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朝からテレビでは民主党の代表選挙がとりあげられ、出馬の意向を示している代議士が出演されたりしていました。
「解散すべき」という声に「災害復興でそれどころではない。今は挙国一致で」と言ってたはずなのに、代表選なら良いのか・・・と不思議に感じてしまいます。
当然、被災地にも民主党の党員、サポーターはおられるのですし、「挙国一致」どころか、党内での争い。
出馬の意向を表明している議員の中には、現閣僚もおられ、現政権には、内閣が全体で責任を負うという発想は無いのでしょうね。
民主党の代表選だから、党員でもサポーターでもない私には意見を述べる権利はないのかもしれませんが、一点だけどうしても許せない問題があります。
昨年の代表選でも指摘されましたが、民主党の党員・サポーターには国籍の規制がないということです。
いまや、民主党代表選は事実上、日本の総理を選ぶ選挙です。
そこに、外国人が関与できるというのは、どう考えてもおかしい。
憲法違反を指摘する人もおられます。
日本国憲法には、全文に『・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。』とあります。
そして、第1条にも『・・・主権の存する日本国民・・・』とされています。
外国人参政権推進派の人も、「地方参政権に限る」と主張する人が多い。
地方参政権は「住民」としての権利だけども、国政において最終的に政治を決定するのは、あくまでも「日本国民」でなくてはならないと、「外国人参政権推進派」の人でさえ、考えている人多いということでしょう。(当然、私は地方参政権であっても国民だけの権利だと考えています)
シナ、南北朝鮮、ロシアには弱腰、アメリカには甘え、防衛には無関心、総理からして外国人献金問題を抱え、外国人参政権を結党以来の党是とする、いくら指摘されても党員、サポーター規定に国籍の定めがないことを改めようとしない・・・一体、どこの国民のための政治をしているのでしょうか。
しかし、「シナ、南北朝鮮、ロシアには弱腰、アメリカには甘え・・・」は、戦後の自民党政治にもあてはまることではあります。
外交、防衛は実質的にアメリカに任せてきたと言われても仕方ありません。
日本を真の独立国家、主権国家にするという当たり前のことが出来る政権を生み出していかなくてはなりません。 |
日々雑感
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さて、話題の高岡蒼甫さんですが、事務所を辞めたとか、解雇になったとか・・・今日もTwitterのTLは、彼の話題で溢れていました。
私の見る限り、彼の発言を指示するものが多いようですが、いわゆる“韓流”に対する嫌悪感を露わにしたつぶやきや、ネット上の書き込みも多いようです。
韓流に嫌悪感を抱く人が多い背景には、やはり“危機感”があるように感じます。
確かにここのところ、テレビなどでは韓国ドラマや韓国人歌手を目にしない日は無いほどです。
私などそうテレビを見る時間が長くない者でも、そう感じています。
韓国勢がこれほど台頭しているのは、日本を含むアジアへの芸能人の売り込みが、韓国の国家事業となっていることも大きいでしょう。
韓国は明らかに国をあげて、日本に芸能人を売り込んでいるし、高岡さんい批判されたフジテレビだけでなく、多くのテレビ局も広告代理店を通じてか、明らかにそれに手を貸しているように見えます。
しかし、日韓のバランスを見れば、日本人が一般的に知っている韓国人芸能人よりも、韓国で知られる日本の芸能人の方が数は上ではないでしょうか。
にも関わらず、韓国勢に日本が浸食されているかのような危機感を抱いてします背景には、ハイテク機器などで日本が韓国に追い越された、追い抜かれたという執拗な過去の報道があるのではないかと思っています。
中国にしてもそうですが、GDPで日本が抜かれたことでマスコミは囃したてました。
もう、日本はもうダメだ、落ちる一方だというようなイメージを多くの国民に与えてしまったのです。
しかし、対中、対韓のみならず、二国間の貿易収支では、日本は東アジアでは明らかに一人勝ちです。
この辺りは 『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』 藻谷 浩介 著に詳しく書かれています。(この本は久しぶりに“目から鱗”の内容でしたので、お薦めします)
藻谷氏は、日本のブランド力に注目し、中国や韓国が豊かになればなるほど、日本のブランドが売れ、日本がく黒字になると指摘しています。
なるほど、その通りでしょうが、ブランド力だけでなく、ハイテク製品にしても、実は韓国製品にしてもコアな部分については、日本の高価なものを使用しなくてはならない状態で、韓国メーカーの製品が売れれば売れるほど、日本の貿易黒字が拡大するという状態になっているようです。
