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戦後の日本を語る上で、
避けて通れない
 
   占領・GHQ
 
多くの民族派は、
 
   GHQがーーー
 
といって、思考停止してしまう。
 
   いまの日本がこうなったのも、
   家族がばらばらなのも、
   民主党が謝罪するのも、
 
   全部、GHQ、マッカーサーが悪いんです
 
という。
 
でも、それはウソ。
半分は、そうだけれど、半分はそうではない。
 
そして、実は、占領より前から、ずっと日本はおかしかったのでした。
民族派が賞賛する「明治維新」の際に、
そのタネは大量にまかれてしまったのです。
 
イメージ 1
今日の記事は、「占領・GHQを「悪用」したのは「日本人」 」の続編。
テーマの後半部分。
 
  明治維新の負の遺産
 
について。



みんな、
 
占領政策の何が気に食わないのでしょうか?
民主党政権の何が気に食わないのでしょうか?
 
憲法をおしつけた?
教育をかえた?
謝罪が?
アメリカナイズが?

確かにムカつきますよね。
現民主党政権でいうと、今度は、
アメリカナイズの代わりに、韓国ナイズ、中国ナイズですかね。

おれたちらしさを、壊すな
日本を壊すな

じゃないですか。
 
でもね、
この絵を見てください。
これは江戸時代のお盆の様子です


数日前から準備が始まる。
庭木、生垣を刈り整え、庭石を洗い、床下まで掃き清める。
畳もあげて掃除し、天井板、桟、柱、欄間など、
すべてお湯で雑巾がかけられる。
「家中は屋根の上から床下まで清められる」のである。

仏壇は行事の中心である。
当日、爺やは夜が明けぬうち蓮池へ降りてゆく。
これは朝日のさし初める光とともに花が開くからである。
仏壇にはナスやキュウリで作った牛馬が供えられ、
蓮の花に野菜が盛られる。

女中が「盆灯籠を高々と掲げ」る。
火を灯すと、中の切紙が小鳥の群れが羽ばたくように揺れ動く。
「どこの子どもも同じことで、
私もご先祖様をお迎えするのはなんとなく心嬉しく感じておりましたが、
父の亡くなりました後は、身にしみて感慨も深く、
家族一同仏前に集いますと、
心もときめくのを覚えるのでありました。」
お精霊さまは、死の国から白馬にまたがってくると言い伝えられていた。

黄昏には一家揃って大門のところで、二列に分かれて精霊を待つ。
召使にいたるまで全員新調の着物を着てこうべを垂れる。
「町中が暗く静まり返り、門ごとに焚く迎え火ばかり、
小さくあかあかと燃えておりました。

低く頭をたれていますと、
まちわびていた父の魂が身に迫るのを覚え、
遥か彼方から、蹄の音がきこえて、
白馬が近づいてくるのが判るようでした」

迎え火が消えると仏前へ戻り、
「なつかしい客を迎えた喜び」に包まれながらぬかづく。

「それからつづく二日は町中がお灯篭で満ち満ちていました。・・・・
家の中は心愉しい空気に満たされ、わがままな業をする者もなく、
笑いさえ嬉しげでした。それも、皆が新調の着物を着、
お互いに作法正しく、お精進料理を頂いて楽しみあう事を、
ご先祖さまも喜んでいて下さると思うからでございます」

(「逝きし世の面影」渡辺京二、第13章信仰と祭り、より)

このような社会はどこへ行ってしまったのだろうか。

GHQがーー、だろうか、
ミンスがーー、なのだろうか。
 
間違いなく、明治維新がーー、ではないのか?
 
いや、それはペリーがーー、といいたいかもしれない。
しかし、ペリーはマッカーサーのように占領などしなかった。
それでも、我々は今、
ちょんまげを捨てたばかりか
 
刀を捨て、
 
着物を捨て、
畳を捨て、
米を捨てようとしている
 
家族を捨て
親・子供を捨て
皇室までもを売ろうとしている
明治維新は、偉大な改革、世界の奇跡だとも言われている。
 
支配階層であった武士は、「自ら」権力を放棄した。
我々は、「自ら習俗をすて西洋に適応した。
植民地になった国では、「強制的に」権力を放棄させられ、
強制的に」習俗を捨てさせられた。
植民地とは全く異なる様相であった。
 
もうひとつ明治維新が、偉大な改革、世界の奇跡と呼ばれる理由がある。
 
明治維新は江戸時代・古き日本と断絶したのではなかった。
 
皇室は大宝律令のころをモデルに神代をふまえて復古された。
徳川将軍は諸侯に落とされたものの公爵となり天寿をまっとうした。
幕府の幕臣は新政府の役人になった。
憲法も民法も過去との接続を意識されて制定された。
 
