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大阪府で「大阪維新の会」が君が代斉唱時に教職員に起立・斉唱を義務付ける条例案を府議会に提案したことが話題になっています。
知事が代表を務める会派が過半数を占めているという二元代表制を無視した状況にも物申したいところですが、今回は置いておきましょう。
国旗・国家には敬意を表すべきとの知事の考えには賛同いたします。
当然ながら、他国の国旗・国家にも敬意を表すべきで、そのことを子供達に教えていくには、先ずは自国の国旗・国家に敬意を表すことをしっかりと教育することが大切だと思っています。
世界平和や他国との友好には欠かせないことです。
しかし、条例を制定し、わざわざ学校の先生にこんなことを強制しなくてはならないとは嘆かわしいこと。
実は、私はこういった言わば当たり前のことを、条例で縛ることに少し疑問を感じています。
私は公私含めて入学式や卒業式に出席した際に、国家斉唱時に起立しない教師を見たことがないので、防府市ではそんな例は無いと思っているのですが、他県では酷い状況があるのも事実ようです。
そのような状況であれば、条例で縛ることも必要なのかもしれませんが、それ以前に採用基準や研修を改善すべきではないでしょうか。
ただただお勉強が出来る人を採用してはいないか。
また、正式採用前にしっかりと仮採用のような期間を設けてはどうか。
国旗・国家の意義、公務員としての心の在り様、我が国や地域の歴史・伝統・文化を大切にする心・・・1年くらいかけてしっかりと研修を行い、正式採用してはどうか。
「取り締まり」も云々の前に、自国の国旗・国家に敬意をはらえない人間が公務員であること自体がおかしいと思うのです。
そんな考え方の人間を(少なくとも公立の)学校の教師や公務員にしてはならない。
百歩譲って「内心の自由」を認めたとしても、他の大勢が敬意を表している物に対し、その眼前で平気で不敬な態度を取るというのは、思いやりに欠ける行為です。
そんな人間に子供達の教育に関わって欲しくない。
教師の不祥事も後を絶ちません。
指導力不足も叫ばれています。
倫理観や道徳観を高める、また、指導力を高めるための研修も含め、正式採用前の研修制度導入を求めます。
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第二次大戦中、国旗・天皇陛下の御影に拝礼することを強制されたり、君が代斉唱をさせられたり、挙句の果てに戦争に負けたので、国旗・国歌に有り難味を感じられない国民も多かったが、その雰囲気の名残りがあるのと、もう1つは、国家を超越して万国の労働者の団結を訴えた共産イデオロギーの死に損ないってとこだろうな。
不敬な態度をとるといっても、起立しないってことぐらいであって、大声を出して騒ぐとかってことじゃないだろうが、ま、皆が起立してる中で数名、しかも教員が、着席してるんじゃ、目立つわな。
2011/5/31(火) 午後 10:24 [ 香久山 ]
(続き)
良心云々の問題もあるが、それ以前に、校長からしたら、教員が公然と指示に従わない態度をとってくれては学校運営に支障が生じるのが問題だ。会社だって、社長訓示のときに皆起立してるのに、数人の社員がふてぶてしく着席してたら、即、左遷だ。何度も繰り返せば、クビだろうて。それが、組織運営というものだ。
良心の自由などとかっこよく問題にされるが、実際は、教職員組合と校長・教育委員会の権力闘争の面が強いのが現実だ。
学校の教員は昔と違って、子どもの躾までやらされてるので、とても忙しくなってる。教員はもともと学問を教えるのが仕事で、躾は親や地域の仕事なのに、子どもの非行やいじめの問題まで教員が責任を問われるという、まったくおかしなことになってる。教員がそんな仕事までしなくてはならないのは、校長や教育委員会が、議員や保護者を怖がって、教員を守ってやらないからだ。
そんな問題が背景にあって、校長のいうことなんか聞いてられっかという教員も出てくるわけだ。
2011/5/31(火) 午後 10:27 [ 香久山 ]
(続き)
これは、最近の保護者、つまり有権者がマスコミや議員や首長に甘やかされて、躾まで教員の仕事だと勘違いしてるからだ。まったく、最近の親はバカになったものだ。自分の子どもの躾を教員に任せっきりにして、よく平気なもんだ。そんなことだから、子どもの出来が悪くなるのだ。だってそうだろう、学問を教えるはずの教員が、子どもの躾にかかりっきりになって、肝心の学問を教える時間があまりないってんだから。なんというバカな親どもだ。
