私の住む町の駅前に、小さな本屋がある。本当に小さな本屋で、品揃えも、当然少ない。にもかかわらず、私は最低でも月に一回はこの本屋で本を買っている。なぜなら、この本屋こそ、わが町で唯一、岩波書店の本を仕入れている本屋だからである。 ご存知の方も多いと思うが、本というのは、版元から取次を通して本屋の店頭に並ぶ。その後、売れ行きの悪い本は、通常、返品されることになる。出版というのは基本的に水物であり、再販制度の制約もあるため、こういうシステムで、小売店の仕入れリスクを軽減しているわけだ。 ところが岩波書店の本は、このシステムを採用していない。つまり、本屋の完全買取である。だから岩波書店の本を仕入れることは、本屋にとっては、相当のリスクとなるのである。そして、それでも岩波書店の本を仕入れる本屋とは、それだけその本屋は「志」が高い。そう断言してよい。 だから、私は岩波書店の本を買う時は、必ずその本屋で買うことにしている。ささやかだが、少しでも岩波書店の本が売れ続ければ、その本屋も、引き続き岩波書店の本を仕入れ続けてくれるにちがいないと思うからだ。 とにかく最近は本が売れない時代であり、とくに真面目な本の出版は、大変厳しい。本屋は本屋で経営が苦しいため、売れにくい本などはますます店頭から姿を消していく。結果、本屋の店頭は、マンガとビジネス本、そしてタレント本に占拠されることになるのだが、本屋に入って、ホリエモンの書いた本や、アイドルのエッセイ本(そんなものはゴーストライターが書いたにちがいない)が平積みされているのを見ると、貴重な森林資源の無駄使いだと、ほとほと嫌になるのである。 そんな教養なき現代、いっそう光を放つのが、ここしばらくの岩波文庫の充実ぶりだ。とにかく、最近の岩波文庫のラインナップは凄い。例えばこのブログに関係する芝居関係の本でも三木竹二『観劇偶評』、杉山其日庵『浄瑠璃素人講釈』(そう、このブログのタイトル及び書庫名は、この二著から拝借しました)、三宅周太郎『文楽の研究』といった歴史的名著が次々と文庫化された。私のような、これから芝居を勉強しようと思うものにとっては、まさに随喜の涙ものである。 芝居関係以外にも、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、ヴィーコ『学問の方法』、アダム・スミス『法学講義』、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』、ディドロ『絵画について』、コンラッド『コンラッド短編集』、サイード『パレスチナとは何か』、田中正造『田中正造文集』、竹越与三郎『新日本史』、村井弦斎『食道楽』などなど、毎月毎月、信じられないような本が続々新刊された。 その上、重版の方も、クロポトキン『ある革命家の手記』、ヘーゲル『政治論文集』、ロマン・ロラン『トルストイの生涯』、伊藤東涯『制度通』、江村北海『日本詩史』、幸徳秋水訳『パンの略取』など、これまた歴史的な古典が続々と復刊している。 そもそも、文庫という出版形態は、ドイツのレクラム文庫に範をとり、古今の古典を廉価でしかもコンパクトな形で人々に届けることを目的としている。その意味でいえば、さすが岩波文庫は本邦文庫の元祖だけあって、倦むことなくその王道を突き進んでいる。とにかく、今のような知的劣化の激しい時代においては、岩波文庫は数少ない希望であり、良心だ。だから、岩波書店には、今後もこの路線を堅持して欲しい。世の真面目な読書家の生命線は、ここにかかっている。ガンバレ!岩波書店。心底、そう思うのである。そして、岩波書店の本を仕入れ続ける町の本屋さん、その「志」は、絶対的に正しい。その正しさは、必ず歴史が証明する。ガンバレ!本屋。 |
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実は本屋経験ありで、そのとき岩波の本は仕入れを本気で迷いました。なので私も岩波をきちんと入れている書店は、その覚悟と心意気を尊敬します。 本屋のあり方については「本を誰が殺したか」という上下巻の文庫がおもしろかったです。
2006/1/2(月) 午前 0:51 [ 奈子 ]