71年前の今日、長崎に原子爆弾が投下された。
まずもって民間人を大量に巻き込む、国際法違反の大量虐殺である。
のみならず、壮大な人体実験でもあったのだ。
広島・長崎を併せて論じる場合、残酷な現実を述べねばならない。
広島に投下されたものとは敢えて異なるタイプであり、人を人とも思わぬ所業が行われたのだ、71年前の今日。
先人らは、それを防ぐため、南方での激戦であったり、
あるいや特攻により、もしくは沖縄で、または硫黄島で、
戦った。
主権を守るためである。
現代の日本を見てみる。
先人らがそこまでして守った、我が国の主権。
小笠原の一件、そして北朝鮮の核ミサイル問題、
そして尖閣沖の領海侵犯。
尖閣沖で、小笠原で、もしくは北朝鮮のミサイルで。
食い荒らされているのは、我が国の主権である。
「主権国家・日本」という幻想が、無残にもボロボロに食い荒らされている姿が、皆様には見えるか?
それは、先人たちが、まさに一つしかない命をもって、身命を賭して守ろうとしたものである。
我が国の主権が、犯されていく様、強姦される様を気にもせぬような国民性に、
その悲鳴が聴こえないのだろうか。
昨日、友人の議員と食事をとる際に白洲次郎の話が出た。
本日は、「主権と憲法の、実務面での本質」として、外交に多大な影響を与えている「憲法の英訳」の問題を論じる。
これは憲法改正の手続きを踏まずとも、対応が可能であるはずだと考えている。
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(OGP画像)

我が国の規模より遥かに小さなパラオでさえ
実際に撃ち返している。
パラオ EEZ内の違法操業中国漁船に発砲、射殺
中国メディアによる四月六日までの報道によれば、南太平洋の島国パラオの海上警察は三月三十日、同国のEEZ内で違法操業を行っていた中国漁船に銃撃したという。これにより漁船に乗っていた一人を射殺(船体を狙った誤射)し、五人を逮捕。残された二十人は船に放火し、海に飛び込んだ後、全員逮捕されている。
一方パラオ側は、海上警察とともに出動していた航空機が故障のため燃料切れとなって墜落し、乗員三名が全員行方不明となったらしい。
漁船は警告発砲も無視して操業を続けたという。激しい衝突が発生したと伝えられており、漁船が取り締まりに抵抗し、攻撃を仕掛けたと見られる。
我が国は、領海侵犯を受けてなお、何の対応もできていない。
海外から見るに、我が国には主権がないと宣言しているに等しい。
例えば、パラオは我が国に比較して極めて脆弱な軍備である。
第一列島線が破られ、CHINAが太平洋地域に大きく侵出した場合、恐らくは持たぬだろう。
我が国が「退く」とは、そのような意味を持つ。
我が国は、撃てない。
しかし、できない。
私はこれが悔しい。
我が国の政治家として、撃てと言えぬことが悔しい。
個人としては、あんなものはさっさと撃ってしまえ!である。
ただ、これを怒鳴って終わっては政治家としての責務を放棄したことと同義だ。
できない理由。
なぜ「できない」と述べたのか。
その理由と原因を論じて行こう。
「我が国には、主権がない。」
ここに帰結する。
これを政治家が語ることには問題があると思うが、煽りではなく「この観点」での議論の場がある。
ご存じの方もいるだろう。
英文の憲法を皆様はご存じだろうか。
これでピンと来た方もいるだろう。
より正確に言おう。
「我が国には、戦争に関しての主権がない。」
我が国の主権は、海外に発信できるのか。
今日は
「我が国に主権はあるか否か」というテーマで論じる。
主権には様々な要素があるが、戦争に関しての主権がどうなっているのか、だ。
「海外に対し」日本は主権を持つ!と強く出れない理由を論じたい。
保守議員としてこのテーマは本当に頭にくるのだが、どうぞお付き合い願いたい。
憲法九条が取沙汰されるが、保守は憲法をちゃんと読み込んでいるのか。
論じる前に学ぶべき。私も不勉強な部分があるので共に勉強していきたい。
最大のガンは、憲法の英語版の存在だ。
ご存じの方も多いとは思うが、お付き合いお願いします。
<日本国憲法 第2章 戦争の放棄 〜 第九条>
まず日本語版から書く。
第2章 戦争の放棄
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国除紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これがいわゆる憲法九条である。