2011/5/31(火) 午後 10:31 [ 香久山 ]
我が国の序列体制の美しさは、教育勅語の中で語られている。
我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそわが国体の誉れであり、教育の根源もまたその中にあります。
(我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス: ワがシンミン ヨくチュウに ヨくコウに オクチョウココロをイツにして ヨヨソのビをナせるは コれワがコクタイのセイカにして キョウイクのエンゲン マタジツにココにソンす )
忠: 主君に専心つくそうとするまごころ。
孝: よく父母に仕える。父母を大切にする。
国体: 主権のありかたにより区別される国家の形態
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
2011/6/1(水) 午前 9:16 [ nog*1*391j* ]
>※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。
やれやれ、事前検閲か〜。このブログともそろそろお別れだな。
周知のように、「表現の自由」を保障するためにいくつか派生的なルールがある。その一つに「事前検閲の禁止」というルールがある。どんな書き込みであれ、一度は公の場に出させて、それがワイセツ罪や名誉棄損罪に当たれば事後的に刑事罰を課することとすべきであって、公の場に出す前に事前に当局がワイセツ罪や名誉棄損罪に当たるかどうかを検閲して、当たらないと判断された場合だけ公表を許すというようないわゆる「事前検閲」をやってはならない、というルールだ。
2011/6/1(水) 午後 2:44 [ sky ]
〜続き〜
これは、考えてみれば当然のルールだ。というのは、事前検閲を認めると、権力者に不都合な書き込みも「名誉棄損」に当たるとか「公務執行妨害罪」に当たるなどと手前勝手な判断で、公表禁止にできるからだ。そんなことを許してたら「表現の自由」は死んでしまう。
ところが、一たん公表した後で、事後的に名誉棄損や公務執行妨害に当たるかどうかを審査する方式だと、一度は公の目に触れているから、本当に名誉棄損や公務執行妨害に当たるかどうかを、一般人も自ら判断できる。権力者が名誉棄損だ・公務執行妨害だと主張しても、一般人が、いやいやそんなことはないだろう、というような議論や判断ができる。それこそ民主主義というものだ。
2011/6/1(水) 午後 2:46 [ sky ]
〜続き〜
ということで、事前検閲は望ましくない。ところが伊藤氏は、従来は事後検閲だったが、とうとう事前検閲を始めてしまった。たぶん有力な支持者か誰かから、コメントの中には伊藤氏に不利なものもあるし、防府市民をバカ・アホ呼ばわりするものもあって、決して伊藤氏のためにならないから、事前検閲をした方がよいというアドバイスを受けたのだろう。
伊藤氏がそれを受け入れたのはまったく残念なことだ。伊藤氏も、だんだん普通の大人になってきたということだろう。かく言う俺も、匿名を利用し、しかも他人のブログでコメントを書きまくっているわけで、伊藤氏を批判できるような立場ではないが、いずれにしても、もはや以前のように自由闊達に書ける雰囲気ではなくなったので、書く気が失せてきてるのは事実。
たぶん、このコメントも伊藤氏の事前検閲を受けて、伊藤氏に不利ということで削除され、一般市民の目に触れることはあるまい。書いてるときにそんな予感がする以上、書く気が萎えるってことよ。
2011/6/1(水) 午後 2:48 [ sky ]
大賛成ですね。 今の教師の採用基準がいかようなものかは分りませんが、単に大卒で教鞭資格を持っていればよいというものではないはずです。
大きく見れば人間そのものの育成携わる教師はとてつもなく重大な仕事であると思います。
そこにどういった人間を採用するかは、国の未来を左右する問題でもあるはずです。
公務員改革が叫ばれるようになって久しいですが、いっこうになにかが具体的に変わったとはとても思えません。民間ではどんどん大切なものを見直す動きが出ています。
ぜひ、公務員改革の中核として、採用基準の改革にも取り組んでい欲しいと思います。もちろん、私のような個人を含めて、民間企業は既に政治家の動向をあてにはしていません。しかし、全体の舵取りを行うことこそ政治家の宿命であり使命であるのですから、ぜひ龍馬プロジェクトの推進をはかるとともに、今述べられている意見も進めていって欲しいと願っています!
