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↓忘れずに、最初にクリックお願いします。↓ http://image.with2.net/img/banner/banner_23.gif http://blogranking.fc2.com/ranking_banner/d_02.gif http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/201511130415205ba.jpg 11月12日(木)放送BSフジ「プライムニュース」『「南京事件」とは何か 諸説と“真相”の間に 3論客の見方相互検証』 左から、藤岡信勝(拓殖大学客員教授)、秦郁彦(現代史家)、山田朗(明治大学教授)
今回、約1時間半に及ぶ討論の中で、最も論点となったのは、南京市民に混じった支那軍の便衣兵を正しく選び出すことができたかどうかだった。 この問題が再三再四に渡って論点となったが、秦郁彦と山田朗の2人は、一般市民と便衣兵との区別がつかないから多くの一般市民が便衣兵として殺されたと主張した。 それに対して、藤岡信勝氏は多少は反論したが、上手く説明ができなかった。 結局、藤岡信勝氏も、「処刑した便衣兵の中に市民も混じっていたかもしれない。日焼けの具合とか体格などで基本的には区別ができるが、ミスは幾つかあったかもしれない。」などとあやふやな発言をしてしまった。 だから、この問題が何度も繰り返し取り上がられたが、結局は一般市民も便衣兵に混じって処刑されてしまったような印象を強く残してしまった。 仮に便衣兵と間違えて一般市民を殺してしまっても、それは日本軍の責任ではなく、完全に軍服を脱いで便衣兵となった支那軍の責任だ! しかし、実際には、日本軍は、一般市民を便衣兵として間違えて摘出することはなかった。 大半は、下着(兵隊服)の確認だけで、間違えることなくすぐに見分けがついた。 日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭、鉄帽子の日焼け跡、手の銃ダコ、下着(兵隊服)、市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。 ━━━━━━━━━━ ▽番組の動画&要点▽ http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20151113042627b78.jpg ■You Tube動画 プライムニュース「南京事件の真相に迫る激論!写真の真偽を分析、30万人説の検証など」最新2015/11/12 https://www.youtube.com/watch?v=GMV5gHzDXeU http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20151113042321ce7.jpg 山田朗(明治大学教授)=南京大虐殺肯定派(捏造派) 南京大虐殺は事実! 犠牲者数は、十数万人を下らない! 根拠は、埋葬記録など。 http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20151113042354c64.jpg 秦郁彦(現代史家)=南京大虐殺肯定派(捏造派) 南京大虐殺は事実! 犠牲者数は、4万人! 捕虜殺害が3万人で、民間人殺害が1万人 根拠は、日本陸軍の戦闘詳報に推計を加えた。 支那共産党軍の機関紙 ベイツの東京裁判での証言 http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20151113042418fb2.jpg 藤岡信勝(拓殖大学客員教授) 虐殺事件はなかった。 犠牲者数は0人。 根拠はいろいろある。 一例として、支那国民党は1937年12月1日から1938年10月24日に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったとか捕虜の不法殺害があったとは言わなかった。 記者からも、そのような質問は全く出なかった。 15:15〜 秦郁彦 難民区の中に便衣兵が隠れているという想定で刈り込みをやったが、区別がつかなかった。 そこで結果的に青壮年で兵隊だったかもしれないという、「疑わしきは」ということで皆引っ張り出して、その場で全部殺してしまった。 それから、残ったのは、揚子江に連れて行って、機関銃で殺した。 これが約7000人です。 ですから、その中にどのくらい一般市民が混じっていたかどうかは分からないが、少なくとも参戦者の感触から言えば1割以上はそうだったろうと。 とにかく取り調べをしなくちゃいけないです。 28:00〜 藤岡信勝 上海から南京へ行く途中で殺害や略奪行為があったのは、清野作戦(三光作戦)をやった支那軍の仕業だ。 29:00〜 秦郁彦 逃げる支那軍にそんな余裕はない。 日本側の記録に、支那軍が大規模な清野作戦をやったという記録はありません。 33:00〜 城内の安全区以外の場所に市民は住んでいたか? 38:00〜 秦郁彦 城内の安全区以外の場所にも市民は多数いた。 少し奥には隠れて多数いた。 空っぽなんてことはない。 45:00〜 司会 問題は、便衣兵として殺害された人たちは本当に便衣兵だったかどうか? 民間人が混じっていたのではないのか? 区別ができたかどうか? 藤岡信勝 混じっていたかもしれません。 日焼けの具合とか体格などで、基本的には区別ができる。 ミスは幾つかあったかもしれない。 52:00〜 司会 そうなると、やっぱり沢山の市民の中から、便衣兵を選び出せるかどうか? 藤岡信勝 便衣兵の中から大人しい者かどうかで区別した。 54:00 ティンパーリはスパイ(支那の国民党の工作員かどうか) 55:00〜 司会 山田さん、南京城内に残った人たちの中から、便衣兵を選び出すことが当時可能だったかどうか? 山田朗 それは不可能でしょう。 市民であるか便衣兵であるかといことを何らかの有力な根拠に基づいて分けることはできませんよね、実際。 司会 では、そこには確実に民間人が混ざって、便衣兵という名のもとに、虐殺された可能性があるということですか。 