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南京では
婦女子に手をかけてはいけないと
厳命されていた

憲兵がいたし
略奪や強姦はありえない


産経はとことん朝日と戦う腹を決めたらしい。



ソース(産経ニュース) http://www.sankei.com/life/news/150217/lif1502170003-n1.html


写真=「戦争中も軍規は守られていた」と話す橋本光治さん=東京都江戸川区(池田祥子撮影)
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/c/b/cb96764d.png

昭和12年12月の南京攻略戦をめぐる東京裁判の判決は、旧日本軍が残虐の限りを尽くしたと断定した。

日本兵は市内に群がってさまざまな残虐行為を犯した。まるで野蛮人の一団のように放たれ、何の規律もなく、多くの兵は酔っていた。
何ら口実もないのに中国人男女や子供を殺害し、死体は大通りに散乱、幼い少女や老女も含めて強姦(ごうかん)事件を起こし、射殺 しては多くの住宅から略奪品を運び去った…。

これが真実ならば、規律と統制を失った集団の、見るに堪えない不法行為の数々である。

だが、元将兵の証言によると攻略後の城内は 虐殺とはほど遠い平穏さがあった。

加えて、軍には厳しい規律があったとの証言もある。


「私だけでなく戦友や日本軍の名誉にもかかわる。悔しい思いをしました」

元陸軍第16師団歩兵第20連隊伍長の橋本光治(99)は、身に覚えのない「虐殺者」の汚名を着せられたことに、今も怒りを禁じ得ない。

昭和62年から平成元年にかけて、橋本の部下だった元上等兵らが出版した3冊の本の中で、橋本は「中国人を郵便袋の中に入れ、 ガソリンをかけて火をつけ、手榴(しゅりゅう)弾を袋のひもに結びつけて沼の中にほうり込んだ」と描写された。

橋本は名誉毀損(きそん)で元上等兵らを訴え、
「客観的証拠もなく、真実とは認めるに足りない」として、

1審から最高裁までいずれも 橋本勝訴の判決が下った。

そもそも、当時の郵便袋の大きさでは、成人男性を到底入れることはできなかった。

「戦争中も軍紀は守られていた。そんな残虐行為ができるわけがない」

橋本は昭和12年12月13日に南京入りし、23日まで城内外の敗残兵の掃討に参加した。

翌月下旬に南京を離れるまで、1度だけ長江 (揚子江)河畔の下関という場所で、
捕虜となった中国人の男が使役されているのを目撃したが、一般住民の姿は見かけていない。

 「婦女子に手をかけてはいけないと厳命されていたし、夜間外出は禁止され、任務以外に自由な時間はありませんでした」

■ ■ ■

橋本は日本の司法制度のもと、名誉を回復することができた。しかし、東京裁判は、元将兵にとって「身に覚えのない蛮行」の数々を断罪、 弁護側の反論は一切聞き入れられなかった。

判決では「攻略後最初の2、3日で1万2千人の殺害」という検察側の証言だけを採用した理由には触れられず、「1カ月間で2万の強姦」 も数字の明確な根拠が示されなかった。

こうした「不法行為」の多くが行われたという城内の「安全区」で、将兵はどう振る舞ったのか。
軍は細心の注意を払っていたという証言がある。

 「安全区の掃討には厳重な命令がありました」

南京戦に参加した元将兵らが集まり平成19年に東京で開かれた
「南京陥落70年国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」で、
元第9師団歩兵第7連隊伍長、喜多留治=当時(89歳)=はそう話した。

安全区では、軍服を脱ぎ捨てて民間人になりすました便衣兵の掃討が、南京城陥落直後の昭和12年12月14日から始まり、喜多は これに参加。安全区の警備も担当した。

住民に十分配慮することや、掃討では将校の指揮に必ず従うことを命じられたという。

 掃討は同じ師団の金沢と富山の連隊が担当し、

他部隊が安全区に入らないよう「金沢」「富山」という合言葉まで使っていた。


喜多は略奪 や強姦は「ありえないことです」と語った。


 南京攻略戦に参加した元陸軍第6師団歩兵第47連隊の獣医務曹長、城光宣(じょうこうせん)(98)も軍紀で思い出すことは多い。

城は日米開戦後の昭和17年末に南方作戦に参加するまでの5年間の大半を中国戦線で過ごした。その間、城らは中国人の集落に 駐留することもあった。

日本軍と住民を分けるため集落の中央に線を引き、

住民側に一歩も入ってはならないと厳命された。



「憲兵がおりますけん、違反はできんし、

われわれも絶対にせんかった。

軍紀はそれほど厳しかったとです」


東京裁判で弁護側は南京攻略戦はほかの戦場と変わりなかったと反論している。城も中国戦線で軍の規律が一様に保たれていたと 強調した。

 ではなぜ、南京での「残虐性」がここまで突出するのか。

城は「おかしかことですたい」と言って、ため息をついた。


(敬称略)



