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【海上自衛隊】葛城奈海の砕氷艦しらせ取材レポート・後編[桜H25/9/3]
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防人の詩
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詳細
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故郷の特攻隊員を偲ぶ
故郷の特攻隊員
上原良司
陸軍大尉 「自由の勝利は明白な事と思います。明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。唯願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです。」
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公開日: 2013/04/08
工藤俊作 (海軍軍人) 山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)で、農家の工藤七郎兵衛、きんの次男として生まれる 。山形県立米沢中学校を経て、1920年、海軍兵学校に入学(第51期)。 スラバヤ沖海戦での敵兵救助作業 「雷」は第六駆逐隊に属し、日米開戦時には香港の海上封鎖任務に就いていた。その後、 南方の諸作戦に参加した。1942年、スラバヤ沖海戦の掃討戦において撃沈された英海 軍重巡「エクセター」の乗組員376名を3月1日に僚艦「電」が救助した。「雷」は翌 3月2日、英駆逐艦「エンカウンター」等の乗組員422名を救助し、翌日、パンジェル マシンに停泊中のオランダ病院船「オプテンノート」に捕虜を引き渡した。その後、「雷 」はフィリピン部隊に編入され、さらに第一艦隊に編入し内地帰還を命ぜられた。5月に は第五艦隊の指揮下に入り、アッツ・キスカ攻略作戦に参加した。 工藤は1942年8月に駆逐艦「響」艦長に就任、11月に海軍中佐に進級した。「響」 は改装空母「大鷹」を護衛し、横須賀とトラック島間を三往復し、12月に工藤は海軍施 設本部部員、横須賀鎮守府総務部第一課勤務、翌年には海軍予備学生採用試験臨時委員を 命じられた。1944年11月から体調を崩し、翌年3月15日に待命となった。 戦後、工藤は故郷で過ごしていたが、妻の姪が開業した医院で事務の仕事に就くため埼玉 県川口市に移った。1979年に胃癌のため死去。生前は上記の事実を家族にも話さなか った。これは「雷」が1944年に沈没して多くの乗組員が犠牲になっており、その自戒 の念から家族にも黙して語らなかったものと思われる。遺族がこの話を聞いたのは助けら れた元イギリス海軍士官からである。 臨終前にクラスの大井篤が駆けつけたが、大井に「貴様はよろしくやっているみたいだな 。俺は独活の大木だったよ」と答え、その後息を引き取ったという。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A... より |
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このようなことに気がつける子どもたちは素晴らしいです。
ご両親は素敵な方々なんだと思います。
福島の復興を応援しましょう。
福島物産を買ってもよし、被災地で活動してもよし、
募金してもよし、各自ができることがあると思います。
警察、自衛隊の皆さん。
福島の方々をお願いします。
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注目!!!
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対馬が美味しい〜。
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歴史ある土地ですが、遠すぎる!!!
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このwikiのアイドル画像「恵海(めぐみ)」ちゃんです。
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「軍人」の堵列を許さない国2013.6.27 14:25 産経ニュース
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先週関東地方のある航空自衛隊基地を訪問した。20年来の旧友と昔の同僚に久しぶりで会えた。お互いちょっとどころか、かなり老けたかもしれないが、彼らの「国を守る気概」はちっとも変わっていなかった。
