反核・country-gentl

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紅葉の季節ですね〜
2016年10月21日の宮城県の鳴子峡の橋を臨むライブカメラです。
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天気の良い日は紅葉の進みが手に取るように分かり楽しいですね。

「BBっといー東北」ライブカメラ
クリックし、
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写真を見ながらお好きな所をクリックしてください。

2016年10月23日 6時12分現在の上高地・河童橋です。
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こうして、ライブカメラを楽しんでいたら、今までスチールだった「薩埵峠」の映像が、ライブカメラになったようです。

2016年10月23日 6時10分現在の薩埵峠から見た富士山と東名高速道路です。
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転載元転載元: country-gentleman

富士・夕陽の乱舞

富士・夕陽の乱舞
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【データ】
カメラ:Nikon Coolpix P7100
ISO:AUTO
露出:AUTO 1/400秒
レンズ:6.0〜42.6mm ズーム 22.5mm(35mm換算・105mm)
絞り:F4.5
露出補正:-1.3
トリミング:下部日付トリミング
撮影日時:2016年10月14日 17時16分


全体を明るさ補整
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転載元転載元: country-gentleman


選挙権が18歳に引き下げられるという事で、国会議員の方々があれこれと議論しているようです。

現在、Yahooの意識調査でも「日本の政治教育で重要なことは?」というアンケートをしているそうです。
さて、この意識調査の選択肢ですが、
1.教員の指導力の向上
2.政治的中立性に配慮すること
3.効果的なカリキュラムの策定
4.政治や選挙についての基本的な理解を深めること
5.現実に賛否のある具体的な政治課題を扱うこと
6.家庭や地域などと連携・協力すること
とあります。

不満を申し上げます。

まず、「政治教育」という響きはどうも好きません。確かに政治についての理解を深めるという目的でやるものですから「政治教育」で間違いはないかもしれませんが、なんとなく国家が押し付けるような印象を抱いてしまいます。
ここはやはり、「主権者教育」がふさわしいでしょう。主権者として自発的に・批判的に物事を捉え、考えることが出来るようになることが最大の目的なのですから。(一部の既得権者は「主権者」を嫌がりますが・・・・・・)

次に選択肢。
1・3・6はあくまで運営(文部省・各教員)の方法であって、「教育」の根っこではありませんよね。それに、どれも当たり前のことです。議論が分かれるようなものはありません。
2はもちろん大事なことですが、そもそも「中立」なんて各人によって微妙に違うわけですし、規定の仕様がありません。「おいしい食べ物を食べるように」と云っているようなものです。
唯一まっとうな選択肢と云えるのが5です。具体的な事柄を織り交ぜながらやっていくべきかどうか、これには色々な意見があるでしょう。

しかし、主権者教育(政治教育)において大切なことなど実は考えるまでもなく、明瞭なのです。
それは「国民主権」・「立憲主義」・「基本的人権の尊重」の説明。この三つを正確に理解していることが「主権者」への第一歩だと思います。
別に法学部並みの知識を有せと云っているわけではありません。ごくごく基本的な、でも肝要なところさえ知っていればいいのです。

「国民主権」は読んで字の如く、この国の主権者が他でもない国民一人一人なのだぞ、ということです。
そんな主権者である我々国民が国家に差し出した要求書が憲法です。憲法に書かれている事柄の範囲内では国家が税金をとったり、犯罪者と思われる人を逮捕するなど、統治をすることができます。しかし国家は憲法で認められていないことはできません。憲法は国家(権力)の上位に位置して、その暴走を抑制するのが「立憲主義」の最も重要な役割です。
そんな重要な役目を果たしている憲法ですが、日本国の憲法の中身を読んでいくとその中心にある考え方は「基本的人権の尊重」であることがわかります。その中でも特に重要な部分は憲法13条です。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の 権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の  尊重を必要とする」
文系だった皆さんは高校の社会科で「信教の自由は○条」、「学問の自由は○条」といった具合に暗記させられた方も多いと思いますが、そのような○○の自由・権利はすべて憲法13条に規定されていることの特別法的な概念です。特別法というのは、総まとめ的な法律(一般法)を補助するもので、特別法と一般法の両方に触れることの場合、特別法が優先されます。公共の福祉というのは、ある人の権利を抑制できるのは、その人の権利が他の誰かの権利を大きく阻害しうる時だけ、とう考え方です。

つまり13条は、
考え得るありとあらゆる人権を、他の誰かの人権を大きく阻害しない限り守りますし、国家は最大に尊重しなければなりません。なぜならば、すべての国民は個人として尊重されなければならないからです。
という条文なのです。