55:45〜 捕虜の扱いについての話 主に、幕府山事件について ━━━━━━━━━━ >15:15〜 >秦郁彦 >難民区の中に便衣兵が隠れているという想定で刈り込みをやったが、区別がつかなかった。 >そこで結果的に青壮年で兵隊だったかもしれないという、「疑わしきは」ということで皆引っ張り出して、その場で全部殺してしまった。 >それから、残ったのは、揚子江に連れて行って、機関銃で殺した。 >これが約7000人です。 >ですから、その中にどのくらい一般市民が混じっていたかどうかは分からないが、少なくとも参戦者の感触から言えば1割以上はそうだったろうと。 >とにかく取り調べをしなくちゃいけないです。 まず、最初に言っておくが、便衣兵(ゲリラ)を発見したら処刑することになっているのは、古今東西の原則(もちろん合法)だ。 戦場においてゲリラ=便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)から狙われるほど恐ろしいものはない。 制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。 敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。 あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。 ゲリラ戦・便衣隊戦術は民間人を戦闘に巻き込む。 便衣兵と判明すれば殺すしかない。 便衣兵を殺さなければ、その後も支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。 安全区内の便衣兵(民間人を装った支那兵)摘出作業は、第十六師団によって慎重かつ正確に行われた。 日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭、鉄帽子の日焼け跡、手の銃ダコ、下着(兵隊服)、市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。 http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20120922123410086.gif 兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。 「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」(詳細記事) ただ、上記のような日本軍による正確な便衣兵摘出作業などについては良く知られておらず、一般男性が処刑されたと勘違いして見ていた人も少なからずいたようだ。 便衣兵摘出作業に参加せずに遠くで見ていただけの日本兵の多くも、便衣兵摘出作業の正確さを知らずに、処刑した男性の中には一般市民も混じっていたと思い込んでしまっていた。 >29:00〜 >秦郁彦 >逃げる支那軍にそんな余裕はない。 >日本側の記録に、支那軍が大規模な清野作戦をやったという記録はありません。 秦郁彦は、本当にレベルが低くて、無知丸出しだ! 支那軍の清野作戦(焦土作戦)に関する記録は、日本軍にも英国などの外国にも山ほど存在している。 なぜ、フジテレビ(BSフジ)が秦郁彦のような無理丸出しの南京大虐殺肯定派(捏造派)を出演させるのは、フジテレビ(BSフジ)が南京大虐殺を肯定(捏造)したいからだとしか考えられない。 ▼清野作戦に関する記録▼ ●清野作戦(焦土作戦) 支那軍は敗走時、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。 上海〜南京、また、南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。 南京戦の前後も、支那軍や盗賊による強奪に伴い殺害も発生した。 ―――― ラーベ 11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。 ―――― 孫元良 やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。 ―――― 第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏 上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。 これは支那軍が退却に際し、方か、破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。 ―――― 第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏 わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。 このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める ―――― 第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏 上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。 部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。 ―――― ミニー・ヴォートリン 12月6日 UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。 12月8日 中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。 ―――― ――――― 片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年) 以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様 「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」347頁 大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る湯山の南の句容の状況 「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。…奴らの残忍性にはあきれます。 農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」349〜350頁 『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著 ――――― 英国の通信社も、蒋介石が清野作戦(焦土戦術)を命令していたことを報じた。
