的蔡英文主張的維持現狀
本節目使用日台的語言, 傳播日本與台灣之間的交流情報。 本集報導: ①介紹在台灣苗栗縣的「乃木崎(坂)」。這是1897年當時的台灣總督乃木希典所建造的坡道成為史蹟。②台湾發跟日本同様的歴史教科書問題,但跟日本不一様的是,台湾高中生自發站起來去抗議。③分析被日本媒體誤導的民進黨總統候選人蔡英文訪美中的的主張。 主播:永山英樹・謝惠芝 「台湾チャンネル」第85回は、①台湾苗栗県にある「乃木崎(坂)」を紹介。台湾総督だった乃木希典が1897年に作った坂道が史跡になっている。②国民党政権が今年9月から捏造の大中国史観を反映させた歴史教科書を導入の予定。これに全国の高校生が抗議運動を開始し、高校版「太陽花(ヒマワリ)学生運動」に発展する勢い。③民進党の総統候補、蔡英文主席が訪米を終えて帰国。同党に対する日本の一部メディアの誤解を解く。 キャスター:永山英樹・謝恵芝 ※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。 http://www.ch-sakura.jp/579.html ◆チャンネル桜公式HP http://www.ch-sakura.jp |
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【台湾チャンネル】第81回、速報!台湾人英霊の日章旗が遺族の下に(銅鑼郷中平村)・今年も八田與一氏の追悼行事[桜H27/5/16]
2015/05/16 に公開
【日台交流頻道】第81集、快訊!台灣人英靈的日章旗返鄉・台南追悼八田與一儀式 本節目使用日語和台灣的語言, 傳播日本與台灣之間的交流情報。 本集報導: ①戰後由美軍帶回美國的一面台灣籍日本軍屬的日章旗,已找到其遺屬,並於5月9號在家鄉苗栗縣銅鑼鄉進行還旗儀式,以快訊方式傳達當天的感人畫面。②今年同樣在5月8號,八田與一的忌日當天,於台南烏山頭水庫邊舉行追悼儀式,追思八田與一過去對台灣的貢獻,並強調今後台灣必須對「水」資源的重視。 主播:永山英樹・謝惠芝 日本と台湾の交流情報を、日本語と台湾の言語で同時にお送りする情報番組。 今回は①台湾苗栗県銅鑼郷で5月9日、戦歿台湾籍日本軍属の「寄せ書き日章旗」の返還式典が行われ、戦後米兵が持ち帰ったが英霊の遺品がついに遺族の下へ。その速報として現地の感動的な模様を、先ずはダイジェスト版VTRで。②「嘉南大圳の父」こと八田與一氏の命日である5月8日には、今年も台南の烏頭山ダムの畔で追悼式典が。今も同氏を仰ぐ台湾の人々の心とは。 キャスター:永山英樹・謝恵芝 ※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。 http://www.ch-sakura.jp/579.html ◆チャンネル桜公式HP http://www.ch-sakura.jp |
━━━━━━━━━━ http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_832405_36440484_11.jpg 【日本とパラオの物語】 ペリリュー島の桜花 有史以前のパラオについては未解明だが、近年の遺跡などの調査では、約4000年前から人が住んでいたと推定され、1855年(明治18年)、パラオはスペインの植民地となった。 スペイン人らによって天然痘などが持ち込まれたことや、植民地支配での略奪、殺戮などの結果、パラオの人口は当時90%も減少したといわれている。 1899年、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却したが、その中に、パラオも含まれていた。 ドイツの植民地となったパラオでは、他のドイツの植民地と同様に、道路や水道などのインフラ整備や、パラオの先住民への教育はほとんど行われなかった。 1914年(大正3年)、第一次世界大戦が始まるると、ドイツに対して宣戦を布告した日本は海軍を派遣して、ドイツ守備隊を降伏させ、パラオを解放した。 1919年、第一次世界大戦の戦後処理をする「パリ講和会議」において、パラオは日本の委任統治領となった。 日本国政府は、当時の首都である「コロール」に南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)を置き、パラオは日本の南洋周辺諸島を統治する中核的な島となった。 日本委任統治時代のパラオには、多くの日本人が移住して、最盛期の1943年(昭和18年)には約2万5千人の日本人と、当時は日本国民だった朝鮮人も約2千人が居住していた。 1920年代のパラオの町並みの写真には、右側の方にハングルの看板の店舗があるのがわかる。