こうした数字に基づいた正しい情報を伝えず、あたかも日本の凋落がとまらないかのような印象を与えるような報道をし続けた日本のマスコミが(何のためにそんなことをしたのかは不明ですが)、その報道のせいで危機感を覚えた国民に批判を浴びることになったというこです。
まぁ、韓流も“ブーム”であることは、多くの国民も認識しているところ。
日本の芸能界で残る韓国芸能人もいるでしょうが、多くは早晩姿を消すのでしょう。
これは、日本の芸能人でも同じことですが。
しかし、韓国の歌手などはアイドルグループと言えども、その質は高いように感じるのも事実です。
素人と区別のつかないようなタレントが跋扈する日本の芸能界で、韓国のアイドルは歌も踊りも相当レッスンされているように見えます。
また、俳優なども含め韓国芸能人は、発言もそのイメージを崩すような不用意な発言は厳に慎んでいるように見えます。
かつては日本の芸能人もそういったことを大切にしたものですが、親近感やフランクさがウケるようになり、アイドルとは思えないような発言をする芸能人が増えた気がします。
そういった風潮に対し、アイドルらしい、芸能人らしい言動を求める人たちが根強くおられるのも事実ではないでしょうか。
なんだか、貿易やら、マスコミやら、芸能やら、とりとめの無い内容になってしまいましたが、“雑感”ということでお許しください(笑)
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今日は国語の話。
コメント欄に「メガホン侍などと書いているが、“侍”ではなく“浪人”だろう」というご指摘をいただきました。
残念ながら、後半部分に私人の氏名が記載されていましたので、そのコメントを承認することが出来ませんでした。(この際、お願いしておきますが、コメント欄にいただくご意見の中には、鋭い指摘、素晴らしい意見であるのに、民間企業名や私人の名前が書かれていて承認しづらいものがあります。コメントをくださる方にはご留意願います。)
なるほど、なかなか鋭い指摘です(笑)
なのですが、「“関取”と“力士”の違いのように、日本語は正しく使うべき」と続けられては黙っておれません。
一応、中退ながらも大学では日本文学科に籍を置きましたので(笑)
“侍”はいわゆる修辞技法です。
日本語に限らず使われる技法です。
例えば、鮮やかなな手際で人を楽しませる人物などを「手品師」と喩えることがあります。
三島由紀夫も『仮面の告白』の解説文では「手品師」と評されていました。
しかし、三島由紀夫はご存知の通り、“手品師”ではなく“作家”ですね。
また、“一匹狼”と呼ばれる人を「いや、彼は狼ではなく、生物学的に人間だ」と大真面目に言う人はいないでしょう。
だいたい“メガホン浪人”じゃ、締まらないじゃないですか(笑)
また、“大学浪人”、“就職浪人”のように“○○浪人”と使う場合、現代では前にある語を目指してニュートラルでいる状態を表すことが多いので、“メガホン浪人”だと、なんだか“メガホン”になりたい状態のようで違和感があります。
「関取、力士」は現存する役職の名前ですが、「侍、浪人」は現在、正式な役職とは言えないでしょう。
「誤った使い方」という指摘には当たらないのではないでしょうか。
“メガホン侍”という表現一つとっても、分析してみるとなかなか面白いものです。
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下関市の梅光女学院が来年から「梅光学院中学校・高校」に改名し、男女共学化すると報じられています。
毎日jp http://bit.ly/kwcwam
私が高校時代に市内にあった男子校、多々良学園(現・高川学園)、そして、三田尻女子高(現・誠英高校)も既に共学となっています。
私の妻はサビエル高校(当時女子校)の出身ですが、ここも既に共学化。
県内に男子校、女子高はどのくらい残っているのでしょうか。
私が思いつくところでは、山口市の中村女子高くらいですが、他にあるのかな。
男子校、女子校が共学化していく流れは全国的なもののようです。
「時代」という言葉で片付けて良いものでしょうか。
なぜ、男子校、女子校が存在したのか。
それには当然理由があったに違いありません。
「男らしさ」「女らしさ」というものを大切にしてきた日本の文化によるところが大きいはずです。
教育の中に重要なものとして位置づけられていた「男らしさ」「女らしさ」が、重要視されなくなってきたことの表れでもあります。
一昔前に猛威をふるった「ジェンダーフリー」という思想の残した物は決して小さくなかったと感じざるを得ません。