 
日本人は、「明治維新以来、過去を捨てるのが当たり前になって」しまっている。
マッカーサーが、過去を捨てよと言ったとき、
はいはい、またですか
と思った人は存外に多いことだろう。
マッカーサーが、戦前の日本を断罪したとき、
あーー、江戸時代を断罪したのと同じですね
と思った人も存外に多かったのではないか。
 
日本は、2度死んでいる。
明治維新で半分。
そして、敗戦占領で残り半分。
 
 
明治維新の結果、
それまで不易流行と考えられた「世の中」は、
法令によって強制的に「改革」していい「社会」になった。
天下の御政道」として、
触れることまかりならぬとされた「政治」は、
いまや好き勝手にいじくり回してかまわない、
と思われるようになった。
無論それは幻想に過ぎないのだが、
明治人はそのように考えた。
改革」していい「社会」は、
どんどん広がり、いまや、家の中、町の中、山の中まで広がっている。
まだまだ足りないからと、やれ人権、やれジェンダー、やれ外参権と、
暴走はとどまるところを知らない。
このような人間の傲慢、
理屈こそが正しいという錯覚、
変えれば良くなるという無知、
そんな「社会主義・共産主義」の種を、国中にばら撒いたのも、また、
明治維新なのである。
 
 
その毒芽は、
朝鮮人も日本人に変えられると、日韓併合の妄想へ
一番進んだ社会へ変えるのが有利だと、226事件の妄想へ

世界秩序も変えられると、世界相手の戦争の妄想へ
と結実した。
 
それが「毒だ」というラベルもつけられず、
真っ赤ー、サー」という見立てになっていることにも気づかず、
やれ、政治改革、
やれ、構造改革、
やれ、政権交代、
やれ、明治維新以来の大改革、
やれ、新しい政治
と、痴呆症は脳全体に広がった。
 
 
しかし、もう、近代化は卒業しなければならない。
もう、その役目は終わっている。
国風から、唐風へ
唐風から、国風へ
それがこの国の歴史のダイナミズムである。
行き過ぎた近代化という唐風を去り
再び、国風へ戻ること、
 
近代化を卒業、「卒近代化」して、
明治のベルエポック、江戸、万葉、そして、ヤマトの時代へ戻ること。
 
 
GHQがー、民主がー、というのなら、
やりすぎた明治維新」にもまた、
光を当てる時なのだ。
 
そのことは、薩長の負の遺産を、
南朝が困った存在だということもまた、
我々に教えてくれることだろう。 
 
 
 
日本は、日本らしく

 
我々は、我々らしく
 
 
 
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転載元転載元: オノコロ こころ定めて

基地負担は「琉球差別で植民地支配」 学者が「独立研究学会」立ちあげへ

J-CASTニュース 4月7日(日)13時0分配信


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 これまでは「居酒屋談義」との指摘も根強かった琉球独立論がいよいよ本格的に学術的な検討が始まることになった。

米軍基地の負担軽減が進まないなか、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備が進む現状に業を煮やした形だ。

■県民の20.6%が「独立すべき」

琉球独立論は、1979年に「琉球処分」100年をきっかけに「琉球文化を見直す」といった文化復興運動として盛り上がったが、1995年の米兵少女暴行事件で日米両政府に対する県民の反発が高まった時以外は、政治的な盛り上がりを見せることは少なかった。

例えば、08年に大学教授らでつくる「沖縄道州制懇話会」がまとめた提言では、沖縄単独州を目指すことを訴えているが、この時点では、税財政制度や振興体制については検討途上で、具体化には距離がある状態だった。また、琉球大学の林泉忠准教授が07年に行った県民意識調査では、「独立すべき」と回答した人の割合は20.6%に過ぎなかった。

また、実際に独立を求めて活動している政党として知られているのは、地域政党「かりゆしクラブ」(旧・琉球独立党)ぐらいだ。

だが、事態が進展しないことを受け、龍谷大学の松島泰勝教授(石垣島出身)や沖縄国際大学の友知政樹准教授らが12年11月の「日本平和学会」で、独立へのプロセスを具体的に検討する「琉球民族独立総合研究学会」を立ちあげる構想を披露。13年3月31日の準備会会合では、5月15日に学会を設立することも決まった。地元紙によると、現状が「日米による琉球差別であり、植民地支配」だとする設立趣意書もまとめた。


国連の「脱植民地化特別委員会」に働きかける

 学会では、年に2回程度会合を持つ。学会の共同代表を務めることになった松島教授が、これまでに著作や地元紙で披露した発言を総合すると、以下のような構想が議論される模様だ。