やっぱ日本は、もっと反省と謝罪賠償が必要だと思う

 民主党、中国共産党に「民主党政権なら首相・官房長官・外相は靖国参拝しない」と明言 

 ▼民主・菅氏「昭和天皇、敗戦時に退位するべきだった」

 ▼民主党「昭和天皇の戦争責任も取り上げる」歴史調査会

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 ▼民主党「元慰安婦に日本の謝罪と金銭を」・・・救済法案提出

 ▼野田政権「慰安婦に新たな人道的賠償金を払う」譲歩案 &竹島提訴先送り表明



南京大虐殺の真相
ichiromatsuo

 
”捕虜”とは、交際法の陸戦放棄に基づいて降伏勧告を行い、敵対する側が”捕虜”として認め、収容所の収容されてから初めて国際法に基づいて”捕虜”の権利を得るわけです。”敗残兵”は1度も国際法規に基づいて降伏はしていません、それを処刑することはなんら国際法に違反しておらず、正当な戦闘行為の延長です。下関で安全区に逃げ込んだ敗残兵や、当時の中国兵はゲリラ行為を常道としており、とらえて処刑する行為は正当な行為です。国際法や戦闘法規をロクに知らない兵士の発言を都合よく解釈した番組に他ならない。NHKも悪質なねつ造をするんです。
返信
 · 



菊李萬

 
中国人は、虐殺の人数に文句を言えば「一人でも虐殺されたなら虐殺だ!」といい、広島原爆の犠牲者12万に対しては1000人だと反論します。
討論する際は論点のずれに注意して論破するよう心掛けてください。

【貴重写真】『南京大虐殺』は捏造だった!…南京の本当の写真

「南京大虐殺」は捏造だった
 
中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/6/4/648d54fc-s.jpg

これは日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、歓声をもって迎える南京市民ら。市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた中国兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民全員に配ったものである
(毎日版支那事変画報 1938.1.11発行)



南京市民に食糧等を配る日本兵たち。(イギリス系新聞
「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」1937.12.24付 南京占領の11日後)
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/3/f/3fb321cb.jpg


南京市民と楽しく会話する日本兵ら
(1937.12.20撮影 南京占領の7日後 支那事変写真全集1938年刊)
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/0/d/0d684557.jpg


日本軍による南京占領5日目の朝日新聞
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/3/4/34ab80c6.jpg
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。
(朝日新聞 1937.12.18付)

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm


南京占領8日目の朝日新聞。タイトルは、「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/1/e/1e1f2b8a.jpg

(右上) 治療を受けている中国傷病兵
(左上)日本軍将兵の情に食欲を満たす投降兵
(真ん中)中国人のお店で買い物をする日本兵ら
(右下)山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐
(左下)南京城内でくつろぐ中国人市民ら
(朝日新聞1937.12.21付)


南京の病院の中国負傷兵と看護する日本兵
(ノースチャイナ・デイリー・ニュース 1937.12.18付 南京占領の5日後)
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/a/0/a0f886c8.jpg


中国負傷兵を看護する日本の衛生兵
(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)

http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/1/a/1a6fe6ea.jpg


「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。
日本兵や日本人を恐れていなかった」
(カメラマン佐藤振寿氏。南京占領の2日後 1937.12.15撮影 南京安全区にて)

http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/6/9/69f9b30e.jpg


日の丸の腕章をつけ、通りで野菜を販売する南京市民(1937.12.15 南京占領の2日後)

http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/b/3/b3b898b2.jpg


疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵
(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊)

http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/e/3/e367fd0e.jpg


日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族
(1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)

http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/d/e/de5fbf47.jpg


これまで本名で南京大虐殺を証言をした者は、ことごとく嘘であったことが確認されている


□ 東史郎   
一番有名な捏造者。 原本が存在しない創作をバラまいた。 中国は未だに真実扱い。

□ 中山重夫  
戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが、場所と時間がコロコロ変わったので嘘がばれた。