>33:00〜 >城内の安全区以外の場所に市民は住んでいたか? >38:00〜 >秦郁彦 >城内の安全区以外の場所にも市民は多数いた。 >少し奥には隠れて多数いた。 >空っぽなんてことはない。 南京の人口は1937年に支那事変が始まる前には約100万だったが、その後南京市民は南京戦が始まるまでに日本軍占領地の上海などに避難したため、1937年12月13日の南京陥落当時の南京の人口は約20万人だった。 そして、その20万人は、全員が安全区(難民区)に避難していた。 支那軍は、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。 南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。 したがって、まずは、南京城壁の周辺に一般住民は全く居なかった。 次に、南京で戦闘が始まった1937年12月12日の夜、南京に残った約20万人の善良な市民は全て安全区に避難していた。 南京城内の安全区以外は無人だった。 ―――――――――― 12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令 12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令 ―――――――――― 南京市長や支那軍司令長官の命令に逆らって一般市民が危険な場所に残っていた筈がない。 ▼裏付け資料▼
▼南京城内の安全区以外が無人だったことの裏付け▼ ━━━━━━━━━━ Yahoo!掲示板 トップ > 生活と文化 > ニュース、時事問題 > 海外ニュース > 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘 No.8418 安全区内にしか市民がいなかった(市民であって中国兵や負傷兵を看護する従軍看護婦でないことに注意)という説は日本「南京」学会理事の冨澤繁信氏が強く主張しています。 その根拠は冨澤氏の著書『南京事件の核心』(展転社)に詳しく論じられています。 一部抜粋しますと、
一部の虐殺派の人々はラーベ日記に一月中旬、安全区外で5万人の難民が発見されたと記述されていることを以って安全区外無人説を否定する向きもありますが、以下の理由により根拠薄弱です。 1.国際委員会の用意した収容所は全部あわせても5万人程度の収容力しかなく、それ以外の市民についてはその住居を掌握できていた訳ではない。 ラーベが発見した5万人が、安全区から自宅へ帰還しようとしていた人々でないと断定する根拠は無い。 日本軍は1月上旬より市民に自宅への帰還を呼びかけている。 2.また、良民証の発行により、身元の確認された南京市民は城外より城内の元の住居へ帰還が可能となっており、ラーベの発見した5万人が城外より帰還した市民ではないという根拠も無い。
3.国際委員会の主要業務は難民に対する食糧の配給であり、人数分の食料が供給されるよう、日本に対してたびたび苦情を申し立てている。 この配給人数について、良民証発行による人口調査の結果、国際委員会は1月14日の第41号報告で従来の20万人から25万人に上方修正しているが、これ以降、配給対象人数の上方修正は行われていない。 ラーベにより5万人もの難民が発見されたなら、新たに増加供給の要求が無ければ不合理であり、そもそも5万人発見の記録そのものの信憑性が乏しい。 なお、25万人という数字は1/18、1/19、1/22の記録にも見られるので、ラーベに発見されてから直ちに日本軍に殺されたということはあり得ないw ━━━━━━━━━━ >54:00 >ティンパーリはスパイ(支那の国民党の工作員かどうか) 南京虐殺は嘘24 嘘吐きティンパレー(ティンパーリ)1 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3287.html 南京虐殺は嘘25 嘘吐きティンパレー(ティンパーリ)2 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3284.html 南京虐殺は嘘26 嘘吐きティンパレー(ティンパーリ)3 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3282.html 南京虐殺は嘘27 嘘吐きティンパレー(ティンパーリ)4 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3278.html 南京虐殺は嘘31 ベイツとティンパリー、嘘吐き宣伝工作員同士の音信 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3266.html >55:45〜 >捕虜の扱いについての話 >主に幕府山事件について 「幕府山事件」は、大量の捕虜を解放しようとした時、暴動が発生したための合法的な処置であり、虐殺の証拠ではない。 なお、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くうなかった。 「反戦兵士」にする極めて少数の日本兵を除き1人残らず惨殺した。 まさに「皆殺し」だった。 一方、日本軍は、南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護した。 http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Bakufu.html 幕府山事件 まず、幕府山事件とはどのようなものであったのかについて、公式の戦史である戦史叢書の見解を引用します。
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捏造南京事件