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20150407200249748.jpg ハングルの看板 ただ、今ではこの写真も、韓国人どもによって「パラオは1910年の日韓併合によってチョッパリに奪われたニダ!」と捏造宣伝に悪用されている。 日本は統治時代には、パラオで、ドイツの植民地時代にはほとんど行われなかった、学校、病院、道路などのインフラの整備も重点的に行われ、首都のコロールは近代的な都市へと変貌していった。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201504072003523bd.jpg コロール 日本は、パラオの住民に、疾病に係る予防接種を受けさせ、また、パラオの言語を顕すための文字を持たないパラオ住民のために、学校を建てて日本語の教科書を用いた日本語教育も行った。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201504072005152db.jpg 日本統治後のパラオでは、それまでの白人による植民地時代とは異なり、日本人の礼儀正しさや、節度、道徳心、他民族を思いやる心などが認められ、日本人はパラオの現地住民から愛された。 パラオには、太平洋上のパラオ諸島の中に「ペリリュー島」と言う南北9キロ・東西3キロ・高さ80メートル・全体で20平方キロの珊瑚礁からできた小島がある。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_10.jpg このペリリュー島では、大東亜戦争の末期に、日米両軍によって実に73日間にも亘る死闘が繰り広げられた。 1941年(昭和16年)に大東亜戦争が始まると、日本軍は「ペリリュー島」に東洋最大といわれる飛行場(1200m滑走路2本)をつくっていた。 パラオは、日本軍にとってグアムやサイパンの後方支援基地として、日本の防衛上も重要な拠点だった。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20150407202051b86.jpg 大東亜戦争で日本軍が劣勢となる中、ペリリュー島は日本軍にとってフィリピン防衛の防波堤だったが、フィリピン奪還に総力をあげる米軍にとってもペリリュー島の攻略が必要となった。 1944年、米陸軍を指揮するマッカーサーは、フィリピン攻略を有利に進めるため、「ペリリュー島」を奪取しなければならなかった。 米太平洋艦隊を指揮するニミッツ提督は、マッカーサーの作戦を助けるために、第一海兵師団にペリリュー島の占領を命令し、ハルゼー大将が指揮する第三艦隊約800隻の艦艇を海兵隊支援のために差し向けた。 これら米軍は、日本軍の兵力の約4倍、航空機200倍、戦車10倍、重火砲100倍以上の軍事力であり、航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃なども考慮すると、米軍が数百倍の火力で日本軍を圧倒していた。 ペリリュー島を守備する日本軍は、関東軍最強と呼ばれた第十四師団、その座下の水戸歩兵第2連隊、高崎歩兵第15連隊を主力とした地区隊、約1万2000人だった。 すでに、数百倍の軍事力に加え、制海権も制空権も握っていた米軍は、2〜3日の攻撃でペリリュー島を攻略できると予測をしていた。 9月12日に米軍は、ペリリュー島に艦砲射撃と高性能焼夷弾の集中砲火を浴びせた。 ペリリュー島には「オレンジビーチ」と呼ばれる海岸があるが、ここで多くの米軍兵が戦死して、海岸が血の色に染まったことから、こう呼ばれるようになったとも言われている。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201504072007232ac.jpg 9月15日早朝、米軍第一海兵師団28,400名が、オレンジビーチよりペリリュー島上陸作戦を開始した。 圧倒的勢力を持つ米軍は、この上陸作戦は短期間で終結すると考え、昼食をオレンジビーチで取る予定でいた。 ところが、日本軍守備隊は激しく抵抗して持久戦に持ち込み、米軍第一海兵師団は全体の50%もの損失を出したので一旦撤退し上陸戦は長期化した。 11月24日、生き残った日本軍将兵はわずか60人足らずとなり、司令部陣地の弾薬もほとんど底をついたところで、司令部はついに玉砕の決断を下した。 守備隊長の中川州男大佐、師団派遣参謀の村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が送られて、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵による万歳突撃が行われた。 結局、米軍が上陸完了をしたのは11月27日だった。 日本軍は、実に73日間にわたって、ペリリュー島を死守したのだった! 