国連憲章や国際人権規約では、人民の自己決定権が認められているとされ、住民投票で過半数の賛成を得たことを前提に独立宣言を出す。その上で国連に加盟申請を出して、国際的な認知度を向上させる。これは、パレスチナが12年11月に「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げされた事を念頭に置いている。

国連の「脱植民地化特別委員会」にも働きかける。同委員会が定める「非自治領」のリストには英領ケイマン諸島、米領サモア、グアムなど16地域が掲載されており、同委員会では、この16地域について「200万人近い人が住んでおり、脱植民地化のプロセスは終わっていない」と説明している。このリストに琉球の登録を目指す。

経済面では、振興策の大半が十分な効果を上げていない上に、独立後は課税権が持てるため、有効な経済対策を打ち出せるとしている。新都心「おもろまち」など、米軍から返還された用地を開発した地域では税収や雇用が伸びていることも、基地撤去が経済的な追い風になる根拠として挙げている。

準備委員会では、沖縄県や小笠原諸島を除外する形で日本本土の主権が回復された「屈辱の日」の前日にあたる4月27日には、「琉球の主権回復を求める」と題してシンポジウムを開く予定だ。




イメージ 1

最近の日本の糞左翼共は
支那の洗脳度合いが激しいなw
夢と現実の区別も付かなくなったのか?
(´・ω・`)



沖縄県民は
こんな奴等に乗せられて
飢え死にでもしたいのかね??
馬鹿馬鹿しい
( ゚д゚)、ペッ

琉球大学の林泉忠准教授が07年に行った県民意識調査では、「独立すべき」と回答した人の割合は20.6%に過ぎなかった。

(´・ω・`) で??
今の県民意識はどの程度なんだ??
調べもシネーで何言ってんだ??
この阿呆は

小学生の将来の夢じゃねーんだぞ!!
( ゚Д゚)ヴォケ!!


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転載元転載元: 日々のストレス溜まりまくり

法令で近代化を強制するという明治政府の方針が暴走して、
各地の慣習・旧慣は今もなおどんどん破壊されていっている。

我々は、この誤った法令の運用方式(ドイツ式、大陸方式)に、
終止符を打つべき時ではないか。




日本日本らしく
我々我々らしく


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エドマンド・バーク保守主義さんの「保守主義の哲学」ブログのコメント欄より




相続の原理殿

各都市のミニ東京化についてどのように考えられますか? 

この原因はいろいろあると思いますが、
不文法を尊ぶ立場から申し上げますと、
憲法典と同様の国体法である民法典の不動産の部門などには、
非常に多くの問題が潜まされております。


第二百三十四条  建物を築造するには、境界線から五十センチメートル以上の距離を保たなければならない。
第二百三十五条  境界線から一メートル未満の距離において他人の宅地を見通すことのできる窓又は縁側(ベランダを含む。次項において同じ。)を設ける者は、目隠しを付けなければならない。
第二百三十六条  前二条の規定と異なる慣習があるときは、その慣習に従う。

これは建物と建物の間には間隔を空けなければならない、
という民法の規定です。

問題は、第二百三十六条です。

これによると、
  慣習があるときは慣習にしたがって良いが、
  慣習がないときは間隔をあけろ、
という規定です。
これはどうなのでしょう。

一見、
  慣習がある時は慣習に従えるので問題ない、
と見えるかもしれません。
しかし、よく考えれば、
  慣習がない時は、自動的に「東京方式」が強制される、
という話なのです。

京都のような土地では慣習に従って、
建物の間隔を明けずに建築することが許されますが、
そんな京都ですら、
新街区なら慣習はないので「東京方式」となります。
まして、ただのニュータウンなら完全「東京方式」なんですよ。

このような規定は民法の中に沢山ありまして、
それらの表現は、
「日本の町を法令によって近代化する (この例では、隣棟間隔を開けて火災の広がりを抑止する方針)」
という明治政府の意図で定められたものなのです。
東大の都市工学科で教授がそう講義しておりましたので、
間違いありません。

つづく
by うまやど (2013-02-26 11:44) 

 
承前

ならば、民法典としてはどのように表現すべきだったのでしょうか?
   「近代化してやんよ」
という意図を抑止しつつ、
厚生を守るという立場でゆくのであったならば、

当時の町家の慣習は、
隣の建物とは壁を共有して連続して建てるというものなのでしたから、

第二百三十四条  次二条の規定と異なる慣習があるときは、その慣習に従う。
2. 慣習がない場合は、その周辺地域の慣習を援用する。
3. 周辺地域がない場合は、次二条の規定に従う。
第二百三十五条  建物を築造するには、境界線の壁を隣家と共有することができる。但し、新規に築造する場合は、共有壁を不燃化しなければならない。
第二百三十五条の2  建物を築造する際に、境界線から五十センチメートル以上の距離を保って建築する場合は、町並みの連続性に留意しなければならない。