前項の目的を〜以降を、九条第二項と呼ぶ。
<英語版の重要性>
当然のことだが、敢えて書いておきたい。
世界の標準語は、残念ながら日本語ではない。
よって英語で書かれたものを「海外の国々は主としている。」のだ。
書くほどのことではないのだが、この観点を持って読み進めて頂きたい。
問題の本質がわかるはずだ。
<憲法九条 英語版>
次に、英語版を見る。
今回、重視したのはこちらだ。
Article 9.Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever
renounce war as
a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
重視したいのは、sovereignである。
他はこの際どうでもいい。
sovereignの意味も下記にまとめたが、
「a sovereign state」とは「独立国」や「主権国家」と訳す。
これだけで十分ではないだろうか。
(単語の解説になります。読まれる方はクリックしてください。)
sovereignの意味
【名詞】【可算名詞】
1主権者,元首,君主,国王.
2《主に英国で用いられる》 ソブリン 《1 ポンド金貨; 現在は使用されていない; 略 SOV.》.
【形容詞】
1 a主権を有する,君主である.
用例 sovereign authority 主権.
b〈国が〉独立の,自治の.
用例 a sovereign state 独立国,主権国家.
では、a sovereign right of the nationをどう訳すか。
これは「国家主権」としか読めないのだが、いかがだろうか。
我が国は、戦争に関しては「国家主権」としてrenounce(renunciation)しているのである。
この単語は、皆様ご存じの通りだ、「(公に)放棄する。」である。
つまり、我が国は「戦争に関して」「国家主権として公に放棄する。」とデカデカと書いているのである。
これが日本語訳になるとどうなるか。
「国権の発動たる戦争と、〜 永久にこれを放棄する。」となる。
なるほど、うまい訳語だ。
a sovereign right of the nationにしても、特殊な言葉ではない。
本来なら日本語訳にも「国家主権」という言葉を明記した上で「戦争を放棄」と書いてやったほうがよかった。
上手な訳語ゆえ、本当に苦心して作ってくださったのだろう、しかし結果的に物事の本質をぼかすこととなった。上手な訳語と書いたのは、経緯から言えば「占領憲法であるゆえ英語が主」でもあるためだ。
九条問題を語る際、
保守も論点がズレているように思う。
では本質はどこか。
日本語訳をどのように見るか、ではない。
この英語版の憲法を見て
「海外の国家がどう思うか」だ。
これこそが、主権と憲法の、実務面での本質に他ならない。
戦争に関しては、「a sovereign right of the nation として放棄する、」
こんな文章がデカデカと書かれている憲法を、海外がどう見るかである。
私は「国権の発動」等と誤魔化し(もしくは誇りを傷つけぬよう上手に訳し)たことが、やはり気にくわない。
外交手段としては最終手段であるが、「戦争というフロー」に関しては「国家主権」として放棄すること、これをデカデカと書いていることには強い拒否反応がある。
私は、憲法九条を改正すべきだ、という立場にある。
ここには同意して頂ける方が多いのではないか。
しかし厳密に言えば、スタンスは微妙に異なるように思う。
外交の手段を広げるためであり、我が国が国家として確かにそこに在るためだ。
抽象論ではなく、具体的に、だ。
かつての小笠原、いまの尖閣沖は、我が国の有り様を国民が知るよい一例だろう。
当方の主張から言えば「まず英語版のメンテ」だけでも先行させたい。
日本国憲法ゆえ「日本語は触らずに」(つまり憲法を改正せずとも)
「英語版の訳語」を変える道はないのか。
少なくとも「a sovereign right of the nation」は別の言葉に変えるべきだ。
占領憲法という性格を考えれば(日本語→英語)ではなく(英語→日本語)の部分もあるであろう。
しかし日本国憲法である以上、「日本語は触らず」英語だけでもさっさと変えれぬものか。
私はこれが許せない。
食い荒らされているのは、我が国の主権である。
「主権国家・日本」という幻想が、無残にもボロボロに食い荒らされている姿が、皆様には見えるか?
