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by 日本会議地方議員連盟 2015/11/20 Fri 06:53        
知られざる「GHQの洗脳」歴史学ぶ自民の新組織に期待 
産経新聞 2015.11.19

http://blog-imgs-83-origin.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/20151120065236590.jpg
9月30日、米ワシントンのシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)で講演する稲田朋美政調会長(加納宏幸撮影)


 「オウム真理教の信者のマインドコントロールはよく知られていますが、6年8カ月にわたる占領期間中の日本人に対するマインドコントロールについてはあまり知られていません」

 この言葉は、自民党の稲田朋美政調会長が弁護士当時の平成8年8月、産経新聞の連載企画「教科書が教えない歴史」に執筆した記事の書きだしである。

 稲田氏は連合国軍総司令部(GHQ)による言論統制や、日本人に罪悪感を植え付けた宣伝計画(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム=WGIP)の弊害を指摘し、記事をこう締めくくっている。

 「いまだに日本が占領下の厳しい検閲によるマインドコントロールから抜けきれないでいることは悲しむべきことです」

 問題意識が現在まで持続しているのだろう。稲田氏は、自民党が今月29日に開く結党60年記念式典に合わせて設ける日清戦争以降の歴史や極東国際軍事裁判(東京裁判)、GHQによる占領政策などを学ぶ安倍晋三総裁(首相)直属の新組織づくりを主導してきた。組織トップには谷垣禎一幹事長が就くが、今後の活動に期待したい。

 戦争に負け、占領国民が施される「洗脳」とはどんなものか。われわれの父祖が直接体験した出来事とその影響は、学校教育ではほとんど触れられず、実態はあまり知られていない。
その意味で、自民党の新組織がGHQの占領政策について議論し、そこから日本の現状について考えることには大きな意義がある。また、メディアのあり方、報道姿勢にも少なからず関わってくる問題でもある。

 例えばGHQは稲田氏が指摘した検閲を実施する一方で、真珠湾攻撃4周年の昭和20年12月8日から、10回にわたって全国の新聞に、日本の侵略と悪行を強調する連載記事「太平洋戦争史」(GHQ民間情報教育局提供)を掲載させた。

 翌9日からは、「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにした「真相はかうだ」をNHKラジオで放送させた。米国の原爆投下を正当化し、日本の指導者らが戦争犯罪人の指名を受けるのは当然だとする内容だった。

 単行本化された「太平洋戦争史」については、文部省(現文部科学省)に各学校に購入を求める通達を出させることもしている。

 一方でGHQは検閲指針の項目の中に、「東京裁判への批判」「GHQが憲法を起草したことへの批判」などとともに「検閲制度への言及」を盛り込んだ。自分たちが徹底的な検閲を行い、メディアを取り締まっていることを日本国民に知られないようにしたのだ。

「占領軍が被占領国民の歴史を検閲することが、本当に民主的であるかどうか。アメリカ人はもっと議論する必要がある。私たち自身が日本の歴史を著しく歪曲(わいきょく)してきた」

 こう率直に記したGHQの諮問機関メンバー、ヘレン・ミアーズの昭和23年の著書『アメリカの鏡・日本』は、日本では翻訳出版が禁じられた。訳書が出版されたのは、実に半世紀近くたった平成7年のことである。

 「老いも若きも幅広く、虚心に学ぶということだ」

 谷垣氏は新組織について周囲にこう語り、特に提言などをまとめることはしない考えだ。確かに70年近く前のことを、今さら恨みがましく言い募るのはみっともない。ただ、何があったか、それが現在にどうつながっているかはきちんと押さえておいた方がいい。

(論説委員兼政治部編集委員)

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飛行機の模型を手に特攻隊の経験を語る末吉初男さん(今年2月、福岡県筑前町)

2015.11.17 20:55更新

特攻隊は「テロリストとは違う」「戦友への侮辱だ」 仏報道に88歳元隊員憤り

 パリで起きた同時多発テロ事件で、現地メディアが自爆テロ実行犯を「kamikaze」(カミカズ)=カミカゼの仏語風発音=と表現していることに、語源となった神風特攻隊の元隊員から憤りの声が上がっている。命をなげうち、祖国を守ろうとした特攻と、無辜(むこ)の民間人を犠牲にするテロを同一視するような報道に、元隊員は「国のために戦死した仲間は、テロリストとは全く異なる」と反発している。
 「日本をなんとか救おうと、愛国心の一念から仲間は飛び立ち、命をささげた。テロと特攻を一緒にするのは戦友に対する侮辱であり、残念至極だ」
 福岡県豊前市の末吉初男さん(88)は17日、産経新聞の取材にこう語った。
 末吉さんは16歳で陸軍少年飛行兵に応募し、昭和18年に陸軍飛行学校に入校した。18歳だった20年4月28日、特攻隊として、4機5人と台湾の飛行場から飛び立ったが、約1時間後、隊長機にトラブルが起きて沖縄・石垣島に全機不時着した。再出撃の命令は出ず、そのまま終戦を迎えた。
 末吉さんは、爆弾を積んだ小型ボートで敵艦隊に突入する特攻に旧海軍が「神風」という言葉を用い始め、国内に広がったと記憶している。鎌倉時代の元寇の際に暴風が起きたことから、「日本が最悪の状況に陥ったときには神風が吹く、国を守るために神様が加勢してくれると信じさせてくれる言葉だった」と振り返る。
 戦後70年、亡くなった戦友のことは片時も忘れず、冥福を祈り続けた。
 今回、パリの事件を報道で知り、「無差別に人を狙う、こんな恐ろしいことが起こる世の中になった」と残念な思いでいた。
 ところが、そんなテロの代名詞に「カミカゼ」が、誤って用いられている。
 特攻の攻撃対象は敵艦であり、乗っているのは軍人だ。無差別に一般市民を巻き添えにすることは決してなかった。末吉さんも、敵艦を攻撃するために特殊教育を受けた。
 航空母艦を標的とする際、鉄板の甲板に突っ込んでも空母は沈まない。格納している航空機の昇降口を狙うなど、課せられた任務を遂行するために、むやみな突入をしないことは絶対だった。
 「戦友は上司の命令に従い、国を守るため、天皇陛下のためと死んだ。特攻とテロが一緒にされるとは心外でたまらない。戦友に対して申し訳なく、はがゆい思いでいっぱいだ」
 自爆テロやテロリストを「カミカゼ」と表現する報道は、2001年9月の米中枢同時テロ以降、見られるようになった。今回テロ事件が起きたフランスでは、「3人の『カミカズ』のうち、1人がフランス人だ」「『カミカズ』が競技場に侵入しようとしていた」などの文言で報じられ、捜査を担当するパリの検事も記者会見で「カミカズ」と口にしている。
 末吉さんは、これまで生き残ったことを申し訳なく思う気持ちから、戦争体験をほとんど語ってこなかった。だが、戦後70年を迎え、ようやく今年、生き証人として自らの経験を語り始めた。
 「話を聞く若い世代の中には、これから政治家や指導者になる人もいるだろう。ひとりでも多くの人に、真実を知ってもらいたい」と強調した。(九州総局 高瀬真由子)