こんな感じに、順序は逆になり、優先順位も逆になるはずなのです。

ミニ東京化の根は深いです。

憲法典の法解釈だけなく、
民法典にせよ、
刑法典にせよ、
法解釈を歴史法学に戻さない限り、いかんともし難いですね。 
by うまやど (2013-02-26 11:56) 


うまやど樣

何とも奥の深い問題なんですね。
ミニ東京化が民法典の再解釈にいたるとは考えもしませんでした。
いやはや考えさせられました。
なかなか目指すべき道は遠いですね。

国会議員の中で我々に近い考えの方はいらっしゃるのでしょうかね。

申し訳ないのですが
うまやど樣お勧めの本
これは絶対に読んどいたほうがいいぞっていう本を
お教えいただけないでしょうか。

今までに読んだ本は

中川八洋「国民の憲法改正」「悠仁天皇と皇室典範」「新天皇論の禍毒」「福田和也と魔の思想」
バーク「フランス革命の省察」
ハイエク「隷属への道」
バジョット「英国憲政論」
オルテガ「大衆の反逆」
ハミルトン等「ザ・フェデラリスト」
ドラッカー「産業人の未来」
マッキンダー「デモクラシーの理想と現実」
渡部昇一「皇室はなぜ尊いのか」「日本人の底力」
南出喜久治「占領憲法無効宣言」
小林よしのり「国防論」

です 
by 相続の原理 (2013-02-26 15:16) 


失礼しました

新渡戸稲造「武士道」
ケルン「中世の法と国制」

が抜けておりました。

どうかひとつよろしくお願いします。 
by 相続の原理 (2013-02-26 15:21) 
 

相続の原理殿

保守の理論については
  これがよくまとまっています。
  但し、STEP3までですね。STEP4以降はダメだと思います。
  「理論派保守のゴール=自主憲法制定の為の理論武装にいよいよ挑戦」とかがダメダメ。

日本人としてのアイデンティティについては
  ここにまとめてあります。
  歴史の再発見が必要ですので、バーク的なまなざしで「ひのもと」の国を見つめて下さい。


>国会議員の中で我々に近い考えの方はいらっしゃるのでしょうかね。

ほぼ皆無で、片山さつきが一番マシ、という体たらくです・・・。 
by うまやど (2013-02-26 17:53) 


先ずは、ブログ主さまに感謝。

うまやど さま

誤字をそのまま流して読んでくださりありがとうございます。

「憲法典の完全空文化(律令と同じ運命)」という民族の叡智にむけて進んでまいりましょう。

というところは、確かにしっくりときます。

左翼と同様に日本国憲法をそのまま頂きながら、
「憲法典の完全空文化」させるというのは、
日本の歴史を考えるとベターなやり方のようですね。

改正すること自体が、
改正したほうが正しいという浅はかな理性なのかもしれません。
落ち着くところに落ち着く、今の解釈改憲というのでしょうか、
空文化というのでしょうか、文字に起こすと誤解を生じさせますので、
いいのかもしれません。

ただ、

ここに集われる、ただのぶさんや相続の原理さんの仕事なのですよ。

というのは、
なかなか、こうやって考えることも浅はかなのかもしれないと
堂々巡りして、そんな器ではございませぬ。


話は変わりますが、民法の大改正があるようですね。
TPP、原発以上に、これが一番問題かもしれません。

by ただのぶ (2013-02-27 09:29) 

 
ただのぶ殿

まことのみちの根幹というのは、
実はそんな難しいものではありません。
古文書をひもといていくと、
「ながさき」と「わいため」という言葉が見つかりました。
これは治世の根幹にあると同時に、
人の道の根幹にすえられている言葉のようです。

「わいため」を去って、「ながさき」を保つ

というような感じです。

「わいため」は、
  「自分の意思の為」「自分の為」「わがまま」
のことであり、
「ながさき」は、
  「あなたの幸せが先」「あなたもわたしも幸せ」「あなたが先」
というようなことです。

我々日本人が「まごころ」や「おもいやり」と呼んでいるのは、
どうやら、

  「わいため」を去って「ながさき」を保つ事、

のようなのです。

これを保つために、
私心を去った指導者が、太古からの秩序にぬかづかれ、
それを簒奪しようとする人間を遠ざけ、
そうならないように教育をほどこしたり旧慣を何度も呼び起こしてゆく。
それがこの国のまことの姿で、
根幹はシンプルかつ深淵になりたっていると思われます。

