◆ 歌 舞 伎 素 人 講 釈 ◆〜私の観劇ノート〜

映画「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」上映会は大成功のうちに終了しました。ご来場の皆様、ありがとうございます。

書林逍遥(書評)

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 歌舞伎の型を記録した本は昔からいろいろあるが、一番新しいのが、渡辺保『歌舞伎 型の魅力』(角川書店、平成16年8月)だろう。そして、この本の一番いいところは、上方の型というものがあると、はっきり断言しているところだ。
 普通、上方には決まった型は無いと言われる。だが著者は、そうではないと言う。上方では、一つの型の上に、役者たちが次々と新工夫を入れていくので、結果、型が無いように見えるだけだ。これには、全く同感だ。そして、上方の型を知ることは、東京の型を知ること以上に重要だと思う。何故なら、東京の型は、今でも多くの役者が継承していて、いわばスタンダードとしてまま見ることができるけれど、上方の型は、役者の新工夫で、どんどん変化していくからだ。そして、役者の新工夫と言ったところで、元の型を知らなければ、それが新工夫だとわからないし、その演出上の意味も、軽薄な印象批評の域でしか論じることができないからだ。
 例えば、1月の歌舞伎座で上演された藤十郎の「先代萩」は、東京の型しか知らない人からすれば、なかなか珍しい演出だっただろうが、あの演出の基本が、上方の雀右衛門型で、その上に藤十郎の新工夫があるということを知ると、舞台を見る楽しさは倍増するだろう。
 この本は、そういった一般にはあまり知られていない上方の型を、巧くまとめてくれているとところがうれしい。もちろん、江戸の型もしっかり記録していて、その上で江戸と上方の脚本解釈の違い、もっと言えば、舞台の主題自体ががらりと変わることまで分析していてくれる(例えば仮名手本忠臣蔵の四段目、五段目など)。私にとっても、非常に役に立つ本である。

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 以前どこかで吉本隆明が、「歎異抄」を黙読しても意味がさっぱりわからなかったが、戦争中に音読したら、驚くほど文章の真意が理解できたという体験を書いているのを読んで非常に納得したことがある。確かに、文章を黙読するというのは、明治以降に生まれた文化的習慣で、少なくとも明治の10年代ぐらいまでは、本や新聞は音読するものであったことは、国文学者の前田愛氏も主張したところだ。
 以来、私はときどき古典を中心に、音読をする。特にお気に入りは近松で、深夜に部屋で一人ブツブツと近松の心中物なんぞを声色まで使って音読している姿は、相当に無気味だろうとは思いつつ、つい熱中してしまうのである。
 ところで最近、フラリと行きつけの古本屋の均一台を覗くと、河竹繁俊校訂『黙阿弥名作選』全5巻(創元社、昭和27〜28年)の揃いを発見。一冊500円、つまり揃いで2500円だ。当然、即買いである。
 ということで、現在もっぱら音読するのは黙阿弥物である。これが実に快感。近松の場合、文章のところどころに破調、乱調があり、それが音読する際にはアクセントとなり、面白いのだが、黙阿弥の場合は、完全に計算された語調で、本当に生理的快感を催す。郡司正勝博士もどこかで、「黙阿弥物は、まずは読むもの」だと書いていた記憶があるが、全く同感だ。脚本のモチーフや文芸上の思想も大事だが、やはり歌舞伎は、最初に楽しみ、快感がなければならないと思う。その意味で、今回手に入れた『黙阿弥名作選』は近松とならんで、いつでも座右において、気の向いたときに読みたい大好きな本である。
(ちなみに、本書の巻頭に付された舞台写真や錦絵の口絵も、眺めていて実に楽しい。)