【関係記事】
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武士道を貫いた日本軍兵士

<マレーシア> ラジャー・ダト・ノンチック(元上院議員)
日本軍は、長い間各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い
とても白人には勝てないと諦めていたアジア民族に感動と自信を与えてくれました。
長い間眠っていた「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」という心を目覚めさせてくれたのです。
二ミッツ元帥(太平洋艦隊司令長官)
この国を訪れるもろもろの国の旅人達よ。
故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!
<イギリス>スリム中将(イギリス第14軍司令官)
たたかれ、弱められ、疲れても
自身を脱出させる目的でなく、本来の攻撃の目的を以って
かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団如きは
史上にその例を殆ど見ないであろう。
<韓国>朴鉄柱(韓日文化研究所)
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は
決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争。
この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても、強調し過ぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが
負けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが
こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが
しかし彼らは英霊として、靖国神社や護国神社に永遠に生きて
国民尊崇対象となるのである。

ガザリー・シャヘー(マレーシア元外務大臣)
日本はどんな悪いことをしたというのか。
マレー半島で南下したときの日本軍は凄かった。
わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。
日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず
マレーシアは独立したのだ。
日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。
なぜ日本が謝るのでしょうか?
あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ってくれたではないですか。
日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。
この日本が払った尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。
サンティン・アムステルダム市長
本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人のほうです。
日本は敗戦したが東亜の目的は実現した。
その結果アジア諸民族は各々独立を達成した。
日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。
タナット・コーマン氏(タイ国元副首相)
あの戦争によって、世界のいたるところで、植民地支配が打破されました。
そしてこれは日本が勇戦してくれたおかげです。
新しい独立国が多くの火の中から不死鳥のように姿を表わしました。
誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です。
<インドネシア> モハメット・ナチール元首相)
アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を、日本が代表して敢行したものです。
大東亜戦争というものは本来なら、私たちインドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったのです。
<インドネシア> サンパス(元復員軍人省長官)
特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず
インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
日本の戦死者は、国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲賞を贈っているが、それだけですむものではない。
<インドネシア> ブン・トモ(元情報相)
日本軍が英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。
そして実は我々の力でやりたかった。
<インド> ネール(初代インド首相)
彼ら(日本)は、謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない。
それ故インドは、サンフランシスコ講和会議には参加しない。
講和条約にも調印しない。
グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)
インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えたのは日本である。
インドの独立は日本のおかげで30年早まった。
この恩は忘れてはならない。
これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ、東亜民族はみな同じである。
インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。
<ビルマ> バーモウ(元首相)
日本ほどアジアを白人支配から離脱することに貢献した国はない。
しかしまた、日本ほど誤解を受けている国はない。
チャンドラ・ボース(デリーインド国民軍裁判主席弁護人)
日本軍の勝利は、アジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに、参戦することを可能にした。
ククリット・プラモード(タイ国元首相)
日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。
更に8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。
我々は、この二つの日を忘れてはならない。
<アメリカ> ベン・ブルース・ブレークニー(東京裁判弁護士)
原子爆弾という、国際法で禁止されている残虐な武器を使用して
多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について、日本の責任を問う資格があるのか。
<インド> パール判事(極東国際軍事裁判判事・法学博士)
私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということが分かるはずだ。
それなのに、あなた方は、自分らの子弟に、
「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」
と教えている。
満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流されていくのを
私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
時が熱狂と偏見とを和らげた暁には、また理性が虚偽から、その仮面をはぎとった暁には
その時こそ正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを要求するであろう。




















やっとまともな教科書に!中学校の全教科書で「尖閣諸島・竹島は日本固有の領土」と記述

中学校の全教科書に「尖閣諸島や竹島を日本固有の領土」と記述

「尖閣は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」
「韓国が竹島を不法占拠している」
2015年4月、文科省は、2016年度から中学校で使われる教科書の検定結果を公表しました。
社会科においては、初めて地理・歴史・公民、全ての教科書が沖縄県の尖閣諸島と島根県の竹島を「日本固有の領土」と明記するようになりました。
さらに、歴史的経緯の説明を加えたり、現在の情勢に触れたりして、日本の領土に関する記述が倍増しています。
また、平成27年度から使われている小学校教科書でも、社会の全教科書が「日本固有の領土」として記述しています。

したがって、義務教育の段階ですべての児童・生徒が、尖閣・竹島という日本の領土に関して学ぶことになりました。
現在(2015年)使われている中学校の社会の教科書では、全18点中、竹島に触れているのは11点、尖閣諸島は9点しかありませんでした。
今回の教科書検定において、歴史や領土問題について新たな検定基準が適用され、18点全てが両方を掲載を掲載することになりました。
戦後70年がすぎ、やっとまともな教科書が使われるようになりました。
これを機に、子供たちに尖閣・竹島が日本の領土であること伝え、そして、領土を守ることの大切さを教えていかなければなりません。