>こうやって考えることも浅はかなのかもしれないと
>堂々巡りして、そんな器ではございませぬ。

人は分に応じて生きる、それでよいのです。
しかし、こころをなおく保って、すくと伸ばす。
5年、10年でものにならなくとも、20年、30年ではものになるかもしれません。
「なるかもしれない」と思いつつ精進されるのがよいかと思います。 
by うまやど (2013-02-27 10:49) 
 

承前

この国の再興ということを考えますと、
3つの大きな壁を乗り越えねばなりません。

・近代啓蒙思想という壁
・漢字・シナ思想という壁
・「わいため」という壁

この3つです。

1つ目には、キリスト教も含みます。
2つ目には仏教も、また古事記教や言霊教も含みます。

この2つを超えた上で、
究極的には結局自分のこころねはどうなんだ
という話になりまして、「ながさき」で生きているのか、ということが問われます。

この3つの壁があるということ、とりあえずはその事を知っておいて下さい。
ここを越えませんと、「腑に落ちる」というところまで、なかなか行けないのです。 
by うまやど (2013-02-27 10:55) 



以下、つづく




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転載元転載元: オノコロ こころ定めて

保守主義と日本主義-2

☆続きです。


昨日のお話を簡単に要約すると、
保守主義は、神学に基づき、現在も過去も未来も否定し、
剣をもって戦いながら神のもとに還ろうとする。
共産主義は、神学を否定し、
人類の力で未来にユートピアを築こうとする、
という事になります。

いいかえると、西欧における保守と革新の戦いは、
「神学」と「科学」の戦いでもあるわけです。

バークが非難したフランス革命は、人々が中世的支配を脱し、
「自由、平等、博愛」に基づく社会を
人の手で築こうとした革命です。
これは、本来神のもとに回帰しなければならないとする
神学の立場からすれば、人類の傲慢です。
だからこそバークは「剣を抜け!」
「神のもとに還れ!」と主張したわけです。

この事を別な角度から整理すると、
西欧型保守主義が理想として目指すのは、
あくまでも神のもとにあるエデンだ、という事です。
従って原罪を受けた人類が築いてきた営みは、
そのことごとくが間違いだ、となります。
間違っているから、剣を抜いて戦うのです。
正しければ戦う必要などありません。

一方共産主義は、ユートピアを目指します。
その為に現在の社会構造は、全て破壊の対象となります。
なぜなら過去も現在も、そこはユートピアではないからです。

そして破壊は、人の命や近隣諸国にまで及びます。
破壊しなければ、ユートピアの建設ができないからです。

こうした西欧的概念は、
明治以降の日本の洋風化の中で、日本に渡来してきました。
はじめに日本で強く影響を表したのは、共産主義です。
共産主義思想に染まった人達は、
日本にユートピアを建設する為に、
日本社会の破壊を目論みました。

一方、西欧的保守主義思想が我が国に入ってきて定着するのは、
むしろ戦後になってからの出来事です。
保守思想は、明治、大正、昭和初期の日本では、
殆ど定着していません。

これは、一つには、共産主義という破壊主義思想に対して、
特高などの治安維持警察が、厳しく取締り、
社会の中での影響力をを押さえ込んだという理由があります。

そしてもう一つ、定着しなかった理由として、
我が国には「エデン」思想がそもそもない、
という事が大きなファクターとなっています。

例えてみれば、西欧における祝福の地であるエデンは、
日本でいったら、蓬莱山か極楽浄土なのですが、
極楽浄土は死んでから行くところだし、
蓬莱山はマルコポーロが唱えた理想国家だけれど、
それは日本そのものを指していますから、
日本の現状を打破しようとするのに、
日本が理想国家では、話にならないからです。

思想というものは、その国の民族の歴史、伝統、
文化に立脚したものでなければ、まず浸透しません。
ですからそもそもエデンという約束の地を持たない日本は、
バークの「保守主義」は浸透のしようもなかったのです。

ところが戦後になってから、
西欧的保守思想は急激に日本に浸透しました。

これはなぜかというと、戦後、
急激に台頭した左翼勢力によって、
日本解体、日本破壊が急激に進行した事の裏返しです。

特に戦後左翼は、旧ソ連や北朝鮮や中共を「地上の楽園」、
「人類が造った理想の国家」と規程し、
これを盛んに宣伝しました。

今にしてみれば、ソ連や北朝鮮、中共の、
一体どこが理想のユートピアなのかと問いたくなりますが、
未だに共産主義的破壊思想である家族や家庭からの解放、
男女の性差からの解放、道徳的抑圧からの解放などという
デタラメを真に受けて活動している日本人がいるというのは、
実に悲しい現実です。