2011/6/1(水) 午後 3:12 [ Sote7_7 ]
教員は人間を育てるのが役目などと、神様みたいな役目を背負わされてしまってるが、それが保護者つまり有権者の甘えや愚かさでなければ幸いだ。
躾や行儀や常識を育む役目は親兄弟姉妹や地域社会が担うべきだ。教員は基本的には知育だけを担うべきだ。徳育や体育については、保護者が主役で、教員は補助役であるべきだ。ごくまれに非常に優れた教員がいて、その人格が生徒に有益な効果を及ぼすこともあるが、そんな優れた先生にたまたま出会うことができたら異例の幸運と思うべきだ。
2011/6/2(木) 午後 10:49 [ 香久山 ]
〜続き〜
そこを間違えると、教育がおかしくなる。昔の親は賢かった。子供が学校で先生や友達に迷惑をかけると、自分の子供をひっぱたいて学校まで連れて行って、教員や友達に謝らせたものだ。
ところが、最近の保護者ときたら、教員がちゃんと子供の躾をしてないとPTAで罵ったり、市議や県議に不満をぶちまけて教育委員会や校長を脅しあげたりと、バカの限りを尽してる。そんなことをして子供が立派に育つとでも思ってるのか? 教員が学問に加えて躾や行儀まで子どもに教えられるようになるとでも思っているのか?
教員が保護者の役目まで担うようなそんな神様みたいなことができるはずがない。教員は、子供の躾や行儀を良くさせるのに精いっぱいになって、学問を教えるところまで手が回らなくなるだけだ。で、とどのつまり、子供が勉強できなくなる。「親のバカが子に報い」ってことになるわけだ。
2011/6/2(木) 午後 10:52 [ 香久山 ]
〜続き〜
こんな愚かな光景が日本全国で見られる。世界学力テストで日本の子供たちの成績が下がりっぱなしなのも当然だ。こんな単純なことが分からない保護者や議員やマスコミ記者連中がごまんといる。なんとも愚かなことだ。
民主主義は古代ギリシャに発するが、その古代ギリシャでは、民主主義がしばしば衆愚政治に堕落したと言う。その原因は簡単だ。どうしても当選したい政治屋が、有権者に媚びて、有権者に言うべきことを言わず、事情が良くわからないままに感情的に判断し主張する有権者に迎合するから、衆愚政治になってしまうのだ。
これは、松浦の「ええかの、市民に説教しちゃいけんでよ。市民はバカのままにしちょきいや。笑顔とお辞儀と握手と、時に土下座とウソ泣きしちょきさえすりゃ、当選できるんじゃけえのお」という戦術と全く同じだ。松浦は、衆愚政治をやってるってことだ。
2011/6/2(木) 午後 10:56 [ 香久山 ]
〜続き〜
悲しくもつらいのは、松浦は市民に迎合して言うべきことを言っていない、松浦に騙されるなと言うと、市民は自分に説教する不愉快な奴だ思ってしまって、耳を貸そうとしなくなることだ。有権者が怒ってしまうので、結局、そう主張する者は当選できず、迎合する松浦がますます当選しやすくなってしまうということだ。
とは言え、有権者はいつでもどこでも必ず愚かというわけではない。苦労したり悲しいめやつらいめに会ううちに、何が本当に大事かということを悟った有権者が多い時代や場所がある。幕末明治初期や第二次大戦後の日本人は、国難を経たせいで、大変賢かった。その後、高度成長を経て、安楽な生活をおくれるようになって、苦労を知らない世代が増えたので、バカな有権者や保護者になっているということだ、今の日本人や防府市民はそういう人間なのだ。せめて、そのことを自覚し反省すればよいのだが、それができないのがバカの特徴だ。
2011/6/2(木) 午後 10:58 [ 香久山 ]