尖閣諸島、竹島はなぜ日本領か

尖閣諸島・竹島をめぐる領土問題を、歴史的事実と今回の教科書の記述も交えながら、見てみましょう。

尖閣諸島について

尖閣諸島は1895年、日本が他の国の支配が及ぶ痕跡がないことを検討して、1895年の閣議決定で沖縄県に編入された日本固有の領土です。
ところが、周辺海域に石油資源などが埋蔵されている可能性が指摘された1970年代、中国が領有権を主張するようになりました。
もともと日本が有効に支配しており、歴史的に見て両国の間には領土問題は存在しないのです。
それにもかかわらず、中国は尖閣周辺に軽武装した公船を連日のように侵入させています。
今回の育鵬社の公民教科書では、見開き2ページで「領土を取り戻す、守るということ」と題した特集を掲載し、尖閣は日本人実業家が開拓し、最も多い時には242人が居住していたことなどを紹介しています。

竹島について

また、竹島についても同様です。
そもそも、竹島は古くから島根県や鳥取県の漁民たちの貴重な漁場でした。
1905年には日本が閣議決定で領有意思を確認した上で島根県に編入されています。
ところが、戦後の混乱が続く52年、韓国が「李承晩ライン」を一方的に宣言し竹島を含む公海上に海洋主権を宣言しました。
さらには武力占拠、灯台を設置、警備の人員を常駐させるなど、現在も不法占拠を続けています。
今回の東京書籍の公民教科書では、17世紀から鳥取藩の漁民が竹島で漁業を行ってきた記録が存在していることを記述しています。
また、韓国の不法占拠を受けて、日本が国際司法裁判所に委ね、平和的に解決するという提案を韓国が拒否していることにも触れています。

国土への意識向上のためにも正しい教育を!

これらの背景には、尖閣諸島・竹島という領土問題に対する関心が高まっていることなどが挙げられます。
また、中国や韓国は尖閣諸島や竹島の領土問題に加え、旧日本軍による南京大虐殺や慰安婦の強制連行などについて、自国に都合のよいプロパガンダを広めています。
しかし、「日本は過去、悪いことをした」ということのみを強調する、いわゆる「自虐史観」は、日本人としての自信喪失や活力の停滞、また、国際社会での影響力の低下を引き起こしかねないものです。
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さらに、日本が自虐史観にとらわれ、防衛のための戦力にさえ嫌悪感をもち続けていては、国民・国土を守る最低限の防衛体制さえつくれず、他国による侵略を呼び込みかねません。
今回の社会科教科書の検定結果は、一つの成果ではありますが、自虐史観を払拭した真に国民のための歴史教育をしていかなくてはならないのです。
これまでの教科書は、近現代史の分野において自虐史観的な記述が多く見受けられましたが、これを機会に、バランスのとれた歴史認識を子供たちにしっかり教えたいものです。

教科書だけではない日本の攻勢

また、尖閣諸島・竹島問題に対しての日本の攻勢は、教科書だけにとどまりません。
政府は、尖閣諸島と竹島に関する行政文書などの資料約1500点をデータベース化し、このうちの、尖閣諸島や竹島に戦前から日本の施政権が及んでいたことを示す資料を、内閣官房のWebサイトで公開すると発表しました。
2015年8月、まず、それらの資料集の中から約200点のネット公開を始めました。


沖縄・島根の両県で収集した、過去の行政文書や地元の新聞記事などを政府が一括で管理・公開し、「日本固有の領土である」との立場を国内外に強く発信する目的です。
尖閣諸島に関する資料の中には、尖閣諸島が1895年に沖縄県に編入される以前から、日本人が漁業を行っていたことを示す資料や、編入時に政府が現地調査等を行っていたことを示す資料などが見受けられます。
また、竹島については、1905年の領土編入以前から日本人による経済活動が行われていたことを示す資料があり、領土編入以降も、日本政府による統治が行われていたことを示す訓令などの資料も公開されています。
これまでは、尖閣や竹島の領有権を示す資料は、外務省のWebサイトなどで一部のみ公開が行われていました。
しかし、政府は日本の立場を国内外にアピールしていくにあたって、今後、より多くの資料を示して発信していくことが必要であると判断し、資料の収集を始めていました。

尖閣・竹島を領土をめぐっては、中国や韓国が自らの領有権の主張を強め、さらには日本の主権を侵害し続けています。
今回の歴史資料の公開は、そういった韓国や中国の不当な主張・活動への対抗策となりそうです。
 
 

自国の領土について正しい知識を身につけることが領土を守る抑止力向上にもつながる

今回の教科書検定で領土に関する記述が倍増したと言っても、今までのあまりにも酷い教科書の記述が幾分か正常化したという程度に過ぎないとも言えます。
領土をめぐっての問題は、日本の領土に対する主権の問題であり、教育においては、その主権の正当性を理解させ、自国の領土について正しい知識を持たせることが重要です。
しかし、領土問題は国と国の「利益の対立」だと記述されている教科書も見受けられ、ほとんどの教科書は領土問題が主権の問題であることへの記述が薄いものが多いのです。
現実に、竹島では実力支配され主権が明確に侵害されており、尖閣海域では領海が中国の公船によって侵犯され主権が侵害されています。
しかし、自国を守るという領土主権の重要性についてあまり触れられていないという、ほとんどの教科書に共通した問題がまだ残っているのです。
尖閣諸島も竹島も、私たちの先人たちが経済活動を営み切り拓いてきた場所です。
そして、日本は当時の国際法に則って平穏に領有を開始し、そこで、繁栄を築いているのです。
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こうした事実を伝え、日本を導いてきた先人たちの努力を教え、そうした営みに誇りを持てる歴史教育を行っていくことで「尖閣諸島、竹島は日本固有の領土」と確信を持つ国民になっていきます。
そうすることが、領土を守る力にもつながっていくのです。
 