こうした、戦後、派手になった左翼の動きに対し、
日本を守る、日本的価値観を護ろうとする人々が、
新たな価値観として導入したのが、「剣を持って戦え!」と
主張するバークの保守主義であったわけです。

ですから「戦後保守」の中心をなしていたのは、
正に「剣をもって戦う」という防共、反共思想であり、
その為の行動原理として、
西欧的保守主義が日本に取り入れたわけです。

但し、防共、反共というには、
何か「護りたいもの」があるから「反対」するのです。
その「護ろうとするもの」が、皇室を重んじ、
日本の歴史、伝統、文化を重んじ、
そこに学ぶことによって現在を生き、
新しい未来を築こうという「日本主義」であったわけです。

つまり、防共、反共運動も、その根幹にあったのは、
日本主義そのものであり、日本主義を護る為に、
防共、反共の戦いを挑んだ、
その為の理論武装として選んだのが、
バークの戦う姿勢であった、という事ができます。

ところが、こうした抵抗運動は、左翼の活動が、
学連や革マルのような直接的な破壊活動から、
家族や家庭からの解放、男女の性差からの解放、
道徳的抑圧からの解放といった、
やや文化的な活動に矛先を変え出すと、
大変にやりにくい、動きづらいものとなっていきます。

ゲバ棒を持って破壊活動をする者達に対しては、
剣を抜いて「ならぬ!」と威嚇する事は
世間の賛同を得る事ができたのですが、
解放という自由を求める人達に、
剣を抜いて「自由はいかん!」という威嚇をする事は、
逆に暴力的な存在とみなされるようになってしまうという
マイナス面をもたらし、
世間の賛同を得にくくしてしまったわけです。

とりわけ日本においては、保守思想にあるエデンも、
左翼思想のユートピアもそもそもありません。
ですから、多くの日本人にとっては、
それらは、よくわからない世界です。

西欧で生まれたエデンに還ろうという「保守主義」にしても、
誰もみた事もないユートピアを目指そうという
「共産主義」にしても、私達日本人からみれば、
それらは地に足の着かない「空想主義、理想主義」でしかない。

大切な事は、今を一生懸命に生き、未来を築く事だけ。
それが多くの日本人の普通の考え方となって行きます。

この為、政治における保守と革新、右派と左派の対立も、
なるほど革新や左翼には首をかしげるが、
さりとて保守というものもよくわからない。
なので、とりあえず政治の事は放置して、
民間部門でお仕事に精を出そう、というのが、
多くの日本人の普通の概念となっていった訳です。
そしてその事が、ますます多くの日本人から
政治離れを加速するという結果を招いています。

けれど、よく考えてみれば、西欧的保守主義も、
西欧的共産主義も、強いて言えば、その本質にあるのは、
架空の絵を描いて、そこに向かって進もうと言う思想です。

これに対し日本人が古来から持つ考え方は、
過去に学び、現在に活かし、未来を築く、というものです。
日本人にとって、理想の未来などというものは存在しません。
ある程度社会経験をもった人なら、
誰でもわかると思うけれど、会社でも、
そりゃあ、儲かって儲かって、
社員の全員が仕事をしなくても高給をもらえるような会社は
理想かもしれないけれど、そんな夢想ばかりで
日々の仕事をしなければ、会社なんて簡単に潰れてしまいます。

学び、努力すれば未来は拓けるし、
学ばず努力を怠れば、未来は崩壊します。
当たり前の事です。

同様に、日本人にとって、
理想の過去などというものも存在しません。
浮き世は常に様々な問題を抱え、
その問題の中で四苦八苦しながら、
人の世を織りなすというのが、日本人の考え方です。

夏目漱石の草枕です。
=====
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
=====

これが古来からある日本人の一般的な思考です。
その意味では、日本的思考というのは、
西欧的保守主義や共産主義などによる空想主義よりも、
遥かに進んだ現実主義であるという事ができます。



☆続きます。


日心会メルマガより








 
 
 
 
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転載元転載元: 中川昭一氏のような保守を支持します&♡ ときめく人達♡


「日本主義」について書いてみようと思います。

実は、今日の記事の一番最後の所でご紹介しますが、
チャンネル桜の水島さんが、番組の「直言極限」で、
「さらばマスコミ、さらば戦後保守」というお話をされています。
H24/9/21の放送分です。

