|
映像がとても残虐に満ちたモノですが
歴史の現実を直視していただくために投稿致しました
|
「通州事件」に見る支那人の残虐性
-
詳細
|
【シナチス】南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは?
(一つ目)【必見!】通州事件で反日左翼を論破できるぞ♪【歓喜♪】 (二つ目)【シナチス】南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは? *二つ目の動画は、歴史的資料ですが、 グロテスクな写真が出てきますのでご注意下さい 。
(参考 通州事件 ウィキペディア(マピオン大百科) ) http://pedia.mapion.co.jp/art/%E9%80%... 通州事件(つうしゅうじけん)とは、 1937年(昭和12年)7月29日に発生した事 件の事。
「冀東防共自治政府」保安隊(支那人部隊)が
日本軍部隊・特務機関及び日本 人居留民を襲撃し、
日本人260人を虐殺した事件を指す
日本人虐殺
7月29日、千数百人の冀東防共自治政府保安隊(支那人部隊)が、 華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む 日本人居留民約380名を襲撃し、260名が惨殺された。 これにより通州特務機関は全滅。 また、当時大使館付陸軍武官補佐官であった今井武夫は、 「尤もこれは単に通州だけに突発した事件ではなく、 かねて冀察第二十九軍軍長宋哲元の命令に基づき、 華北各地の保安隊が殆ど全部、29日午前2時を期して、 一斉に蜂起し、日本側を攻撃したものである」と述べている。 生存者の証言・記述 九死に一生を得た日本人女性の発言 「日本人は殆ど殺されているでしょう。 昔シベリアの尼港事件も丁度このような 恐ろしさであったろうと思います。」。 吉林生まれで5歳時に河北省の通県で 一家の父母と妹が虐殺された者が、 支那人看護婦により自分の子であると庇われ、 九死に一生を得て日本に帰還した。 父は医院を開業していたが、 保安隊が襲う直前に遺書を書き 支那人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという。 影響等 日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況 (強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、 テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、 斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、 針金で鼻輪を通された子供等)が 同盟通信を通じて日本全国に報道されると、 日本の対支感情は著しく悪化した。 これは、既に7月7日生じた後 現地で解決されていた日本軍と国民党の武力衝突につき、 感情論に任せたなし崩し的戦線拡大を招いた。 近年ではこの事件に対する報道は日中両国で皆無である。 支那政府公式対外宣伝刊行物の 『南京大虐殺写真集』の目次では 『盧溝橋にて「北支事変」勃発、日本は華北を侵略する。 日本軍は第二次上海事変を起こし、上海へ出兵する。』 と述べており、この事件については一切触れられていない。 [参考書籍] ¥1,575
この通州事件は日本人は忘れてはならない事件です。
教科書に絶対に載せないと。 南京大虐殺は、捏造された事も。 そして、この動画を英語、支那語に翻訳し 世界中に拡散したいです。 |
|
通州事件 後編
──────── ※昨日からの続き 昨日の文中にある旭軒での出来事を、 まるごと目撃したSさんという女性の体験談があります。 この女性は支那人の妻となっていて事件に遭遇しました。 支那人と思われていた為、被害には遭わなかったのですが、 事件の惨たらしい様子を逐一見る羽目になったのです。 〜〜〜〜〜〜 旭軒という食堂と遊郭を一緒にやっている店の近くまで行った時です。 日本の女の人が二人保安隊の兵隊に連れられて出て来ました。 二人とも真っ青な顔色でした。 一人の女の人は前がはだけておりました。 この女の人が何をされたのか 私もそうした商売をしておったのでよくわかるのです。 しかも相当に乱暴に扱われたという事は 前がはだけている姿でよくわかったのです。 可哀想になあとは思ってもどうする事も出来ません。 どうしてやることも出来ないのです。 言葉すらかけてやる事が出来ないのです。 二人の女の人のうちの一人は相当頑強に抵抗したのでしょう。 頬っぺたが酷く腫れあがっているのです。 いやその一部からは出血さえしております。 髪はバラバラに乱れているのです。 とてもまともには見られないような可哀想な姿です。 その二人の女の人を引っ張って来た保安隊の兵隊は、 頬っぺたの腫れあがっている女の人をそこに立たせたかと思うと ているものを銃剣で前の方をパッと切り開いたのです。 女の人は本能的に手で前を押さえようとすると、 いきなりその手を銃剣で斬りつけました。 左の手が肘の所からばっさり切り落とされたのです。 しかしこの女の人はワーンともギャーッとも言わなかったのです。 只かすかにウーンと唸った様に聞こえました。 そしてそこにバッタリ倒れたのです。 すると保安隊の兵隊がこの女の人を引きずるようにして立たせました。 そして銃剣で胸のあたりを力一杯突き刺したのです。 この女の人はその場に崩れ落ちるように倒れました。 すると倒れた女の人の腹を又銃剣で突き刺すのです。 