日本本土に送られた「サクラサクラ」、この六文字の電文は、ペリリュー島守備隊全員が「桜花のごとく散った」ということを伝えるためのものだった。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_2.jpg ペリリュー島には現住民が住んでいたが、壮絶で長い戦闘が繰り広げられたにもかかわらず、ペリリュー島の民間人には、ただの1人の犠牲者もでなかった。 ペリリュー島民は、日本人を尊敬していたので大人も子供も日本軍と一緒に戦う決意をしていたが、日本軍が島民を戦火に巻き込んではならないとしたからだ。 戦局を予期していた日本軍司令部の命令により、ペリリュー島民のパラオ本島への移住をほぼ完了させ、一部残った島民も疎開させるために戦火の中をパラオ本島へと送り出していた。 ―――――――――― 「ペリリュー島の戦い」 日本軍 戦死者 10,695名 捕虜 202名 ※戦闘終結後も生き残りの日本兵34人が洞窟を転々として生き延び、戦後も2年戦い続け、昭和22年に投降。 米軍 戦死者 2,336名 戦傷者 8,450名 ※この他に精神に異常をきたした者が数千名。 住人 死者 0名 負傷者 0名 ―――――――――― この当時の様子を知る、ペリリュー島民の老人のコラム(毎日新聞)が残っている。
http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_3.jpg 守備隊長、中川州男大佐(11月24日戦死後、2階級特進し陸軍中将) 大東亜戦争終結後に、「日本軍は悪かった」と子供たちに洗脳教育をする教師と、パラオ島民の血を受け継ぐ生徒とのエピソードも残っている。
桜花のごとく散った日本兵は、満開の桜にある靖国神社に英霊として祀られている。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_4_20150407201448166.jpg 近野滋之Blog『民族主義者の警鐘』「パラオ・ペリリュー島の桜花(1)、中川州男大佐、村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文、島民を戦火に巻き込んではならない、桜花のごとく散った日本軍の武士道精神」より、一部を修正し、概ね転載。 ━━━━━━━━━━
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http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/parao.jpg 大東亜戦争の激戦地、パラオ・ペリリュー島 天皇皇后両陛下がパラオを初めて公式訪問される ━━━━━━━━━━ 今回は、前回の記事「パラオのペリリュー島の桜花・天皇皇后両陛下ご訪問の地・パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか?」の続きになるので、まだ前回の記事を読んでいない方はこちらをクリックしてお読みすることをお奨めします。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_7.jpg ペリリュー島の戦いが終り、島に戻った住民たちは、多くの日本兵の遺体を見て泣いた。 「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。ここに征服民族の本性を見る」と。 ペリリュー島の住民は日本軍将兵の遺体を葬り、そして日本の人たちがいつ来ても良いように、その後も墓地の清掃を心掛けた。 敵将のニミッツ提督は、その著「太平洋海戦史」の中でペリリュー島の戦闘に相当のページをさき、次のように結んでいる。
昭和57年(1982年)に「ペリリュー神社」が再建された。 「ペリリュー神社」の御祭神は「天照大神」と「戦死者一万余名の護国の英霊」だ。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_8.jpg そして、敵将の「ニミッツの詩」が、以下の日英2か国語の文で掲示されている。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_9.jpg