実は、この事は、従前より多くの保守の皆様が
疑問に思っていた点であろうと思うのです。
以下の文は、その疑問に対する私なりの回答です。

よく、「保守」の対義語は「革新」だといわれます。
「保守主義」の対義語は「進歩主義」という人もいます。

一方で「保守」は、過去に学び、
そこから少しでもより良い未来を築こうとする働きだから、
保守こそ革新であり、創造主義であり、
進歩主義であるという人もいます。
どちらが正しいのでしょうか。
正直、よくわかりません。

一方、左翼を代表する共産主義者は、
自分達の事を「革新主義」であり、「進歩主義」といいます。
本当なのでしょうか。
これまたよくわからない事です。

右翼というのは、反共、反米、反中、
反韓等様々なものがありますが、反対するという事は、
その一方に「護りたいもの」があるから
反対するのだという事ができます。
では、その「護りたいもの」とは一体何でしょうか。

そして右翼と保守はどこがどう違うのでしょうか。

そもそも私達にとって、
自分達が産まれた国を愛するという感情は、
ごくあたりまえの素朴な人間感情です。
なぜなら人は、木の股から産まれてくるわけじゃない。
親がいて、祖父母がいて、愛され育てられて大人になるのです。
ですから育ててくれた親を大事に思う、
その親を産んでくれた祖父母をまた、大切に思う。
そこから先祖代々の血脈にいたる血筋を大切に思う。
これまた万国共通の当たり前の人間感情です。

大人になった男女は、巡り会い愛し合って子が産まれます。
子を愛し、子の為に良い未来をと考えるのも、
人として、これ又当たり前の事です。

そして人が生きているのは現在です。
現代を生きる知恵として、過去に学び、
より良く生きる事によって、未来を築く。
これまた人類普遍の当たり前の人間感情です。

これを否定するのが共産主義だと言われています。

ではその共産主義思想とは何かといえば、
これを唱えたマルクスによれば、
それは「ユートピア」の建設を求める社会思想なのだそうです。

「ユートピア」というのは、人が造る「地上の楽園」です。
そこでは人々に貧富の差はなく、互いに手を携え、
あらゆる制約から解放されて
幸福な生を享受する事ができるのだそうです。

その「地上の楽園(=共産社会)」を築く為に、
富を独占している富者と闘争し、
その富を取り上げ、貧者に再配分する。
これには、強制的な大きな力が必要なので、
それを国家規模の強制力で実現するというのが
社会主義思想です。
社会主義は、共産社会建設ための前段階であり、
理想はあくまで「地上の楽園」にあります。

そして地上の楽園を目指して、すすんで今ある社会を破壊する。
だからそれは「社会の革新」であり、
社会を進歩させる「進歩主義」だとされています。

ところが、共産主義において、
その地上の楽園である「ユートピア」が、
一体どのような社会体制をもった所なのか、
という点については、
共産主義を信仰する個々人の夢想に委ねられています。
つまり、目指す先の具体的姿は、描かれていないのです。

その一方で、事前の策として、富者と闘争し、
その富を奪い、貧者に再配分するという事は、
現実の出来事となります。
これは簡単に言ったら、
お金持ちが財産や美しい女達を独占しているのは
けしからんから、奴らを殺して俺達で
富も女も再配分しようではないかというのですから、
乱暴な話です。

そもそも富というのは、そこに「ある」ものではありません。
人々の努力と協力によって築かれるものです。

従って、金持ちを打ち倒してその富を配分しても、
その富を新たに産み出す努力がなければ、
再び貧しさに逆戻りとなります。
わかりきった位、単純な話です。

しかも中には、要領よく立ち回って、
再配分し消費された富を巧妙に回収して
富者となる者もあらわれるわけで、
そうなると再び富者が富を独占しますから、
社会主義はどこまでいっても
地上の楽園としての共産主義には至りません。
子供でもわかる単純な理屈です。

ところが悪い事に、この思想は、
「富者を倒し、富を奪う」という概念が正当化されています。

この事は、強盗や殺人鬼や権力の為に
自己肥大した政治家等にとっては、
極めて「都合の良い」思想です。
つまり最近の流行語でいえば「愛国無罪」で、
したがってソ連を打ち立てたレーニンやスターリン、
或いは中共を建国した毛沢東などが
共産主義者であった事は一度もなく、
むしろ邪魔者は消せとばかりの大量殺戮と、
肥大化した自己陶酔による
他国への軍事侵略ばかり起こしていた事は、
歴史が示す事実です。

要するに共産主義というのは、単なる「破壊主義」、
「権力主義」しか招かないわけで、
どこまでいっても夢想する
「地上の楽園(=ユートピア)」は、やってこない。
この事も、20世紀という壮大な実験の結果が
見事に証明してみせています。