私は思わず「やめてー」と叫びそうになりました。 その私をTさんがしっかり抱きとめて 「駄目、駄目」と耳元で申すのです。 私は怒りと怖さで体中が張り裂けんばかりでした。 そのうちにこの女の人を五回か六回か突き刺した兵隊が もう一人の女の人を見てニヤリと笑いました。 そしていきなりみんなが見ている前で この女の人の着ているものを剥ぎ取ってしまったのです。 そしてその場に押し倒したかと思うと みんなの見ている前で陵辱をはじめたのです。 人間の行為という物は もっと神聖でなくてはならないと私は思っています。 それが女の人を保安隊の兵隊が犯している姿を見ると、 何といやらしい、 そして何と汚らわしいものかと思わずにはおられませんでした。 一人の兵隊が終わるともう一人の兵隊がこの女の人を犯すのです。 そして三人程の兵隊が終わると次に学生が襲いかかるのです。 何人もの男達が野獣以上に汚らわしい行為を続けているのです。 私はTさんに抱きかかえられながら その姿を遠い夢の中の出来事のような思いで見続けておりました。 それが支那の悪獣どもが充分満足したのでしょう。 何人か寄って色々話しているようでしたが、 しばらくすると一人の兵隊が 銃をかまえてこの女の人を撃とうとしたのです。 さすがに見ていた多くの支那人達が ウォーという唸るような声を出しました。 この多くの支那人の唸りに恐れたのか兵隊二人と学生一人で この女の人を引きずるように旭軒の中に連れ去りました。 そしてしばらくするとギャーという女の悲鳴が聞こえて来たのです。 恐らくは連れて行った兵隊と学生で 用済みになったこの日本の女の人を殺したものと思われます。 〜〜〜〜〜〜 実に悪鬼も目をそむける酷たらしい所業です。 これら、頭部切り落とし、眼球えぐり、胸腹部断ち割り、 内臓引き出し、陰部突刺などは、 シナ人特有の日清戦争以来の、お決まりの惨殺パターンです。 死体であっても強姦する。 この襲撃を実施した張慶餘と張硯田が率いる保安隊は、 襲撃対象の日本人居宅を、 あらかじめリストアップまでしていたといいます。 用意周到な計画的犯行だったのです。 そして彼らは日本人の民家を次々と襲撃し、財産を横領強奪し、 片っ端から日本人を殺戮し、婦女への凌辱を重ねました。 逃げ遅れた日本人は手足を縛られ鼻や喉を針金で突き通され、 ひきずられ、二ヶ所に集められた上で射殺されています。 通州で、こうした殺戮、虐殺、強姦、略奪は、まる一日続けられました。 急報を受けた日本軍守備隊がやってきた時、 何とか生き残ったのは、わずか百二十人だけでした。 生き残った人は、トイレの肥だめの中にもぐって難を逃れた者、 銃撃を受けて気を失い、重傷で扶けられた者、 両手の真ん中に太い針金を通して手を縛られ、 今にも殺される寸前だった者、どの者も、まさに悲惨そのものでした。 この事件の最中、 一つ、涙なくしては語れない物語が、記録されています。 ある日本人が、便槽に隠れていると、 外で日本人の男性の声がしたのだそうです。 その声は、日本語でこう怒鳴っていた。 「日本人は隠れろ!! 日本人は誰も出てくるな!!日本人は逃げろ〜〜っ!」 それは、必死の叫び声だったそうです。 そしてズドンという銃声。声は聞こえなくなりました。 言えるのは、支那兵に引きずられながら、 その日本人男性は、自分が殺される最後の瞬間まで、 自分が助かる事ではなく、他の日本人の心配をしていたという事です。 ですから「助けてくれ!」ではなく、 「日本人は逃げろ〜!」だったのです。 事件の日の夕方、前日まで通州に駐屯していた萱島無敵連隊が、 事件を知り、通州に急行しました。 日本軍の本体が帰って来ると知った 張慶餘と張硯田率いる支那人保安隊は、 慌てて便衣服に着替えて民間人を装い、北京方面に逃亡しています。 そしてこれだけの大虐殺を行なった張慶餘と張硯田は、 その後も戦争中を生き延びました。 とくに張慶餘は中国共産党人民解放軍の中将にまで出世し、 昭和六十一年には革命の英雄として 嘘だらけの回想録まで出版しています。 通州事件は、まぎれもない史実です。 その酸鼻な姿から、 当時世界中で新聞報道され、人々に衝撃を与えました。 この事件は南京大虐殺事件の様に、 後年になって捏造されたデタラメと異なり、 実際に起こり、実際に日本人が被害に遭った大変な事件です。 事件を目撃したSさんは、 次の様な体験も書き遺しておいでになります。 〜〜〜〜〜〜 旭軒と近水槽の間にある松山槽の近くまで来た時です。 一人のお婆さんがよろけるように逃げて来ております。 するとこのお婆さんを追っかけてきた学生の一人が 青竜刀を振りかざしたかと思うと いきなりこのお婆さんに斬りかかって来たのです。 お婆さんは懸命に逃げようとしていたので 頭に斬りつける事が出来ず、 左の腕が肩近くの所からポロリと切り落とされました。 お婆さんは仰向けに倒れました。 学生はこのお婆さんの腹と胸とを 一刺しづつ突いてそこを立ち去りました。 誰も見ていません。 私とTさんとこのお婆さんだけだったので、 私がこのお婆さんの所に行って 額にそっと手を当てるとお婆さんがそっと目を開きました。 そして、「くやしい」と申すのです。 「かたきをとって」とも言うのです。 私は何も言葉は出さずにお婆さんの額に手を当ててやっておりました。 「いちぞう、いちぞう」と人の名を呼びます。 きっと息子さんかお孫さんに違いありません。 私は何もしてやれないので 只黙って額に手を当ててやっているばかりでした。 するとこのお婆さんが「なんまんだぶ」と一声お念仏を称えたのです。 そして息が止まったのです。 〜〜〜〜〜〜 被害に遭われた方々の悔しさ、口惜しさ、 そして仇をとってもらいたいと思う気持ち、痛いほどわかります。 けれど戦後の私達は、 こうした通州事件のような凄惨な事件の事実から目を背け、 今では殆どの人がこの事件について知らない状況になっています。 そして今、昭和十一?二年当時の通州市と、 殆ど同じような世相に、今の日本はなっています。 歴史は繰り返すといいますが、 決して二度と繰り返してはならない歴史もあります。 私達は二度とこうした悲惨な眼に遭わない為に、 日頃から襟を正して万全の備えを築いていかなければならない。 私はそう思います。 皆様には、関連記事の「通州事件の惨劇 Sさんの体験談」を ご一読される事を是非、お勧めします。 これが事実なのです。
