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シナリオ
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「坂の上の雲」への脚本家野沢尚氏の思い
3年をかけて年末にNHKで放送されてきた「坂の上の雲」は、いよいよ25日に最終回を迎えます。
その脚本を書かれていた野沢尚さんは、7年前の2004年6月28日に自死されました。
作品も最後の部分は未完成でしたが、氏の尊敬する先輩である池端俊作氏に後を託すメッセージを遺していたようです。
「坂の上の雲」自体には余り興味はなかったのですが、今年が完結編となるので、視聴させて頂いていますが、野沢氏はどのような思いで作品を書かれていたのかを最近知りました。
以下、野沢尚公式ブログ様より。
脚本家のことば 野沢 尚
戦地に赴く心境だ。 秋山好古にとってコサック騎兵隊と相まみえる満州(現・中国東北地方)の大地がそうであったように、秋山真之にとってバルチック艦隊と激突する日本海がそうであったように… 100年前の日本を描くこれからの大仕事は、男女の情念や、血なまぐさい犯罪といった現代劇ばかりを書いてきた私にとって「未知なる戦場」である。 私はこれまで60本以上の脚本や小説を書いてきたが、どんなジャンルであっても「日本の今」と「そんな国にいる自分」を分析し、未来を祈ってきたつもりである。 現在は過去によって導かれる。ならば近代日本を辿ることは、今を検証し、未来への祈りにつながるはずだ。 明治維新によって日本は劇的に解体し、情熱を抱いた「書生たち」の手作りによって国家は再構築された。 司馬さんの言葉を借りれば、「この長い物語は日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語」である。 わずか35年の人生を駆け抜けた正岡子規でさえ、病床にあっても精神のフットワークは軽く、陽気な生き方を貫いた。 それは、社会のどういう階層の子供であっても、ある資格を得るための必要な記憶力と根気があれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなり得た時代だった。そして資格を取れば、いきなり国家の重要な部分をまかされる。素姓の定かでない庶民であっても、神話に登場する神々のような力を持たされ、国家のエンジンとなった。 政府も小世帯、陸海軍も小さい。まるで町工場のような小さな国家の中で、彼らは部分部分の義務と権利を与えられ、「よし、頑張ってやろう」と意気に感じて働き、この弱小チームを強くするというただひとつの目的に向かって突き進んだ。 明治の明るさはこの楽天主義からきていると、司馬さんは分析する。 坂の上にかかる雲とは、ひたすら険しい坂道を登る彼らが、ようやく彼方に見た「希望」を象徴している。 が、同時に、それは日本の未来にたちこめる暗雲でもあった。 太平洋戦争に敗北したのは、日露戦争からわずか40年後である。 勝利が国民を狂気に駆り立て、敗戦が国民に理性を与える。戦争の勝敗とは本当に不思議なものだと、司馬さんと同様に、私も思う。 この物語には、研ぎ澄まされた豪傑な軍人たちと、想像力に溢れた政治家たちが登場する。 現代日本が最も欲しているリーダーの姿である。「坂の上の雲」が日本の経営者たちの愛読書であることは、なるほどと頷ける。 が、どんな優れた政治家や戦略家がトップにいても、戦争の最前線は苛烈を極める。凍てついた戦場にはおびただしい流血。山を埋めつくす死屍累々は腐臭を放つ。 司馬さんの原作に私が付加できるものがあるとすれば、前述した楽天主義とは無縁の、困窮を極めた農村から徴兵された者たち――「名もなき兵士たち」が体感する、戦場での恐怖だ。 私の視点はその時、当時の満州(現・中国東北地方)の大地すれすれにあるだろう。 つまりスピルバーグの「プライベート・ライアン」や「バンド・オブ・ブラザース」でも描かれた戦場のリアリズムである。 その片鱗を探るため、この2月、厳寒の203高地に立ち、想像力を傾けてこようと思う。 私はこの物語を、私の子供たちに伝えたい。 過去から託された日本という国を、子供たちの未来に橋渡しする役目を、「坂の上の雲」の脚色という形でまかされたのだと思う。 司馬さんにとって40代の10年間を費やした小説だったように、私も40代の代表作にするべく、全精力を傾けるつもりだ。 私が、野沢氏の存在を初めて知ったのは、1988年に日本テレビで放送された「喝采」(桃井かおりさん・小林桂樹さん主演、阿久悠さん原作)でした。今は売れなくなった演歌歌手の桃井さんとマネージャーの小林さんが、再起を果たすまでを描く2時間の単発ドラマでしたが、セリフに無駄がなく、話の展開も見事で、また、ドラマのために作られた歌も素晴らしく、録画して何十回観てもその度に感動してしまいました。
当時、カミサンはシナリオ教室に通っていたのですが、野沢氏の才能に驚いて思わずファンレターを送ってしまいました。すると、思いがけず、何日か後に氏から返事を頂いてビックリしていましたが、その後も氏の作品を観る度に感想を送り、また、氏から、お子さんに、と仕事の為使ったと思われるマンガをプレゼントして頂いたこともありました。
その後、スティーブン・キングが大好きな氏は、本来書きたかったミステリー物の分野へ進み、次々とヒット作を発表して有名になって行かれました。私たち夫婦は、余りミステリー物は好きでなかったので、氏の作品から次第に遠ざかっていってしまいました。しかし、すっかり大家となってからも氏は、年賀状を毎年下さり、本当にファンを大切にする、真面目な方だったと思います。
自死されたというニュースを聞いた時は驚きましたが、当時、氏は、「坂の上の雲」と並行して、小説を含め、いくつかの作品を書かれていたようです。いまだに自死された理由ははっきりとわかりませんが、仕事が予定通り進まなくなったことが原因では、という方もいます。やはり、「坂の上の雲」が重圧だったのかも知れません。かつて、倉本聡さんが、NHKの大河の仕事をされた時、局側が勝手に内容を変えてしまうのに抗議して、途中で降りてしまったことがありましたが、野沢氏の場合はどうだったのか・・・。
>司馬さんの原作に私が付加できるものがあるとすれば、前述した楽天主義とは無縁の、困窮を極めた農村から徴兵された者たち――「名もなき兵士たち」が体感する、戦場での恐怖だ。
私は「坂の上の雲」を観ながらも、その筋書きやセリフには殆ど興味がありませんでした。ただ、画面に延々と展開される凄惨な戦闘シーンで次々血を流し、死んでいく兵士たちを見続けました。野沢氏の文章を拝見して、やはり、氏の思いもそこにあったのだと知り、嬉しいです。
「203高地」の回の最後で、日本軍が何とか勝利し、旅順港へ向けて大々的に砲撃を始めますが、その中を幼児を背負った現地のおかあさんが逃げ惑う場面がありました。
決して、単にナショナリズムを煽るドラマではないことを象徴するシーンのように私には見えました。今のような困難な時代にこそ、野沢氏の作品を是非観たいと思いますが、やはり、すべて覚悟の上の行動だったのでしょう。
改めて、野沢氏のご冥福をお祈りいたします。
野沢尚さん
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シナリオ「用心棒」
私の書庫の奥を整理していたら、
シナリオ「用心棒」がでてきた。
それは、撮影時(昭和35年)に使われた本物です。
なぜ、私が持っているか?
当時、私が東宝の文芸部長から直接貰ったものです。
その経過は、ちょっとした「小説」に書きましたので、近いうちにアップします。
ああ、もう、50年も経ったんだ・・・
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さて、シナリオに挑戦。 |

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引き出しをふやすため、シナリオ「うすずみ桜」を書く。 |

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