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次の資料は抽象的であり、ははなはだ疑問である。
南京攻略戦では攻略直前に敗走の蒋介石の中華民国軍が同胞の中国人を虐殺し逃亡していたということが明らかになっている。
これら大将の発言は虐殺している現場を直接自分の眼で観ていたものではない。
大将クラスは後日南京に入城している。
したがって
既にシナ人の死体が多数、転がっていたという報告は受けていない可能性が大きい。
戦闘行動の上級部隊への状況報告は、分隊から小隊へ、小隊から大隊へと順を経て徐々に要約・統一され手短に成果が報告される。
既にシナ人の死体が多数あったとしても、戦闘行動中の将兵にとって、死体は敵でないので重要事項ではない。
「これは他の小隊がやったのか?」
戦闘実員指揮の小隊長には、死体の処置は戦闘行動中において任務外である。
死体に関心を集中させる余裕もない。
敵ではないという確認ができればよいのである。
疑問点はあいまいなので報告されないのが一般的だ。
報告は極めて重要であるが、受ける大将は「また聞き」の範疇を免れない。
[PDF]コミュニケーションゲーム(情報伝達の困難性)
高級将校にとって、南京を攻略できたことと今後の南京統治で手一杯であったであろう。
また敗走時の中華民国軍が流した「これは日本軍がやった」というデマも流されていた。
現在、親しくなった上海のお年寄りの多くは「あれは蒋介石軍がやったんだ」とこっそり教えてくれるそうだ。
大将クラスの「また聞き」の発言よりも、もし虐殺があったとすれば、戦闘行動を実員指揮した多くの小隊長の発言が重要だ。
この資料の限りでは、虐殺があったか不明であり、
虐殺がなかったかも不明である。
・・・・・・・資 料・・・・・・・
資料:軍人の発言に見る「南京事件」
こちらは、当時の軍幹部が「事件」をどのように認識していたか、という視点の資料紹介です。 どれも掲示板で時々引用される文章ですが、ここでは極力関連部分全体を収録することにより、原文のニュアンスをより正確に伝えるように努めました。 ときどき掲示板では「日本軍の軍紀は世界一厳正だった。従って南京事件はウソ」という趣旨の書き込みを見かけますが、 実際には、当の軍の上層部からして、「軍紀の乱れ」を嘆かざるをえない状況に陥っていたことがわかります。 <目次>
2008.8.10追記 さらに畑は、戦後にこのような回想を残しています。
(2004.7.31記 2008.8.10追記)
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2015/11/07 に公開
◆『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する
パネリスト: 阿羅健一(近現代史研究家) 江崎道朗(評論家) 藤岡信勝(拓殖大学客員教授) 水間政憲(ジャーナリスト) 司会:水島総 ※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。 http://www.ch-sakura.jp/579.html ◆チャンネル桜公式HP http://www.ch-sakura.jp/ 【関係記事】
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記憶遺産意見書:日本、「南京」否定派を引用毎日新聞 2015年11月06日 08時00分(最終更新 11月06日 10時12分)
◇ユネスコ受け入れず 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録された「南京大虐殺」に関する資料に対して日本政府が提出した民間研究者の意見書を疑問視する声が出ている。日本は、登録申請した中国に反論するため、外務省と専門家の意見書をユネスコ側に提出した。しかし、専門家意見書に南京事件否定派とみられている学者の著書が引用されるなどしたため、かえって日本の印象を悪くして逆効果になった恐れがあるという。
意見書は明星大の高橋史朗教授が作成した。ユネスコ日本代表部の佐藤地(くに)大使の意見書などとともに、ユネスコ世界記憶遺産国際諮問委員会に9月末、提出された。
高橋教授は意見書で、中国が一部公開した申請資料を分析。申請資料だけでは「内容の真正性について判断することができない」と指摘した。
意見書は、「約100名の日本兵が『大虐殺』の存在を否定する本を出版している」と記し、南京市にいた中国人女性の日記についても「伝聞情報に依拠した記述ばかり」と記述。さらに、事件自体を否定する主張で知られる亜細亜大の東中野修道教授の著書を引用して、中国が提出した写真の撮影時期に疑問を呈し、「関連性が疑われる」とした。
南京軍事法廷で中国人30万人虐殺の首謀者として死刑になった日本軍中将については、部隊が「南京城内に500メートル入ったところで移動を命じられ、虐殺は物理的に不可能であった」と結論づけた。
欧州と日中韓の歴史認識の比較を研究する静岡県立大の剣持久木教授は「意見書は、南京大虐殺を否定する学派にくみしている印象を与える。ナチスによるユダヤ人虐殺を否定するのと同様の印象を世界に与えかねない」。東京外国語大の渡邊啓貴教授(国際関係論)も「日本に対する印象を悪化させて逆効果になった可能性がある」と懸念する。
一方、高橋教授は「東中野教授に批判があるとしても、引用した研究内容は検証されたものだと評価している」と反論。外務省関係者は「(高橋教授は)保守派の中ではバランスの取れた研究者だ」と話している。
日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」と認めている。2010年の日中歴史共同研究では、日本側は被害者数を20万人を上限に4万人、2万人などと推計。中国側は「30万人以上」と主張した。
馳浩文部科学相は5日、パリで開かれているユネスコ定例総会で演説し、世界記憶遺産審査について「透明性の向上を含む改善を早急に実現する」ために加盟国が議論を進めていく必要があると指摘した。【宮川裕章、パリ賀有勇】
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