□ 富永博道  
当時は学生だったのに、自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。 経歴照会で嘘判明。

□ 舟橋照吉  
東の懺悔屋成功に便乗し日記を捏造。 仮想戦記な内容であっさり×。

□ 曾根一夫  
野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵下士官だと経歴と日記を捏造。 経歴照会で嘘判明。
 
□ 田所耕三  
強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
後に捏造を告白。

□ 太田壽男  
死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記 ( 捏造物の数々と違い、原本が確認できる )
により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった。

□ 富沢孝夫  
海軍の暗号兵で、「 松井軍司令官の虐殺をいましめる暗号を傍受・解読した 」 と証言。
だが海軍の彼が陸軍の暗号を解読するのは不可能で、しかも証言日時に松井司令官は
蘇州で入院。

□ 上羽武一郎  
「 上官命令で強姦虐殺放火 」 と証言。 
が彼は後方担架運びの衛生兵で、命令が出たとの史料もない。


このように、偽証言 ・ 偽手記 ・ 改竄記録が多く出回っている。
以下は、検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた、偽記録等の特徴。


■ 原本が確認できない。 実物を絶対見せない。

■ なぜか南京戦前後だけ詳細に記録。 
しかも矛盾点や他の一次史料との乖離が異常に多い。

■ 記録者証言者本人の経歴が実際と違う。

■ 「 日本や日本軍は懺悔しろ! 」 と糾弾するが、
自身は償いに私財を投じることはなく、出版や講演で儲けている。


関連おすすめ記事

【動画】南京日本兵の証言


http://uni.2ch.net/newsplus/kako/1386/13860/1386060544.html



www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm



転載元転載元: 復活! 強い日本へ!