大昔の出来事じゃないか、などと気楽に済ます事はできません。 これと同じ惨劇が、チベット、ウイグルで行なわれ、 チベットは人口600万人のうち150万人が殺害されました。 ウイグルでは、今もその悲劇が続き、 近くは法輪功の学習者達が、同様の迫害を受けています。 そしてもし、沖縄が支那に制圧されれば、 これと同じ事が、今度は沖縄県民の身に起きる。 更に日本全土が、このまま支那の支配下に置かれる事態が進めば、 75年前に起こった通州事件は、 そのまま明日の日本に起こる出来事となるのです。 通州では、日本軍がやってきて、 保安隊や支那、朝鮮人達を蹴散らしました。 けれど、明日の日本では、 一体誰が支那人や朝鮮人たちを蹴散らしてくれるのでしょうか。 一体誰が蹴散らしてくれるのでしょうか。 一体誰が。 日心会メルマガより 一刻も早く政権交代をして、 憲法第9条を破棄、又は改正する総理が必要です。 その為には、安倍氏しか日本を救えないのです。 |
|
通州事件(1/2)
──────── 昨今、支那の反日蛮行がだいぶ伝えられるようになりましたが、 私達は支那人という民族が、 彼らの言う「愛国無罪」という状態になった時、 どういう事が行われる事になるのか、 きちんと知っておく必要があると思います。 中でも今回ご紹介する「通州事件」は、 ある意味、支那事変、大東亜戦争への入り口となった大事件であり、 戦前には、日本人の常識となっていた有名な事件でありながら、 戦後は全く封印され、知る人自体が少なくなっている大変な事件です。 そこで今日明日の二回にわたり、 「通州事件」について、その概略をみてみたいと思います。 事件は、75年前の7月29日に起こりました。 場所は北京から東に十八キロほど下った通州という街です。 通州は、明朝時代に城壁が築かれた街で、 天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街です。 ここは当時の支那にあっては、大変治安の良い街でした。 なぜならその小さな街に、日本軍が駐屯していたからです。 規律正しく公正な日本軍は、当時の支那にあって、 どこの街でも庶民から歓迎されていたのです。 ところが、治安の良いはずのその通州で、 昭和十一(1936)年頃から不穏な空気が漂いはじめたのです。 最初に騒ぎはじめたのが朝鮮人達でした。 なぜか盛んに日本の悪口や、 日本人の悪口を言いふらすようになったのです。 彼ら朝鮮人はしきりに 「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」、 そして「今度は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと 根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴しはじめました。 悪口はだんだんにエスカレートしました。 昭和十二年頃になると「日本軍と日本人を追い出さなければならない。 いや日本人は皆殺しにしなければなない」等と 言い出すようにまでなってきたのです。 そうした情報はもちろん現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入りました。 けれど、現地の日本軍は 「そのような根も葉もない噂など相手にする必要はない」と、 まるで問題にしませんでした。 日本人は物事を客観的に捕らえようとします。 これは日本人にとっては、ごく「あたりまえ」の事です。 けれどそれは、日本人の良い面であると同時に、 極端に悪い面といえるかもしれません。 どういう事かというと、無教養で粗暴な朝鮮達にとっては、 「事実はまるで関係ない」からです。 逆に根も葉もないデタラメだから、余計に興奮し感情的になる。 それが昔から変わらぬ朝鮮人の性質です。 実際には、そうした噂話を広めたのは、 支那人の工作員だったと言われています。 そして根も葉もない事で簡単に興奮し熱くなり、 燃え上がり、舞い上がるのは、古来変わらぬ朝鮮人の特徴です。 支那の工作員にとっては、これほど利用しやすい馬鹿民族はいない。 事件は昭和12年7月29日の午前3時に起こりました。 突然通州にいた冀東防共自治政府の保安隊 (「張慶餘」が率いる第一総隊と「張硯田」が率いる第二教導総隊) 合わせて三千人が、通州にいた日本軍を襲撃したのです。 この時、通州にいた日本人は僅か380名です。 このうち軍関係者(男)は110名。 残りは全員が婦女子です。 不意をつかれた日本兵は、それでも獅子奮迅の防戦をしました。 けれど3000名対110名では勝負になりません。 襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡してしまいます。 そして日本の兵隊さん達が、必死で防戦をしている間に、 支那人の学生や朝鮮人の若者達が、日本人の居留区を襲撃したのです。 