この詩には、戦終ればかつて敵であった日本軍の愛国心とその勇戦ぶりをこの島を訪れる旅人に伝えてくれとの願いが込められている。 大東亜戦争終結後、パラオなど南洋の島々は米国の統治領となった。 パラオから日本が去った後、パラオの公用語は英語となり、アメリカによる目に余る反日教育が行われた。 歴史の授業では米国で作られた教科書が使われ、日本人による「パラオ人虐殺事件」などが掲載された反日捏造歴史教科書もあった。 ところが、パラオの年長者が、「そんな話はない」と否定したために、この作り話はパラオには浸透しなかった。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20150408065644c57.jpg パラオとマーシャル諸島の切手 米国から独立した後の1997年、パラオで初の「パラオ史」の国定教科書が作られた。 国定教科書では、全462ページのうち36ページもが日本統治時代にあてられ、章には「日の丸の旗のもとに」というタイトルが付けられている。 その教科書には、日本がパラオを統治するようになった経緯だけではなく、日本が行った学校教育、産業、経済活動などについても詳しく述べられている。 学校教育については「日本人は、当時の日本式の教育方針をそのままパラオにも持ち込み、体罰を伴う非常に厳格な躾(しつけ)を行った。」としながらも、「一年生ですらかけ算の九九を暗記することができた」などと教育水準の高さについても述べられている。 また、「当時の生徒は学年末、とりわけ権威のある年間賞をもらう儀式で認められたくて、とてもよく働き勉強したものだった。その儀式は特別で、村の人たち全員が出席し、子供が成し遂げた誇りを分かち合った」という記述もある。 そして、身分を問わず、努力次第で公平に認められる社会を構築した成果についても記述されており、日本式教育を受けたパラオ人の「学校の厳しい躾が人生に役立った」というコメントも載っている。 産業についても「日本統治のもとで、パラオの島々の経済発展は産業の強化をもたらした」と記述されており、農業、漁業、鉱山業の発展について公平公正な評価がなされている。 さらに、「1年半働くと、7日間の一時帰休と永久就職の保証が与えられた。15歳以下の者は雇用されなかった」などと、福利厚生や労働基準が定められていたことについても記述されている。 日本統治時代について、公平公正に評価をし、不当な批判もなく、事実のみが淡々と教科書に記述されているのが、パラオの国定教科書だ。 パラオ共和国は1981年に、憲法を制定して、日系人のハルオ・レメイク氏が初代大統領に就任し、1993年にクニオ・ナカムラ氏が大統領に就任した翌年の1994年に米国から独立して国連に加盟した。 アメリカから独立してパラオ共和国が誕生した時、ペリリュー島出身の人らによってペリリュー島における日本軍の勇戦を讃える「ペ島の桜を讃える歌」(作詞:同島出身のジョージ・シゲオとオキヤマ・トヨミ、作曲:同島小学校副校長ウィンティ)がつくられ、今に歌い継がれている。 作詞者の沖山トヨミと庄子シゲオの2人の名前について不思議に思うかもしれないが、実は今でもパラオでは日本を慕って止まない心情もあってパラオ国民の半数以上が姓名のいずれか(あるいは両方)に日本名が付けられている。 国のために尊い命を捧げて、命に代えてパラオのペリリュー島民を守り抜いた日本兵を桜にたとえ、その日本兵への感謝の心をつづった歌だ。
南洋に住むパラオの人々は、実際には桜を見ていないかもしれないが、桜を日本人の心だと感じていたのだ。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_10_20150408071242469.jpg 靖国神社の桜花 パラオがアメリカから独立した際に定められた「国旗」は、一般国民から公募した70数点の中から「青い太平洋に浮かぶ、黄色い月」が一番の人気となって選ばれた。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/11143056_800px-Flag_of_Palau_svg_.png http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_5.gif この国旗について、パラオで伝えられるエピソードがある。 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20150408072417c09.jpg 「太陽(日本)」があってこそ「月(パラオ)の輝きがある」という意味が込められており、月が中心から微妙にずれているのは、「日本に敬意を表し、同じでは日本に失礼だから」と、わざと中心からずらしたといわれている。 パラオの人々は、「日本軍は命を捨てて私たちの命を守ってくれた」という感謝の気持ち、そして、強大な米軍と戦った日本人の勇敢さと純粋さに敬意を抱いている。 今でもパラオ国民は、「日本兵は勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのだ」と考え、日本を敬っている。 1995年10月1日、パラオでは独立一周年を祝う式典が催された。 世界の国家元首がパラオに祝電を贈ったが、当時の日本国首相だった反日極左の村山富市だけは、パラオが親日国家であるために祝電を贈らなかった! http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_1_20150408072726bc3.jpg 村山富市は、パラオ共和国が台湾(中華民国)を国家として認め、支那(中華人民共和国)を国家として認めていないことも問題視したようだ。 