2015.2.18 05:00更新

【歴史戦第9部 南京攻略戦 兵士たちの証言(4)】
「虐殺は終戦後、米軍放送で知った」 絞首刑の松井石根大将

 
 南京攻略戦で旧日本軍を率いた元司令官の大将、松井石根(いわね)にとって「南京大虐殺」は寝耳に水だった。戦後、東京裁判で松井はこう証言している。
 「(大虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った」
 戦勝国による追及が始まる中で現れた「南京大虐殺説」。その責任者として松井は昭和23年11月12日、戦犯として死刑判決を受け、12月23日に絞首刑に処せられた。70歳だった。
 「松井大将は清廉潔白だった」
 元陸軍第36師団歩兵第224連隊の少尉、内貴(ないき)直次(93)は戦後、松井の元私設秘書、田中正明から幾度となく聞かされた。田中は11年に松井に随行し中国を訪れた。戦後は近現代史の研究者として活動、平成18年に94歳で亡くなるまで虐殺説に反論した。
 昭和18年夏ごろ、南京に約1カ月間滞在した経験のある内貴自身もこう言う。
 「南京に入ったのは攻略戦から6年後。街は商店や人であふれ、平和な様子だった。もし、大虐殺があれば、住民の恨みを買い、われわれは平穏に駐留できなかったはずだ」
国際法に留意
 昭和12年7月、日中戦争が勃発すると、予備役だった松井は上海派遣軍司令官に就任。上海、南京攻略戦で軍を率いた。南京攻略を控え、松井は部下に「注意事項」を示し、何度も軍紀・風紀の徹底を図り、捕虜を正しく扱うことや、住民に公正な態度を取ることを指示。顧問として法学者を南京に帯同しており、国際法に注意を払っていたこともうかがえる。
 12年12月17日に南京に入城した松井は、当時の様子をつづった日記を基にした供述書で「巡視の際、約20人の中国兵の戦死体を見たが、市内の秩序はおおむね回復した」といった内容を述べている。一方で入城後に一部の兵による軍律違反の報告を受けており、法廷でこうも証言した。
 「南京入城後、非行が行われたと憲兵隊長から聞き、各部隊に調査と処罰をさせた」
 非行件数はどの程度なのか。松井の部下は裁判前の尋問で「10か20の事件だった」と述べている。だが、判決はこう断罪した。
 「自分の軍隊に行動を厳正にせよと命令を出したが、何の効果ももたらさなかった。自分の軍隊を統制し、南京市民を保護する義務と権限をもっていたが、履行を怠った」
 また、南京攻略後に松井が帰国したことをめぐり、検察側は日本が南京での多数の不法行為の責任を問い、司令官の職を解き召還したという構図を持ち出した。松井は「それは理由にはならない。自分の仕事は南京で終了したと考え、制服を脱いだ」と明確に否定したものの、反論は一切聞き入れられなかった。
 「南京で2万の強姦(ごうかん)、20万人以上の殺害があった」と断定した東京裁判だが、松井に対する判決では「南京陥落から6、7週間に何千という婦人が強姦され、10万人以上が殺害」とそれぞれ数を引き下げた。
蒋介石と親交
 もともと松井は、孫文が唱えた「大アジア主義」に共感し、志願して中国の駐在武官を務めたほどだった。中華民国トップの蒋介石とも親交があり、蒋が日本で暮らした際には生活の支援をした。その蒋が喧伝(けんでん)した「大虐殺説」によって松井は命を落とした。
 松井は昭和15年、上海と南京の土を使い、静岡県熱海市に興亜観音像を建立。日中両軍の戦死者を弔い続けた。戦後、傷みだした建物などを保護しようと、陸軍士官学校58期の元将校らが「守る会」(平成23年解散)を設立、田中が会長を務めた。
 58期の元少尉の和田泰一(89)は、「普通は敵兵の慰霊はしない。だからこそ、松井大将の思いを残さなければと皆が感じていた」と語り、こう続けた。
 「当時の記録を読めば事実は別にあることは明らかなのに大虐殺説を許してきた私たちの責任も大きい」
 戦前・戦中を全否定するような風潮の中で大虐殺説は日本人にも「定説」としてすり込まれていった。
 昭和21年春、松井は収監前夜、親しい人を集めた席で次のような言葉を残した。
 「願わくば、興亜の礎、人柱として逝きたい。かりそめにも親愛なる中国人を虐殺云々(うんぬん)では浮かばれない」(敬称略)
 【戦犯】連合国は戦争指導者らを通常の戦争犯罪ではない「平和に対する罪」(いわゆるA級戦犯)として、東京裁判で裁いた。東条英機、広田弘毅両元首相、松井石根大将ら7人が絞首刑、16人が終身禁錮刑の判決を受けるなど途中死亡者ら3人を除く25人全員が有罪となった。
 ドイツで行われたニュルンベルク裁判では有罪となった19人のうち16人までが「人道に対する罪」に問われた。日本ではこの「罪」はだれにも適用されなかった。=第9部おわり
 

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【歴史戦第9部 南京攻略戦】(3)「婦女子に手をかけてはいけないと厳命されていた」 憲兵配置…略奪・強姦ありえない
by 日本会議地方議員連盟 2015/02/16 Mon 06:15
 
【歴史戦第9部 南京攻略戦 兵士たちの証言(1)】「城内空っぽ。誰もいなかった」「虐殺あるはずない…」
2015.2.15 15:12更新

http://blog-imgs-72.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/2015021606084784f.jpg
南京攻略直後について「城内は空っぽだった」と証言する城光宣さん=熊本県山鹿市(池田祥子撮影)

http://blog-imgs-72.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/2015021606084953b.jpg
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支那事変時の支那南京城略図
http://blog-imgs-72.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/201502160612426ba.jpg

「城内は空っぽでした。兵隊どころか、住民も、誰もおらんでした」

南京攻略戦に参加し、昭和12年12月13日の陥落後に南京城に中華門から入城した元陸軍第6師団歩兵第47連隊の獣医務曹長、城光宣(じょうこうせん)(98)=熊本県山鹿市=の目の前には、無人の市街地が広がっていた。

少し前まで、門をめぐって日中両軍の激しい攻防戦が繰り広げられていたが、壊滅状態になった中国軍兵士が城外へ一斉に逃げ、城内は一転して静寂に包まれていた。

中に入ると、厚さが約40センチもある門扉の内側に、進入を阻むための土嚢(どのう)ががっちりと積まれていたのを覚えている。                                    
 南京城の広さは約40平方キロメートル、JR山手線が囲む面積の3分の2程度だ。城内には、れんが造りの平屋の民家が多かったが、どれも無人だった。住民らは城内に非武装中立地帯として設けられた「安全区」に逃げ込んでいた。