※「ACTIONなう!」実行委員会


こんな記事もあります
みんながどういう記事を書いているか見てみよう!
2015/11/12(木) 午前 5:42
... 慰安婦問題についても〈義務教育の教科書において自国の立場で史実を選択するのは当然のこと〉〈「歴史的事実」だから中学校教科書に記述すべきだという主張は根本的に ...
2015/10/12(月) 午前 11:10
... 面目躍如 平成27年は中学校の教科書採択の年であり、朝日新聞が最も嫌う育鵬社の社会科教科書が大躍進しました。歴史教科書で前回採択年(平成23年)の51%増 ...
2015/4/9(木) 午後 10:12
... 6日に検定合格した中学校教科書に「任那日本府」が記載されたりしているとして、任那の存在を否定する韓国で「古代史でも日本が歪曲(わいきょく)」(韓国紙)との非難 ...
2011/7/11(月) 午前 0:05
... 歴史と公民を発行する教科書会社7社に参加を呼びかけた 。 当日は、 愛知県内の大学教授による教科書に関する基調講演に続き、教科書会社が自社の教科書の長所をはじめ ...
2008/10/20(月) 午後 4:17
... 贔屓目に見て8割程度とは思いますが、他社の教科書よりは、はるかにましです。 誰がこんな教科書を許可した!?と言いたくなるような酷い内容のものがほとんどです。 ...

日本人なら知らないと損する、世界を感動させた日露戦争と武士道精神

2015-11-08 08:57:30
テーマ:戦争



日本が大ロシアに勝った日露戦争(1904-1905年)は、「世界の奇跡」といわれるほどの歴史的な大勝利だったと言われていることはご存じですか?

現在の歴史教科書では、この日露戦争について2〜3行ほどで書かれていますが、この戦争の勝利によって世界の20世紀がはじまったと言っても過言ではない大事件だったのです。

それは何といっても有色人種と白色人種の戦いにおいて、はじめて有色人種が勝利した戦争だからです。

そこで今回は日露戦争の勝利でどれだけ世界を感動させたのかということと武士道精神について、日本の子供たちに知ってほしい日本史についてお伝えします。



世界を感動させた日露戦争

日露戦争の日本勝利のニュースを聞いて有色人種の国々では興奮のルツボとなったのは言うまでもありませんが、白色人種の国でも多くの国が喜びました。

それが今までロシアに占領されていたり、圧迫されていたり、いじめられ続けていたフィンランド・ポーランド・トルコなどの国々です。

トルコでは、この勝利を自分のことのように喜び、日本と東郷平八郎を国あげて称賛しました。

そのためトルコのイスタンブールには今でも「東郷通り」があったり、さらに「乃木通り」、さらには陸軍大将で満州軍総参謀長だった児玉源太郎にあやかった「児玉通り」まであるほどです。

ポーランドでも、トーゴーやノギが当時の子供たちの人名になっているほどです。
さらにフィンランドでも「アドミラル・トーゴー」の銘打った東郷ビールが販売されました。

またインドやアジア諸国でも大騒ぎとなったのは言うまでもありません。

後のインドのネルー首相は、「長年、ヨーロッパに苦しめられてきた我われアジアの国々にも、やればできるという希望の光が差してきた気がして、子供心にも熱狂した」と談話を発表したほどです。

そして、この日露戦争の日本の勝利から、アジア・アフリカの独立運動と植民地解放の運動が強まっていきました。

インドのネルー首相のいうように「やればできる」という精神が確実にアジア・アフリカに普及したのです。




日露戦争につき、戦時教育上の心得

1904(明治37)年2月10日、明治天皇から日露戦争開戦のご詔勅が出されました。

そのとき、文部大臣名で全国の学校に向けて一つの訓令が出されました。

その内容は日露戦争につき、戦時教育上の心得に関することです。

内容としまして、イタズラに敵愾心をあおるような、例えば当時流行っていた『ロスケ』などの侮辱的言葉を慎むようにすること、そして私たち日本には戦いにおいて相手を侮辱するような精神的伝統はないこと、最後に私たち日本人は敵であっても敬意をあらわして、正々堂々と死力を尽くして戦うこと。

これらを子供たちに教えてもらいたい、という趣旨の通達でした。

このような訓令を出した国は、おそらく世界のどの国を探してもないと思います。

これが明治の大精神です。




武士道の血脈我にもあり、捕虜をこよなく愛せ

次に日露戦争の戦時中の話です。当時ロシア兵の捕虜たちは、日本全国29箇所に分散され管理されていました。

日本政府はロシア兵の捕虜に対しても、日本国民でその名誉を重んじ、手厚く遇するように通達しました。

そのなかの愛媛県 松山市高浜の話をします。

ロシア兵が高浜に上陸しますと、そこに何とロシア文字で『祖国のために戦った露国(ロシア)の勇士を!高浜の町民は歓迎する』との幕が掲げてありました。

高浜の駅長は、捕虜を出迎えたとき、『愛国の勇士諸君をむかえる役目を命じられ光栄に思っている。と同時に、諸君の境遇の不幸は同情に耐えないものである』と挨拶を述べ、捕虜たちは大変驚き、そして感動したと述べています。

またロシア兵の捕虜期間中の生活は虐待など一切なく、きちんとした食事を与え、松山市内を自由に散策し、道後温泉にもしょっちゅう入れてもらえたそうです。

松山市民は政府の指示どおり捕虜たちを実によく厚遇しました。

そのため戦後ロシア兵捕虜たちは、「自分の生涯の中で、天国のような所にいたことがある。それは日本での捕虜生活の期間だった」と祖国に帰り、喜びを述べているほどです。

そして戦地で「マツヤマ!」と叫んで頻繁にロシア兵が投降して来たとも伝えられていますが、それは松山市の待遇の良さが知れ渡っていたからに他ならないのです。

このように「武士道の血脈我にもあり、捕虜をこよなく愛せ」と、松山市民の心意気が今でも伝わってくるような話です。


水師営の会見の写真



次は日露戦争時の陸軍大将である乃木希典将軍の話です。
日露戦争でもっとも重要で激しい戦闘が行われたのが中国の遼東半島にある旅順です。

ここにロシア陸軍の強大な要塞が築かれ、日本の陸軍と激しい戦いが繰り広げられました。

このときの日本の軍司令官が乃木将軍です。

日本軍は多くの戦死者を出しつつも、ついにその要塞を突き崩すことに成功しました。

このとき乃木将軍の二人の息子も戦死してしまうのです。

その知らせを聞いたとき、乃木将軍は涙を見られまいとロウソクの火を消したそうです。

勝利を収めた乃木将軍は、水師営(清の北洋艦隊隊員の駐屯地)で、ロシア軍の総指揮官ステッセルと会見しました。

明治天皇が「ステッセル将軍の面目を保つように」とお達しがあり、乃木大将も明治天皇のお考えに賛成していたため、日本の従軍記者に会見の場の写真を取らないように指示していました。