ちなみに私が通っていた頃の防府高校は、男女が学校にいるものの、男子クラス・女子クラスに分かれ、校舎も別でした(現在は男女混合クラス)。
私はこの「並学」とも呼ぶべき体制を結構気に入っていました。
人間は同性だけの中で磨かれることもあれば、異性によって磨かれることもある。
その両方を得られるなかなか素晴らしい体制だと感じていたのです。
さて、梅光女学院共学化に話を戻します。
報じられている理事長の言葉によると、「これからの時代、男子生徒にも門戸を開く必要がある。」とのことですが、校長は「生徒の確保という意味合いもある」とも述べておられます。
同校では定員割れが続いている現状を考えると、男女共同参画云々というより、その大きな理由は経営的なものであると想像出来ます。
男子校、女子校においては、「男子教育」「女子教育」というものが、その学校の教育理念の中に(文言としてあるかどうかは別として)あったはずです。
それは、特色であり、武器でもあります。
存続を危ぶまれる企業が採る道として、「間口を広げる」というのは一つの方向でしょう。
一方、むしろターゲットの絞り込みを行い、競合他社や他の商品との差別を鮮明に打ち出すという方法もあります。
自社の存在意義ともいえる経営理念を曲げて生き残りをかけるか、それとも、経営理念を貫き、自社の武器を活かして生き残ろうとするのか。
日本の文化を伝えていくためにも、後者の方法にかける学校がいくつか残ってくれることを願うばかりです。
正直な気持ちを言うと、「女子校」というなんだか甘酸っぱい、ノスタルジックな感情があることも認めざるを得ませんが・・・(笑)
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昨日の夕方のニュース、そして今朝のテレビでも「脱原発100万人アクション」というデモの様子が伝えられていました。
取材に答えた参加者の声を聞いていると「原発を止めること」が「未来のため」と信じて疑わない様に見えました。
エネルギーの基本政策を作りなおさず、また、止める基準もはっきりしないまま浜岡原発だけを止めさせ、自然エネルギーへの移行がいかにも容易だととれるような発言をした菅総理の罪深さを改めて感じざるを得ません。
デモは、奇抜な仮装あり、音楽ありのお祭り騒ぎに見えるものもあります。
「デモ」ですから、アピール度が重要な訳で、気持ちは分からなくもないのですが、中には、奇形児やゾンビのコスプレでの参加を呼び掛けた方もおられたようで、批判を浴びています。
このデモは「脱原発」と銘打たれているものの、私の見た限りでは「反原発デモ」と表現した方がふさわしい様です。
私は以前から主張している通り「反原発」でも「原発推進」でもありません。
今、必要なのは、先ずは福島の事故の原因が何だったのかをはっきりさせることだと考えています。
どこに問題があったのか、これが未だに検証出来ていないことは大きな問題です。
少なくとも、日本全体が原発に依存している状況で、今、全ての原発を即座に留めることなど不可能でしょう。
危険だということは間違いない原発が、人間の手で制御できるものなのかどうかをはっきりさせなければなりません。
そのためには、設計上の問題があったのか、システムに問題があったのか、それとも、扱う人間に問題があったのか、東電には原発を扱う能力がないのか、民主党政権には無理なのか、それとも、そもそも人間の手に負えるものではなかったのか・・・その検証をしなくてはなりません。
そして、原発というものを諦めるのであれば、代替エネルギーを考えなくてはならない。
低コストかつ安全で安定的なエネルギー供給が可能となる手段に目処がつけば、今度は移行のスケジュールを立てなくてはなりません。
福島原発の事故は日本にとって不幸なものでした。
いや、過去形ではなく、今も進行しているし、放射線の拡散も懸念されています。
しかし、感情的になりエネルギー政策を誤れば、その不幸は経済沈下という形で不幸を日本全土に拡散することになりかねません。
そして、何度も書いてきたようにエネルギーは安全保障であり、主権を守るためにも欠かせないものなのです。
「自然エネルギーへの移行」という綺麗な言葉に反対出来る人は少ないでしょうが、その移行スケジュールも、そのための費用も、電気料金への影響も、全く明らかにされない現状で手放しで賛成は出来ません。
具体策もなくただ「原発を止めろ」と叫ぶのは、「反原発」であっても、「脱原発」とは言えません。
「脱原発」は日本を救う選択肢の一つであることには間違いありません。
しかし、「反原発」では日本を救うことは出来ないと思っています。
「脱原発」のためにも、一刻も早く事故の検証と新しいエネルギー計画の策定を!と思われる方は、応援のバナークリックをお願いします!
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