パラオの独立一周年を祝う式典で、世界各国の国旗の中に「日の丸」はなく、クニオ・ナカムラ大統領は深い悲しみに包まれた。 それでも、2006年8月15日、靖国神社を参拝した小泉元総理に、トミー・レメンゲサウ大統領は、「すべての人のために祈るのは正しいこと」と、靖国神社参拝に支持を表明した。 また、「死後の魂は安らかな場に置かれるべきだ」とし、所謂A級戦犯を合祀する靖国神社のあり方にも理解を示している 靖国神社参拝への批判に対しても、「生きている人間の間で善意の交流を促進すべきで、過去に集中すべきではない」と指摘した。 【親愛なる日本の皆様に】 日本は第二次世界大戦終戦から今日に至るまでの年月で敗戦から見事に立ち上がり、それどころか、産業・経済・文化など様々な分野において、世界のリーダーとして活躍されています。 そんな日本の皆様たちのバイタリティが、実は私たちの国パラオを造ったという事実をご存じでしょうか。 終戦までの日本は、数万人に及ぶ日本人入植者をパラオに送り込み南洋庁を作り、私たちパラオ人のために様々な教育や産業を伝えました。それは後に、パラオ独立のための貴重な原動力となりました。 そして現在でもパラオの長老たちは日本のことを「内地」と呼び、世界で最も親日感情が高い国、といっても過言ではないのです。 パラオ共和国大統領 トミー・E・レメンゲサウ・ジュニア http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_2_20150408073339e48.gif 「日本パラオ国際交友協会」抜粋 http://www.palau-smile.com/ http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_832405_36440484_3.jpg 「サクラサクラ」の電文で桜花のごとく散った日本軍将兵と日本国に感謝しているのがパラオ共和国であり、日本人が知らなければならない大東亜戦争の真実だ。 近野滋之Blog『民族主義者の警鐘』パラオ・ペリリュー島の桜花(2)、ペ島の桜を讃える歌、パラオ国旗、パラオ教科書・日の丸の旗のもとに、大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニア「親愛なる日本の皆様に」、桜花のごとく散った日本軍の武士道精神より、一部を修正し、概ね転載。 ━━━━━━━━━━ ■動画 パラオ人の証言 https://www.youtube.com/watch?t=16&v=vQaZ6SHqOxA
―――――――――― http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_4_m_201504080748578b2.jpg パラオ共和国のトミー・E・レメンゲサウJr.大統領 http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_15_m_201504080752486ad.jpg http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_16_m_20150408075443700.jpg http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_17_m_201504080755416cd.jpg http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_20_m_20150408075557444.jpg パラオのレメンゲサウ大統領がインタビューに応じ、両陛下の訪問は両国の親密な関係をさらに強固にする、などと歓迎や期待の気持ちを表しました。(画像:メイド・イン・ジャパン!) ――――――――――
http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_30_m_20150408021748c52.jpg http://blog-imgs-76.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_31_m_20150408021806fa8.jpg 両陛下は、4月8日、民間チャーター機でパラオに入られて、親善行事などを行われる。 そして翌9日、ペリリュー島で慰霊碑に献花をして、帰国される。
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