しかしそれでは従軍記者の役目が果たせないということで、一枚だけ撮らせることにしましたが、その際、敗軍の将の面目を保つために我われと対等に帯刀を許し、同じ数で同等のスタイルにして一枚だけ撮ることのみ許可を出したのです。

この写真が水師営の会見の写真です。




マッカーサーが尊敬した軍人は乃木希典

乃木将軍の話はまだ続きがあります。

敗れたロシアのステッセル将軍は帰国後、責任を取らされ、ロシア皇帝より銃殺刑を宣告されました。

これを知った乃木将軍は、すぐにロシア皇帝に手紙を送り、ステッセル将軍が旅順で死力を尽くして祖国ロシアのために戦ったことをセツセツと訴え、処刑のとりやめを願いでました。

この手紙によって、ロシア皇帝の心は動き、処刑は中止され、シベリア流刑に罪が減ぜられたのです。

さらに乃木将軍は残されたステッセルの家族のために、自分が死ぬまで生活費を送り続けたのです。

日本に戻ってから勝利のパレードをしているときも、乃木将軍は目を伏せ、戦勝を喜ぶよりも多数の兵士を死なせたことを悲しみ、恥じるようであったといわれています。

さらに日本軍が凱旋後、第一にしたこともロシア兵の戦没者の慰霊でした。

「昨日の敵は今日の友」という言葉どおりの実践です。

負けた方が悲惨であり悔しいのだから、まず敵軍の墓地、顕彰碑を先に作りまた。

最初は神式で実施するという話だったのに対して、ロシア側がロシア正教でやりたいと言うことで、敵の意を組んで、ロシア正教の神父さんを呼んでおこなうことにしたほどです。

このような話を聞いた外国の記者たちは、その寛大さと日本の武士道精神の美しさに息をのみ感動しました。

後に、アメリカのウォシュバンという記者は、その感激をもとに『乃木大将と日本人』(講談社学術文庫)という伝記を書いたほどです。

現在の日本人は知らない方が多いですが、乃木将軍は諸外国で圧倒的な尊敬を集めた日本人なのです。

特に長い間ロシアと国境を接して苦しめられてきたトルコやポーランドでは、乃木将軍を英雄としてだけでなく、人格者として尊敬され、こどもたちに「ノギ」の名前がつけられたほどなのです。
今の日本の子供たちで乃木希典の名を知っている子は何人いるのでしょうか?





東郷元帥を崇拝していたニミッツ

次は東郷平八郎元帥の話です。東郷元帥は日露戦争の日本海海戦において、戦力の乏しい日本海軍を率いて当時世界最強の艦隊と言われていたバルチック艦隊を破った大将です。

乃木将軍と共に今でも多くの外国の方が尊敬している日本人です。

東郷元帥は日本海海戦後、敵将のロジェスト・ウェンスキー将軍が負傷して佐世保の病院に入院していたので、単独でお見舞いに行きました。

単独でいったのはもちろん敵将に対しての配慮です。

さらに日本海を望む福岡県津屋崎に「日本海海戦勝利」の記念碑を立てる話が持ち上がったとき、東郷元帥は、「祖国のために戦死した5,000人のロシア兵のことを思うと、“勝利”という言葉は使えない」として、単に「日本海海戦記念碑」のみの碑文だけにさせました。

このように日露戦争までは、日本兵の「武士道」やロシア兵の「騎馬道」などが数多く存在した時代だったため、戦時中でも両軍が赤十字社で乾杯したり、祖国の話を語り合ったりしたと言います。

そして現在ではあまり知られていませんが、大東亜戦争の米国の陸軍総大将であったマッカーサー元帥の尊敬する軍人は乃木希典将軍であり、海軍総大将であった米太平洋艦隊総司令長官のニミッツ元帥の尊敬する軍人は東郷平八郎元帥だったと言われています。

今でも、アメリカのテキサス州にある 「ニミッツセンター」には、「東郷元帥の大いなる崇敬者にして弟子であるニミッツ」と書かれたニミッツの肖像写真が、東郷元帥の肖像写真の下に飾られているほどです。

日本人が知らない歴史が多いのです。




欧米列強による植民地支配が頂点に達した時代

なぜ日本が、日露戦争に勝利できたか実に不思議です。

なぜならロシアとの国力、軍事力の差は比較にならないほどで万が一戦争が起きたとしても、日本が勝つことは絶対的に不可能だと言われてきました。

20世紀はじめの世界は、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、アメリカ等の欧米列強による有色民族に対する植民地支配が頂点に達した時代です。

15世紀末のコロンブスの西インド諸島征服をはじめとして、白人国家は南北アメリカ大陸、アジア、アフリカのほとんどすべてを侵略し、非西洋民族の国々を植民地や従属国として支配しました。

そんな圧倒的な国力、軍事力、科学技術をもつ欧米列強に対抗できる有色民族はどこにもいなかったはずです。

そして幕末のころになると最後に残された独立国がタイと支那(中国)の一部と、日本・朝鮮半島となるのです。

20世紀の前半の世界地図(赤は欧米列強の支配下)
とは言っても当時、実質的な独立国は日本だけでした。

もちろん名前だけの独立国はいくつかありました。

たとえばタイがそうです。

しかしタイは領土のかなりの部分をイギリスとフランスに奪い取られ、かろうじて独立国の名を保つのに精一杯な状態です。

中東ではペルシャ(イラン)が一応独立国でしたが、国土の北半分はロシア、南部がイギリスの勢力範囲とされていました。
つまり自立していて唯一欧米列強に対抗しうる可能性があった国は日本だけだったのです。




日露戦争は明治維新からわずか36年

日露戦争はペリー率いる東インド艦隊が日本に来航してから51年後に起きた戦争です。

当時世界最強のバルチック艦隊に勝利した日本の技術・精神は本当に素晴らしいものです。

明治維新後チョンマゲと刀を捨て、近代化を目指してたった36年のうちに大ロシアに勝ったのです。

それがいかに困難を極めた事業であったことかは想像できるかと思います。

だからこそ日露戦争の勝利は世界史の奇跡なのです!

