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アイヌ

   
アイヌ 総人口 居住地域 言語 宗教 関連する民族
AinuGroup.JPG
アイヌ民族
不明。2006年北海道内で調査に応じた者のみで23,782人[1]
日本北海道東京他)
ロシア樺太
日本語アイヌ語ロシア語
自然崇拝
イテリメン族ウリチウィルタニヴフ大和民族

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  1. ^ アイヌ生活実態調査”. 北海道. 2013年8月18日閲覧。
アイヌは、北海道樺太千島列島およびロシアカムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族である。母語アイヌ語19世紀列強の国々が領土拡張するにあたり、多くの先住民族が編入されたが、アイヌも同様の運命をたどった。現在、日本ロシアに居住する。
1878年イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。
アイヌは、元来は狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが[1]、生業の毛皮や海産物などをもって、現在のロシアハバロフスク地方アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた[2]
1855年日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下[3]、各々の領土が確定した以降は、日本国民またはロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。



呼称

アイヌ

アイヌの一族(1863年から1870年代)
ブロニスワフ・ピウスツキが撮影した樺太アイヌ。
アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。世界の民族集団でこのような視点から「人間」をとらえ、それが後に民族名称になっていることはめずらしいことではない[4]。これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族和人シサム・シャモ[5])とアイヌとの交易量が増加した17世紀末から18世紀初めにかけてとされている。
アイヌの社会では、「アイヌ」という言葉は本当に行いの良い人にだけ使われた。丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言う。
アイヌ語では、東を「メナシ」、住民や部族を「クル」と呼ぶことから、北海道東部に住したアイヌ部族は「メナシグル」と称し、同様に西部のアイヌは「シュムグル」(シュムは西を意味する)、千島のアイヌは「チュプカタウダシ」と呼ばれるなど出身部族で互いを呼びわけていた。
大和民族は、アイヌのことを「蝦夷」・「土人(土着人の意味)」と呼び、大和民族と混血したアイヌのことを「アイノ」(日本語の「アイノコ」の略語[6])と呼んでいた。

ウタリ

しばしばアイヌの民族呼称として用いられることもあるウタリの本来の意味は、アイヌ語で人民・親族・同胞・仲間であるが[7]、現在ではアイヌ人自身の民族の呼称としても用いられる[8]

蝦夷

中世以降、大和民族はアイヌを蝦夷(えぞ)、北海道・樺太を蝦夷地と称してきた[9]
アイヌを東北地方あるいは日本全土の原日本人の一つとする説もある。東北地方の稲作遺跡を発掘した伊東信雄は、朝廷の「蝦夷征伐」など、古代からの歴史に登場する「蝦夷(えみし)」、あるいは「遠野物語」に登場する「山人(ヤマヒト)」らは、文化的には大和民族であるものの、人種的にはアイヌであるとしている。
また、北方の民族からはアイヌは骨嵬(クギ)などと呼ばれてきた。

民族的出自

続縄文・擦文文化

アイヌの男性(1880年)
髭を蓄えたアイヌの男性
アイヌの祖先は北海道在住の縄文人であり、続縄文時代擦文時代を経てアイヌ文化の形成に至ったとみなされている。しかし、特に擦文文化消滅後、文献に近世アイヌと確実に同定できる集団が出現するまでの経過は、考古学的遺物、文献記録ともに乏しく、その詳細な過程については不明な点が多い。これまでアイヌの民族起源や和人との関連については考古学・比較解剖人類学・文化人類学医学言語学などからアプローチされ、地名に残るアイヌ語の痕跡、文化(イタコなど)、言語の遺産(マタギ言葉、東北方言にアイヌ語由来の言葉が多い)などから、祖先または文化の母胎となった集団が東北地方にも住んでいた可能性が高いと推定されてきた。近年遺伝子 (DNA) 解析が進み、縄文人や渡来人とのDNA上での近遠関係が明らかになってきて、さらに北海道の縄文人はアムール川流域などの北アジアの少数民族との関連が強く示唆されている[10][11][12]擦文時代以降の民族形成については、オホーツク文化人(ニヴフと推定されている[12])の熊送りなどに代表される北方文化の影響と、渡島半島南部への和人の定着に伴う交易等の文物の影響が考えられている。
自然人類学から見たアイヌは、アイヌも大和民族も、縄文人を基盤として成立した集団で、共通の祖先を持つとされる。南方系の縄文人、北方系の弥生人という「二重構造説」で知られる埴原和郎は、アイヌも和人も縄文人を基盤として成立した集団で、共通の祖先を持つが、本土人は、在来の縄文人が弥生時代に大陸から渡来した人々と混血することで成立した一方、アイヌは混血せず、縄文人がほとんどそのまま小進化をして成立しとされる[13]。アイヌは、大和民族に追われて本州から逃げ出した人々ではなく、縄文時代以来から北海道に住んでいた人々の子孫とされる[13]