自然と話は自衛隊の国際平和協力活動になる。国際貢献といえばイラク・サマワでの陸上自衛隊部隊を思い出す方も多いだろう。だが、航空自衛隊も1992年のカンボジアから、モザンビーク、ルワンダ、アフガニスタン、東ティモール、イラクに至るまで海外で実にさまざまな任務を遂行してきている。 直近の例が本年1月の政府専用機アルジェリア派遣だ。同国で起きた人質事件の日本人犠牲者のご遺体を輸送したのは航空自衛隊特別航空輸送隊第701飛行隊所属の自衛隊機である。
この日本版エアフォース・ワンが羽田に到着した際、ちょっとした事件があったことを初めて聞いた。現場の航空自衛隊員が「堵列(とれつ)を組めなかった」ことをひどく悔しがっていたというのだ。堵列とは「多数の人間が垣のように横に並んで立つ」こと。一般には軍人や警察官が敬意を表し送迎する行為である。 最初に「堵列」と聞いたときはよく意味が分からなかったが、詳しく聞いて状況を理解した。彼ら航空自衛隊員はアルジェリア事件の犠牲者のご遺体に敬意を表すため隊列を組もうとしたのだが、なぜかそれが認められなかったというのだ。筆者も政府専用機には何度か搭乗したことがある。当然ながら、パイロットはもちろん、整備士からいわゆる客室乗務員まですべて国際法上は「軍人」だ。今回彼らは航空自衛隊の任務としてアルジェリアに派遣された。その目的はイナメナスの地でテロの犠牲となった「企業戦士」たちを母国にお連れすることだ。彼ら自衛官が「軍人」としてこの「戦士」たちに最大限の敬意を払いたいと思うのは至極当然ではないか。 ところが航空自衛隊員の堵列は認められなかった。「制服」がテレビに映るのはやめてほしいとまで言われたそうだ。なぜ制服が映ってはいけないのか。わが国の国民が海外でテロの犠牲となり、国家が専用機を派遣して彼らを母国へお連れする。尊い犠牲者のご遺体に敬意を表することがなぜ認められないのか。何か特別な理由があったのかもしれないが、筆者には理解できない。 先ほど航空自衛隊の国際貢献活動は1992年から始まったと書いた。実はその1年前に幻の「自衛隊輸送機中東派遣計画」があったことはあまり知られていない。1991年1月、日本政府は湾岸戦争により生じた避難民を自衛隊機で輸送することを検討していた。当時外務省北米局にいた筆者は、その可能性を探るため航空自衛隊と警察庁の関係者とともにエジプトとヨルダンに出張したのである。 「今回輸送対象は日本人ではなく戦争避難民だが、もし日本人が乗せてほしいと言ってきたらどうするのか」
航空自衛隊関係者がアンマンで筆者に真顔で尋ねた。
「そんなことはまず乗せてから考えましょう」
筆者は躊躇(ちゅうちょ)なくこう答えた。一国の軍隊がその国民を守るのは当たり前だ。しかし、なぜか日本だけはその例外らしく多くの国民も自衛隊の活動にあまり関心がない。 東日本大震災の際の自衛隊員の活躍は立派だった。「初めて自衛隊は国民を助けてくれるかもしれないと思った」とも言われたそうだ。しかし、大震災の翌年、航空自衛隊の志願者は逆に減った。「自分の子供にはあんな危険なことはさせたくない」からだという。そうであれば、そんな危険なことをする人々に対し、もっと関心と敬意を払ってほしいものだ。 ◇
【プロフィル】宮家邦彦
みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。 こういう事も有ったんだねぇ・・・ 何を気にしてこういう指示を出すのか 何処のだれが言ったのかこの記事には書いてないけど あまりにも馬鹿げた事だわな 死者を弔うのに、民間人だ軍人だは関係ないだろうに 所詮見てくれだけを気にする腰抜け役人の言いそうなことだわ ( ゚д゚)、ペッ 極々一部の糞左翼や市民団体の言葉だけを気にして 命がけで任務を全うする軍人を蔑にしている様では まだまだこの国は腐った部分が抜けてないのは間違いない 憲法改正にしても 未だに自衛隊のままで良いとかいう奴がゴロゴロ居るけど 改正しないことには、結局腐れ左翼やキムチくさい反戦団体とかに 良い様に踊らされて、この国を貶められるだけじゃネーかよ (゚д゚)バーカ 自衛隊などと言う意味のない国内だけでしか通用しないような名称は 即刻廃止して国防軍に変えれば良い それに合わせて、軍法も別途成立させるべき この国に足りないのは、父性の象徴 形ある父性的組織を取り戻すべき 軍と言うのはその国の最後の力の行使を行う組織 全面的に表に出るべきではない組織ではある が・・・ いざという時に法や民意に左右されるような 情けない組織ではダメなんだよ 空自への志願者が減った理由なんてのも 結局糞甘ったるい母性の横行が原因 そんなものはバランスのとれた社会とは到底言えないな ただ・・・尖閣沖の海保の苦労を見て 海保への志願者が増えたというニュースもあった・・・ まだまだ日本も捨てたもんじゃないとは思えるけどね 何かと迫害ともいえる扱いを受ける自衛隊員 そんな境遇にもめげずに 頑張ってくれ!! ↑↑↑ランキング協力お願いします クリックお願いしますm(_ _)m
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