もし日本が日露戦争でロシアに負けていたら世界はどうなっていたのでしょうか?

あるいは吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟、徳川慶喜などの活躍がなく、明治維新が成功しなかったらどうなっていたでしょうか?

きっと21世紀を迎えた今日であっても欧米の世界支配が続いていたと思います。




世界史上、はじめて日本が人種平等を主張する

日本国民は明治維新以来、二つの大きな夢を描いてきました。

一つは日本の独立をまっとうして、世界の一流国となること。

もう一つが人種平等の理想の世界を実現することです。

日露戦争を経て第一次世界大戦が終わると、世界各国の首脳が集まりパリ講和会議が1919(大正8)年に開かれました。

ベルサイユ宮殿で調印されたことから、ベルサイユ講和会議とも呼ばれています。

この会議によって、今日の国連(国際連合)の前身に当たる国際連盟が創設されました。
この会議において、日本は世界史上はじめて『人種平等』を定めることを強く主張したことは、よく知られています。

もちろん全世界にわたって植民地を持っていた西洋の列強国によって拒まれたのですが、この件から日本は第二次世界大戦が終わるまでの26年間、孤独な戦いがはじまっていくのです。




大東亜戦争の目的は二つあった

大東亜戦争(現在学校の歴史教育では「太平洋戦争」と呼ばれているが、こちらが正しい名称)は敗北したから失敗と思う人もいるかと思いますが、この戦いの目的は二つありました。

一つはわが国の自存自衛ですがこれは負けたので失敗に終わりました。

もう一つがこの名称に示されているように、東亜諸民族を欧米列強の植民地支配より解放、独立させることにあったのです。
1945年の第二次世界大戦の終戦時に国際連合加盟国は51か国です。

そして現在、196か国の国々が国連に加盟している点から考えてみても、欧米列強の植民地支配より解放、独立させることは私たち日本の英霊の犠牲において成功したといっても過言ではないでしょう。

アメリカ、イギリスの世界の大国を相手に大東亜戦争を敢行し、400年間続いてきた彼らの植民地支配をついに打ち破った日本という国がこの世界になかったならば、欧米の世界支配は永久に続いていたはずだというのが、アジア諸国民の心の奥底からの叫びなのです。

(これに関連する各国の声はこちらから)
なぜ日本のことを好きになれない日本人が多いのか?

このアジアの人々の真実の声を耳をふさいで聞こうとしなかったのが、戦後70年間の日本だったのです。

なぜ戦後の歴史教育では”大東亜戦争”と呼ばずに”太平洋戦争”にすり替わっているのでしょうか?

これを決めたのはGHQです。

歴史は古今東西、勝者によって作られます!!

これだけ知らない歴史があることに疑問を持っていただけたらと思います。

正しい歴史を子供たちに伝えていきましょう。

http://ameblo.jp/hifumijuku/entry-12093146336.html転載
by 日本会議地方議員連盟 2015/11/05 Thu 13:44
地球史探訪:大東亜会議 〜 独立志士たちの宴

今日は何の日 11月5日 昭和18(1943)年 - 東京で大東亜会議が開催される。

http://blog-imgs-69-origin.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/Greater_East_Asia_Conference.jpg
大東亜会議に参加した各国首脳(帝国議事堂前にて記念撮影)。左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東條英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース

http://blog-imgs-52-origin.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/1943_Tokyo_conference.jpg
大東亜会議に参加した各国首脳と代表団(帝国議事堂前にて記念撮影)。左からビルマ、満州国、中華民国、日本、タイ王国、フィリピン、インド

 昭和18年末の東京、独立を目指すアジア諸国のリーダー達が史上初めて一堂に会した。

■1.戦時中の東京に集まったアジア諸国代表■

 1943(昭和18)年の末、アジアの独立した諸国代表が、史上初めて一堂に会する機会を持った。それは1943年11月5,6の両日、東京で開かれた大東亜会議(The Assenblyof Greater East-Asiatic Nations)である。事実、これ(大東亜会議)は歴史を創造した。
 この大東亜会議にビルマ代表として出席したウー・バー・モウ首相の自伝「ビルマの夜明け」の一節である。昭和18年は年明け早々にガダルカナルからの撤退、5月にはアッツ島守備隊玉砕があり、日本は守勢に立ち始めていた。

 そうした状況の中で、満洲国、中華民国、タイ、フィリピン、ビルマ、そして自由インド仮政府のそれぞれの代表者が東京に駆けつけ、一堂に会した。

 会議の前々日、午後4時から開かれた茶会はきわめて感動的な空気をつくりだしていて、「広いアジアそのものを一つのものとしてとらえる思いに満たされていた」「われわれは、へだてられた人間としてではなく、

すべての国民を包含した単一の歴史的家族として寄り集まっていた。こんなことはかつてなかったことだ」とバー・モウは自伝に記している。

■2.「戦う目的について堂々たる主張がなければならぬ」■

 昭和18年4月に中華民国大使・重光葵は、「戦う目的について堂々たる主張がなければならぬ」として、次のような意見書を東条首相に提出した。

 日本の戦争目的は、東亜の開放、アジアの復興であって、東亜民族が植民地的地位を脱して、各国平等の地位に立つことが、世界平和の基礎であり、その実現が即ち、戦争目的であり、この目的を達成することをもって日本は完全に満足する。[1,p47]