そして日本人居留民260名を、一夜のうちに極めて残虐な方法で殺害しました。 虐殺現場を目撃した萱島高氏が東京裁判で行なった証言です。 〜〜〜〜〜〜 旭軒(飲食店)では40から17〜8歳までの女7、8名が皆強姦され、 裸体で陰部を露出したまま射殺されており、 その中の4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。 商館や役所に残された日本人男子の死体は 殆ど全てが首に縄をつけて引き回した跡があり、 血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。 〜〜〜〜〜〜 通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述です。 〜〜〜〜〜〜 近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。 足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。 本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、 上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。 陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。 帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、 略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの死体があり、 全部もがいて死んだようだった。
折り重なって死んでいたが、一名だけは局部を露出し上向きになっていた。 帳場配膳室では男一人、女二人が横倒れ、 或いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、 男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。 女二人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。 階下座敷に女の死体二つ、素っ裸で殺され、 局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。
一年前に行ったことのあるカフェーでは、 縄で絞殺された素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。 子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。 南城門近くの日本人商店では、 主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、 胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。 〜〜〜〜〜〜 この近水楼を襲撃したのは武装した黒服の学生団と保安隊です。 彼らは女中数名を惨殺、残る十数名の男女従業員・宿泊客に対して 金品を強奪した後、全員を麻縄で数珠つなぎにして 銃殺場に引き出し、処刑したのです。 支那駐屯歩兵第2連隊小隊長桜井文雄証人です。 〜〜〜〜〜〜 守備隊の東門を出ると、 殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、 一同悲憤の極みに達した。
「日本人はいないか?」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、 鼻に牛の如く針金を通された子供や、 片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が そこここのゴミばこの中や壕の中から続々出てきた。 ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。 婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されており、 全く見るに忍びなかった。 旭軒では七、八名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、 陰部にほうきを押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、 腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。 東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、 一家6人数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。 池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した。 〜〜〜〜〜〜 この桜井小隊長は、事件後に現地に調査に入った人なのですが、 文中にある旭軒での出来事を、 まるごと目撃したSさんという女性の体験談もあります。 この女性は支那人の妻となっていて事件に遭遇しました。 支那人と思われていた為、被害には遭わなかったのですが、 事件の惨たらしい様子を逐一見る羽目になったのです。 ※明日のメルマガに続く 日心会メルマガより |