身体的特徴

アイヌは古モンゴロイドに属し、周囲のモンゴロイドと大きく異なる形質を持っており、人種的にはアイノイド(Ainoid)と呼ばれる。和人など周囲のモンゴロイドと比較して、北海道アイヌは次のような特徴をもつ。
  1. 皮膚の色は、黄色みの乏しい明褐色
  2. 新生児の仙骨部の皮膚の色素斑(児斑)がまれ(11%)
  3. 体毛が比較的太く、長い
  4. 頭毛が波状を呈し、断面形が扁平
  5. 脳頭蓋の前後径が大きく、頭長幅示数が長頭に近い中頭型(76.6%)
  6. 顔高が低く、頬骨弓幅が広い
  7. 眉稜、鼻骨の隆起が強く、目はくぼみ、上瞼は二重瞼が多く、蒙古ひだが少ない(5%)
  8. 耳垂が発達し、癒着型は少なく、遊離型がほとんど(95%)
  9. 耳垢は湿型が非常に多い(87%)
  10. 歯の咬合型式は鉗子状が多い
  11. 身長は和人と比べると低く、体の比例は上肢長、下肢長が相対的に長く、胴の長さが比較的短い
  12. 手の指紋は渦状紋が比較的少なく蹄状紋が多い
以上に挙げた特徴は、北海道アイヌ、樺太アイヌ、千島アイヌにもほぼ共通して認められるが、樺太アイヌは北海道アイヌに比べてやや顔高が大きく、千島アイヌはやや低身で短頭という傾向がある。
皮膚の色、頭毛の形状、体毛の発達、瞼の形態、指紋型や湿型耳垢の頻度などでは、コーカソイドの一部やオーストラロイドなどとの共通性が認められるが、様々な遺伝子の研究により、アイヌはやはり東アジアのモンゴロイドにもっとも近いとされ、形質的には古モンゴロイドに属すことが確定している。また縄文人もアイノイドに属していたと考えられる。



コーカソイド説

中世以降、日本人はアイヌを蝦夷、北海道を蝦夷地と称してきた。北方の民族からはクギなどと呼ばれてきた。朝廷の「蝦夷征伐」など、古代からの歴史に登場する「蝦夷」、あるいは「遠野物語」に登場する「山人(ヤマヒト)」をアイヌと捉える向きもあり、アイヌを東北地方以北の全土に住んでいた原日本人の一つとする説もある[誰によって?]。これまで起源論や日本人との関連については考古学・比較解剖人類学・文化人類学医学言語学などからアプローチされてきたが、近年DNA解析が進み、縄文人や渡来人とのDNA上での近遠関係が明らかになってきた。
しかし明治以来、アイヌは他のモンゴロイドに比べて、彫りが深い、体毛が濃い、四肢が発達しているなどの身体的特徴を根拠として、人種論的な観点からコーカソイドに近いという説が広く行き渡っていた時期があった。20世紀のアイヌ語研究者の代表とも言える金田一京助も、この説の影響を少なからず受けてアイヌ論を展開した。

遺伝子調査

近年の遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球民族の次に大和民族で、アイヌ個体の3分の1以上に大和民族との遺伝子交流が認められた。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本人(アイヌ、琉球民族、大和民族)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している[14]。アイヌ集団にはニヴフなど大和民族以外の集団との遺伝子交流も認められ、これら複数の交流がアイヌ集団の遺伝的特異性をもたらしたとされる[15]
Y染色体ハプログループの構成比については、日本人(特に沖縄県)に多いハプログループD1bが87.5%(うちD1b*が13/16=81.25%、D1b1aが1/6=6.25%)に対し、北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられるC2が2/16=12.5%と報告されている[16]

北海道縄文人集団

ミトコンドリアDNAを用いた系統解析により、北海道の縄文・続縄文時代人の系統の頻度分布は、本土日本人を含む現代東アジア人集団における頻度分布と大きく異なっている[17][10]。また坂上田村麻呂侵攻以前の東北地方古墳時代人に北海道縄文・続縄文人に多くみられる遺伝子型が観察され、東北地方縄文人についても北海道縄文・続縄文人と同様の母系を持つ可能性が指摘され、東北地方縄文時代人と北海道縄文時代人DNAと比較した結果、ハプログループN9bおよびM7aが北日本の縄文人のミトコンドリアDNAの遺伝子型の中心とされた[10]
北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されている[11]。このうちN9bの頻度分布は64.8%と極めて高いのが特徴であるが、N9bはアムール川下流域の先住民の中に高頻度で保持されている[11]。D10も、アムール川下流域の先住民ウリチにみられ、主に北東アジアに見られるハプログループGのサブグループG1bはカムチャッカ半島先住民に高頻度でみられるが、現代日本人での報告例はない[11]

オホーツク人・カムチャツカ半島先住民族との関連

アイヌ(左)とニヴフを描いた絵(1862年)
近年の研究で、オホーツク人がアイヌ民族と共通性があるとの研究結果も出ている。樺太サハリン)起源とされるオホーツク文化5世紀ごろ北海道に南下したが10世紀ごろ姿を消している。[18]
2009年、北海道のオホーツク文化遺跡で発見された人骨が、現在では樺太北部やシベリアアムール川河口一帯に住むニヴフに最も近く、またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャツカ半島に暮らすイテリメン族コリャーク人とも祖先を共有することがDNA調査でわかった[18][12]。また、オホーツク人のなかに縄文系には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプであるハプログループY遺伝子が確認され、アイヌとオホーツク人との遺伝的共通性も判明した[18][12]。アイヌ民族は縄文人や大和民族にはないハプログループY遺伝子を20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していたが、これまで関連が不明だった[12]
天野哲也北海道大学教授(考古学)は「アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった」とコメントした[18]増田隆一北大准教授は「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこからアイヌ民族に受け継がれたのでは」と推測した[12]。この北大研究グループは、アイヌ民族の成り立ちに続縄文人・擦文人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられると述べた[12]

転載元転載元: 海洋文化交流/貿易振興


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