言い換えれば、この13条こそが日本国憲法の神髄と云えるでしょう。
主権者として知っていて当然のことです。

ですが、学生時代に文系だったとしてもそのことを知らない方は結構いらっしゃるのではないかと思います。
それは別にその方が悪いのではなく、13条の大切さを学校は「教えない」からです。
憲法というのは今こうして私たちが自由に語り、普通に暮らしている、その「根拠」です。ただ第○条は〜〜と云った具合に暗記するだけでほとんど意味がありません。その意味を理解することが重要です。むしろ多くの方にとって、肝要な部分の意味さえ理解しているのならば、わざわざ残りを暗記などする必要などないものでしょう。

若者は政治に無関心な者が多い!
お偉方はよくそのようなことを仰りますが、天に唾するとはそういう姿をいうのでしょうね。滑稽です。
日本国憲法の神髄を教えないで何が「無関心な者が多い」ですか。
立憲主義について基本的な理解をしている若者はそう多くはないですよ。それもきちんと教えないからです。国民主権を知らずに「主権者」として行動できますか?

すべての元凶は教育にあります。
「国民主権」・「立憲主義」・「基本的人権の尊重」、この三つの意味をきちんと教えていれば今日のような低投票率と低レベルな議会政治にはならなかったことでしょう。

しかしそれだけでは足りません。
「国民主権」・「立憲主義」・「基本的人権の尊重」の三つは主権者に必要不可欠なものではありますが、それはあくまでも知識。

もうふたつ、
現状を・この社会を批判的に観察し、自分の考えを練り上げていく能力
それと、
その考えをもとに他者と議論を行い、より良い策を練り上げていく能力

このふたつが必要です。
「必要です」とか云ってる本人もまだ会得してはいません。つまり、この二つの能力、とくに後者の能力は非常に高度なものです。
幼い頃から「自分の考え」を練り上げ、議論していくような訓練を積み重ねば、そうそう出来るものではありません。まあ、マスターする必要はありませんが、ある程度以上の能力が主権者として必要となるでしょう。
議論するという事は、討論する事とは異なります。討論は自他の意見を以て優劣を競いますが、議論は「各個の意見に貴賎なし」が大前提となります。どんなに「的外れ」に聞こえる意見でも、よくよく注意して聞けば新たな発見があるものです。そして
、誰かの意見を押し通すのではなく、議論の過程で自己の意見に修正を重ねながら、最終的な妥協点を何とか見出していくのが議論という作業です。

民主主義とは議論主義です。
議論によって物事を決する。めんどくさい仕組みです。でもその煩わしい作業が結果として、少数派の弾圧を抑制したり、無謀な政治を止めたりする原動力となることでしょう。

日本でもきちんとした「議論」が行える日がくることを願っています。
そのためにはまず、主権者教育で「国民主権」・「立憲主義」・「基本的人権の尊重
」の三つに対する理解と、自己の考えを練り上げる能力・議論を通じて自己の意見をより良いものに練り上げていく能力の二つの能力、それを根付かせることが必要でしょう。



転載元転載元: 夕刻の太陽

東京都多摩市で開催されていた映画祭『TAMA CINEMA FORUM』は既に、29日(日)に終了している。
だが、ここのイベント(映画上映とトークショー)で私が参加して、まだここに記事を書いてなかったものが、2つばかりあったので、それを書いていきたい。

それは、22日の映画『野火』の上映にまつわる『今、戦争を描くということ』というものと、もう一つ、29日開催のものである。
29日のイベントのほうが、まだ記憶が鮮明で書きやすいので、順序は逆になるが、こちらを先に書いておきたい。

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これが、そのイベントのチラシ。
『ミンシュシュギの国・ニッポン』という、<いかにも?>という傾向性のあるタイトルが付いている。


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その内容は、『三里塚に生きる』と『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』という映画の上映と、トークショーで構成されていた。

実は、このイベント、私は当初、参加するのにやや躊躇を覚えていた。
というのは、『三里塚闘争』の映画がその中に含まれていたこと。

また、2番目の映画は、辺野古基地建設に反対する沖縄の人々の戦いのドキュメンタリー映画だが、このイベントが開催されている日の午後に、日比谷野音で、『辺野古新基地建設反対』の集会が日比谷野音で開催されることを知っていた。

この集会に行かずに、こういう映画を見ていることに、やや『後ろめたさ?』のようなものを感じたが、どうせ、この日は、母親の介護で、会場(多摩・ベルブホール)からさほど遠くない実家に行った帰りだった(というよりも、実家に行く時間帯を、映画の時間に合わせたのだが)。
ということもあって、『まっ、いいか』と思って、このイベントに参加した。


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最初に上映されたのは、この映画である。
この映画は、やたらに長かった(2時間20分)。もう一方の沖縄の映画も長かった(2時間9分)が、まだ沖縄の映画のほうが、内容が明るい、というか希望が見えている。