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 四代目市川小団次と言えば、歌舞伎史の中で特異な位置を占める名人である。いわずもがなだが、歌舞伎界、特に江戸においては、その門閥支配は強固で、門閥なくして座頭の地位を占めることは、どのような人気者であろうと基本的に不可能であった。そんな中で、ほとんど伝説的に語られるのは、初代中村仲蔵と、この四代目市川小団次である。つまり、江戸歌舞伎史上、門閥なくして座頭の地位に上り詰めたのは、この二人だけなのである。今回紹介するのは、その四代目小団次の若き日の修行時代を活写した評伝、青木繁『若き小団次―幕末を彩った名優の修行時代』(第三書館、1980年6月)である。
 この本の面白さは、三つある。まず一つは、これが実に見事な一編のビルトゥングスロマンとなっていることである。劇場周辺にたむろする火縄売りの倅が這いつくばりながら、その才能と、如才なさと、大胆さをもって少しずつ劇界の階梯を攀じ登っていく姿が、読む者の心を打つ。
 もう一つは、この書が、小団次の修行を可能にした幕末期上方劇壇の実情をよく穿っている点だ。よく言われるように、江戸の劇壇が門閥中心主義であるのに対し、上方のそれは実力主義である。そして、江戸の劇界があくまで三座を中心とした大芝居中心であるのに対して、上方のそれは小芝居や中芝居と呼ばれる宮地芝居と大芝居の実に柔軟な交流のもとに成立している。それこそが、門閥なき小団次が、子供芝居から小芝居、そして中芝居から大芝居へと、劇界の階梯を攀じ登ることを可能にした上方歌舞伎の風土であり、この本はそれをよく活写している。さらに言うなら、そのようにして成り上がってきた役者にとって、最も重視するのは何よりも観客からの受けであり、それを最大限追求するところに、上方役者の真骨頂がある。その元祖は三代目歌右衛門であるが、その意味でいえば、著者の言う「(小団次は)精神的には大坂の三世歌右衛門(梅玉)の弟子だった」という指摘は正しい(ちなみに私は、この精神史の系譜を継ぐのが中村宗十郎であり、初代鴈治郎だったのだと考えている)。
 だが、今回私がこの書を読んで最も考えさせられたのは、当時の庶民が直面していた生活上の「不安」である。度重なる米価高騰や大塩の乱に代表される風雲、天保の改革による不景気と経済的困窮。こういった社会不安を背景にしてこそ、小団次の芸が人気を博した。そして、大坂時代の小団次は、この社会不安を自らもタップリと経験している。それこそが後年、小団次が江戸に下ってから、黙阿弥と組んで作り出した世界に独特のリアリティを形成したということである。つまり、あの黙阿弥と小団次が作り出した皮肉な世界こそ、その日暮らしで明日をも知れぬ庶民の、一寸先は闇という「不安」を基盤にした世界だった。そして、そのような世界を演じることができるのは、自身もまたそのような世界に沈潜した経験を持つ小団次以外には、存在しなかったのである。そのことが、この本を読んで非常によくわかったのである。
 ところで、そういった「不安」に駆られる庶民が、なぜにその「不安」を再現する小団次の芝居に熱狂したのであろうか。この歌舞伎と「不安」の関係こそ、歌舞伎という文化の正体を解く秘密の鍵だと思われるが、それは本稿の範疇を超えるので擱くこととする。

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 食満南北といっても、普通の人は誰も知らない。泉州堺の生まれで、若い頃から芝居にのめり込み、遂には福地櫻痴の門下となり狂言作者となった人である。後、十一代目仁左衛門の下で筆をふるい、さらに転じて初代鴈治郎の座付き作者となるという、いわば明治大正の上方歌舞伎を実地に潜ってきた人といえよう。その南北の主著が、この『大阪の鴈治郎』(輝文社、昭和19年3月)と『作者部屋から』(宋栄堂、昭和19年1月)である。
 明治大正の上方歌舞伎の巨星、初代中村鴈治郎については、いまさら説明は不要だろう。ところが、これだけの大立者でありながら、鴈治郎論のみで一冊の単行本となったものは、追悼文集である『中村鴈治郎を偲ぶ』を別にすれば、意外なことにこの『大阪の鴈治郎』一冊である。その意味でも、なかなかに貴重な一冊である。その上、著者の南北は、実際に初代鴈治郎の身近に居た人だけに、その多彩なエピソードの紹介から垣間見える初代鴈治郎の風貌は、興味深い。また、「河庄」の演技の変遷を記す「近松門左衛門と鴈治郎」の章は、演劇史的にも貴重な文献であり、圧巻だ。
 一方、『作者部屋から』の方は、著者の自叙伝であり、同時に福地櫻痴、九代目團十郎、初代左團次ら南北が実際に親炙した歴史的人物たちの面影を伝えるもので、戸板康二『折口信夫座談』に拠れば、「南北として、これ以上のものは、もう書けない」と、折口博士が折紙をつけた主著である。特に「仁左衛門は役者は巧いが、芝居は下手である」「鴈治郎は役者は拙いが、芝居は上手である」といった薀蓄溢れる「鴈・仁左比較論」を展開する「片岡仁左衛門」の章は示唆に富む。また、「幕があくまで」の章では役者の仕手勝手に振り回される作者、奥役、興行主などの実態が、著者の実体験として綴られ、大時代の芝居小屋の内幕を垣間見れて、個人的に大変面白かった。
 ところで、今回この本を読んで、もう一つの感慨に襲われた。というのも、この二冊とも発行年月が昭和19年である。すなわち、まさに戦争末期の非常時に書かれたということだ。だからこそ、再び『折口信夫座談』に拠ると、「よくもこんなのんきな本がいまどき許されたと思うね」という折口博士の感慨が胸を打つ。
 戦時中という非常時に、こんな「のんきな本」が出たということは(また、それを嬉々として読んだ折口博士も含めて)、歌舞伎にとって誇るべきことだと思う。何故なら、これは以前も書いたけれども、歌舞伎とは、あくまで「平時の文化」であるという私の確信があるからだ。さらに言えば、私は最近、歌舞伎とは、フロイト流にいうところの人間の「死への欲動」を抑える「超自我」に基づく文化ではないかという仮説を考えている。つまり、歌舞伎に執着する心情こそ、「のんき」であり、「不健康」なものである。しかし、それは戦争という「真摯」で、「健康」な人の営みを抑える、治る必要の無い病気(フロイトは、それを「文化」と呼んだ)だと思うのである。
 まもなく2006年が幕を開けようとしている。振り返れば、ここ数年間は、なんとも複雑な年であった。これほど世界中で人の命が失われた年は、近年稀である。そして世の為政者が叫ぶ言葉は、「テロとの戦い」「改革」といったものだった。実に「真摯」で「健康」な題目である。だが、その「真摯」で「健康」な声が、人の「死への欲動」に基づいたものである可能性を、私は恐れる。だからこそ、私は「のんきな本」と、歌舞伎という「のんきな、不健康な」芝居に、ますますのめりこむのである。
(写真右、『大阪の鴈治郎』 カバー痛みが激しいため、パラフィン紙装をしています。写真左、『作者部屋から』)