 東条はこれに共鳴して、この政策実行のために重光を外相とした。重光は汪兆銘政府と積極的に話し合い、全面和平の後、日本軍の撤退を約する日華新協定、日華同盟条約を結んでいた。

重光はこの「新政策」をアジア全域に拡大しようと考えたのである。

 これは英米対日本という戦争の構図を、欧米植民地主義対アジア被抑圧民族という構図に劇的に塗り替えてしまうものであった。東条首相はアジア諸国の独立と交換に、人的物的協力を取り付けよう、という意図で、重光の意見書に飛びついた。

 東条を動かしたもう一つの要因は、昭和天皇の意思であった。東条が中国への「新政策」を報告すると、昭和天皇は大変に喜ばれ、その実現の監視役として弟宮の三笠宮を駐支派遣軍司令部に転任する許可を与えられた。

大東亜会議の構想に対しても、おおいに関心と支持を示された。重光は「東条首相が、何処まで徹底して新政策の意味を理解していたかは疑問であるが、彼が新政策の実行を指導したのは、主としてこれが天皇の意思に副(そ)うものと思ったからである。」と述べている。

 東条は半年ほどの間に、満洲国、フィリピン、タイ、インドネシアを精力的に歴訪し、各地の指導者と独立に関する協議を進めた。その仕上げが11月の大東亜会議であった。

■3.「自主独立」と「万邦共栄」■

 11月5日午前10時、各国代表が国会議事堂の中の会議場に入場。大東亜会議は東条首相の代表演説から始まった。

東条は米英のアジア侵略の歴史をもとに、「洵(まこと)に米英両国の抱く世界制覇の野望こそは、人類の災厄、世界の禍根」とし、日本に対しても経済断交をもって屈従を迫ったので、自存自衛のため開戦のやむなきにいたった経緯を述べた。

 そして「大東亜各国は正に其の自主独立をば尊重しつつ、全体として親和の関係を確立すべきもの」と「万邦共栄」の理想を謳いあげた。

「自主独立」の言葉は、この後、各代表の演説で繰り返されるモチーフとなる。

 続いて、中華民国代表の汪兆銘が演台に立った。長身、ハンサムな汪は、にこやかな笑顔と柔らかい声で聴衆を魅了した。

汪は孫文の大アジア主義を継承する国民党の中心人物の一人であり、日本側の誘いに乗って蒋介石政権と袂を分かち、新政府樹立を図ったが、その後は日本の政策が二転三転して、何度も苦汁を飲まされた。

重光葵の新政策によって、汪はようやく誠意ある態度に接したのであった。

 国父・孫(文)先生が日本に対し、切望致しました所の、中国を扶(たす)け、不平等条約を廃棄するということも、既に実現せられたのであります。

 重慶(蒋介石政権)は他日必ずや、米英に依存することは東亜に反逆することとなり、同時に国父・孫先生に反逆することとなるべきを自覚し、将士及び民衆も亦悉(ことごと)く翻然覚醒する日の到来することは必定たるべきことを断言し得るのであります。

 この時が、悲劇の政治家・汪兆銘の数少ない栄光の檜舞台であった。このわずか1年後、かつて凶漢に撃たれた時の古傷がもとで汪兆銘は死去する。

その後は「漢奸」(売国奴)と非難され、彼が覚醒を呼びかけた親英米派の蒋介石政権も、結局はソ連を後ろ盾とする共産党勢力に駆逐されて、中国大陸の悲劇は果てしなく続いていく。[a]


■4.タイ・ピブン首相の仮病■

 初日、午前中の最後の演説は、タイのワンワイタヤコーン殿下であった。本来ならピブン首相が参加すべき所だが、健康上の理由で来日できず、

その代理として参加したのが、タイの近代化を推し進めたチュラロンコン大王の孫で、駐英大使を務めたワンワイタヤコーン殿下であった。

 しかしピブンの病気というのは仮病で、日本の戦況が不利に傾きつつある状況の中で、このような会議に首相が参加して積極的に肩入れしては、いざ日本敗戦の際に自国の立場を悪くしてしまうからであった。

開戦当初は、日本の威力を利用して、カンボジアやラオスから旧領土を取り戻したが、戦況悪化にしたがって、タイは巧みに舵を切り替えつつあった。

 タイは周辺諸国が英仏に植民地化される中で、巧みな外交で独立を維持してきた。大東亜会議ではワンワイタヤコーン殿下は福々しい笑顔を絶やすことなく、

独立国タイの歴史と主権を再三にわたって強調したが、その陰にはタイなりの「自主独立」への苦闘があったのである。

もっとも日タイの関係は打算ばかりではなかった。戦後、殿下が国連議長に就任した際には、日本の国連加盟に努力してくれたのだった。[b,c]


■5.張景恵の爆弾発言■

 午後は、満洲国総理・張景恵の演説から始まった。張は日露戦争直前、満洲に南下して暴虐の限りを尽くしたロシア人を激しく憎み、日露戦争が始まるとロシア軍の後方部隊を度々襲撃して、日本軍に協力した。

 この頃はすでに72歳、飄々とした風格で、満洲国の役人が「日本人が実権を握っていて、何もできない」とこぼすと、

「日本人ほど便利な民族はいないではないか。権威さえ与えておけば、安月給で夜中まで働く」と諫めたという。

 張は満洲国建設以来10年の驚嘆すべき発展を自画自賛した。たとえば鉄道は6千キロが1万2千キロに延び、初等学校児童が50万人から250万人と急増した。

130万人もいたアヘン常用者がほとんど姿を消した等々[d]。この発展を支援した日本を持ち上げておいた上で、次のような爆弾発言をした。

 此の際私は、本年1月第81議会の施政方針演説に於いて、東条首相閣下が「満洲国の今日の発展充実は取りも直さず大東亜全域の明日を示すものである」と叫ばれたことを、共感と感激とを以て、想起せざるをえないのであります。