三里塚闘争というのは、成田空港建設反対の闘争である。
このイベントのチラシには、上記映画の紹介として、次のように書かれている。

<1966年、農村地帯の成田市三里塚に、日本政府は一方的に空港建設を決定。地元農民を中心にすぐに反対運動が組織され、学生や青年労働者が支援に加わり、三里塚では激しい抵抗運動が繰り広げられたが−−当時の映像や写真とともに、今の三里塚の人たちを描く「忘れられた人々の、忘れられない物語」。>
どちらかというと、きれいな言葉が書かれているが、その現実はもっと生々しく、苦味を伴うものだ。

映画の中では、最初に、現在も反対闘争の『現闘団』として、住み込んでいる60歳を超えた男性の姿が映される。

彼は、『なぜ戦い続けるのか』という質問に対して、『問題は、何も解決していない。止める理由がない』と答える。また、自分は、『組織の指示で、現(地)闘(争団)としてここに来た』と屈託がない。
その前に、ある『セクト』の名前(それほど過激なセクトでもないように記憶するが)の入った看板が写し出されていた。

つまり、彼は、今流行りの『個人の自由意思』というよりも、(自分の所属する)党派の組織的指示にしたがって、(農民たちの戦いを支援する学生の立場で)ここに来たのだ。

だが、彼は(見たところ)屈託がない。時々、昔の学生運動の仲間たち?も含めた同窓会に呼ばれて行くが、みんな(心の中で?)『頑張れよ』と声をかけてくれる、みたいなことを言う。
こんな調子で始まる。

少しあきれた思いで、見ていたら(私自身も、学生のころから、三里塚に行ったことが年度もあった。激しい戦いが多く繰り広げられたもので、かなりの緊張感を持っていったこともある)、三里塚反対同盟に参加していた農民(多くが、元農民のようだ)たちの姿が映し出された。

青年(あるいは元青年)、そしてその母親の姿なども出てくる。
実際はかなりのお婆さんになっているはずだが、昔の闘争のことを思い出すときは、表情が若やいでいる。

と思ったら、そこに(若いころの)姿が写っていた青年の一人が、1971年に自殺を遂げていたことが、知らされる。『三ノ宮文男』という名前。
そして、(時折、若やいだ表情を浮かべていた)お婆さんの一人は、彼のお母さんだった。

それで思い出した。
三里塚闘争は、その頂点において、いわば武装闘争を展開した。

これは機動隊の攻撃がそれを仕掛けたという側面もあったが、その中で、強制代執行の折に、反対同盟の青年行動隊と機動隊が、(ある局地戦において)もろにぶつかり合い、火炎瓶などが使用され(機動隊は一貫してガス銃を使用している)、機動隊員3人が死亡するという事件が起きた(1971年9月、東邦十字路事件)。
このあとで、反対同盟の青年行動隊のメンバーが多数、逮捕され、55名が起訴された。

(なお、その何年か後に、支援の学生が殺される、あるいは死亡するという事件も起きている。つまり、三里塚闘争の中では、双方の側で多数の死者が出ている。)

裁判(凶器準備集合、傷害致死等の容疑)は結局、3人が無罪、他の52人が執行猶予のついた懲役刑となり、実刑をくらった人はいなかった、ということである。
(これは、映画を見た後に、ネットで検索して確認できたこと)

三ノ宮さんは、このような事件が起きた後に、自殺を遂げた。
(何に悩んで、死を選んだのか、本当のことはなかなか分からない。ただ、青年行動隊で一緒に活動していた仲間たちが、それに気が付けなかったことを悔やんでいることは、たしかだ。)

この映画の中では、ほとんど触れられていなかったように思うが、この裁判の最中に、反対同盟は北原派と熱田派に分裂した。
これは、一般に、支援する『新左翼(いわゆる過激派)』諸党派の影響もあったと見られている。

この映画の中でも、三ノ宮さんの『自殺』あるいは『遺書』の内容をどのように受け止めるかということが語られ、また彼の『死の重み』を受け止めて、戦いをやめないという人の姿も描かれていた。

だが、総じていうと、『権力の醜さ』とそれに対する『戦い』の意義といった側面ばかりが強調されていたように思う。

私は、三里塚闘争は、『敗北した』と考えているが、それは反対同盟(つまり戦いの主体)が分裂せざるを得なかった、という点が大きい、と思う。
また、『支援』と称する諸党派の農民との関係が不明確になり、『誰が闘争の主体であるのか』が見失われてしまったということもあったと思う。

しかし、この映画では、そういったことは、(あえてなのか)ほとんど触れられていなかった。
そして、三里塚の戦いは、今でも続いているという風に描いている。

ある意味では、三里塚闘争の経緯について、意識的に触れないような『映画の作り方』であると感じた。
そんなことを考えながら、映画を見ていたら、一層、映画の長さが苦痛に思えた。
(つづく)






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転載元転載元: 北京老学生・日本に帰国


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