それは、先人たちが、まさに一つしかない命をもって、身命を賭して守ろうとしたものである。
実弾射撃演習なり、ミサイル撃ち込んで一隻二隻、沈めるなり。
「やっておしまい!」と叫びたい立場だが
「a sovereign right of the nationを放棄してます!」と英語で宣伝しながら言うのは、ちょっと無理がある。
憲法は、我が国の国内の話、内政の問題である。
政治家とは内政にいくばの職権を持つ。地方議員なので本当に少しだが、ないことはない。(はずだ!)
政治家として「a sovereign right of the nationを放棄してます!」と言いつつ
「よし、やれ!」とは言いづらい。
先に削除して来いと言われるのが落ちだ。
以下は、小笠原の件の際のコメント
(前略)
「政府や人民解放軍の関与がなければこれほどの大船団は集まらない。中国政府は『取り締まりを強化する』と言っているが、実効的な措置が取られるとは思えない。中国側に何らかの意図があって日本に揺さぶりをかけてきているとみるのが自然だ」
一色氏は、尖閣の衝突ビデオを国民に暴露してくださった方だ。
情報公開が叫ばれ、メディアは報道の自由などとのたまい
サヨクは言論の自由を掲げているが、なぜか一色氏は「元海上保安官」になってしまった。
国民の知る権利を公務員がサポートしてくれたわけだが、(法的な部分は理解もするが)私には解せぬ。
一色氏の指摘のように、この大船団は「中国政府の意向」を感じる。
燃料だってタダではない、そこまで来る燃料の調達費用、つまり事前準備に要する金額だ。
船だってタダではないし、外洋を航行できる船舶がいくらすると思っているのだ。
こんなものを数百隻単位で手配できるのは、特に中国においては国家のみだ。
あの船団は、CHINAの国家的な意思だ。
国家の意思をもって領海をあのような形で侵犯する行為は、
すでに挑発とか恫喝のレベルではない。
戦争に至る直前とも言え、
そして、我が国の主権国家としての姿が蹂躙されているのだ。
ゆえに、私は撃つべきだと述べている。
これが「威力偵察の類」であり、さらなる混乱の序章であることが容易に想定できるからだ。
尖閣で中途半端な対応を民主党政権がとったことに大きな責任があるが、これは範囲・余波を含めてもより大きな問題に発展していくだろう。
影響範囲を極小化し、双方の被害を低減せしめる策。
それは毅然とした態度であり、この場合は「発射!」に他ならない。
それができぬ理由の一つとして、憲法・英語版の問題は避けては通れない。
抽象論や面子の問題ではなく、具体的に、実務面で大きな問題があるのだ。
国際的な共有の認識が、どうなっているか。
これを考えて頂ければ、答えはわかるだろう。
小笠原で、そしていまの尖閣沖で。
食い荒らされているのは、我が国の主権である。
「主権国家・日本」という幻想が、無残にもボロボロに食い荒らされている姿が、皆様には見えるか?
それは、先人たちが、まさに一つしかない命をもって、身命を賭して守ろうとしたものである。
憲法英訳版の問題は、影響大なりと思った方は、
そしてせめて「英訳版のメンテだけでも先行」させれぬか?と思った方は、
かつて先人が命を賭して守った日本の主権が犯される姿、その悲鳴が聴こえる方は、
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