「無抵抗の民間人を殺すのが虐殺。だが、人がおらん以上、虐殺があるはずがなか」と城は断言する。

当時の軍隊に欠かせない馬を管理する任務を帯び、前線部隊と行動をともにしてきた城は、戦闘の様子をつぶさに見てきた。

多数の死傷者を出しながらも11月中旬に上海を攻略した日本軍は、長江(揚子江)の上流約300キロにある南京を目指した。当時、中華民国の首都だった南京は周囲を堅牢(けんろう)な城壁で囲まれ、約20の門があった。

中華民国トップの蒋介石は11月中旬、内陸にある重慶への遷都を決断し、12月7日に南京を脱出。南京市長ら要人の脱出が続く中、日本軍は降伏を勧告したが、拒否してきたため12月10日、総攻撃を開始した。

上海攻略戦で杭州湾に敵前上陸した第6師団も、南京に向けて敵と交戦しながら進軍。南京の南側から攻撃に参加した。

「それは激しか戦いでした」。城らの前には、高さ20メートルほどのれんが造りの城壁がそそり立っていた。城壁に構えた敵陣地からの攻撃、城壁の前に横たわった水濠(すいごう)が行く手を阻んだ。 「銃砲や野砲で徹底的に敵をたたいて、収まったころ壁にはしごをかけて日本の兵隊がよじのぼって占領していったとです」

戦後、東京裁判はこう断定した。

「南京占領直後から最初の2、3日間で少なくとも1万2千人の男女子供を殺害、1カ月で2万の強姦(ごうかん)事件を起こし、6週間で20万人以上を虐殺、暴行や略奪の限りを尽くした」

その後、中国側は「30万人が虐殺された」と主張するようになったが、城は首を横に振る。

「城内では遺体も見とらんです」

上海から南京に進軍する途中では、中国人の遺体を目撃している。塹壕(ざんごう)で何十人の中国兵が死んでいることもあった。

「そりゃ、敵と交戦しながら進むけん。こっちもあっちにも遺体はありましたが、女や子供、年寄りの遺体は見たことはなかです」

進軍は不眠不休で続き、夜が明けると敵兵約30人が目の前を歩いていたこともある。夜間に敵と交戦した後、同じ連隊の兵士が「多くの敵を斬った」と話しているのを聞いたこともあった。1週間ほど滞在した南京でも何かあれば仲間内で当然耳に入るはずだが、虐殺は一切聞いていない。

城が所属した第6師団は熊本で編成された精鋭部隊で、中国では「世界で一番強い」と恐れられていた、という。その師団の一員だったことは、城らの誇りだった。だが、南京攻略時に師団長だった中将、谷寿(ひさ)夫は戦後、「南京虐殺の責任者」との罪で戦犯となり、処刑された。

「哀れですばい。師団長は何もしとらんのに」

城は憤りを隠せない。77年たった今も脳裏に浮かぶのは仲間の姿だ。南京城壁から狙い撃ちされ、敵弾に次々と倒れていった。

「それでも日本の兵隊は強かですばい。弾がどんどん降る中でも前進していく。国のため国民のため突っ込んでいくんですけんね」

戦後、獣医師として働き子供4人、孫とひ孫計22人に恵まれたが、当時を語り合える戦友は誰もいなくなった。間もなく99歳を迎える城は、無数のしわが刻まれた手をかざしながら仲間の無念を代弁する。

「30万人も虐殺したというのはでっち上げですたい。貶(おとし)められるのは我慢ならんです」

■ ■ ■

「抗戦勝利70年の今年こそ、南京市内の道路の名称には『抗戦』の要素をより多く取り入れるべきだ」

南京市を省都とする江蘇省の行政諮問機関、政治協商会議(政協)の常務委員、徐菊英は先月、こんな提案を行った。

「南京大虐殺記念館」と建設中の「抗戦勝利記念館」を結ぶ道を「抗戦路」と名付けるなど道路への命名は今年、相次ぎ行われる見通しだ。「南京事件」の生存者として“証言”した「李秀英」ら市民の名前を冠する案もある。