今年最後の投稿です。本年中は拙い私のブログを御高覧いただきまして有難う御座いました。

来年も尚一層の御愛顧を賜りますよう、よろしく御願いいたします。

飛川拝

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 どういうわけか、私は新書が好きで、電車に乗ったりする際には、必ず新書(もしくは文庫)を読むようにしている。というわけで、最近読んだなかから、印象深かった二冊を紹介したい。
 一冊目は、犬丸治『市川新之助論』(講談社現代新書、平成14年3月)である。
 市川新之助、すなわち現・海老蔵が、今後の歌舞伎界の鍵を握る一人でることは衆目の一致するところだろう。ただ、私個人は、なんとなく海老蔵の魅力を明確に言語化できないでいた。確かにその姿は抜群である。匂いたつような色気もある。荒事の宗家たる成田屋の御曹司に相応しい野趣もある。ただ、その野趣が、どこか粗暴さのように見えていたことも事実だ。
 ところが、本書の著者である犬丸氏は、その粗暴さを、「正統な異端性」と整理している。すなわち、近代歌舞伎が「古風で、鷹揚な」という常套句をもって思考停止し、予定調和の上にあぐらをかいてしまった現状に対し、海老蔵の野趣が、歌舞伎本来が持っていた、まさに「傾く」という反社会性、いわば既存の社会秩序への反抗という本来の姿を快復させているというのである。これはなかなか興味深い見解である。
 そして本書は、この犬丸氏の海老蔵観を手がかりに、一種の「弁天小僧論」「勧進帳論」「助六論」になっているのだが、こちらもなかなか面白かった。

 もう一冊の、松島まり乃『歌舞伎修行―片岡愛之助の青春』(生活人新書、平成14年7月)は、前書とは、うって変わって1人の歌舞伎役者片岡愛之助の半生を描くノンフィクションである。だが、それはなかなか胸をうつものである。
 周知の人も多いが、愛之助は門閥外から子役となり、見込まれて秀太郎の養子となった人である。本書では普通の鉄工所の息子が、ひょんなことから歌舞伎という世界に飛び込み、ひたむきに、ひたすらに役者の道に精進している姿が描かれている。
 よく歌舞伎批判をする人の中に、役者の世襲制をもってその根拠にする人がいる。これは芸道の修行というものの本質を知らない半可通の意見といえるのだが、さらに歌舞伎界が本来持っている懐の深さを知らない意見でもある。というのは、実は歌舞伎の世界では古くから世襲以外に、養子あるいは名前養子や芸養子といった方法で、優れた才能を受け入れてきた歴史があることは、ちょっとこの世界を覗いてみればすぐに分かることである。そして、門閥外から入った愛之助が、今では名門松嶋屋のホープとなっていることが、その証左だ。そういうことを再確認させる意味でも、本書を興味深く読んだ。

 ところで今回、この二冊を同時に取り上げたのには、少し理由がある。以前、ある雑誌の記事で読んだのだが(詳細は失念)、ある批評家がある時代の歌舞伎を描く際に、その基準となる役者がいるという説である。例えば、三宅周太郎と十五代目羽左衛門、戸板康二と六代目菊五郎、渡辺保と六代目歌右衛門といった具合だ。
 こういうことは、批評家だけでなく、ファンにもあてはまると思う。つまり、自分の歌舞伎観劇歴が一人の役者の成長と重なって進むのである。その意味では、私のような若い歌舞伎ファンにとっては、まさに自分の時代の役者として、その成長を見守りたい人が、やはり海老蔵なのである。
 ただ、私は関西人なので、どうしても上方の役者が気になる。そんなときに、眼に飛び込んできたのが愛之助の清新な舞台である。
 そう考えれば、海老蔵と愛之助は、好対照である。片やその野趣あふれる才能の持ち主であり、片や清新な二枚目の芸風。片や名門成田屋の御曹司、片や門閥外から養子に入った名門松嶋屋のホープ。共に私の同時代の役者である。今後も、この二人の成長を観続けていきたいと思う。そして、海老蔵と愛之助が東西で共に岐立してこそ、新時代の歌舞伎が始まるのだと思う。

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