にもかかわらず、共産主義が「革新」であり
「進歩主義」というのは、寝言でしかない、という事です。
共産主義による「地上の楽園(=ユートピア)」は、
どこまでいってもやって来ません。


では、保守主義はどうなのでしょうか。

欧米で保守主義といえば、
「保守主義の父」と呼ばれるエドマンド・バークが有名です。
彼は、保守を「剣を抜く騎士道」と説きました。
そこから派生して、彼の説く保守は
「戦闘的イデオロギー」と呼ばれています。

バークの有名な言葉があります。
=====
1789年にフランスで革命が起こった時、
暴民に囲まれてヴェルサイユ宮殿から
パリに連行されるマリーアントワネット王妃の
恐怖と悲しみを思い、義に馳せて「剣を抜け!」と訴える、
戦闘的な荒ぶる魂なくしては保守主義とは言えない。
=====

更に彼は次のように続けます。
=====
他者の為に自らの生命を捨てる覚悟で義を貫く勇者の倫理こそ、
高貴な自由と美徳にあふれた社会の根幹をなすものである。
=====
これがバークの主張です。

つまり「高貴な自由と美徳にあふれた社会」の形成の為に
「戦う意思」を持ち、現に戦うのが保守だ、
とバークは述べているわけです。

問題はその「高貴な自由と美徳にあふれた社会」で、
これは何かというと、西洋ではそれは
「神のもとに還る」事を意味します。

どういう事かというと、西欧では、
キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、
ギリシャ教であれ、ロシア正教であれ、唯一絶対神です。

万物は、その唯一絶対神によって創造されたと考えます。
人間も神によって創造されたものです。

創造されたばかりの人間は、神によって庇護され、
自由、平等、博愛に満ちた
祝福された絶対幸福な生活を送っていました。
エデンの園です。
エデンは「神のもとの楽園」です。

ところが人間は、
神に与えられた禁(タブー)を犯した事で、楽園を追放されます。
これが人類の「原罪」です。
「原罪」を負った人間は、神によって男には労働の苦しみ、
女には出産の苦しみという罰が課せられています。

バークのいう「高貴な自由と美徳にあふれた社会」というのは、
そうした信仰上、人間が放逐される前にいた
「神のもとの楽園」を意味しています。
つまりそこに還るというのは、
「神のもとへ回帰する」という意味です。

つまり共産主義と異なるのは、
共産主義が神の手を離れて、
人類の力で構築する「ユートピア」を目指そうというのに対し、
バークの楽園は「エデンの園」という
人類の原点に回帰しようとする思想であるという事です。

ですから、人類がその勝手な考えで、
社会制度を構築したり、自由だ平等だといって
社会革命を行うこと自体が、
バークにとっては神に背く不埒な行為であり、
だからこそ、変えようという動きにたいしても、
現状を維持しようという動きに対しても
「剣を持って戦う!」とういう姿勢になります。

つまり西欧型保守思想というのは、
常に「神学」と一体のもとにあるわけです。


☆続きます。


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そして先ほど知ったのですが
ワールドカップ男子サッカー日本VSヨルダン戦で
川島選手等がレーザー照射されていたんですね。
これは、とんでもない違反行為じゃないですか?
その時、何故試合を止めなかったでしょうか。
イメージ 1
2013年3月26日にアンマンで開催された、
サッカーワールドカップ・アジア最終予選B組
・日本VSヨルダン戦で、日本人選手に対して
観客席からレーザー照射があった事が判明した。
 
・ゴールキーパーの眼球に照射
放送された映像でも確認できるので、
実際に目にした視聴者もいる筈だ。
確かに、ゴールキーパーの眼球めがけて
緑色のレーザーが照射されているのがわかる。
 
・特に緑色は赤色よりも極めて強い力
この件に関してレーザーポイントに詳しい記者に
話を聞いたところ「光線の色によって
レーザーポインターのパワーが違います。
例外もありますが、
特に緑色は赤色よりも極めて強い力を持っています。
数百メートル先まで
鮮明なレーザーを飛ばす事ができるのです」と話していた。
 
・眼球が傷つく事も十分にあり得る
報道によると、
このレーザーは観客席から照射されたものとの事。
プレーに支障が出るのは当然だが、
眼球が傷つく事も十分にあり得る。
今回のレーザー照射に対して、
日本人からは以下のような声が上がっている。

「これ本当なら無効試合、日本不戦勝じゃないの?」
「これ『失明』の危険があるんだぜ?日本の抗議は当然」
「こんな事して勝って恥ずかしくないのか?」
「これって川島だけじゃなくて遠藤にも当たってたのか…酷いな」
「これはマジであかん! スポーツマンシップに反する!」


ロケットニュース24より抜粋しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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