「辛徳貝格路」との案もある。デンマーク出身の実業家で、1930年代に南京郊外のセメント工場に赴任した「シンドバーグ」の当て字だ。旧日本軍による攻略時に、2万人近い南京市民を工場などにかくまったという。昨年4月にはデンマーク女王、マルグレーテ2世が外国元首として初めて「南京大虐殺記念館」を訪問した。シンドバーグの逸話を手がかりに女王の南京訪問を要請したようだ。デンマークなど外国を巻き込み中国の国際的な立場を優位にする狙いがある。

中国共産党は政権の正統性を「抗日戦争勝利」に求めている。2月5日には「中国人民抗日戦争勝利70周年記念」と銘打った撮影隊の“出陣式”が「南京大虐殺記念館」で行われた。

これは政府機関の中国人民対外友好協会が主催する全国的なイベントで、全土から集められた10人以上のカメラマンが、抗日戦争に関する証言や史跡を記録し「8年の抗戦と民族の記憶」と題する写真集にまとめる。全土で巡回展示も行う。

南京で出陣式を行ったことは、「抗日戦」の象徴的な土地として今年、南京を改めて強調する意図が感じられる。

■ ■ ■

南京事件の犠牲者が「30万人」に上るとする説は中国の公式見解だ。

「日本軍は野蛮にも南京に侵入し、残酷極まりない南京大虐殺事件を引き起こした。30万人の同胞が殺戮(さつりく)、無数の婦女が蹂躙(じゅうりん)殺害され、無数の子供が非業の死を遂げた。3分の1の建物が破壊され、大量の財物が略奪された」

昨年12月13日、南京市で開かれた追悼式典。演説した国家主席、習近平は、事件の「凄惨(せいさん)さ」を繰り返し強調した。中国はこの日を「国家哀悼日」に定め、南京市などが主催してきた追悼式典を初めて国家主催とした。式典会場の「南京大虐殺記念館」の入り口には、「遭難者300000」と書かれたモニュメントが設置されている。

中国外務省報道官、洪磊も1月15日の記者会見でこう述べた。

「南京大虐殺は日本の軍国主義者が犯した残忍な犯罪であることに議論の余地はない。過去の侵略を覆そうとする試みは日本の国際的な信用を損なうだけだ」

洪の発言は前日に共同通信が配信した記事に関してだった。共同の記事は、習の「30万人」発言に日本外務省が昨年12月、中国側に「適切でない」と申し入れたという内容だ。

官房長官、菅義偉(すが・よしひで)は1月15日の記者会見で「わが国の考え方は事前に伝えるとともに、事後にもしかるべき申し入れを行っている」と、報道を事実上認めた。

このやりとりは香港紙「文匯報」に掲載された。外交筋は、中国共産党寄りの同紙が報じたことについて、日本が事実をねじ曲げようとしていると対外的に訴えたいとの「中国政府の意図を感じる」と話す。

■ ■ ■

中国は英字メディアでも自らの立場を積極的に宣伝している。

9月3日に北京で習指導部発足後、初めてとなる軍事パレードを開催することについて、1月下旬に海外メディアが「対日牽制(けんせい)」「中国の軍事力を誇示」と伝えた。これに1月29日付の中国の英字日刊紙チャイナ・デーリー米国版が反応した。「勝利パレードをめぐるばかげた意見」というタイトルで掲載された同紙の論評記事だ。

筆者のルン・ピンは「中国では8年間の抗日戦で3千万人の犠牲者が出た。6週間の南京虐殺だけでも30万人が命を落とした。抵抗を通じ中国人民は反ファシスト戦勝利に中核的な役割を演じた」と訴えた。

中国メディアによると、習は南京事件をナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺、広島・長崎への原爆投下と並ぶ「第二次世界大戦史における3大惨事」と位置づけている。「日本軍が引き起こした大虐殺」(習)との主張を展開するうえでも「30万人」の犠牲者数は必要なのだ。

(敬称略)



中国は「30万人虐殺」を喧伝(けんでん)するが、77年前、南京で将兵らが見た実像は大きく異なる。歴史戦第9部では数少ない元兵士らの証言を紡いでいく。

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南京入場する松井石根大将南京入城での万歳風景
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南京入場する松井石根大将   
 
 
アイリス・チャンの“業績”を踏襲せよ! 「ホロコースト」と結びつけ反日攻勢 .

