食満南北といっても、普通の人は誰も知らない。泉州堺の生まれで、若い頃から芝居にのめり込み、遂には福地櫻痴の門下となり狂言作者となった人である。後、十一代目仁左衛門の下で筆をふるい、さらに転じて初代鴈治郎の座付き作者となるという、いわば明治大正の上方歌舞伎を実地に潜ってきた人といえよう。その南北の主著が、この『大阪の鴈治郎』(輝文社、昭和19年3月)と『作者部屋から』(宋栄堂、昭和19年1月)である。
明治大正の上方歌舞伎の巨星、初代中村鴈治郎については、いまさら説明は不要だろう。ところが、これだけの大立者でありながら、鴈治郎論のみで一冊の単行本となったものは、追悼文集である『中村鴈治郎を偲ぶ』を別にすれば、意外なことにこの『大阪の鴈治郎』一冊である。その意味でも、なかなかに貴重な一冊である。その上、著者の南北は、実際に初代鴈治郎の身近に居た人だけに、その多彩なエピソードの紹介から垣間見える初代鴈治郎の風貌は、興味深い。また、「河庄」の演技の変遷を記す「近松門左衛門と鴈治郎」の章は、演劇史的にも貴重な文献であり、圧巻だ。
一方、『作者部屋から』の方は、著者の自叙伝であり、同時に福地櫻痴、九代目團十郎、初代左團次ら南北が実際に親炙した歴史的人物たちの面影を伝えるもので、戸板康二『折口信夫座談』に拠れば、「南北として、これ以上のものは、もう書けない」と、折口博士が折紙をつけた主著である。特に「仁左衛門は役者は巧いが、芝居は下手である」「鴈治郎は役者は拙いが、芝居は上手である」といった薀蓄溢れる「鴈・仁左比較論」を展開する「片岡仁左衛門」の章は示唆に富む。また、「幕があくまで」の章では役者の仕手勝手に振り回される作者、奥役、興行主などの実態が、著者の実体験として綴られ、大時代の芝居小屋の内幕を垣間見れて、個人的に大変面白かった。
ところで、今回この本を読んで、もう一つの感慨に襲われた。というのも、この二冊とも発行年月が昭和19年である。すなわち、まさに戦争末期の非常時に書かれたということだ。だからこそ、再び『折口信夫座談』に拠ると、「よくもこんなのんきな本がいまどき許されたと思うね」という折口博士の感慨が胸を打つ。
戦時中という非常時に、こんな「のんきな本」が出たということは(また、それを嬉々として読んだ折口博士も含めて)、歌舞伎にとって誇るべきことだと思う。何故なら、これは以前も書いたけれども、歌舞伎とは、あくまで「平時の文化」であるという私の確信があるからだ。さらに言えば、私は最近、歌舞伎とは、フロイト流にいうところの人間の「死への欲動」を抑える「超自我」に基づく文化ではないかという仮説を考えている。つまり、歌舞伎に執着する心情こそ、「のんき」であり、「不健康」なものである。しかし、それは戦争という「真摯」で、「健康」な人の営みを抑える、治る必要の無い病気(フロイトは、それを「文化」と呼んだ)だと思うのである。
まもなく2006年が幕を開けようとしている。振り返れば、ここ数年間は、なんとも複雑な年であった。これほど世界中で人の命が失われた年は、近年稀である。そして世の為政者が叫ぶ言葉は、「テロとの戦い」「改革」といったものだった。実に「真摯」で「健康」な題目である。だが、その「真摯」で「健康」な声が、人の「死への欲動」に基づいたものである可能性を、私は恐れる。だからこそ、私は「のんきな本」と、歌舞伎という「のんきな、不健康な」芝居に、ますますのめりこむのである。
(写真右、『大阪の鴈治郎』 カバー痛みが激しいため、パラフィン紙装をしています。写真左、『作者部屋から』)
今年最後の投稿です。本年中は拙い私のブログを御高覧いただきまして有難う御座いました。
来年も尚一層の御愛顧を賜りますよう、よろしく御願いいたします。
飛川拝
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