 昭和12年、関東軍参謀長に就任した東条は、軍部が満洲国の政治に内側から介入して実務を掌握する「内面指導」というやり方で成功したと、自負していた。

張景恵は東条の発想では、大東亜共栄圏とは全アジアの満洲国化にほかならない、と明言したのである。

 東条の発想には日本国内にも異論が強く、たとえば昭和17年秋に大東亜省設置が閣議にかけられた時、東郷茂徳外相は英国のインド省のような植民地管理機構とも受け取られかねない大東亜省によってアジアを統轄しようというのは逆効果で、

アジア諸国に対しても、外務省が欧米と同じ次元で対等につきあっていくのが筋だ、と大激論を展開したことがある。

こうした点で東条は国家的外交的構想力を欠く、植民地官僚型タイプの軍人だったようだ。


■6.ラウレルの感涙と警戒■

 次に登場したのが、フィリピン大統領ホセ・パシアノ・ラウレルだった。ラウレルはアメリカに留学した際に多くの人種偏見や差別に触れて、熱烈な民族主義者となった。

同時に次男を日本の陸軍士官学校に入学させるほどの親日派であった。この時期のフィリピンのエリートたちは、岡倉天心の「東洋の理想」や新渡戸稲造の「武士道」に非常に感銘を受けていたのである。

 ラウレルは演説の冒頭で、茶会での感激をこう述べた。

(東条)閣下の茶会を催された室に入りますや、私は感涙、頬を伝ふると共に、鼓舞せられ、且つ霊感を受けたのでありまして、私は其の時、「十億の東洋人、十億の亜細亜人よ、何故に御身等の多くは米英に、殊更に米英両国に斯くも圧迫支配されたのであろうか」と叫んだのであります。


 その上で東条の「大東亜各国の自主独立を尊重」という言葉を引用し、

 日本は単に自国民のみならず、大東亜全民族の為に戦いつつあるのであり・・・日本は独り自己のみが生存し、東亜の同胞が滅び苦しむことを幸福とするものでないことは、私の十分承知して居る所であります。


 ラウレルは「大東亜」の理念には深く共鳴しつつも、東条の覇権主義的な姿勢には警戒を隠さなかったのである。後にラウレルは親交を結んだ村田省三・駐比大使に語気鋭く、こう語ったという。

 日本はなぜ、かつて台湾総督、児玉源太郎が台湾を統治した方法に則り、力をもって強圧するのではなく、人情をもって、フィリピン民衆に臨まなかったのであるか。


これが日本の失敗といわずしてなんであろうか。

■7.我々を救い出してくれたのは■

 1日目の最後の演説を行ったのが、ビルマのバー・モウ首相だった。英仏に留学した際に宗主国の豊かさを目の当たりにし、搾取されている母国を救おうと独立運動を志した。

反英暴動の扇動者として投獄された事もあるが、進攻してきた日本軍に迎えられ、大東亜会議の3ヶ月前に独立を許されたビルマの元首かつ首相となった。バー・モウは、こう言い切った。

 我々多くの者が長い間彷(さまよ)い、救いを求めて与えられなかった荒野から、我々を救い出してくれたのは、東洋の指導者国家日本であります。


 バー・モウの熱弁のうちに会議は高揚し、一日目を終えた。

■8.「全世界の被抑圧民族の憲章」■

 2日目の午前10時、東条により「大東亜共同宣言」の採択が提案された。宣言は、英米による大東亜への搾取隷属化を批判した上で、

 大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏(しっこく、足かせと手かせ)より解放して其の自存自衛を全うし左の綱領に基づき、大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。

とし、道義に基づく共存共栄、互いの自主独立と伝統の尊重、経済と文化の交流を綱領とした。大東亜戦争を「日本の自存自衛」の戦いから「大東亜各国の自存自衛」の戦いに位置づけたのである。

各代表による5分程度の意見陳述の後、全員一致で大東亜宣言の採択が採択された。

 この後、バー・モウが英国はインドの資源をもって東洋の侵略を行っており、「自由なるインドなくして自由なるアジアは存在しない」として、自由インド仮政府首班スバス・チャンドラ・ボースの発言を求めた。

http://blog-imgs-52-origin.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/Subhas_Chandra_1943_Tokyo.jpg
演説を行うチャンドラ・ボース

 ボースは英国のケンブリッジ大学に学んだが、その後反英独立の闘士となり、投獄されること11回に及んだ。

マレーシアに進攻した日本軍が英軍から投降したインド兵を組織して「インド国民軍」を編成すると、その指導者として迎えられたのである。[e]

 ボースは「大東亜共同宣言」が「全世界の被抑圧民族の憲章たらんことを祈る」と名調子で議場全体を魅了し、大東亜会議の閉幕を飾った。

■9.「日本には、良い政治家がいない」■

 アジア各地で自主独立を目指す指導者達が一堂に会したこの歴史的会議に参加した後、ボースはこう語った。
 
 日本という国が偉いことは認める。良い兵隊がいるし、いい技術者もいて、万事結構である。ただし日本には、良い政治家(グッド・ステーツマン)がいない。これは致命的かもしれぬ。

 この時に、わが国にボースやバー・モウ、ラウレルたちと肝胆相照らすほどのグッド・ステーツマンがいたら、どうなっていただろう。

昭和天皇の御心を体してアジア諸民族の自主独立を心から願う国家指導者がいたら、どうなっていたか。

 おそらくアジア諸民族は心から日本と共に立ち上がり、インドは独立して英国をアジアから駆逐し、蒋介石政権も覚醒して中国戦線を終結させることができたかもしれない。

そうなればアジアの志士たちの夢、各国が平和のうちに自主独立を謳う真の「大東亜共栄圏」が実現していた可能性があった。
http://blog-imgs-52-origin.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/Tokyo_conference_1943_tribune.jpg
大東亜結集国民大会

 終戦の詔書には次のような一節がある。

 朕(昭和天皇)ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
(文責:伊勢雅臣)

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