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【特攻の真実】特攻 國破れても國は滅びず[桜H28/8/20]
2016/08/20 に公開
大東亜戦争末期、「後に続く者を信じて」出撃していった特攻隊の“真の姿”を描いたドキュメンタリー「特攻 國破れても國は滅びず」(2001年制作/構成・監督:水島総)。 その主要な登場人物であり、戦後長らく「軍国主義の犠牲者」として語られてきてしまった彼らのために戦い、誇りを体現しておられた元特攻隊教官・田形竹尾氏の生前の言葉などを振り返りながら、ドキュメンタリー全編を改めてお送りします。 解説: 水島総(日本文化チャンネル桜代表) ※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。 http://www.ch-sakura.jp/579.html ◆チャンネル桜公式HP http://www.ch-sakura.jp/ |
日本の歴史や伝統
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悲惨! 通州事件の日本人被害者
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日本大使館が不測の事態に備え邦人に注意メール「世論が過熱しやすい状況」
北京の日本大使館は11日、尖閣諸島周辺で中国公船が航行を活発化させているのを受け、在留邦人に対し「尖閣をめぐって中国の報道や世論が過熱しやすい状況にある」として、メールで注意喚起した。
8月15日の終戦の日などを挙げ「8月から9月は日本や日中関係に関心が集まりやすい」と指摘。「不用意な政治的言動により不測の事態に巻き込まれないよう慎重に行動してください」と呼び掛けた。反日デモの兆候は確認されていないという。(2016.8.11 産経新聞)
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今、シナで日本人に対して何が起こっても不思議ではない。
かつて、昭和12年7月29日に起きた「通州事件」という、シナが触れてほしくない、日本のマスコミも隠し通してきた事件がある。
支那人の守備隊が日本人女性を家から引きずり出して、民衆の前で泣き叫ぶ女性をその場で全裸にして、輪姦して、殺害した事件。女性や子供など二百数十名が犠牲になったあの事件の再来が起きても、今では驚かない。
メールで注意喚起など寝とぼけた対応である。事件が起こる前に、被害者が出る前に帰国を促すなど、明確な対応が必要だ。
特に今の日本の外務省や大使館はあてにならない。
しかし昔の日本人には凄い人がいた。「サムライ外交官」と呼ばれた堀口九萬一だ。九萬一と書いて「くまいち」と読む。
1913年、メキシコで軍事クーデターが発生し、マデロ大統領が殺害されると、その夫人と子供達など親族20人が日本公使館へ駆け込んで来て助けを求めました。
当時、メキシコ公使だった堀口九萬一は公使館の表玄関に日の丸の旗を敷いて立ちふさがり、押し寄せる武装革命軍に対して「彼女達を捕まえるならば、私を殺して、日本国旗を踏んで館内に入るがよい。日本と戦争する覚悟でやれ」と一喝し、この気迫に負けた革命軍は引き下がりました。
堀口公使はクーデター総指揮官と面会し「懐に入った窮鳥は殺せない。それが日本の武士道だ」と言い、夫人達の身の安全を保証させ、サムライ外交官と言われました。
平成27年7月、在日メキシコ大使館から堀口九萬一を讃える式典が開催され、堀口九萬一のプレートが作られました。
1世紀以上前の歴史を今も讃えて語り継ぐメキシコ。
それに比べて今の日本は堀口九萬一を教えることもなければ知る日本人も少ない。さらには戦前から日本人がシナに酷い目に遭わされてきたことも教えることなく、逆に日本がまるで加害者で、シナが被害者だという嘘を教えられてきた。
歴史に学ばない国に未来はない。シナに対する危機感のなさがそれを物語っている・・・ ・・・・・・
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スリランカの歴史ほど悲しいものはない。1505年にポルトガルに植民地支配され、その後もオランダ、イギリスと、500年にも亘って白人に搾取されてきました。
大正10年、スリランカはイギリスの植民地で、人々は牛馬のごとく扱われていた頃、昭和天皇(当時皇太子)がヨーロッパに御巡遊されるため、お召し艦「香取」、供奉艦「鹿島」の2隻で編成された第三艦隊がスリランカ(当時はセイロン)の首都コロンボに入港されました。
この時、ある少年が母親に丘の上に連れて来られて、こう言われました。
「見よ、あれが大国ロシアを破った日本海軍の艦隊よ。日本人も私達と同じアジア人。アジア人もやれば出来るということを日本人が見せてくれたのよ」。
この時、丘の上には多くのスリランカ人が集まって来て、遠い眼差しで日本海軍の艦隊を見ていました。
以来、この少年は猛然と勉強して、やがてスリランカの独立運動に加わり、そして大統領になったのです。この少年の名はジャヤワルダナと言います。
ジャヤワルダナ。この名前を知っている日本人は少ない。教えないからです。
戦後、日本が主権回復するためのサンフランシスコ講和会議に、スリランカの大蔵大臣として出席したジャヤワルダナは、会議の冒頭で「日本に対する賠償権を放棄する」と宣言し、このように発言しました。
「アジアの諸国民は、なぜ日本が独立することを望んでいるのか。それはアジア諸国と日本の永い結びつきであり、白人の植民地として屈辱的地位であったアジア諸国民が日本に対して抱いている深い尊敬である。
アジア諸国民の中で日本が、唯一自力で独立国として、強く、自由であった時、アジア諸民族は日本のようにやればできると仰ぎ見た。
ビルマ、インド、インドネシアの指導者達の中には祖国が解放されることを願って、日本に協力した者がいたではないか」
これこそ白人から植民地支配を受けていたアジアの人々を代弁した発言でした。それはただ一人、白人達に戦いを挑んだ日本に対する尊敬の念を持つ演説でした。
ジャヤワルダナの演説に万雷の拍手が起こり、この演説が講和会議の流れを変えて、日本の国際社会復帰を大きく後押ししたのです。この発言に吉田茂全権も感泣したのです。
その後、日本はスリランカにとって最大の資金援助国となります。そのことをスリランカの人達はよく知っていて、日本人に対してとても感謝しているのです。
昭和天皇の大喪の礼の時にはジャヤワルダナは強く希望して、時の大統領に代わって参列されました。きっと少年の頃に丘の上で母から言われたあの言葉を思い出していたのではないか。
1996年、ジャヤワルダナが亡くなる時、遺言として「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」と、日本人に角膜を寄贈されました。遺言通り左目は長野県の女性に移植されたという。彼は心の底から日本と日本人を愛していたのでしょう。
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