 「南京大虐殺はアジアのホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺)だ」

 壇上の発言者が声のトーンを上げると、多くの参加者がうなずいた。米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のミルピタス市にあるホテルの会議室。

先月14〜16日、中国系の反日団体「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」の2年に1度の研究会が開かれた。参加したのは北米やアジア、欧州の代表や中国の歴史学者ら約60人。

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 抗日連合会の幹部はこれまでも、南京事件とホロコーストを結びつける発言を繰り返してきた。ホロコーストを学ぶ機会の多い欧米を舞台に反日活動を展開するうえで、最も理解を得やすい手法だからだ。

 壇上の発言者は続けた。

 「われわれの力はまだまだ弱い。もっと力を注がなければならない」

参加者の一人は本紙の取材に「抗日連合会は今後『ハード』と『ソフト』の両面で国際社会に訴えていくのだと感じた」と話した。

 ハード面とは博物館などのハコモノの設置だ。

サンフランシスコでは、女性実業家、フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)を中心に抗日連合会も関与する形で、中国以外で初めて抗日戦を顕彰する「海外抗日記念館」を来年8月に開館する計画が進んでいる。

 カナダ・トロントからの参加者も同様の記念館を設置したいと表明したといい各国に広がる恐れもある。

 ソフト面では「南京大虐殺」や「戦時中における日本軍の蛮行」を宣伝する教材やビデオなどの発行、普及が計画されている。

 登壇者は、中国政府が6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に「南京大虐殺」と「慰安婦」を登録申請したことに触れ「登録が認められれば、(各国の)歴史教科書にも盛り込みやすい」と、抗日連合会としても働きかけを強める考えを示した。

1994年に発足した抗日連合会は設立20年の節目を迎えた。この間、米国や諸外国で反日宣伝活動を行ってきた。中国系米国人ジャーナリスト、アイリス・チャン(故人)の著書『ザ・レイプ・オブ・南京』(97年)の宣伝、販売はその「成功例」といえる。

 「日本軍は南京で30万人の市民を虐殺し、2万−8万人の婦女子を乱暴した」などと書かれた“歴史”は事実誤認や無関係の写真掲載が出版当初から問題となったにもかかわらず、米メディアが称賛し、「日本軍の残虐さ」を植え付けるのに一役買った。

 「アイリス・チャンがやったことを、われわれは踏襲しなければならない」

 登壇者は参加者に向かってそう訴えた。会場にはチャンの両親の姿もあったという。(敬称略)
 
関連記事
以上http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-6763.html転載
 
【南京事件関係記事リスト】
 
【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(4)後半】
「責任は敵前逃亡した蒋介石に」 NYタイムズ元東京支局長に聞く
 
 
滞日50年の英国人記者のヘンリー・ストークス氏=東京都港区赤坂 (野村成次撮
 
 −−なぜ『南京大虐殺』は事実ではないのか
 「文献によると、南京市内のあちこちで散発的な暴力行為はあったが『大虐殺』という言葉を使って南京で起きたことを語るべきではない。虐殺はとても血なまぐさく目撃した人の記憶に残るものだが、むしろ日本軍が占領したことで、治安が回復した。『虐殺』より『事件』と呼ばれるべきだ」
 −−その理由は
 「そもそも国民政府の蒋介石や軍幹部が首都陥落直前に敵前逃亡し、南京ではあまり戦闘はなかった。中国兵が軍服を脱いで(民間人に偽装した)便衣兵や不良捕虜となったため、日本軍は処断を余儀なくされた。こうした捕虜の処断は国際法に準じて行われたが、大量に処断された。このことは悲惨だった。ただし、日本軍による中国人の処断の数について中国政府が主唱し、一部の識者が追随している万の単位を超えるようなものではなく、20万、30万人という虐殺などあったはずはない。中国の反日プロパガンダ(謀略宣伝戦)だ。(事態を招いた)責任は第一義的に敵前逃亡した国民政府にある。日本軍だけに責任を負わせるのは非道で、蒋介石の責任が問われるべきだ」

関連ニュース

http://www.sankei.com/images/news/141226/plt1412260012-n1.jpg「40万人虐殺」米の教科書に堂々と載る屈辱 誤りは断てるか
 
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